第二輯

第二五回(文政五年七月)

【前書き】

ということで番外編です。内容は「肇輯(本編)で触れなかった話」という位置づけですが、今のところ。先々「別の時間軸の話」にしてしまう可能性もなくもないです。

なお肇輯は全年齢対象でしたが番外編は(一応)R15ですのでご注意ください。







「兄さん、春画描きましょう、春画!」


「いきなり何を言い出しますか妹さん」


 いきなり突拍子もないことを言い出したお内に達郎がかわいそうな人を見るような目を向け、お内はちょっと頬を膨らませる。ときは文政五年(一八二二年)七月。勧請された秋葉権現の建立が外神田の火除地で始まったころである。

 その資金集めのために山青堂は葛飾北斎の「勧請錦絵」を刊行して大いに名を上げ、同時に刊行したおたきの大首絵で江戸中を席巻した。それを描いたのは浮世絵師「草生ル萌」こと山青堂の店主・二代目山崎屋平八こと、占部達郎。またの名を裏太郎と言う。後世彼の名前として最もよく知られた「縁為亭未来」は、この時点ではまだ名乗られてはいなかった。

 江戸時代にタイムスリップした達郎は二一世紀の最新の絵柄「萌え絵」を使って吉原の遊女の大首絵を何枚も描き、その全てが印刷が間に合わない勢いで売れに売れ、山青堂は快進撃を続けている。が、事実上の経営者であるお内はそれだけでは満足しなかった。


「そんなわけで春画です。春画」


 と身を乗り出すお内と、その分後退する達郎。そんな二人を左近が微笑ましさと苦笑を半々にして眺めている。


「大勢のお客さんや貸本屋に『草生ル萌は春画を描かないのか』って訊かれています。出せば売れるのは間違いなんです。それに何より、春画は儲かるんですよ!」


 お内が拳を握って力説する。はあ、と生返事をする達郎は助けを求めるような視線を左近へと向けた。この銭ゲバ妹に常識と女性としての慎みを説いてくれることを期待したのだが、


「春画を描いてこそ一流の絵師ってよく言いますものね」


 左近の言葉に「その通りです」と強く頷くお内。どうやら(この時代の)常識がないのは自分の方だったようで、達郎は天を仰いで途方に暮れた。


「裏太郎さんがそういうのが苦手だっていうのは判っていますけど……」


「兄さんとびきり奥手ですしね」


 二人からそんな生温かい目を向けられ、達郎は身の置き所のない、地獄のような思いを味わっている。

 表向きは御禁制の春画だが幕府も本気で取り締まっているわけではなく、裏でこそこそと売る分にはほとんど野放し状態だった。このため山青堂にも大量の春画があり、金吉や手代の二人もよく読んでいる。だが達郎は、書庫のあらゆる本に目を通しても春画には手を触れようともしなかった。女性や女体に関心がないのかと言えば決してそうではないことは、自分達に向けられる視線でよく判っている(特に左近)。ただ単に、臆病なくらいに非常に奥手なのだ――というのがお内と左近の結論だった。


「でも、苦手だからっていつまでも逃げ回っているわけにはいかないでしょう」


「ここを乗り越えてこそ一人前ですよ?」


 笑顔の二人がプレッシャーをかけてきて達郎が精神的に後退。が、すぐにコーナーへと追い詰められた。


「わ……判りました。とりあえず描いてみます」


 達郎はひとまずは要求を呑んで時間を稼ぐことを選択。


「それでこそ男です」


「期待していますから」


 お内と左近は意味深な笑顔のまま満足げに頷き、達郎は違和感に首を傾げていた。






 さて。春画である。

 春画、おそくつの絵、笑絵、ワ印、枕絵、秘画など、様々な言い方がある。冊子になった春画本は笑本えほん艶本えほん、枕草子、好色本、三冊本などと呼ばれていたという。

 春画の歴史は古く、たとえば法隆寺金堂の天井には奈良時代に描かれたエロティックな落書きが残されている。だが春画の直接的な起源をたどるなら、それは中国となるだろう。平安時代初期に中国から「偃息図」と呼ばれる、房中術を描いた色彩画冊が医学書とともに伝わっている。平安後期、これに影響された大和絵師が貴族などの有力者の求めに応じて性技の手本本として国産の偃息図を描くようになり、これが日本における春画の始まりと言える。

 室町時代には春画は庶民にも広がり、桃山時代には明から「春宮秘戯図」が伝わった。皇帝と寵姫の性生活を描いたこれらは「春宮画」と呼ばれ、さらに略されて「春画」という言葉が生まれた、という説もある。春宮画の伝来で春画の人気が高まり日本でも盛んに描かれるようになり、土佐派や狩野派の流れをくむ絵師が描いた絵巻物がいくつも残されている。

 江戸時代の初期は肉筆画による春画本が作られていたが、早くも一六五〇年代、木版による春本(官能小説)が刊行。さらにはそれに挿絵が入るようになる。そして浮世絵版画の開始とともに春画もまた木版により刊行されることとなるのである。

 春画はあまりに人気が出過ぎたために幕府によってたびたび禁止令が出されている。が、地下に潜って幕府の検閲を受けなくなったことにより春画はかえって発展した。色数や画題の制限を全く無視した贅沢な作品が作られるようになるのだ。後には二〇色以上を摺り重ねたものや、金銀雲母を惜しみなく遣った豪華絢爛な春画が高額で取引されることになる。それだけの作品を作る以上、絵師もまた一流でなければ意味がない。


「板元から春画の依頼があってこそ一流の絵師」


 それが時代の常識であり、恥じることでも何でもなかったのだ。その証拠に、葛飾北斎や渓斎英泉だけでなく菱川師宣、鳥居清信、鈴木春信、鳥居清長、勝川春章、喜多川歌麿など、今日でも名の残る絵師は全員春画を手掛けている。それを描いていないのは東洲斎写楽くらいのものだが、写楽の活動期間はわずか一〇ヶ月。それに当時、写楽の評価は決して高いものではなかったのである。

 さて。ここで問題がある――春画は何のために描かれたのだろうか?

 二一世紀の巷にあふれかえっているエロ本、エロ漫画、エロ同人誌、アダルトビデオが何のために存在するかは自明だろう。寂しい独身男の夜のお供、いわゆる「片手で読む本」、すなわちポルノグラフィティだ。だが春画ははたして「片手で読む本ポルノグラフィティ」だったのだろうか?

 江戸は長らく男が多く女が少ない町だった。このため吉原だけでなく各地に歓楽街があったのだが、女も買えない貧しい男のために春画があった……と言えるのだろうか? 先に見た通り、春画は一流絵師の手掛けた高級品だ。貧しい独身男の手の届くようなものではない。

 春画にはまず、縁起物という側面があった。春画は嫁入り道具の一つとして、箪笥の引き出しの奥にひそめておく、という習慣があったという。性に呪術的な力がある、という信仰は世界の広い範囲で見られるものであり、日本も例外ではない。江戸時代にもなれば直接的に性を信仰することは少なくなっているが、それでも子宝を授かることや子孫繁栄への願いが、そんな形で残されているのだろう。

 春画はまた、単に性交の場面を見るだけのものではなかった。一流絵師が遊び心にあふれた、凝りに凝った判じ物のような絵を描き、それを理解する楽しみもあったのだ。そしてそれは衣服、調度品、交わされる言葉など、「江戸の粋な趣味人」という共通の土台を必須とする。それらの教養を得るための余暇や財力を必須とし、自然春画自体も高額のものとなる。それは「裕福な趣味人」を対象とした商品であり、貧乏な独身男のことなど誰の眼中にもなかったのである。

 ――と、ここまでは一八世紀、遅くとも一九世紀初めまでの話だ。江戸の社会が二六五年の間にほとんど別物のように変貌したように、春画もまたその意味を大きく変えることとなる。その背景にあるのは市場経済の発達であり、それに伴う出版文化の大衆化だ。

 文化文政は庶民が高い購買力を持つようになり、市場経済が高度に発達した時代だ。この庶民を対象とした商品が読本や合巻であり、歌舞伎や落語もそうであり、同時に発達した寿司を筆頭とする外食産業もまた同様である。化政文化とは(購買力を有する)町人(を対象とした)文化であり、大衆化された文化のことなのだ。「粋な趣味人」という閉ざされたサークル内で発達した文化とは全く形を変えて当然である。

 一九九八年、ロンドン大学教授のタイモン・スクリーチが「春画 片手で読む江戸の絵」という本を出版。この本は新聞にも取り上げられ大きな反響を呼び、同時に反発も招いた。問題となったのは春画をポルノグラフィティと規定し、マスターベーションのための絵と見なしたことである。だがそれは、


「時期によって違います」


 というだけの話ではないだろうか? 一九世紀以降も、貧乏な独身男向けの劣悪な商品だけでなく、縁起物の贈答品用の春画も作られたことだろう。春画と一言に言ってもそれが描かれる様々な目的があり、それに応じた形態があるのである。

 ……と、長々と春画について論じてきたが、要は「この時期の書肆にとって春画は有力商品であり、絵師にとっても重要な飯のタネだった」という点が判ってもらえればそれでいい。また地本問屋――庶民向けの娯楽本を扱う本屋である山青堂にとって春画とは「片手で読む本」なのだ、ということも。


「……どうしよう」


 その夜、場所は山青堂の一角の、物置。机代わりの木箱に向かった達郎はそのままの状態でもう何時間も頭を抱えていた。木箱の上の紙はずっと白紙のままである。なお、達郎が普段仕事をするときは左近の部屋にお邪魔し、そこの机を使わせてもらっている。だが今は時間が遅く、何よりも春画を描いているところを左近やお内に見られるなど、達郎からすれば拷問みたいなものだった。


「……どうしよう」


 数分置きにそう呟き、もう何度それを口にしたか判らない。それでも達郎の手は動こうとしなかった。

 絵が得意、と言ってもそれは高校の部活動で勉強して習得した程度であり、絵画教室で専門家に習ったわけでも、芸大に進学したわけでもない。ヌードデッサンなどやったことはなく、せいぜいヌード彫像のデッサンをしたくらいだ。アニメや漫画の女性キャラクターはよく描いていたが、気恥ずかしさがあってそのヌードを描いたことは、非常に少ない。それに元の時代と今を通して女性と親しくお付き合いした経験は一切なく、彼女いない歴は年齢とイコールの二二年弱。はっきりと言ってしまえば完全無欠の童貞である。

 その達郎が「春画を描け」と要求されていて、要求するのはお内や左近といった見目麗しい女性であり、家族なのである。あらゆる意味で、全ての点において気恥ずかしく、逃げ出したくて仕方なかった。


「どうしよう……どうする、何を描こう」


 何時間も何を描いていいか判らず、頭の中は真っ白だ。参考になるかと思って書庫から何冊もの春画本を持ち出しているが、


「こんなの描くの……?」


 と情けなくなり、ますます途方に暮れるばかりである。

 二一世紀で春画に関する本にも目を通したことがある。そこに記されていた春画の特徴は、「着衣」「挿入」「性器の誇張」など。春画の登場人物は着衣のまま性交しており、裸を描いたものはごく少数だ。そして描かれるのは性交の場面、特に挿入のシーンがほとんどである。そして性器は判りやすくはっきりと、誇張して描かれている。言うまでもなくモザイクなんか掛かっていないが、それに劣情を催すかどうかはまた別の話だ。正直に言ってしまえば、萎えるばかりである。

 手が折れようとも自分にはこんなものは描けないし、描きたくもない。ならば何を描くか? おたきの大首絵のときのように、この時代の春画の約束事など頭から無視し、描きたいものを、描けるものを描くしかない。


「二一世紀のエロ漫画なり同人誌なりで、何か使えるネタを……」


 脳の回路が焦げる勢いで必死に記憶を検索する。達郎も健康な成年男子であり年相応には女体に興味があり、エロ漫画やエロ同人誌にもそれなりに目を通している。だがなかなかピンと来るものが見つからなかった。延々と頭を抱え、


「うがー! 描けねー!」


 大の字になって天井を仰ぐ達郎。彼はそのまま深々とため息をついた。


「エロだろうと何だろうと漫画家ってえらいよ。こんなのずっと続けてるんだから。描けないときは――」


 達郎は勢いよく身を起こした。ある漫画家のエピソードが検索の網に引っかかったのだ。エロ漫画雑誌から仕事をもらった彼は、だが真っ当なエロ漫画を描けなかった。そのとき彼はどうしたか?


「これなら俺にも描ける!」


 木箱にかじりついた達郎は猛然と筆を動かし始める。ほとんど徹夜し、その作品を描き上げたのは夜が明けようとする時刻だった。






「……なんとか描きましたから」


 人相が変わってしまったかのような達郎に、お内と左近は目を丸くする。たった一晩しか経っていないのに何日も不眠不休で働いたかのようだ。単に徹夜をしただけでこうはならず、その精神的負担がそれだけ過大だったのである。


「あの、疲れているんでしたら寝た方が」


「いえ、先に読んでください。そうでないと安心して眠れないので」


 二人を威圧するつもりは毛頭なかったが、それでもそこには有無を言わせぬ気迫があった。描いてきたのは絵草紙で、枚数もほんの一〇丁(二〇頁)。今すぐ読むことに支障があるわけではない。


「題名は……『天下無双日本号』?」


 気まずそうにそっぽを向く達郎を脇に置いておいて、お内と左近は横に並んで一枚ずつその春画を読んでいった。

 内容は、一〇丁で一つの話となっている絵物語だ。とある田舎侍が吉原にやってきて、有り金全部叩いて人気の花魁と一夜を共にしようとする。床に横になった花魁の前でその侍が全ての着物を脱ぎ捨て――


『あの……それは何?』


『これぞ天下無双の自慢の息子! その名も「日本号」!』


『……腕でも脚でもなく?』


『左様なり! 吉原随一の傾城と謳われた貴殿ならばこの一物もきっと!』


『いやいやいや、無理無理無理』


『何を言う! 日の本一のこの槍を呑み干すほどに呑んでこそ!』


『限度があるわっ!』


 馬並どころか脚かと思うくらいの巨大な一物に花魁が完全に怖気づき、それでも侍が事に及ぼうとする。ついには逃げ出した花魁を侍がフルチンで追いかけ回し、止めようとした妓楼の若い衆と大立ち回りを演じ、最後には総出となった奉行所の役人に取り抑えられてしまうのだ。フルチンのまま引っ立てられて引きずられていく侍。その地面には三つのわだちが作られていた……

 お内も左近もそのナンセンスでド阿呆な内容に大受けし、笑い転げている。達郎はその反応に大いに満足し、また安堵した。

 小野寺浩二という漫画家がいる。ハイテンションのギャグ漫画で人気を博した漫画家で、達郎もファンの一人である。その彼はデビュー間もない頃にエロ漫画雑誌から仕事をもらったはいいが、真っ当なエロ漫画を描けないために途方に暮れたという。そのとき彼はどうしたか? 開き直ってド阿呆なギャグ漫画を描き、好評を得たのである。達郎の春画本もその漫画を元ネタにして描かれたものだった。


「こんなの読んだことありません」


「ええ。とても面白かったですし、きっと売れると思います」

 

 左近は笑いすぎて流れた涙をぬぐい、お内もまた平静を取り戻そうと苦労しているところだった。が――冷めた顔となったお内が「でも」と逆接する。


「お客さんが草生ル萌に求めているのはこれじゃありません」


 その断言に達郎はぐうの音も出なかった。お内に言われずともそれは判っている。でもどうしても描くことができず、仕方なしにギャグに逃げたのだ。


「これはこれで刊行しますけど、ちゃんとした春画も描いてくださいね!」


 改めてそれを要求され、達郎は絶望的な気分で天を仰ぐ。気力が底をつき、また精神的肉体的疲労と睡魔が限界に至った達郎がそのままひっくり返ってしまい、お内と左近を大いに慌てさせた。




参考文献

車浮代「春画入門」文春新書

白倉敬彦「江戸の春画~それはポルノだったのか」洋泉社

田中優子「春画のからくり」ちくま文庫(Kindle版)

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