第三九回(文政八年一月)
「にいさん、ねえさん、お芝居を見に行きましょう!」
お内の突然の提案に左近は非常に乗り気となり、あまり気の進まない達郎を引きずるようにして歌舞伎見物に外出する。ときは文政八年の正月、西暦なら一八二五年二月中旬のこと。喜び勇んでやってきたのは日本橋二丁町。江戸三座と呼ばれる芝居小屋のうちの二つ、中村座と市村座が隣接して依拠している場所である。
この界隈には役者の他芝居関係者が多数住み、また歌舞伎以外にも人形浄瑠璃や見世物小屋が軒を連ねていた。さらには芝居見物の客を当て込んだ飲食店や土産店が無数に立ち並ぶ一大繁華街であり、町全体が江戸歌舞伎を中心としたテーマパークのようなものだったのだ。毎日お祭りを続けているようなもので、通りは大変な混雑だ。ただそこを歩いているだけで心が浮き立ってくる。
「へー、ほー」
達郎は芝居を見に来ることがほとんどなく、この町にやってきたのも久々だった。おのぼりさんよろしく物珍しげに周囲を見回し、
「恥ずかしいですよ、にいさん」
とお内に注意されている。左近が足を止めて見入っているのは土産物屋の軒先に並ぶ、役者を模した人形だ。「ふーん、なるほど」と頷く達郎。この一帯に人形浄瑠璃のあやつり座が多かったこと、また土産物の人形を売る店、それを作る職人などが集まっていたことから、後の世に「人形町」の地名が生まれたという。
そしてやってきた芝居小屋――いや、小屋などという規模ではなく立派な劇場だ。幕府の許可を受けた証である高層の櫓を見上げれば、そこには丸に橘の市村座の家紋。江戸三座の一つ、市村座の芝居小屋だ。櫓下には座元の名前を中央にして、その左右はスター役者の名が掲げられている。
「これが本当の看板役者……」
そうつぶやいて一人頷く達郎にお内は「何を当たり前のことを言っているんだろう、この人は」という目を向けた。
小屋の前では
達郎達が入場したのは朝五つ半、午前九時頃。芝居は明け方にはもう始まっており、舞台では歌舞伎役者が熱演の真っ最中だ。ただし明け方から始まるのは「序開き」と言い、出し物は下級役者の寸劇。その次には「二立目」という中堅役者の持ち場となり、その次の「三立目」からようやくスター役者が勢ぞろいして本編が開始される。今はまだ二立目で、客もようやく集まってきたくらい。客席が埋まるのは三立目が始まる頃だった。達郎達の切り落とし席も満員電車もかくやと言うべきすし詰め状態であり、達郎は以前参加したことのあるコミケットの入場待ちの行列のことを想起していた。
序開きから芝居見物をするのはよほどの芝居好きだけだろうが、三立目から見るとしても午前中から日が暮れるまで、ほぼ一日中見続けることになるのだ。映画館で映画を見るように集中して見続けるなど不可能であり、客は菓子やら弁当やら口にしながら、おしゃべりをしながら見物をしている。二一世紀の観劇マナーからすれば目を剥くような有様だが、この時代では、歌舞伎見物ではこれが普通なのだった。
――さて。江戸歌舞伎である。
江戸っ子にとっての最大・最高の娯楽が何かと言えば、それは「歌舞伎」となるだろう。相撲も高い人気を誇るがその見物は女人禁制なのに対し、歌舞伎は多くの女性がその観劇を楽しんでいた。葛飾北斎、東洲斎写楽、喜多川歌麿等々、この時代の絵師は一人残らず役者絵を手掛けており、それを販売するのは山青堂のような書肆だ。役者の錦絵はこの時代のブロマイドであり、多くの庶民がそれを買い求めた――つまりはそれだけの需要があったわけだ。
お内や左近もまた例外ではなく芝居見物が大好きであり、現在進行形でそれを楽しんでいる。
「あの人は前のお芝居では……」
「今回の役どころは……」
いや、芝居そのものよりもそれをネタとしたおしゃべりの方に夢中なようにも思われたが。一方の達郎はあまり芝居には没頭できず、また芝居や役者に関する知識不足もあっておしゃべりにも加われず、所在のない気分を味わっている。
芝居の出来が悪いわけでは決してなく、役者の演技もまた同様だった。今回観劇しているのは「仮名曾我当蓬莱」、作者はあの鶴屋南北だ。登場するのは曾我兄弟や工藤祐経をはじめとする「曾我兄弟の仇討ち」の面々だが、話の筋は忠臣蔵なのである。鶴屋南北が得意とした「綯い交ぜ」「書替え」と呼ばれる手法であり、達郎は興味深くその展開を追った。……だが、
「……見えねえ、聞こえねえ」
ちょっと考えれば判ることだが、江戸時代には電灯はない。照明は窓からの自然光か、燭台のろうそくしかなく、火事の危険があるのでろうそくは大量には使えない。場内は全体的に暗くて役者の姿もろくに見えないのだ。そして観客は好き勝手におしゃべりに興じており、赤ん坊の泣き声が轟くことすらあったりする。役者が頑張って声を張り上げても充分に声が届かないのである。
上演時間があまりに長いため観客の集中力が続かず、場内が暗いため役者がよく見えず、観客が好き勝手におしゃべりをするため役者の声も充分に聞こえない。「土間」や「桟敷」という席は六人分の升席なので充分なスペースがあり、そこでならリラックスして、半分寝ながら観劇してもいいだろう。が、切り落としにそんな余裕があるはずもない。この切り落としの入場料でも相場は一三二文(約三三〇〇円)、達郎のお小遣いでは気軽に行ける金額ではない。行ったところで楽しむよりも疲れることの方が多いため、一回二回観劇して「もういいか」と判断し、芝居小屋に足を向けることがなくなったのである。
達郎は正味二三分のアニメですら早送りで視聴する世代であり、江戸時代の人間とは時間感覚が全く違っている。また達郎の目からすれば江戸時代の人間は信じられないくらい辛抱強いこともある。また、たとえば今回の「仮名曾我当蓬莱」を本当に楽しもうと思えば曾我物と忠臣蔵に関する知識は最低限であり、そこからこれまで上演されてきた曾我物や忠臣蔵の歌舞伎の数々、またこの時代の社会風俗に関する知識、さらには演じている役者に関するゴシップ等、知っておくべきバックグラウンドはあまりに広大だ。達郎が歌舞伎をいまいち楽しめないのはそれも理由の一つだった。
だが、それでも、
バタバタ!と突然大きな音がして半分寝ていた達郎が目を覚まして舞台へと視線を向ける。舞台では役者が大見得を切っており、達郎はその姿に魅了された。役者の見せ場では観客に「はい、注目!」という注意喚起を兼ねて、ツケ木という木の板を打ち付けて効果音を生み出すのだ。ただでさえ大仰な役者の演技をさらに強調する、歌舞伎独特の演出手法である。また
また歌舞伎独自の花道は当然として、この時代にはもう回り舞台や昇降機を使ったセリ、どんでん返しなどの大掛かりな舞台装置が実用に供されている。また、縄を使って役者を宙づりにする「宙乗り」というワイヤーアクション、一人二役の早替わり等、驚くほど先進的な演出が既に使われているのだ。達郎は芝居そのものよりもむしろそれらの演出手法に気を惹かれ、その使われ方に驚き、またそれを楽しんだ。
……そして夕方、話はまだまだ佳境なのだが冬の最中で既に日差しは大きく傾き、場内に光が入らなくなっている。元々見えにくかった役者の姿がろくに見えなくなってしまい、
「まず、今日はこれ切り!」
突然芝居の打ち切りが宣言されて達郎はびっくりしてしまった。が、観客は残念がっていても驚き騒ぎもせず、不満そうな様子も見えない。上演時間が明確でなく、日が暮れれば途中だろうと山場だろうと芝居はそこで中断し、終了する。呆れるほどのアバウトさ加減だが、この時代の歌舞伎はそれが普通なのだった。
芝居小屋から外に出、達郎は大きく伸びをして深呼吸をした。屋内の温く澱んだ空気を吐き出して冷たく新鮮な外気を取り込む。固まった四肢の節々を伸ばし、ようやく人心地ついた気分である。芝居が面白くないわけではないのだが、やっぱり疲労の具合はそれ以上なのだった。一方のお内と左近は引き続きおしゃべりに興じており、「体力と話のネタは無尽蔵なのか」と達郎は驚嘆の目を向けた。
「しかし疲れた。今度見るときは桟敷とは言わないけど、せめて土間で見たいよな」
そうですね、と左近が心から同意するがお内は渋い顔である。土間の相場は六人分で二五匁(約三万円)、そう簡単に出せる額ではない。
「今日は正月で曾我物だったからいっぱいでしたけど、普段はもっと空いているって話ですから」
「正月に曾我物」は歌舞伎の定番であり、餅代を稼ぐために人気のある演目を正月に上演しているものと思われた。戦後、「年末に第九」が定番となったのと同じようなものだろう。
「どこの芝居小屋も台所は苦しいとはよく聞くけど」
「でも今度、中村座が大きなお芝居をやるって評判ですよ」
「楽しみですね」
その噂に達郎はちょっと考えて「ああ、あれか」と思い当たるが、その場限りで忘れてしまった。それを思い返すこととなるのは翌月になってからである。
「ご存じですか? 四谷の幽霊屋敷の噂話」
翌二月、ふらりと山青堂を訪れた為永春水と世間話をする中で、ある話題が提供された。
「いえ、どんなお話ですか?」
「知らないならお聞かせいたしましょう」
と春水は偉そうに胸を張る。どうやら彼はこの話がしたくて達郎の下を訪れたようだった。
「どこぞの芝居茶屋の旦那が葛飾さんの娘さんにお岩さんの掛け軸を注文して、それはそれは見事に恐ろしい絵を描き上げたそうなんですよ。それが回り回って四谷のとあるお屋敷に掛けられたんですが、夜な夜なその掛け軸からお岩さんが抜け出して枕もとに立つんだとか」
へえ、と達郎は感心する。
「まあ、応為さんの描く絵ならそういうことがあっても不思議はないかも、ですね」
「おや、信じていないんですか」
いや、まあ、と達郎は言葉を濁すが、その顔は「嘘くせえ」と大声で言っているも同然だった。
「でも、そのお屋敷に行って出すものさえ出せば一晩過ごして、お岩さんの実物とご対面できるって話なんですよ」
なんだ、結局見世物の一種かよ、と達郎は内心で落胆する。
「それでおいくら出せば?」
「一晩で一両」
は、と呆れた吐息を吐き出す達郎。
「そんなのよほどの物好きしか出せないでしょう」
「それでも、これまで何人もそこで一晩過ごしたって話なんですがねぇ」
どうやら彼は達郎に資金を出してもらってその幽霊屋敷に行くことを目論んでいたようだった。やや棘のある目を向けられた春水は言い訳がましく、
「いえ、柳亭師匠や馬琴翁もお岩さんの話を取り上げていますし、あたしもお岩さんの実物を見てピンと来るものがあればと」
曲亭馬琴は「勧善常世物語」で、柳亭種彦「近世怪談霜夜星」で、それぞれ四谷怪談を題材とした話を書いている。
「確かに怪談物はまた
この夏以降に、と内心で補足しつつ、
「さすがにしょうもない見世物に一両は出せませんので」
とぴしゃりと断り、春水は落胆して帰っていく。話が変わったのは春水と入れ替わりのように葛飾北斎が訪れてからである。
「おう裏太郎、行くぞ。金を用意しろ」
「行くってどちらへですか?」
「四谷だ」
まさかと思いながら「お岩さんの幽霊屋敷ですか」と確認。北斎が「おうよ」強く頷く。
「
北斎は本気で憤っている様子で「この人がそこまで娘想いだったとは」と達郎は新たな発見に目を見張っている。
「やっぱり幽霊屋敷は本物じゃなくただの見世物だと?」
「そんなもん当たり前だろうが!」
北斎は噛みつくように即答した。
「あいつの絵が本物になるわけねえだろう、俺だってまだそこまでの境地に至ってねえってえのに」
憤懣やるかたない北斎に対し、達郎はずっこけそうになっている。「インチキだ」と判断した根拠は予想外の斜め上だったが、判断自体に異論はない。また、絵を見世物のだしに使われることについて応為は文句を言い、止めさせる権利があり、応為の代わりに北斎が動くのも、この時代的にはそこまでおかしくはない……かもしれなかった。
その後、手元不如意な北斎に代わって見物料を出すために達郎はお内を土下座せんばかりに拝み倒して何とか一両を用意。その他準備を整えてその日のうちに出発。そして外神田から歩くこと一時間半、やってきたのは四谷である。
「これがこの時代の四谷……」
二一世紀の四谷は新宿区に含まれ、防衛省や赤坂離宮も近いなど、東京の中心地の一つと言うべき場所である。だがそれはずっと先の話で、この時代の四谷は非常に閑散とした、寂しい場所だった。寒々しさを感じるのは冬の気候のせいばかりではない。この時点から一〇年以上先となるが、曲亭馬琴は諸々の事情で神田明神下から四谷信濃町に転居する。そのとき彼は、
「余命間もない身の上なのにこんな地の果てに流されようとは」
とひどく嘆いたというが、それも無理はないかも、と思えるような有様だった。
「なるほどな、これなら幽霊の一人や二人出ようってもんかもしれんが」
と北斎もそう言って鼻を鳴らしている。
なお、幽霊屋敷と掛け軸を所有しているのはとある芝居茶屋の知り合いだそうで、一両の見世物料はその芝居茶屋を通して支払った。また案内の小僧を用意したのもその芝居茶屋で、その「知り合いの所有者」とやらが本当に実在しているのかも極めて疑わしかった。
こちらです、と小僧に案内されて歩くことしばし、件の幽霊屋敷へと到着した頃には日は完全に没していた。幽霊屋敷などと呼んでいるが実際のところは三部屋か四部屋あればいいくらいの、小さな平屋の家だ。それでもそれなりに手入れはされており、住む分には問題がないように思われた。
それではこれで、と小僧が立ち去り、その場には北斎と達郎だけが残される。二人が一瞬何とも言い難い顔を見合わせ、それを吹っ切るように北斎がその家へと乗り込んでいく。達郎がその後に続いた。
……それから数時間後。月は雲に完全に隠されて今なんどきは測りがたいが、感覚的にはもう真夜中を過ぎている。北斎と達郎がいるのはその家の居間で、その床の間に掛けられた掛け軸は応為直筆のお岩さんの肖像画だ。
「まあ、なかなかの絵じゃねえか」
と北斎は言うが、達郎からすればなかなかどころではない傑作だった。元々応為は「人物画なら自分以上」と北斎が太鼓判を押す天才絵師であり、その彼女が会得した萌え絵の技法を最大限活用し、醜く崩れたお岩さんの顔をとびっきりリアルに描写しているのだ。あるいはこの絵は、この時間軸での応為の代表作の一つとなるかもしれなかった。
そのリアルで恐ろしい絵が、この四谷という寂れた町の一角に飾られ、それが行灯のかすかな灯りに照らされて暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっている――
「うん、これは出る。本物が出る」
無神論者の達郎がそう思ってしまうほどの、完璧な舞台設定だ。さらには仕掛け人は、この家に弁当と大量の安酒を用意していた。幽霊が出るまで手持ち無沙汰な見物人は退屈しのぎに酒を飲む。それで前後不覚となれば、枯れ尾花だって本物の幽霊に見えてくることだろう。もっとも達郎も北斎も下戸だったため、弁当は食べたが酒には手を付けなかったが。
あるいは仕掛け人は目論見が外れて困っているかもしれないが、だからと言って飲めない酒をわざわざ飲んでやる義理もない。二人は畳に寝転がって、幽霊が出るのを待った。
それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。いつの間にか達郎は眠っていたらしい。目が覚めたのは冷たい風が首筋を撫でたからである。
「ん……」
起き上がって眼鏡をかける達郎が、何気なく床の間へと視線を送り――
「せ、先生!」
悲鳴のような達郎の声に、同じく居眠りをしていた北斎が飛び起きる。
「な、なんでい」
「あ、あれを」
震える手で指差すのは床の間の――何も描かれていない、白紙の掛け軸だ。そのとき、何かの気配を感じた達郎が振り返るといつの間にか音もなく障子が開いていて……わずかな星明りに照らされて浮かび上がる、一人の人影。醜くただれた顔を俯かせた女性が、恨めしげな眼を達郎達へと向けている。
「ひ――」
北斎は驚愕のあまり悲鳴を呑み込み、それは達郎も同様だ。だが達郎は次の瞬間にはそれを噛み殺し、
「先生、本物ですよ! 本物の幽霊!」
喜びの声とともに携行の紙と筆を取り出し、その幽霊の姿のスケッチを猛然と開始する。北斎の身体と思考は固まってしまい、それは幽霊の方も同じように思われた。
「お、おい。裏太郎」
「先生、何してるんですか。本物の幽霊を見かけるなんてこんな機会二度とないです。これを絵にしないでどうするんですか!」
石の地蔵のように立ち尽くしていた北斎だがそれも長い時間ではない。
「そりゃあそうだな。その通りだ」
北斎もまた筆と紙を取り出してその幽霊をスケッチする。二人の絵師に包囲された幽霊は困惑の極みの様子だった。
「もうちょっとだけ顔を上げてくれませんか……そうそう、そのまま」
それでも達郎達のリクエストに応じてポーズを変えるあたり、サービス精神は忘れていないようだったが。
そのようなスケッチが、あるいは一時間くらい続いただろうか。どこからか聞こえる「コケコッコー」という声。この家のご近所が飼っている鶏が朝を告げているのだ。その声に幽霊が目に見えて慌て出した。
「ああ、もうすぐ朝だからこのままじゃいられないですよね」
達郎の言葉に幽霊がくり返し頷く。
「掛け軸の中に戻るのか。そりゃ残念だな」
と北斎。幽霊は別れを告げるように高速で手を振る。どうやら一秒でも早くこの場を去りたいようである。
「ええっとそれじゃ……」
どうしようかと考える間もなく、行灯の灯りが不意に消える。あの小さな灯りでもあるとなしでは大違いで、達郎の視界は完全な暗闇に覆われた。それでもすぐに星明りに目が慣れてくるが、そのわずかな間に幽霊は姿を消していた。ばたばたと戸が閉まるような物音がしたのは御愛嬌である。さらには、
「おい、見ろよ」
と北斎の関心の声。彼が顎で指し示すのは床の間の掛け軸であり、そこには前の晩と同じくお岩さんの姿が描かれている。おそらくは床の間の壁の一部か全部がひっくり返るような仕掛けがあるのだろうが、達郎はわざわざそれを追求しようとは思わなかった。
「思ったよりもずっといい出来だったぜ。こりゃあ一両の価値はあったな」
達郎は「そうですね」とそれに同意し、
「でももうちょっと欲張りましょうか」
と付け加える。
「どういう意味だ?」
「その話はまた後で。とりあえずは」
と達郎が畳の上でごろ寝し、すぐに寝息を立て始める。北斎もまたそれに続き、二人が起き出したのはすっかり夜が明けてからだった。
さて。その後の話である。
四谷の幽霊屋敷で一晩を過ごしてから半月ほど後のこと。達郎と北斎は再び四谷を訪れていた。二人には一人の初老の商人が同行し、彼は一本の掛け軸を懐に抱えている。それは北斎に続く達郎も同様だった。
達郎達三人がやってきたのは四谷の一角の田宮神社。四谷怪談の舞台となった御先手組同心田宮家の邸内に建てられた社、まさにその場所である。三人はその社内で宮司と対面した。
「この度はうちの不出来な娘が世間様を騒がしちまったからな。その始末は俺がつけなきゃならねえだろうよ」
北斎はまず視線で初老の商人――芝居茶屋の旦那を促し、彼が掛け軸を宮司へと差し出す。それを受け取った宮司が広げると、そこに描かれているのは応為によるお岩の絵だ。それに続き、達郎がもう一本の掛け軸を差し出し、受け取った宮司がそれを広げて――
「ほう、これは……」
と彼が感嘆する。そこに描かれていたのは菩薩観音と、それを拝んで涙をながすお岩の姿だ。菩薩観音の功徳によってお岩が救われんとする、その瞬間を描いたものである。
「二本合わせてご奉納ください。これでもうお岩様が迷い出ることもないでしょう」
「はい、確かに」
宮司がその二本の掛け軸を預かり、
「まあ、始末を考えねえでこんなもんを描くあいつもまだまだ半人前ってことだな」
偉そうに北斎がそう言い、それがこのお芝居――茶番劇の締めくくりとなった。
その後、達郎と北斎が田宮神社を出、
「良い日和ですな」
一人の老人が二人を待っていたように話しかけてきた。その老人は七〇過ぎの、柔和な笑顔を常に浮かべた男である。
そうですね、と達郎がまず応えて、
「このお芝居、勝手にこちらで幕引きとしましたけど、それでよかったんですか?」
「ええ、もちろん。正直言って助かりました。始めたはいいが、評判になったはいいが、どう始末を付けるか頭を悩ましておりましたので」
まさかこんな大団円になるとは、と北斎に讃嘆の目を向ける老人。が、北斎は、
「筋書きを書いたのはこいつだぜ」
と達郎を指差した。老人は「なるほど、さすが縁為亭未来先生」と賞賛の矛先を変えるが、
「いや、俺が考えたわけじゃなく……」
そう言いつつも言葉を濁し、達郎は気まずそうな顔をした。この時代の人間が誰一人知るはずもないが、元ネタは北斎・応為・渓斎英泉を描いた杉浦日向子の漫画「百日紅」の一エピソードである。状況的にそのエピソードと今回の出来事に共通点があり、後始末の付け方として参考にしない手はない。北斎の締めくくりの台詞も漫画を元に達郎が考え、言わせたものである。応為の絵師としての腕前を最大限称揚しつつもさらにその上に北斎を持っていっており、北斎伝説の一つとして後々まで語り継がれるのは間違いなかった。
また同時に幽霊屋敷で幽霊をスケッチした話も面白おかしく言い広めていて、既にこの出来事は江戸中の評判となっている。噂話の中では「怯える達郎を北斎が叱責して幽霊の絵を描かせた」と事実とは逆になっているが、両者の格や師弟関係を考えればその方が順当だし、また話としてもより面白い。達郎もわざわざ訂正しようとはしなかった
「しかし、あの北斎直筆の掛け軸を奉納するとは。普通に注文すればいくらになることか」
「宣伝料と考えればさほど高くもないでしょう」
当代だけでなく後世にも長く残る伝説を作ったのだ。その価値は金で換算できるものではなく、自己宣伝に熱心な北斎も喜んで無償で描いたのである。
「あの幽霊屋敷だって色々と金がかかっているんじゃないですか? それに役者の手配だって」
「いや、それほどでも。ありものを流用しただけですから」
とその老人は言う。
「ただ、宣伝としてどのくらい意味があったのか……」
「ああ、お岩さんをやっていたのは尾上菊五郎だと本当はばらすつもりだったんですか」
評判の幽霊の正体が三代尾上菊五郎で、その彼がお岩さんを演じるお芝居をやる――確かにそれなら宣伝効果は抜群だろう。さすが、宣伝上手と言われた鶴屋南北の手腕である。
――鶴屋南北の名を冠する人物は五人いるが、そのうちの四代目の業績が突出しているため「大南北」と呼ばれている。今目の前にいるのはその「大南北」だった。
大南北事実上の初作「天竺徳兵衛韓噺」初演時、そこで使われたからくりや早替わりの特殊効果に観客は感嘆。キリシタンの妖術を使ったものだという噂が広まり奉行所の調査が入るという事態になった――これ自体が南北の宣伝工作であるとされている。
そしてその大南北最大の傑作とされるのが「東海道四谷怪談」――初演は文政八年七月、つまりは今年だ。宣伝上手とされる南北がその宣伝を考えないわけがないが、まさかこんなことをしていたとは、タイムスリップして初めて知り得た新事実……いや、本来の歴史ではこんなことをやっていなかったのかもしれない。吉原風邪が何らかの影響を及ぼした可能性は小さくはないだろう。
本当は「東海道四谷怪談」の宣伝のための幽霊屋敷騒動だったのに、達郎が勝手にそれを北斎の宣伝にすり替えて使い潰してしまったのだ。無意識のうちに申し訳ない思いが顔に出てしまい、南北がそれを読み取ったのか、
「他の宣伝のやり方を考えなければなりませんが、あの縁為亭未来先生……草生ル萌先生に力を貸してもらえるのなら何よりも心強いのですがねぇ」
柔和な笑みのままそう言う南北に達郎は両手を挙げて降参する。
「判りました。何か考えましょう」
そう言いつつも達郎には既に腹案があった。「東海道四谷怪談」とのコラボレーション企画、怪談物の出版フェアである。
参考文献
諏訪春雄「鶴屋南北~滑稽を好みて、人を笑わすことを業とす」ミネルヴァ書房
堀口茉純「歌舞伎はスゴイ 江戸の名優たちと“芝居国"の歴史」PHP新書
杉浦日向子「百日紅」ちくま文庫
他
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