第一六回



「『祓い屋三神』の続きです」


 達郎は描き上げた草稿をお内へと手渡した。お内の横には例によって左近が並んでおり、二人は同時に草稿を読み進めようとする。ときは八月、最初に「祓い屋三神」を二人に見せてから一月ほどが経過していた。


「『祓い屋三神』の第二編ですね」


 と左近。分量は前回と同じく六丁(六〇ページ)三話、一冊分。二一世紀の漫画本なら一巻二巻という言い方だが、合巻なら第一編・第二編だ。達郎は一月で六〇ページを描き上げたわけだが、そのまま版下にできる完成稿ではない。まだ下書きの段階である。

 三話のうちまず最初は幽霊のお絹ちゃん登場回。以降、お絹はレギュラーメンバーとして話に彩りを添えることとなる。その次は幽霊を信じない大店の若旦那のお話。そして最後は、一応達郎のオリジナルシナリオだ(でも思い出せないだけで同じような話を誰かがどこかで書いているだろう)。

 ――登場するのは、とある武家のやや頼りない跡継ぎの若侍と、その母親。非常に教育熱心なその母親は息子を立派な武士に仕立てるために、怪しげな霊薬「善悪丹」を無理矢理呑ませる。それは心身の中の、本来は目に見えない善玉・悪玉に姿かたちを与えるものだった。三神一行はその教育ママゴンの依頼で具現化した若侍の悪玉を退治するが……というものだ。


「こんな悪玉、初めて見ます」


 と笑う左近。善玉・悪玉は人間の胴体を有し、首から上が丸い玉となっていてそこにそれぞれ「善」「悪」の一文字が入っている。それは二一世紀人にとっては見慣れた姿だが、この時代においてもまたそうだ――そもそも善玉・悪玉にこのような形を与えたのは山東京伝なのだから。

 善玉・悪玉という発想は江戸中期から存在するが、それを擬人化しキャラクター化し、非常に判りやすくしたのが山東京伝の草双紙「心学早染草」(一七九〇年)だ。この本は大評判となり、後には歌舞伎役者が「悪玉踊り」を披露したり、その踊り方の指南本で葛飾北斎が挿絵を描いたりすることとなる。二一世紀、山東京伝の名は一般にはほぼ忘れられているが、彼が生み出した善玉・悪玉というキャラクターは未だ覚えられ、愛されているのである。

 なお、達郎の描いた悪玉も山東京伝のそれに準拠しているがひと工夫し、筋骨隆々のムキムキマンとした。ふんどし一丁のそれ等が悪玉踊りのポーズを取りながら三神達に襲いかからんとし、


『暑苦しいわ!』


 の一言とともに三神に一蹴される。それでめでたしめでたしと当然なるはずもなく、内心に善玉しかいなくなったその若侍は善意を暴走させた。ホームレスに全財産を分け与えたり、出家して僧侶になろうとするのだ。怒り狂う教育ママゴンは三神に責任転嫁しようとするが、三神は依頼を果たしただけと取り合わない。善意の化け物となった若侍には同情するがそれだけであり、悪玉を根こそぎにしてしまった以上手の打ちようがない……が、一方的に退治される悪玉に同情したお絹が小さな悪玉をこっそりとかくまっており、それを若侍に返したことで彼は人間らしい心を取り戻したのだった……


「すごく面白いお話でした。特に最後が」


 と左近にも好評であり、達郎もその出来栄えに満足している。が、


「……これは使えません。描き直してください」


 お内がしかめ面でそう通告。達郎はつい強く反発しそうになるがぎりぎりで自制した。一呼吸し、気持ちを鎮めてから確認する。


「何かまずいところが?」


「『若侍の母親が息子を武士の中の武士にしようと怪しげな薬に頼って、息子を善意の塊にする』、『善意の塊となった息子が善意のままに振る舞い、身代を潰しそうになる』――これらは御政道批判ととられかねません」


 あ、と指摘されて初めてその点に思い至り、達郎は自分の迂闊さに舌打ちした。

 松平定信による「寛政の改革」は一七八七年から一七九三年。「今」から三十年も前のことでありお内は生まれてもいないが、その影響は鮮明に残っていた。前にも述べたが恋川春町がこの時期に執筆したのは「鸚鵡返文武二道」という黄表紙本だが、その内容は次のようなものだった。

 ――ときは平安時代、醍醐天皇が世の退廃を嘆き、それを受けた補佐役の菅秀才は武芸指南のために源義経、源為朝、小栗判官を招聘。また大江匡房には自著の「九官鳥のことば」を学校で読ませるよう命じる。が、馬術稽古をする者は小栗判官が鬼鹿毛(おにかげ)の馬に乗ったのを陰馬(かげうま)に乗ったのと聞き間違えて陰間(男娼)に馬乗りになる。天下国家を治めるのは凧をあげるようなもの、という喩えを聞いて本当に凧あげをする……

 平安時代に源義経や源為朝が登場し、文武の習得に勤しむ人々が滑稽な失敗をくり返す――時代背景を知らなければ、予備知識がなければ、単に荒唐無稽で他愛のない内容だと思えるかもしれない。だが、挿絵に描かれた菅秀才の衣には梅鉢紋があり、それは松平定信の家紋と同じである。また定信には「鸚鵡言(おうむのことば)」という著書がある。菅秀才が松平定信を示しているのはほとんど自明だった。同時期の狂歌の一つに次のようなものがある。


「汗水を流して習ふ剣術も御役にたたぬ御代ぞめでたき」


 戦のない時代の文武奨励を揶揄し、茶化し、冷笑するその視線は恋川春町と共通しているし、きっとそれが時代の空気だったのだろう。だが、この程度のことすら幕府は許さなかったのだ。「鸚鵡返文武二道」は絶版。恋川春町は定信より呼び出しを受けたが病気を理由にそれに応じず、まもなく死去。ただし呼び出しについては風聞の一つで、病死ではなく自死だというのも「そう解釈する余地もある」という話でしかなく、根拠はない。だが有形無形の、何の圧力もなかったと考える方が無理がないだろうか? そしてこの三十年以上前の事件が無形の圧力となって山青堂にのしかかっているのだ。

 達郎がこの話を描いたとき、寛政の改革のことなど全く頭になかった。だが、怪しい霊薬に頼ってでも息子を立派な武士に仕立てようとした母親は松平定信を想起させる|かもしれない(・・・・・・)。善意の塊となった若侍が暴走する様は文武奨励が頓挫した事実を連想させる|かもしれない(・・・・・・)。出版しても見咎められて絶版になるかもしれず、それ以前に本屋仲間の自主規制にまず間違いなく引っかかる。

 本屋は刊行したい本があるとまず元原稿を用意し、本屋仲間(同業者組合)にそれを提出する。仲間行事が差し支えなしと判断した上で町年寄などの町役人を経て奉行所にそれを差し出し、それで許可が下りるとその印である「添章」が出るのだ。問題のある本は仲間行事の時点ではねられる。同業者組合による自主規制こそが言論統制の最大の手段だったのである。

 この程度のことすら許されないのか、と達郎はまず怒りを抱いた……が、それも長続きはしなかった。現実問題として「言論の自由」を手にする手段が、可能性がほとんどない。幕威がかなり衰えているとは言え、幕藩体制の打倒など想像する者もいないだろうし、実際にそれが倒れるのは(本来の歴史通りなら)半世紀近くも先のことだ。達郎が「言論の自由」を求めて立ち上がったところで小指の先で蟻のように潰されるだけだし、それに巻き込まれるのはお内や左近なのである。自分一人だけのことならまだともかく、山青堂の人びとに迷惑をかける事態は絶対にあってはならなかった。


「判りました、描き直します」


 気持ちを切り替えた達郎がそう宣言し、ひったくるように草稿を手にして奥の左近の部屋へと引っ込んでしまう。二人が少し心配そうにその背中を見送るが、


「描き直しました!」


「もうですか」


 その日のうちに草稿を描き直して二人の前に顔を出した。ただしそれは下書きよりもさらに手前の状態だ。漫画に詳しい人ならどこかで「ネーム」を見たことがあるだろう。映画やアニメなら絵コンテだ。達郎が二人に示したのはそれに近いものである。そこに記されているのは丸と線だけの人物と台詞だけだが、その内容を知るにはそれで充分だった。

 ――くり返される忠兵衛のセクハラに怒った三神が、怪しい霊薬「善悪丹」を忠兵衛に無理矢理飲ませる。具現化する忠兵衛の悪玉、ただし顔の文字は「悪」ではなく「煩」である。煩悩の塊である忠兵衛の悪玉が三神に襲いかかり、セクハラをされながらもそれを退治する三神。煩悩が根こそぎにされた忠兵衛は真人間となるが……

 「GS美神」にも記憶喪失となった横島忠夫が煩悩を失い真人間となる話があるが、今回の話はそれが元ネタだ。元ネタではおキヌちゃんの働きで忠夫が煩悩を取り戻すが、この話でもそれは同じである。展開はちょっと変更し、忠兵衛の悪玉に同情したお絹ちゃんが小さな悪玉をかくまっており、それを忠兵衛に返す、とした。


「……この話なら大丈夫だと思います」


「このお話も面白いです」


 お内と左近がそれぞれ太鼓判を押し、達郎は胸を撫で下ろした。そして、


「それじゃこれを完成させます!」


 とまた勢いよく奥へと引っ込んでいく。お内と左近はそれを安堵したように見送った。






 達郎は引き続き「祓い屋三神」を描いている。「善悪丹」の話は下書きまで完成させて、今は「次はどの話にするか」と構成を練っているところだ。


「小笠原エミと六道冥子は出さないと。そーなるとどの話をどう変えるか」


 あーでもないこーでもないと達郎は頭を悩ませるが、それはパズルを解くかのような知的遊戯であり、無上の娯楽だった。

 まだ六話しか進んでいないのにむやみに登場人物を増やすのは好ましくはないが、それと同時に考えるべきことがあった。この時代の読者の、オカルトに関する知識である。

 例えば「蠱毒」という中国発祥の呪術がある。蛇・ムカデ・ゲジゲジなどの虫を百匹壺に封じ込め、最後の一匹になるまで共食いをさせる。生き残った虫は最強の毒となり、または呪殺の材料となり、または富貴を得る手段となるという。日本にも伝来し、平安以降度々禁止令が出されていた。逆に言えばこのおまじないを本気にして実行する人間が後を絶たなかったということだ。

 二一世紀のフィクションでもよく登場するので説明の必要がないくらいだが、この時代ではどうだろうか? 「蠱毒」と言って判る人間がどのくらいいるだろうか?


「それはまさしく蠱毒そのものだった。蠱毒とは唐土発祥の呪術で――」


 等と、かなり詳しい説明が必要かもしれない。それよりは「祓い屋三神」で小笠原エミが蠱毒を一から使うような話をして、簡単な説明で済むようにした方が望ましいだろう。同じように、六道冥子を出せば式神のなんたるかを描写できる。もっとも六道冥子の十二神将は一般的な式神とは到底言えないのでその点に留意するとして、


「あと必要なのは……魔力供給か」


 「魔力供給」はTYPE-MOONの「Fate」シリーズに登場する用語であり、オカルト業界の一般用語ではない。同じような設定や描写は他作品でも見られ、TYPE-MOONの発明品でも「Fate」シリーズの独占物でも決してない。だが、ちょっと考えてみてほしい。


「魔術(または魔法)を行使するのに魔力というエネルギーを必要とする」


 その考え方は一体いつから、どこから始まったのだろうか?

 例えば「GS美神」には霊力という用語が登場するが、それは扱いとしては腕力や体力と同列の、能力を示す言い方であってエネルギーではない。霊能力行使で何かが消耗している描写もあるが「霊能力行使にエネルギーが必要」という考え方は(ないわけではないが)薄いと言える。

 例えば「魔法少女まどか・マギカ」では「変身して魔法を使うとソウルジェムが濁る」という設定があるが、魔力というエネルギーの消耗については特に言及はない。もっとも、魔法少女が変身して戦うのは魔女の結界の中であり、そこは精神世界や夢の中のようなものでエネルギー保存則は通用しないと考えるべきなのもしれないが。

 そう、二〇世紀・二一世紀の人間ならエネルギー保存則くらいは基礎教養だ。だから「魔力というエネルギーが必要」という設定があって当然、とも思えるかもしれない。だが、例えば「奥さまは魔女」の中でサマンサが魔法の使い過ぎでぶっ倒れた、という描写があっただろうか? 「メリーポピンズ」では?

 二一世紀のエンタメでの「魔力というエネルギーが必要」という描写は、TYPE-MOONの影響が大きいだろう。そのTYPE-MOONが何から影響を受けたかと言えば、ドラクエを初めとするゲームである。そこに登場するMP(マジックポイント)が発想の大元となっているのは間違いない。

 それらのゲームが生まれる前から存在し、学校ではエネルギー保存則を習う達郎などからすれば「魔力というエネルギーが必要」という発想に何の違和感も覚えない。むしろ何のエネルギー消費もペナルティもなしに魔法を使い続けているなら、そっちに突っ込みたくなるくらいだ。だがこの時代では、そういう考え方を欠片も、萌芽すらも見つけることができないのである。「奥さまは魔女」や「メリーポピンズ」がそうであるように。

 だから「GS美神」では明瞭ではなかったが「祓い屋三神」の中では「霊能力を行使するには霊力というエネルギーが必要」という設定を明確にした。霊力を遣いすぎて底を突きそうになりピンチになる、という描写を度々入れている。最初は違和感があっても理屈には合っているので、きっと問題なく受け入れられるだろう。

 蠱毒、式神、それに魔力供給。それらは次回作を理解する上での基礎教養であり、また次回作の基本設定だった。


「ただでさえ設定が複雑で説明することが無茶苦茶多くて大変なんだから、前もってできる説明はしておかないとな」


 そう独り言ちる達郎の手は我知らずのうちに動いており、筆は反故紙の余白に一人の少女を描き出していた。衣褲(きぬはかま)姿――古墳時代の男装をし、括られた長い髪が風にたなびいている。その容貌は少年のような凛々しさと少女の可愛らしさが両立し、調和を成し、性別を超えた美しさを奏で出している。

 その男装の麗人こそ日本最古、日本最強の英霊(・・)――次回作のヒロインの姿だった。






参考文献

佐藤至子「江戸の出版統制~弾圧に翻弄された戯作者たち(歴史文化ライブラリー456)」吉川弘文館

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