第三一回(文政八年三月)

【前書き】

ネタを見つけた順に書き進んでいったため順番がわやになっています。

できれば先に37回~40回を読んでから31回~36回と読み進んでください。





 ときは文政八年三月、西暦なら一八二五年四月。江戸の町は春真っ盛りである。


「やあ、なかなか見事じゃないですか!」


 春水の感嘆に達郎が「ええ、本当に」と相槌を打つ。ところは桜の名所として知られた上野、不忍池。達郎は為永春水に誘われて花見へとやってきたところである。この時代ソメイヨシノはまだ誕生しておらず、上野の山で咲き誇っているのは山桜だ。華やかさではソメイヨシノに及ばずとも、見渡す限り桜の木が並び満開となっている光景は充分以上に眼福だった。見ているだけで心が浮き立ち、浮かれ騒ぎたくなってくる。実際そんな江戸っ子で上野の山は大賑わいだった。


「ほら、右京。きれいだろう?」


 達郎は右京を連れており、傍目には仲の良い親子連れとしか思えないだろう。右京は今年満七歳となるが同年代の子供と比較するとやや小柄で、実年齢より少しばかり幼く見える。表情が仏頂面で固定されていて声を出すこともないのは相変わらずだった。

 その右京の視線は桜には向けられておらず、何かの屋台へと固定されている。花より団子のようですな、と春水が笑った。桜並木には花見客を当て込んだ屋台が延々と並んでおり、達郎達はそれを一軒一軒見て歩いた。


「団子も悪くないけど昼ごはん代わりになるものを……」


「おっ、珍しいものがありますよ」


 と春水が指し示すのは握り寿司の屋台である。その後ほとんど変わることのない握り寿司の原型を考案したのは華屋与兵衛という人物で、彼の寿司屋「華屋」が開業したのは文政七年(一八二四年)。その翌年となる「今」においては非常に目新しい料理だった。

 右京もそれを食べたそうにしていたが生魚は危険と判断、ウナギの蒲焼の屋台があったのでそれを選んだ。三人は沿道で立ったまま蒲焼の串にかぶりつき、すぐに食べ終わってしまう。。


「おいしかったけど、これだけじゃちょっと足りないかな」


「それならあっちの天ぷら屋はどうです?」


 天ぷらもまた串に差して食べる形式だ。人数分の天ぷら串を購入した三人は少し移動。広場の片隅の小さな岩を椅子代わりにして腰かけ、花見をしながら天ぷらを賞味した。


「そう言えばこの料理に天麩羅という名前を付けたのは山東京伝だって話でした」


「へえ、それは知らなかった」


 と感心する春水。達郎は苦笑し、


「いや、本当かどうかは判りませんけど」


 と補足した。山東京山が「北越雪譜」などでそう主張しているがそれ以前から天麩羅という名前は使われており、京山の勇み足、勘違いか何かでつい筆を滑らせたもの、と達郎は見なしている。

 京伝先生といえば、と春水が連想ゲームのように話題を転換する。


「近頃は手鎖になるような戯作者も出ておりませんし、のびのびと本が書けるのはありがたいことですな」


 ええ、本当に、と達郎は心から同意した。「手鎖」は江戸時代の刑罰の一つで、鉄製の手錠をかけた状態で自宅で謹慎させるものである。京伝は寛政の改革時に「風紀を乱した」として手鎖五〇日の刑に処されている。なお春水もまた天保の改革時に同様の処罰を受けるのだが、この時間軸では水野忠邦は吉原風邪で死んでいる。


「このままがずっと続けばいいんですけどね。時代錯誤で現実を見ていない、余計な引き締めをやろうとする人が幕閣に出てこずに」


 達郎が独り言のようにそう言い、春水を慌てさせた。春水が注意しようとした、そのとき。


「おっと、御政道批判かい?」


 背後から何者かが達郎の肩を強く掴んだ。その誰かの指が肩に食い込むが、達郎からすれば心臓を鷲掴みにされたも同然だ。血の気が引くとと同時に大量の冷や汗が流れた。

 達郎が壊れたロボットのようになりながら後ろを振り返ると――そこにいるのは着流しを身にした一人の男で、彼は悪戯に成功した子供のような笑みを見せる。達郎の顔に戸惑いが浮かんだ。


「肝を潰しましたよ、旦那」


 春水が心からの安堵に多少の棘を含めてそう言う。春水と知り合いだったらしい男は肩をすくめた。


「壁に耳あり障子に目あり、ってな。次から気を付けな」


 達郎は安堵のあまり崩れ落ちそうになっていたが「ありがとうございます」とお礼だけは言う。男はそっぽを向きながら、


「あー、そう言えば小腹が空いたなー」


 などとわざとらしい芝居をした。達郎は苦笑いをしながらその男を連れて屋台へと足を運んだ。

 ……それから少しの時間を経て。男は大量の団子やら寿司やらを曲芸のように両手に持ち、それらをむさぼり食っている。達郎は呆れてそれを眺めるだけだった。

 男の年齢は三十過ぎで、どことなく品のある容貌。全体的に小ぎれいで態度にも粗野なところはない。町人風の着流しを身にしているが士分出身ではないかと思われた。


「為永さん、この方は」


「いえ、新橋の旦那とはひょんなことから知り合った古い馴染みなんですが……」


 とそこからは口を濁す春水。


「ただの部屋住みの穀潰しさ」


 「新橋」がそう端的に説明し、達郎もそれ以上は訊かなかった。要するにどこかの武家の、継承権を持たない次男三男なのだろう。

 他人の金で散々飲み食いし、ようやく人心地ついた新橋が「さて」と達郎を見据える。


「今の世の有様を苦々しく思っている奴は少なくない。特に上の方ではな……と聞いている」


 達郎が「恐れ入ります」と身を縮め、新橋が誤解を解こうと手を振る。


「この場には俺達しかいない。この場だけの、ただのよもやま話だ」


 そう前置きした上で、新橋が挑発するように言う。


「錦絵やら合巻やら読本やら、風紀を乱す書物は全部絶版にして書肆も全部潰してしまえ、と言っている奴もいるって話だ――どう思うよ? 山青堂の旦那」


 顔には笑みを浮かべているがその眼差しは真剣であり、達郎もまた真摯に彼と向き合った。

 達郎は一呼吸置き、


「風が吹けば桶屋が儲かる、ってご存じですか?」


 新橋は戸惑いを隠しながら「まあな」と返答する。


「それと同じです。書肆が全部潰れれば貸本屋も潰れる。版木屋、彫師、摺師、全部はつながっていて、その全部の仕事がなくなる。明日からのご飯が食べられなくなる。さらに言えば、版木屋の職人がちょっとした贅沢で通っていた屋台に行かなくなって屋台が潰れて、職人のおかみさんが通っていた小物屋に行けなくなって小物屋が潰れて、小物職人の仕事がなくなって――全部はつながっているんです。その人達みんなが明日からご飯が食べられないとなったら、どうしますか?」


「そりゃ大事おおごとだな」


「今の世の中は何かと仕事があって、みんなご飯の心配をする必要がなくて、天下泰平をもたらしている大樹の恩徳に感謝している。それをわざわざぶち壊す必要があるんでしょうか?」


 なるほどな、と新橋は肩をすくめた。


「何はさておき仕事と飯か……言われてみれば簡単な道理だな。覚えておくぜ」


 ま、俺が知っていてもしょうがない話だがな、と新橋がおどける。達郎は曖昧な笑みを浮かべながら彼の素性を推測した。彼の家はあるいは権門に属していて、幕府の中でそれなりの役職を得ている……のかもしれなかった。


「何にしても今の天下泰平と大樹の御代がいつまでも続きますように、ってことですな!」


 春水がやや強引に話をまとめ、達郎も「いや全く」と何度も頷いてそれに乗った。が、


「いや、いつまで続くか判らんだろう」


 新橋は話を終わらせず、春水が苦い顔となる。


「外国の船が日本の周りをうろちょろしていて、上は『全部大砲で撃ち払え』なんて言っている。それについてはどう思う? 縁為亭未来先生」


 幕府が「異国船打払令」を発したのは今年、文政八年二月のことである。自分にそんなことを訊かれても、と顔で返答する達郎。新橋はちょっと意外そうに、


「七兵伝の中で天圭宗が異国から仕入れた阿片を周辺の国々に売りさばいてぼろ儲けをしている、って話があったが、あれって今の清国のことなんだろう?」


 何か一家言あるって思っているんだが、という追及に達郎は頭を抱えそうになった。なお「怪しい宗教団体が麻薬を使って勢力拡大を図る」という展開の元ネタは「銀河英雄伝説」だが、田中芳樹はこの時代の東インド会社とそれと結託したキリスト教宣教師を元ネタの一つとしたのだろう。一周回って直接つながった格好である。

 なるべく無難な物言いを、と達郎は言葉を選びつつ、


「……ここ十年二十年で異国の船が増えているのは、それだけ船の力が上がったからだと思います。これまでは万里の波濤が西洋の船を日本や清国から遠ざけていた。でも彼等はより遠くまで行ける船を作れるようになって、その性能はどんどんと上がっている。大砲だって元は西洋で作られたのを真似たもので、日本には二百年前の骨董品しかない。本気で撃ち合えばこっちが負けます。背を向け続けることはそのうちできなくなって、否応なしに西洋と真正面から向き合うしかなくなる……そんな日が遠からずやってくると思います」


 なるほどな、と頷く新橋。一方達郎のあまりの直言に春水は内心で焦りっぱなしである。

 阿片戦争は一八四〇年でたったの一五年後。ペリーの黒船来航は一八五三年でたったの二八年後。達郎や新橋が生きているうちに必ずそれはやってくるのだ。


「じゃあどうすればいいと考えている? 先生は」


「まずは知ることですね」


 達郎はそう即答した。


「敵を知り己を知れば百戦危うからず、って言うでしょう。まずは知らないことには話になりません」


 道理だな、と頷く新橋。そこに春水が「好機!」とばかりに口を挟んだ。


「そう言えば今、オランダ商館長カピタンが江戸に参府しているそうですな! 長崎屋は黒山の人だかりだとか!」


「ああ、蘭学者が長崎屋に集まっているって話だな。まずは知ることを始めているわけか」


 と新橋が笑い、春水がそれに追従の笑みを見せる。が、達郎は、


「え……それって今年でしたっけ」


 と首を傾げた。日本に設置された唯一のオランダの貿易拠点、それが長崎出島のオランダ商館であり、その総責任者が商館長だ。普段は出島から出ることが許されないオランダ人達だが、将軍に献上品を捧げるために定期的に江戸に参府する義務があった。それが四年に一度の商館長の江戸参府である。


「いや、本当は三年前だったんだが吉原風邪のせいでな。そのときの商館長が死んでしまって参府が取りやめになって、今年まで延び延びになっていた、って聞いている」


 その解説に達郎は「なるほど」と頷く。史実では文政五年(一八二二年)に第一六一回の江戸参府が実施されたが、その年は(この時間軸では)吉原風邪が大流行した年だ。江戸での蔓延は特にひどく、参府が中止となったのはそれも理由の一つなのだろう。そして文政八年(一八二五年)、今年になってようやく再開の運びとなった――

 何か大事なことを思い出そうとしたその瞬間、右京が達郎の袖を引いた。見ると、大人同士の話に退屈した右京が地面に石で落書きをして、それが完成したらしい。地面の猫の絵を示し、右京は誇らしげに胸を張った。


「うん、よく描けてるな」


 とほめてその頭を撫でる達郎。右京は仔猫のように目を細めた。


「将来は二世草生ル萌先生かい?」


「それもいいかもしれませんね」


 新橋の微笑ましげな言葉に達郎もそう頷く。その後達郎達は特に小難しい話をすることもなく、上野の山を散策して花見を楽しんだ。

 この日の会話のことを達郎が思い出すのは何日か後のことである。






「おう、裏太郎。行くぞ」


 葛飾北斎が山青堂を突然訪れてそれだけを言う。さっさと歩き出した北斎の後を達郎が慌てて追った。


「行くって、どちらへですか?」


「いいから黙ってついてきな」


 北斎がそういう以上それを問うこともできず、達郎は素直に北斎の後ろを歩いた。ときは上野の花見から何日かを経た、四月の午後のこと。今日も江戸は春らしい良い陽気だった。

 外神田から歩くこと一刻半、やってきたのは日本橋だ。江戸の中でも最も人混みのする商業地域だが、その中でも大勢の人間が集まっている一軒の店があった。北斎の足は真っ直ぐそこへと向かっている。

 集まっているのは客ではなく野次馬か何からしい。この時代としては並外れた体格の北斎が人混みをかき分け、押し退けるようにしてその店へと入り、達郎がそれに続いた。入ってからようやく気付いたがそこは旅籠屋のようだった。店の女将に奥へと案内されてある一室の前へとやってくる。


「おう、来てやったぜ」


 北斎が勢いよく襖を開けるとそこにはある人物が待っており、達郎は驚愕に息を呑んだ。室内の上座に西洋風の椅子が置かれ、そこに一人のヨーロッパ人男性が座っていたのだ。年齢は測りがたいがおそらく三〇歳前後。北斎を上回る堂々とした巨体に、彫の深い整った容貌。その目は好奇心に輝き、その顔は笑みを浮かべている。


「どうぞそちらへ」


 室内にはその白人男性の他に二人の日本人男性がおり、その一方が達郎達に座布団を指し示した。おそらくは通訳と小間使いなのだろうと達郎は解釈する。勧められるままに座布団に座る北斎だが、達郎は立ち尽くしたままだった。


「どうした、裏太郎」


 怪訝そうに問う北斎を置いておいて、達郎は小間使いと見られる男に、


「椅子をお願いできませんか。二つ」


 そう要求した。言葉遣いは丁寧だが腕を組んで胸を張り、いっそ傲然と言うべき態度だ。興味深げな顔となった白人男性が短く何かを指示。小間使いの男がに客の椅子を運んできたのはそれからすぐのことだった。

 こうして今、達郎と北斎は椅子に座ってその白人男性と向かい合っている。北斎は狭い椅子の上で、いまいち座りづらそうにふんどし丸出しで胡坐をかいていた。


「ここ……長崎屋ですよね。そしてこちらは長崎の商館長カピタン


 達郎が今さらながらそう確認し、北斎は「まあな」と頷く。達郎は先般の新橋達との会話を思い返していた。本来は一八二二年の第一六一回江戸参府が今年ようやく実施となったわけで、じゃあ史実では一八二六年の第一六二回はどうなるのか――


「……まさか」


 達郎が冷や汗を流す。第一六二回の江戸参府に誰が参加していたかを今になってようやく思い出したのだ。いや、そもそも江戸参府に関する知識はその人物に関連して覚えたものである。

 達郎は目の前の白人男性を今一度見つめた。その年齢も、その容貌も達郎の持つ記憶と一致する。


「私は商館長ではありません。私は医師の、シーボルトと言います」


 その男――シーボルトはそう言って達郎達に笑いかける。悲鳴のような声が出そうになるのをかろうじてを噛み殺し、達郎の奥歯が軋みを上げた。

 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。日本史に大きな足跡と、傷跡を残した人物である。多数の日本人を弟子にして自らの知識を惜しみなく伝授し、日本医学の発展に寄与。だがその一方で御禁制の地図を国外に持ち出す「シーボルト事件」を引き落とし、これに関わった多数の日本人を処罰させ、また死に追いやっているのだ。


(そう言えば葛飾北斎もあやうく巻き込まれるところだったはず……)


 葛飾北斎が多少の関わりを持ったからシーボルト事件についてもある程度のことは調べたが、持っているのは通り一遍の知識でしかない。だがそれでも、決して深入りするべき人物ではないと断言することは可能だった。


「来てもらったのは他でもありません。あなた達に描いてもらいたいものがあるのです」


 シーボルトが絵師としての北斎と達郎にそう話を切り出す。彼の注文は「日本人男女の一生を絵にしたものを一巻ずつ、計二巻」という内容だった。北斎は百五十金という高額の報酬に乗り気なっているが達郎は渋い顔である。

 この時代の風俗や常識を完全に把握しているわけではなく、見当違いの絵を描いてしまう恐れがあるのがまず一つ。今は金銭的に特別困っていることもなく、七兵伝などを書き進める方が優先順位が高いのが二つ目。それに何より、高額の報酬も約束通りに支払われてこその話だった。


「先生が引き受けるんでしたら止めませんけど、契約書……じゃなくて証文を交わすべきだと思います」


 達郎は確固としてそう主張。シーボルト自身はやや驚いた顔をしただけだがその小間使いは不快感を露わにした。


「先生が約束を違えると言われるか」


「行きずりの商売相手でしょう。どうして信用できますか? 約束を守るというのなら証文を交わしても構わないのでは?」


 小間使いが何か反論しようとしたとき、シーボルトが「トヨスケ」と彼を制した。


「彼の言う通りだ。証文を交わそう」


 シーボルトがそう言う以上登与助は何も言えず引き下がるだけである。ただ面白くなさそうに達郎をにらむが、達郎はそれを歯牙にもかけなかった。達郎の意識は歴史上の偉人にして災厄の元凶たるシーボルトだけに集中し、小間使いにまで注意を払う余裕がなかったのだ。

 北斎とシーボルトが契約に関する話をし、それが終わると絵画に関する談義となった。シーボルトが西洋画の画帳を持ち出して自慢げにそれを見せ、北斎が目を輝かせてそれに見入っている。ただ達郎からすれば、今の光景そのものが貴重な歴史の一頁であってもその画帳自体にはほとんど価値はない。撒いたエサに喰いつこうとしない達郎にシーボルトは訝しげな様子だった。

 その画帳を隅々まで見ようとする北斎からシーボルトは画帳を取り上げ、


「仕事の話だ」


 とある要求を切り出す。彼が西洋画の画帳に代わって持ち出したのは分厚い和本だ。手に取った北斎がぱらぱらとその頁をめくり、達郎が横から覗き込む。そこに描かれていたのは、日本の武器や武具、幟旗など。鮮やかな色付きの絵で、印刷物ではなく全て手書きの本である。


「この『武器・武具図帖』は貴重な本だ。これを描き写してほしい」


 北斎は難しい顔となり、達郎はさらに渋い顔で「どうやって断るか」を考えている。また「この男とこれ以上関わるべきではない」という未来知識に基づく判断もあった。


「こんなの、北斎先生ともあろう人がやるような仕事じゃないでしょう」


 自分にとってもまたそうだ、とは言わなかったが充分以上に伝わったようだった。


「おや、難しいですか? 天下の草生ル萌先生にとっては」


 登与助が挑発するようにそう言う。


「目に映るものをあるがままに描くのが絵の真髄。草生ル萌先生もご承知のことかと思いますが」


「俺もまだまだ修行中の身なのであまり偉そうにできませんが……鏡のようにあるがままに描く腕は大事ですけど、それは全ての土台です。言ってしまえば、それはできて当たり前のことです。そこから始まってどれだけ嘘をつくか――それこそが絵の真髄だと思います」


 言葉を失う登与助に代わって北斎が問う。


「嘘をつく?」


「たとえば富士山を見に行って、富士山の姿をあるがままに、鏡に写すように描く。そんな絵がダメだと言いたいわけじゃないです」


 写真はちょうど今、ヨーロッパで発明されたばかりの頃で、一般に普及するのはずっと先のことである。それまでは絵師の描く写真のような絵にも意味や需要があるのは理解できることだった。ただ、


「でも俺が描きたいのはそんな絵じゃない。目や鏡じゃなく、心に写った富士山を描く――そのときの気持ちや空気を絵にする。それは当然、目に写る富士山とは別物です。でも俺にとっての富士山はこうなんだ――同じ描くならそういう絵を描きたいです」


 ましてやただ模写をするだけの人力コピー機と言うべき仕事である。金に困っていない限りは引き受けようとは思わない話だった。

 なるほど、と共感する北斎が深く頷く。


「確かに退屈な仕事だな、こんなのは」


「見込みのある若い門人にさせたらどうですか? これも修行の一環だからって言って」


「ああ、そりゃいいな」


 だがそのアイディアにシーボルトはいい顔をしなかった。この仕事は北斎や達郎のデッサン力を見込んでのことなので拙い絵師の模写では意味がないのだ。その点については「北斎が仕上がりに責任を持つ」と約束し、シーボルトを一応納得させた。さらに、


「引き受ける代わりにその画帳を貸してもらえませんか?」


 達郎は交換条件として西洋画の画帳の貸し出しを要求する。達郎自身にはあまり意味はないが、北斎やその門人にとっては重要な飛躍のきっかけとなるかもしれない、そう期待してのことである。さすがにシーボルトも簡単に頷かず交渉は長引いたが、最終的には彼の江戸滞在中の間だけという条件で画帳を借りることができた。


「明日にでもトヨスケに届けさせよう」


 一応満足のできる成果を得て達郎と北斎が長崎屋を後にする。帰路に就くその背中を見つめる登与助の目が剣呑な光を帯びていたことを、達郎が知るはずもなかった。

 そして翌日の山青堂の夜。


「兄さん、お届け物ですよ」


「お届け物?」


 日が暮れてから山青堂に戻ってきた達郎にお内が手にしていた風呂敷包みを手渡す。


「川原さんという方からです」


「川原? 誰だろう……」


 首を傾げながらそれを受け取る達郎はいつもの物置に移動して包みの中身を確認した。中に入っているのは「武器・武具図帖」、それに西洋画の画帳だ。

 「どうして北斎先生じゃなく俺のところに」とか「あの登与助って人の苗字が川原なのか?」などと考えつつそれらの図帖をめくっていく。そして、その二冊の他にもう一つ冊子が入っていること気が付いた。達郎がそれを取り上げて何の気なしにめくってみると……


「城の図面か?」


 どこかの城の見取り図だった。だいたいこういうものには城の名前が記されているものだがどこにもない。ただ各地の建物や執務室に役職名やそれに着いている人物の名前が――


「……ちょっと待て」


 何かの間違いかと思って目をこすって再度それを凝視する。記入されているのは、例えば「老中 松平伊豆守信祝」「若年寄 水野壱岐守忠定」など。下の名前にまで見覚えはないが役職と苗字を突き合わせればそれらは幕閣の名前としか考えられず――つまりは。


「まさか……江戸城の見取り図?」


 流れ落ちる汗のしずくがその図面に落ちて広がる。それはまるで自分の血が滴っているかのようだった。




参考文献

原田信男(編)「江戸の食文化 和食の発展とその背景」小学館

千野境子「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」国土社

松井洋子「ケンペルとシーボルト―『鎖国』日本を語った異国人たち(日本史リブレット人)」山川出版社

秦新二「文政十一年のスパイ合戦―検証・謎のシーボルト事件」文春文庫



【後書き】

長らくお待たせしました。「シーボルト編」は全6回、5月5日までの連続更新となります。

楽しんでいただければ幸いです。

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