第二四回(最終回)



「裏太郎さん、どうしたのかしら」


「確かにちょっと様子が変ですね」


 達郎は縁側に腰かけ、ぼけっと中庭を眺めている。その背中を左近とお内が心配そうな顔で見つめているが、達郎はそれに欠片も気付いていなかった。右京もまた今の達郎に近寄りがたいものを感じ、左近の足にしがみついている。

 達郎は半分居眠りしたようにただぽかんとしているだけにしか見えない。が、親しい人間はその横顔から苛立ちの気配を感じ取るだろう。実際、今の達郎は苛立っている。怒っている。唾棄したい衝動に駆られている――自分自身に対して。

 達郎の予想を大きく超え、七兵伝の評判は江戸中を席巻する勢いだ。このまま無事に完結まで至れば「鎮西武英闘七兵伝」の名は歴史に刻まれることとなるだろう。読本の金字塔として、化政文化を代表する小説として、江戸時代の傑作として。いずれは歌舞伎となり、絵草紙となり、翻案が作られ、勝手に続編が書かれ、亜流の読本が書かれることだろう。二〇世紀には映画となり、TVドラマとなり、漫画となり、人形劇となり、アニメとなり、二一世紀になっても現代語訳されたそれが読まれ、それを元ネタにした作品がくり返し作り続けられることだろう。七兵伝は不朽不滅のエンタメとなり、それと同時に達郎の名前もまた永遠に語り継がれるのだ――他人の作品をパクっただけの人間の名前が!!

 他の誰が知らずとも達郎自身は知っている。嫌と言うほど判っている。七兵伝は単なるパクリで、猿真似で、剽窃で、盗作だ。達郎は他人の傑作をこっそり盗んで自分のものに見せかけた泥棒野郎で、最低のパクリ野郎だ。

 達郎の中には他人から与えられたものがあるだけで、自分自身が生み出した本当のものは何一つない。空っぽのはりぼてに他人の作品を詰め込み、それを自分の作品のように見せかけ、まるで大文豪のような顔をしているのだ。本当に、底知れない恥知らずだ。どれだけ面の皮が厚いのかと呆れ果ててものも言えない。歴史上、これほど厚顔無恥な人間が他にいただろうか? ここまで来ると逆に哀れに思えてくる。


「……っ」


 苛立ちと自己嫌悪が頂点に達し、外へとあふれ出そうになる。達郎は強く歯を食いしばってそれを堰き止めた。やがてその波が引き、達郎は大きくため息をつく。肺の息を全部吐き出し、肩を落として背を丸めた。身体が一回り小さくなったような気がして、いっそこのまま際限なく縮んで、そのまま消えてなくなってしまえばいいと思う。


「兄さん」


 声をかけられたのが突然だったため、達郎は「のひゃっ」と変な声を出してのけぞった。振り返ると、過剰な反応に目を丸くしたお内と左近の顔があり、達郎は気まずげに二人から顔をそらす。


「どうかしましたか。妹さん」


「どうかしているのは兄さんの方でしょう。何かあったんですか?」


 腰に手を当てたお内が怒ったようにそう問う。その後ろには心配そうな顔で左近と右京がたたずんでいる。達郎は面倒そうに「何でもない」と言うだけだ。どうせ説明したって理解できっこない……


「どうせ話したって判りっこない――そう思っていますか?」


 思わず達郎が後ろを振り返るとそこにはお内の真剣な眼差しがあり、達郎はそれに射止められたように身動きできなくなった。


「どうして……」


「そりゃ、判りますよ。兄さんとっても判りやすいですから」


「むしろ右京の方が判りにくいわね」


 と左近は笑う。右京は達郎にとって未だに謎の存在だがそれはともかくとして、その右京が左近の背中に隠れるようにしながら、じっと達郎のことを見つめている。その仏頂面は相変わらずだが、


「もしかして心配してくれているのか?」


「ええ、もちろん」


 右京に代わって左近がそう答え、愛おしげにその頭を撫でた。右京は仔猫のように目を細めて左近の腰に頬ずりし、達郎は微笑ましげに吐息のような笑みを漏らした。


「それで、何があったんですか?」


 お内が改めてそれを問う。額が接するかと思うほどお内が前に出、達郎がその分後退した。なおも言いよどむ達郎に対し左近が、


「七兵伝のこの先が思いつかない……とかですか?」


「いや、それはない」


 達郎は即答した。


「完結までもう全部筋は決まっている」


「そうですか。早く全部読みたいですね」


 屈託のない左近の賛辞に達郎が目を伏せる。注意深くその表情を観察していたお内は、


「七兵伝はすごい評判ですよ。八犬伝なんてもう目じゃないくらいです。今まで読本の第一人者と言えば曲亭馬琴でしたがこれからは兄さんが――」


「やめろ!!」


 耐えられなくなった達郎が怒鳴った。お内が口を閉ざして達郎の次の言葉を待ち、その場には痛いほどの沈黙が満ちている。達郎は身をかばうように頭を抱えて、


「……あれは、七兵伝は俺の作品じゃないんだ。他人が書いたものを盗作しただけなんだ」


 搾り出すようにそう吐露した。一度口にしてしまえばもう堰き止めるものは何もない。達郎は一切合切を二人へと吐き出した。自分が二百年先からやってきたタイムスリッパーで、七兵伝は二百年後の人気作品を翻案したに過ぎないのだと。

 妄想としか思えないような話を聞かされた左近は困惑の極みの様子だったが、一方のお内は「なるほど」と頷いている。


「一つ確認ですが、兄さん」


「何だよ」


「七兵伝は二百年先の読本の類板……ということですが、それは誰かに咎められるんでしょうか。二百年先の本屋仲間にとか」


 今度は達郎が困惑する番だった。そもそもこの時間軸の二百年後に那須きのこやTYPE-MOONが生まれるかどうか判らず、仮に生まれたとしてもその遥か前から七兵伝が存在する以上、Fateシリーズも本来の歴史とは全く違った形となるだろう。


「タイムパトロールでもいれば話は別だろうけど」


 達郎を処罰し、断罪する存在は何もなかった。ただ一つ、達郎自身の良心を除いては。


「そうですか。ひとまずは安心ですね」


 山青堂の経営者としてそう言うお内に、達郎は問わずにはいられなかった。


「あの……妹さん。まさか信じたんですか? こんなトンデモな話を」


 ええ、とお内はこともなげに頷いた。


「確かに八犬伝よりも七兵伝よりも荒唐無稽な、夢物語としか思えないようなお話でしたが、兄さんのこれまでの諸々を考えれば一番筋が通っているように思います。何より、証拠も見せてもらいましたし」


「証拠?」


「玉手箱ですよ。あんなの、どんな大店の御曹司だろうと持っているはずがない。竜宮城か二百年先でもないと手に入らない。そして竜宮城と二百年先、どちらがよりあり得るか、という話です」


 玉手箱とは二一世紀から持ち込んだスマートフォンのことだ。それでお内達の写真や動画を撮ったときのことを、達郎は昨日のことのように思い返した。


「……確かに。雷を撃たれて神隠しになった人もいたことですし、神隠しに遭った人が大昔に飛ばされることもあるかもしれないですね」


 左近もまた達郎の話を何とか呑み込もうと四苦八苦している。その二人の姿に達郎は胸の内が熱くなるのを感じていた。涙がこぼれそうになるのを辛うじて堪える。仮に、お内達と出会った直後に今の話をしたところで絶対に、物証があったとしても信じてもらえはしなかっただろう。信じてもらえるのは二年以上という時間があってこそだった。この二年間、ともに危機を乗り越え、苦労し、喜び、笑い、家族としての時間を過ごし、信頼を積み重ねてきてこそ――

 いきなり達郎が立ち上がった。驚く二人に達郎が「描きます」と言う。


「描く? 何をですか」


「盗作じゃないものを。俺にしか描けないものを」


 それだけを告げて達郎が早足で左近の部屋へと、文机のある場所へと向かう。お内と左近は安堵の笑みを浮かべてその背中を見送った。

 そして今、達郎は筆を手にして文机に、白紙の紙に向かっている。パクリや盗作ではない、自分にしか描けないものを描くために。「祓い屋三神」は「GS美神」の、七兵伝はFateシリーズの翻案であり、盗作だ。この二年間、自分はパクリしかしていなかったのか? いや、決してそんなことはない。この二年間に積み重ねてきたものがある。


「この二年間、それ自体が俺にしか描けない、俺だけのオリジナルだ!」


 お内、左近、右京、ご隠居、金七や山青堂の手代。それに柳亭種彦、葛飾北斎、葛飾応為、渓斎英泉、山東京山、為永春水、丁子屋平兵衛、美濃屋甚三郎。この時代で、この町で巡り会った人々、彼等とともに過ごした時間。その全てが大判小判やどんな宝玉よりも貴重な、光り輝く宝物だった。その全てが達郎のオリジナルだと――胸を張り、誇りをもってそう言える。あとはそれを紙の上で形にするだけだ。

 その日、達郎は久々に寝食を忘れて執筆に没頭する。何枚も紙を無駄にして、ようやく納得のできるものが描き上がる頃にはとっくに夜は明け、日差しは江戸の町を明るく照らし出していた。






 文政七年三月、西暦なら一八二四年四月。山青堂が草生ル萌の新作を出版する。それは絵草紙だが一〇丁しかない薄い本で、合巻にするまでもない。草生ル萌と縁為亭未来がイコールなのはよく知られた話であり、その新作ということで多くの人が飛びついたのだが……


「あたしゃ面白いと思いましたがね」


 慰めるようにそう言うのは山青堂を訪れた為永春水だ。


「それにあたしのことも作中に出してくださったし。うちにとっちゃ良い宣伝ですよ」


「売れ行きはいまいちですけどね」


 達郎はそう言って肩をすくめる。が、さほど気落ちしているようには見えなかった。

 「新無金地本問屋あらたないかなぢほんどいや」、それが達郎の新作の題名である。十返舎一九が享和二年(一八〇二年)に「的中地本問屋あたりやしたぢほんどいや」という草双紙を出しており、達郎の新作はそれを本歌取りしたものだった。

 「的中地本問屋」は、書肆の主人が怠け者の戯作者(十返舎一九自身)に怪しげな薬を飲ませて草双紙を書かせるとたちまち草稿が書き上がり、さらにそれが飛ぶように売れて……という内容である。十返舎一九は蔦屋重三郎の耕書堂に勤めていたことがあり、作中でこの時代の本の製作風景などが詳しく描写されているのはその経験を生かしたものだった。達郎の新作もまた自身の経験を生かし、書肆の内幕を詳しく描いている。

 主人公は戯作者で、書肆の店主であるその妹が副主人公。二言目には「金!」という妹に急かされた主人公が何とか執筆しようとしたり、頭を抱えたり逃げ出したりといった日々の出来事を面白おかしく描写している。さらには渓斎英泉や越前屋長次郎といった実在の人物も登場させているのが大きな特徴だった。

 手法としては「祓い屋三神」から一歩進め、四コマ漫画そのものを採用した。四コマごとにオチと区切りを付けながらもそれが連続して話が続いていく、いわゆる萌え四コマによく見られる様式だ。「仕事をテーマとした連続四コマ漫画」としては得能正太郎の「NEW GAME!」(芳文社)に強い影響を受けている……が、その内容は決してパクリでも盗作でもない。達郎のオリジナルである。

 なお題名は、十返舎一九の「的中あたりやした」に対して達郎のそれは「新無金あらたないかな」。「当たらないかな」と掛けたわけで、また「NEW GAME!」にも因んだものだった。

 ただ、いくら「オリジナルだ」と胸を張っても二一世紀の、漫画を読み慣れた人間にとっては目新しいものは何もない。よくありがちな、締め切りに追われる漫画家と編集者の攻防戦がちょっと形を変えたくらいのものである。明確に何かの盗作ではないとしても、似たようなネタは必ず一度はどこかで読んでいることだろう。

 そしてそれを反映するようにその売れ行きもいまいちだった。決して悪いわけではないのだが七兵伝とは比較にもならない。たった一〇丁の本で刊行部数も知れているので、たとえ売れ残ったところで今の山青堂にとっては痛手でも何でもない。問題があるとするなら縁為亭未来という戯作者の評判くらいだが、達郎がそんなことを気にするはずもなかった。


「いまいちだけど、そこまで悪くはない」


 それが新作の評価であり――借り物ではない、達郎自身の評価そのものだった。達郎自身もそんなものだと思っているし、むしろ高評価なくらいだと思っている。

 一通り世間話をして為永春水が立ち去っていき、それと入れ替わりのように一人の老人が山青堂に現れた。


「御免」


 はい、と応対する達郎。年齢は六〇の手前くらい。この時代としては比較的大柄で、着物は着古した、くたびれたものだ。その老人は新作の「新無金」を購入し、持って帰るかと思えばその場で読み始めた。しかめ面のその老人がくすりともせず、哲学書でも読むかのように真剣にその四コマ漫画を読んでいる。まるで鬼編集長に持ち込み原稿を読んでもらっている漫画家の卵のような気分となり、達郎は居心地が悪そうに身じろぎした。また、店の奥から戻ってきたお内も達郎の後ろで硬直している。

 たった一〇丁の漫画に随分時間をかけ、それを読み終えた老人がそのまま立ち去ろうとした。


「あの、どうでしたか?」


 ほとんど無意識のうちに達郎がそれを問う。老人は立ち止り、わずかに振り返った。


「萌え絵と言ったか。慎みのない、猥雑な絵だ。話の方も、素人の手遊びよりはマシなくらいだろう」


 ストレートな酷評に達郎は引きつったような乾いた笑いを浮かべるしかない。老人はそれだけ言って立ち去っていき……今まで息をひそめていたかのようにお内が大きく息を吐き出した。そして、


「どうしてあの方がここに」


 その呟きに達郎が振り返ってお内の驚いた顔を見て、


「あの人、もしかして」


「ええ、馬琴翁です」


 曲亭馬琴。晩年失明しながらも大作「南総里見八犬伝」を完結させ、不滅不朽の傑作とその名を歴史に残した、孤高の巨匠。達郎のような偽物ではない、本物の作家――

 馬琴が神田明神下に引っ越してくるのも近いうちのはずで、おそらくはその準備のために外神田まで来たので気まぐれか気の迷いかで山青堂に立ち寄ったのだろう。


「どうせなら七兵伝の評価も聞いておけばよかったかな」


 達郎はそう思うが、また同時に聞かずにいて正解だったようにも感じている。ただ「新無金地本問屋」の評価が聞けたのは奇跡のような僥倖だった――たとえそれが非常に辛辣で、極めて微妙なものであったとしても。


「さて」


 気持ちを切り替えた達郎は七兵伝第二輯の挿絵の執筆に取りかかった。それはパクリであり、剽窃であり、盗作だ。だがお金のため、生活のため、山青堂の経営のためにはやむを得ないことだった。その一方で、達郎は「新無金地本問屋」の続きをまた描くだろう。たとえどんなに微妙な評価しか得られずとも、それが達郎のオリジナルなのだから。






 「近世物之本江戸作者部類」という本がある。脱稿は天保五年(一八三四年)だが出版されたわけではなく、写本として後世に伝わった本だ。無名作者から曲亭馬琴まで、江戸の戯作者を歯に衣着せぬ論評で扱った、百余名分の評伝である。

 この時間軸のこの本には本来の歴史にはない「縁為亭未来」の項目が存在した。著者の蟹行散人曰く、


「縁為亭未来

 山青堂山崎屋平八の養嗣となりてこれを継ぐも、書肆は専ら家人に任せ画を成す。合巻・戯作数多を著(あらわ)し、婦幼に賞玩されたり。『新無金地本問屋』なる草双紙、十返舎一九を剽窃模擬したるものなれど本より見所ありて、物真似を巧みとする者也」


 なお、蟹行散人は曲亭馬琴の別名である。




(完)


【後書き】

本作はこれにて完結です(続きを書かないとは言っていない)。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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