余話その二(二〇二三年)
『――外神田を襲った大火から三ヶ月が過ぎました。文政五年の春、山青堂に大きな転機が訪れます』
山青堂の店内には七人ほどの人間が集まっている。その中心にいるのはお内であり、その周囲にいるのはご近所の住人だった。男女は半々だが年配の者が多いように見受けられる。車座に座る彼等は一様に首をうなだれ、輪の中央にあるそれに目を向けている――一文銭がほとんどの、わずかばかりの金銭に。
「……ごめんね、お内ちゃん。これだけしか集められなくて」
年配のおかみさんの言葉にお内は「いえ、そんな!」と打てば響くように返答した。
「先日の大火で家を失った人もいて、皆様がまだまだ大変なことは百も承知です。その中でこれだけのお金が集められたんです。秋葉様にだって皆様の心意気は判ってもらえるはずです!」
「でもねえ、たったこれだけのお金で秋葉様を勧請しようだなんて図々しすぎやしないかい?」
「確かにちょっと足りませんが……不足はうちが何とかします」
明るい笑顔で決然と、胸を張ってそう告げるお内に一同は心配そうな顔をしながらもそれ以上は何も言わなかった。そして彼等が山青堂を辞去し、その直後、
「ああああ、どうしよう……」
お内は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「本当、どうするつもり? うちの店だってぎりぎりでやっているのに」
呆れたように言うのは左近である。
「でもご近所の皆様がここで安心して暮らしていくには秋葉様の勧請は必要ですし、言い出しっぺのわたしが何とかしなきゃいけません。どうするか考えないと……」
気持ちの切り替えができたのか、立ち上がったお内は前向きに打開策を検討しようとした。
「所詮うちはちっぽけな本屋で、売り物は本か錦絵だけ。大して儲かる商売じゃないでしょう?」
だから無理をする必要はない、と言外に示す左近だが、それはお内には届かなかったらしい。本か錦絵……と呟くお内の視線が店先に置かれた錦絵の一つに固定された。人気の高い、相撲取りの錦絵に。
「お相撲さんがどうかしたの?」
「……お相撲って、お寺さんが勧請のために興行していますよね」
「仏閣の修理とかの費用を捻出するための興行だけど……うちは本屋よ?」
「本屋なら本屋らしく勧請をすればいいんです!」
自分の発案に昂ったお内が力強く立ち上がり早足で店の外に出た。
「勧請本? いえ、勧請錦絵の方が売りやすいはず。問題は何の絵を描くか……いえ、誰に描いてもらうかです」
歩きながら、呟きながら発案を具体化していくお内。その視界に一人の男の姿が入ってきた。着流しを着た、総髪にした、眼鏡をかけた、背の高い男だ。
「兄さん」
お内は男のことをそう呼び、男が「お内」と彼女の名を呼ぶ。
「どうしたんですか、こんなところで」
男はすぐにそれに答えず視線を元に戻し、お内もまた彼が見ているものを見ようとした。そこに広がるのは大火に見舞われたかつての町であり、今は火除け地だ。三か月前は焼け野原だったそこは今は一面に雑草が生い茂る草原となっており、新緑が風にそよぐその光景はありふれたものではあったが、美しかった。
「何もなかった焼け野原が、たった三ヶ月でもうこんな緑に……」
「踏み付けられようと焼かれようと草木は生えてきて、青々と萌えて生い茂る。この町の人間だって同じだ」
「はい。火事なんかに負けていられません」
横に並んだお内と男は長い時間、そうして新緑の草原を見つめていた――
――お内が訪れたのは貧乏長屋の一角であり、一人の老人がそのゴミ屋敷に住んでいた。
「先生、どうかわたし達に力を貸してもらえませんか」
「ふん、勧請錦絵とは面白いことを考えるじゃねえか。だが俺の仕事は安くはねえぜ」
試すように、興味深げな眼をお内へと向ける老人。お内はその視線に対抗し、にらむような顔でその老人と対峙する――
『朝の連続テレビ小説・くさはえる』
『次回・「葛飾北斎」。お楽しみに!』
「……それではですね! 今日の特別ゲストを紹介します。まずお一人目は朝の連続テレビ小説『くさはえる』のヒロイン・お内を演じておられる、女優の岸辺美波さん!」
「岸辺美波です、よろしくお願いします」
「お二人目は学習院大学客員教員の森山先生! 森山先生は近世日本文学・出版文化の研究者で、『くさはえる』では時代考証を担当されています」
「森山です、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします! まずは美波さん、今回演じられている『お内』というのはどんな人なんでしょうか?」
「そうですね……演じるにあたって自分なりに資料も読んだんですけどお内ちゃんあまりいい評判は残っていなくて、ちょっと残念です(笑)。ただわたしは『普通の女の子』だと思って演じています。父親から潰れかかった本屋を受け継ぎ、女というだけで肩身の狭い思いをする時代の中で、それでも家業の立て直しに一生懸命になっているだけの」
「なるほどですね! その辺りはいかがなんでしょうか? 森山先生」
「確かに『お内』に関しては否定的な記録の方がずっと多いんですが、じゃあそれを残したのが誰かと言えば、ほとんど全てが縁為亭未来なんですね」
「そうなんですか! 縁為亭未来と言えばお内の義理の兄で、今はまだ出番が少ないですがこの先の『くさはえる』でも重要な役割を果たすことになると……」
「はい、わたしもお兄さんの活躍に大いに期待しているところです(笑)」
「縁為亭未来を抜きにして山青堂もお内も語れませんからね」
「じゃあ縁為亭未来はどうして妹の悪口を書き残しているんでしょうか?」
「いや、悪口と言いますか……実を言えば縁為亭未来は自分のプライベートに関することをほとんど書き残していないんです」
「そうだったんですか!」
「はい。初代の山崎屋平八が付き合いのある貸本屋に次男を養子に出して、その先でその次男が亡くなった。その貸本屋が他所からもらった養子を、山青堂が養子として迎え入れた……とされていますが、吉原風邪の影響で記録が色々と混乱していてどこまで信じていいかは判りません。それが本当だとしてもそもそもの出自が全くの謎ですし、遠近法を始めとする当時最先端の西洋絵画の技法をどこでどうやって、誰に教わって習得したのか、何一つ判っていません」
「確かに『くさはえる』の中でもその辺りはあいまいにしか描かれていませんでしたね」
「国禁を犯して処断された蘭学者の息子ではないか……というのは諸説の一つですが根拠らしい根拠があるわけじゃありません。縁為亭未来のプライベートや山青堂の内幕に関して、今日語られることのほとんどは『新無金地本問屋』を出典としています」
「わたしも現代語訳を読みましたけど読みやすくて面白かったです。ただお内ちゃんの扱いがやっぱりあれでしたけど(笑)」
「ここで確立された四コマ漫画の技法は二百年間ほとんど変わっておらず、驚くべきことだと思います。ただ、縁為亭未来は別の場所にこう書き残しているんですよね。『漫画というのは面白くするために大げさに描くものだ』と」
「そうなんですね!」
「守銭奴だ銭ゲバだとお内ちゃんのことを散々に描いていますけど、状況的にそうなるのも仕方ないことを大げさに、誇張して描いているだけなんだと思います」
「なるほどですね! でもお内ちゃんはお兄さんに悪口を描かれて怒らなかったんでしょうか?」
「本が売れるのなら仕方ないと割り切ったんじゃないかと(笑)。『くさはえる』でも先々でその辺をやると思います」
「そうなんですね、楽しみです! そしてこの先の展開として非常に楽しみなのが、お内と関わる男達――渓泉英泉や為永春水なわけですが!」
「そうですね、わたしも楽しみにしています(笑)。渓泉英泉はプレイボーイとしてお内ちゃんを惑わしますし、元婚約者の為永春水の動きも見逃せません。そしてそれをインターセプトするお兄さん(笑)」
「それは妹思いのお兄さんの家族愛? それとも……」
「ネタバレは避けますが、限界を攻めてるな国営放送!って感じです(笑)」
「まあ実際のところ、縁為亭未来が誰と結婚したのかも判っていないんですね。片山左近と結婚したというのが有力説ですが実は相手がお内だった、というのも否定できる根拠がありません。時代考証を担当する以上明確な嘘は許容できませんが……」
「史実ではあいまいなことを想像を膨らませて補うのはドラマである以上当然ですよね」
「そうですね。ドラマと史実は違うことだけは判ってほしいと思います。いやー本当にこの人はあれだけ膨大な量の作品を残して同時代の同業者のこともたくさん書き記していてその点は研究者として非常に助かっているんですが、肝心の自分に関することだけは実にきれいに避けているんですよね。娘として可愛がられた片山右京――女流画家としても河竹黙阿弥の結婚相手としても有名ですが、この人も自分の養父に関することは何一つ語っていません。というか、河竹黙阿弥が『自分の嫁の声を聞いたことがない』と言うくらいに寡黙な女性だったわけですが」
「朝ドラのヒロイン候補として何度か名前が挙がっているけど『無口すぎてドラマにならない』って理由でそのたびに断念されたって聞いています(笑)」
「そうなんですね……ですが! ここで大ニュース!! 今回森山先生にわざわざ来ていただいた理由でもあるんですが!」
「はい、長らく行方不明だった『鴻山封印文庫』がついに発見されたんです」
「そうなんですね! ではその『鴻山封印文庫』とは一体何なんでしょうか?」
「はい、当時の長野県小布施に高井鴻山という人物がいまして、この人は葛飾北斎や縁為亭未来のパトロンとして有名です。この高井鴻山に縁為亭未来が大量の文書を預けた、とされているんですね。縁為亭未来は『五十年経ったら公開してほしい』と言い残し、中身を見た高井鴻山が『末代まで封印せよ』と息子に命じた……と伝えられています」
「それで『鴻山封印文庫』と」
「はい、その通称で知られています」
「ですが高井鴻山はどうしてそれらを封印したんでしょうか?」
「いや、『末代までの封印を命じた』という話はただの伝聞で、『封印文庫』の実在そのものを疑う研究者も少なくなかったんです」
「自分なりに資料を読む中で『封印文庫』を扱った小説も読みました。『縁為亭未来が実は将軍の御落胤で、証拠の手紙が封印されている』とか、『シーボルト事件の真相』だとか、『失われた聖杯の在処』だとか(笑)」
「聖杯はさすがにどうかと思いますが(笑)。この『封印文庫』は維新やその後の混乱と高井家の没落によって散逸してしまい、もう失われたものと考えられていたんです。実際これまで何度か『封印文庫の一部が発見された』という報道もあったんですが、結局その全てが偽造かただの思い違いでした」
「そうなんですね! ですが今回は違うと」
「はい。今回発見されたのは松本の第二東京大学図書館の書庫で、ここには未整理の大量の文書がずっと残っていたんです。というのはかつての共産主義政権下で『有害書物排除運動』が展開され、焚書の嵐が吹き荒れました。この図書館にも運動員が押しかけて蔵書目録の提出を要求したんですが、司書が全ての目録を焼き払ってしまったんです。司書は全員逮捕されて収容所送りとなり、帰ってこなかった人もいると聞いています」
「そうなんですね……」
「共産主義政権は長続きしませんでしたが政治と経済の混乱は長く尾を引きました。それも私達にとっては生まれる前のことですが、先人の生命を懸けた抵抗によって誇るべき伝統と文化がかろうじて残され、今なお受け継がれていることを決して忘れてはならないと思います」
「その通りですね! そしてその『かろうじて残された』ものの中に今回の『封印文庫』があったわけですね?」
「はい。蔵書目録を一から作り直すのは大変な作業でなかなか進まなかったと聞いています。そしてこの作業の中で今回の『封印文庫』が発掘されて発見されたわけですが、どういう経緯でここに蔵書されることになったのかは皆目判りません。散逸を恐れた高井家の誰かが第二東京大学の前身となった学校の図書館に託したのではないかと想像していますが」
「ですがこれまで何度か偽物騒ぎがあった中で、今回本物だと断言されるに至ったのは?」
「はい、まずは見つかった場所とその経緯です。ある日突然湧いて出たわけでなく、全国有数の大学図書館の倉庫の奥に、何十年も保管されていたのが見つかった、と。次にその量です。これまでの偽書は作られてせいぜい一冊か二冊だったんですが、今回見つかったのはそれどころではなく、嬉しい悲鳴が出るくらいの膨大な量です。そして何より一番の理由は、その内容です。それらの文書が片山左近の、縁為亭未来の直筆であることは何人もの専門家が鑑定済みですし、同梱されていた同じく大量の肉筆画が縁為亭未来のものだというのは、素人でも判ります。もちろん放射性炭素年代測定でも二百年前のものであることを確認済みです」
「そうなんですね! これはもう、世紀の発見ですよね!」
「はい、私のような立場からすればシュリーマンのトロイア発見にも負けない大発見で、新聞の一面を飾るのも当然です」
「さてでは! 肝心なその中身ですが……」
「いや、それはまだまだこれからです。ですが全国から何十人もの研究者が第二東京に押しかけていますし、解析は案外早く進むんじゃないかと思います」
「先生もそのお一人ですよね!」
「はい、この収録が終わったらすぐに松本にとんぼ返りです。書かれていたという話だけ残っていた『片山左近日記』が入っていた、と先ほど連絡がありました。まだ目を通していない文書の中に何があるのか、本当に楽しみでたまりません」
「でもこの『封印文庫』にお内ちゃんのことやお兄さんの本当のことが書いてあったら、ちょっと演じにくくなりますね(笑)」
「いや、解析がそこまで早く終わるわけじゃないです」
「逆に言えば今の解釈のお内ちゃんが見られるのも今のうちですね!」
「そうですね(笑)」
「今日はどうもありがとうございます! ドラマと研究、頑張ってください!」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「……それではですね! 今日の特別ゲストを紹介します。お二人とも二回目の登場です! まずは先日最終回を迎えた朝の連続テレビ小説『くさはえる』のヒロイン・お内役の岸辺美波さん! それとお茶の間にはもうすっかりおなじみの森山先生です! 今回は『鴻山封印文庫』の解析に大きな進展があったということで、是非!お話をお伺いしたいと――」
【後書き】
新作宣伝のために番外編を追加しました。新作もよろしくお願いします(8/12から更新開始です)。
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