第二章

第17話 修道女・リズ

 今日、ギュッターベルグ地方に来て、初めての雪が降った。


 国境を隔てる険しい山並みに囲まれた―――王都から遠く離れたこの地には、様々な伝説が残されている。しかも、最近新たに魔王伝説がもう一つ追加されたばかりということもあり、いつもなら静かなこの地も、ここ最近俄かに注目を浴びている。

 元々は、王宮の直轄地であったその地域は、北側には万年雪の残る高い山並みが連なり、やや南に位置するギュッターベルグ城を中心に南に偏った形で大きく城下町が広がっている。


 城下町の、貴族の屋敷が連なる通り。それらの中でも、ややこじんまりとした屋敷の扉が開き、「じゃあ、行ってくるなー。」という、貴族らしからぬ挨拶と共に、この国では非常に珍しい黒髪黒目の男が黒いローブを被って外に出た。

 そして、「ギュッ」と雪が潰れる音に何も反応できないまま彼は固まって、まわりの銀世界に目を見張る。彼の実家は、雪など滅多に降ることのない王都にあり、初めてのその光景に目が釘付けになっていた。



「おい!」



 突然我に返った彼は、家のドアを再び開け、中に向かって声をかけた。



「おい! レティ!」



 お目当てのその人は、水仕事をしている最中だったのだろうか、手を自分の前掛けで拭きながらトテトテとやってきた。



「何? 何?」



 そう言って、彼の肩越しから外を覗き、「おおー、積もったねー。」と、真っ白な雪が一面に降り積もった景色に、特に驚くことも無く言った。雪はもう止んでいて、降り注ぐ朝日がキラキラと反射している。



「え? そんな感じ? 王都で雪が積もったのって、子供の時に一回あったかどうかだっただろう?」



 同じ感動を味わいたかったのだろうか、彼はやや不機嫌に言った。彼女は、彼にとって幼馴染だ。出身は王都だし、雪の経験はあまりないはずだった。しかし―――。



「だって私、前世で雪には色々やられたからさー。電車は遅れるし、歩きづらいし、転ぶし。」



 そう、レティには前世の記憶がある。四年ほど前、アルベルトと何てことないお喋りをしていた時に急に倒れ、目を覚ますと…妄想癖に拍車がかかっていた。いや、レティ曰く「前世を思い出した。」ということらしい。



「成人式の日も朝から降っちゃって、振袖なんか歩きづらくって最悪だったわ。」



 わからない言葉が続いて、彼は困惑する。まあ、でもそれはいつものことだ、と肩を竦めた。

 

 彼の名は、アルベルト・フィッシャー。


 宮廷魔術研究室研究員のアルベルトは、その魔王伝説の調査のために、この最北端の地ギュッターベルグに派遣されることが、この度正式に決まった。それを機に、幼馴染であるレティと入籍し、一緒にこの地にやってきたのだ。


 が、しかし。


 前世を思い出したというレティは、しばらく「自分がこの世に転生した意味」とやらがわからずに、ずいぶんとモヤモヤしていたようだったが、半年前に起きた事件によってその意味を知ることとなる。その事件が、今にわかにこの地を賑わしている「魔王復活、及び聖女による封印」という事件、つまり今アルベルトが目下調査中の魔王伝説なのである。どうやらそれら一連の事件が、レティの前世にあるゲームと言われるもののシナリオと同じで、彼女はそれの一部を予言したのだ。


 前世がオタク(その意味は未だによくわかっていない。)なレティは、その妄想は魔王伝説さえも凌ぎ、その伝説の詳細を予言せしめ、この国を救った救世主でもある。———とは、この地を治め、魔王を封印した功労者の一人でもあるウィルフレッド・ギュッターベルグ、つまりはこの地を治めるギュッターベルグ辺境伯の言葉である。

 ギュッターベルグ伯からは、その予言について感謝の意を表したいと、常々登城を呼びかけられているが、なにしろ生まれながらの平民、そしてこの言葉遣いだ。アルベルトはどうそれを断るか、それが最近の一番の悩みになりつつあった。



「そんなもんか。まぁ、じゃあ俺も転ばないように気をつけよ。」



そう言って、アルベルトは先ほどとは打って変わって、丁寧に「行ってきます。」と言い、レティの頭をクシャッと撫でた。

「いってらっしゃーい!」と元気な声を背中に感じながら、今日まずは派遣先の上司であるギュッターベルグ伯の元へ行く。




 アルベルトが城の入り口で身分証を見せて中に入ろうとしたところで、一人の文官が速足で近づいてきた。彼、ルディ・ドリオは王宮から派遣された宰相補佐室所属の文官である。今回の、国中を震撼させた事件の最終報告のためにわざわざこんな辺境の地にまで来ていたのだが、彼はもうすぐその勤めを終えて王都に帰る。



「フィッシャー卿、おはようございます。登城早々で申し訳ないのですが、どう対応したら良いかわからない方がいらしてまして。」



 普段、涼しげな顔をして部下達に命令を下している彼からは想像もつかないほど困惑した様子で、手に持ったハンカチで額の汗を拭っている。


———貴族である彼が敬語を使うということは、相手も貴族だろうか?


「どちらに?」とアルベルトが問うと、応接室で待たせているとのことだった。その足で、応接室に向かう。ルディもその後ろをついてきて、状況を説明する。



「ギュッターベルグ閣下に話したいことがあると、そう仰るのですが。」


「それで、なぜ私に?」


「それが、卿の奥様とお友達であられると…。」


「はあ?」



 卿の奥様の友達———つまりはアルベルトの妻であるレティの友達ということだ。それならば普通は屋敷に行くだろうに、なぜ城へ? しかも閣下に用事があると言う。そんな人間がいただろうか? そんなことを考えている内に、アルベルトは応接室の前に着いた。


 こんこんとドアをノックする。返事を待たず開けると、そこにはストロベリーブロンドの髪色をした黒いローブを身に纏う修道女が座っていた。そして彼女はアルベルトに気が付くと、裾が乱れるのも全く気にせず立ち上がり、「アルベルト君! 久しぶり!」と言ったのだった。



「ねえねえ、レティ…さんは元気?」


「え? あの…。」



 突然、城にやってきた「アルベルトの嫁の友達」を名乗る修道女。その勢いに押され、アルベルトは口ごもる。その様子に、あっと何かに気づいたかのような彼女は、一度そのストロベリーブロンドの髪を触ってからニッコリと笑って言った。



「ごめん。私、莉愛りあ…じゃなかった、リズよ。リズ。」



―――リズ?



「まあ、正しくはリズじゃ無いんだけど。」



 そう言って、彼女は肩を竦めてみせた。


―――確かに髪色はリズと一緒だけど、顔が…全然違うじゃないか?



 今から半年ほど前、「魔王が復活します。」と予言した、突如として現れたストロベリーブロンドの髪色をした「聖女」リズ・シュナイダー。シュナイダー男爵家の長女である彼女は、魔王復活を前に聖女として覚醒し、その力をもってしてギュッターベルグ伯と共に魔王を再び封印した、謂わばこの伝説の主人公である。

 その際、「この話、知ってる。」と言い出したアルベルトの嫁レティが、前世の記憶から聖女の復活を予言し、聖女を導いたと言われているのだ。まあ、今その話は置いておく。


 聖女は魔王を封印した、まさにその場で消えた。そう、消えたはずだ。リズ・シュナイダーという身体だけを残して。


 魔王封印の後、本物のリズは王都への帰りの馬車の中で「ずっと夢を見ているような感覚だった。」とアルベルトに言った。長い夢を見ているようだった――と。

 アルベルトが初めて会った時は、既に聖女の魂が入ったリズだったというのだ。聖女の魂が抜けてしまったリズは、もうアルベルトの知るリズでは無く、今ではシュナイダー嬢と呼んで当たり障りのない交流をしているだけだ。



「新しいゲーム買ってさ、子供が学校行ってる間に…と思ってセーブデータ作ったら、まさかのこれよ。」



 呪文か。———と突っ込みたくなるような話の内容に、嫁のそれと被る。やはり中身は異世界転生者、つまりは彼女の言う通り、中身はあの聖女ということだろうか。



「リズ、お前。」


「今回、まさかの修道女でさ。似合う?」



 しかし、彼女はこんな感じの人間だっただろうか? 自分の知っているリズとだいぶ印象が違い、感覚が鈍る。

 リズとアルベルトは、貴族だけが通うアカデミーでクラスメイトだったし、結構仲が良かった。だからこそ、———違和感がすごい。



「えーと、ちょっと待ってくれ。状況が読めない。」


「だから、ゲームのスタートボタンを…」「いや、そうじゃなくて。」



 そう言ってリズの言葉を遮ると、少し考えて「もう少しここで待っててくれるか。」とリズに言った。リズは納得いかなそうな顔をしたが、一応は頷いてくれた。



「ルディ。」


「はっ。」



 後ろに控えていた先ほど案内してくれた文官、ルディに声をかける。



「閣下に急ぎ取次ぎを。あと一人、城下に遣いを出したい。」


「どちらに?」


「…我が家に。」



 そう言ってリズに目をやると、その顔には喜びが溢れ、目が期待で輝いているかのようだった。



「承知いたしました。」



 そう言って一礼してから、ルディが部屋を出ていく。ドアの閉まる音がして、アルベルトは再びリズに声をかけた。



「半年振りか。」



 すると、リズはぐっと身体を乗り出して、「違うわよ。アルベルト君とは二十年ぶりよ。」と怒ったように言った。


―――ああ、これだから異世界人は。


 アルベルトが、日々レティに思っていることだ。そちらの事情を、こちらが知っていると思って話すのは異世界人特有なのだろうか? それとも、レティとリズだけに限った話なのだろうか。他の異世界人に会ったことが無いから、その答えはわからない。



「お茶、新しく淹れるか?」



 どう突っ込んで良いのかわからなくなったアルベルトは、今はとにかく一度諦めて、ギュッターベルグ閣下の到着を待つことにした。



「あ、欲しい、欲しい。ありがと。」



 話を止めてしまったことに対して、リズは全く気にしていないようだった。そもそも見た目が髪の色以外リズとは全く違うし、話す印象も全然違う。未だに、本物のリズかどうかも確信しきれていない、というのが本当のところだ。


 ベルを鳴らして使用人を呼ぶ。すぐに、ワゴンを押した侍女が入室してきた。既にルディから話を聞いているらしく、カップは四つ用意されていた。まさか、こんな形でレティと閣下を対面させることになるとは…。アルベルトは急に頭痛を感じて、その蟀谷を押さえた。



「アルベルト君、貴族になったんだね。」



 アルベルトは元々、一代限りの準男爵位を叙爵されただけの商家の次男坊だ。本来なら継げるような爵位は無いのだが、王宮魔術研究室の研究員であることと今回の魔王復活の件の功労と、何よりこの地を治めるギュッターベルグ伯の強い推薦により、子爵位を賜ることとなったのだった。まあだからと言って、アルベルトが望んだことでは、これっぽちも無い。


「色々あってな。」と、面倒くさそうにアルベルトが言うと、「おめでとう?」とリズが首を傾げた。



「なんで疑問形なんだよ。」


「あはは。なんとなくね。」


「シュナイダー家の方には、もう行ったのか?」


「ちょっと覗いてみたい気持ちはあったけど、まあ今更かなって思ってやめた。王都まで遠いし。」



 侍女の手によって、お茶が目の前に置かれる。しばらく間を置いて、リズがそのカップを手に取った。



「そういえば、その恰好…」「これね!今回は修道女が主人公らしいの!」



 興奮したリズが、喰い気味に答える。そして、「まさか、また魔王が復活することになるとはねぇ。」と、それはひどく恐ろしいことを言った。





「ウィル! 久しぶり!」



 まさかの呼び捨てに、一同目が点だった。普通なら、不敬罪で一発アウトだ。

 ウィルフレッド・ギュッターベルグ。この地を治める彼は、実はこの国を治める王族の一員。しかも、第一継承権を持っていた元皇太子殿下だ。魔王討伐に際して臣籍降下を決め、その封印後もそのままこの地に残って最北端のこの地ギュッターベルグを治めている。



「まさか…、リズか?」


「当たり! よくわかったね。」

 


 リズは嬉しそうに握手をしようと手を伸ばす。すると、その手を取らずにウィルフレッドは、すっと自らの右手を上げた。使用人たちがするすると音を立てずに部屋を出ていく。———退出命令だ。



「はぁ、さすがねぇ。」

 


 それを見たリズが、感嘆の声を上げる。



「お前な、状況を少し考えろ。状況を。」と、アルベルトが言う。誰かがいれば丁寧な言葉を使わざるをえないが、人払いさえしてしまえばウィルフレッドの前だろうと関係無い。アルベルトとウィルフレッドは、子供の頃からの付き合いだからだ。


「リズ。」と、ウィルフレッドが呼ぶ声に、リズが彼の方を見て、「ん?」と首を傾げた。ウィルフレッドは数歩前に出てリズの目の前に立つと、そのままリズを抱きしめた。そして、「会いたかった。」と、そう耳元で呟いた。


 しばし固まったリズだったが、突然ガッとウィルフレッドを押し返し、「やめてよー! もうアラフォーの人妻なんだからぁ。」と照れたように笑った。

思わぬ反応に、両手を剝がされた状態のまま固まるウィルフレッド。アルベルトも、固まった。


―――アラフォーとは、何だ?



「しかし、ウィル。よく、リズってわかったな。」とアルベルトが言うと、「魔力さ。魔力。」とウィルフレッドがなんでも無いこととでもいうように答えた。「お前、魔力検知も鑑定魔法も苦手だもんなぁ。」と笑われたが、アルベルトにとっては全く悔しく無い。なぜなら、その通りだからだ。


 この国の王族は、生まれながらにして魔力がある。それはその血筋によるものらしく、強力な魔力を持って生まれることに例外はほぼ無いらしい。アルベルトのように、市井で魔力を持って生まれてくるのは、隔世遺伝か突然変異のような形だけである。

 魔力持ちの特徴として、目や髪色に黒が混ざっているほどその力は強いとされているが、つまりどちらも真っ黒なアルベルトは、この国最強の魔力持ちということだ。彼ら「黒持ち」は子供の頃から国によって管理され、そのまま王宮魔術研究室所属になる。実力主義の研究室は、平民から叙爵されて貴族になることも多く、つまりは貴族に魔術師が多い原因の一端を担ってもいる。アルベルトのように、一代限りの準男爵家から魔力を持つものが生まれたのは、今となっては非常に珍しいことだった。



「強い弱いぐらいしかわかんないんだよなー。室長にも、練習しろ! っていつも言われてるよ。」


「出来るようになれって?」


「でないと、室長の座は渡せないって。」



 魔術師の世界は身分など関係無く、その力で決まる。アルベルトはその中でも抜きんでて強い魔力を持っているのだが、苦手なものは苦手なのだ。



「あんた達も変わらないわね。」



 そんな会話を二人がしていると、リズが呆れたように言った。一緒に魔王を封印しに行った仲だ。それなりに気心知れている―――はずだ。しかし、やはり印象があまりにも違う。魔王討伐に向けて、ウィルフレッドとリズが一緒に準備していたことはアルベルトも知っている。その後、ギュッターベルグで三人が合流してからは、それこそ身分を取っ払って喋っていたものだ。

 それにしても、こんな感じだっただろうか? 半年で、ここまでイメージが変わってしまったことに、アルベルトは疑問を抱いたままだ。いや、さっき二十年と言ったか? 異世界人の呪文に振り回されることには慣れていると思っていたが、どうやらまだまだのようだった。



「で、リズ。どうやってこっちに来たんだ?またゲームとかいうやつか?」と、ウィルフレッドが聞くと、「正解。前回の魔王封印のゲームの新作が何年か前に出ててさ。子供が卒業祝いでほしいって言うからパパが買ってくれたんだけど、ちょっと拝借して~っと思ったら、こっちにいた。」そう言って、リズはケラケラと笑った。


 ところが、ウィルフレッドは緊張した面持ちになって声を抑えると、「今回も魔王か?」とリズに聞いた。

「そうみたいね。」と、リズが緊張感も無く答える。



「ただね。今回大きいのは、セーブができること。」


「セーブとは?」



ウィルフレッドが、間髪を入れずに質問を重ねると、「途中でやめて、またしばらくしてから続きができるってこと。」と、当たり前のようにリズが答えた。

 ウィルフレッドがこちらを見る。ごめん、理解できないという気持ちを込めて首を振る。ウィルフレッドは、少し項垂れたような仕草をした。「だよな。」ってところだろう。


「前回は向こうに帰りたくなかったから、セーブしないように気を付けてたんだけどね。今回は、子供もいるし、ちょこちょこセーブするから。ここに来るまでに既に何回かセーブしたけど、こっちは少し時間が経ってるみたいね。」と、リズはなぜかとても楽しそうだ。二人が理解できていないことを楽しんでいるに違いない。———と、アルベルトは既に敗者の気分だった。

 そんな時―――。


 コンコンとノックの音がする。


「どうした?」とアルベルトが聞くと、「レティ・フィッシャー様がいらっしゃいました。」とウィルフレッドの執事の声がした。


 いよいよだ。———と、アルベルトは大きな溜息をついた。




「レティ!…さん?」



 応接室に入ってきたレティに挨拶の暇さえ与えず、リズはレティの元へ駆け寄った。そして、どう呼んで良いのか、今更ながら困ったようだった。


 レティは目を白黒させている。恐らく、執事に案内されている時にギュッターベルグ伯がいることは知らされているはずだ。夢にまで見た元皇太子殿下だ。緊張して入室してきたに違いない。

 そんなレティに駆け寄ってきたストロベリーブロンドの髪を持つ、見た目修道女の不思議な女に駆け寄られ、しばらく固まっていたレティだったが、首をぎぎぎと音がしそうなほどにゆっくりと動かして、アルベルトの方を見た。

―――どういうこと? と、その目が言っている。



「私よ! 莉愛。浅井莉愛。」



 リズが自分を指差してそう言うと、レティは目を零れんばかりに見開いて、「リア⁉」と言って「嘘⁉ まじで?」と、その口元を押さえた。



「ほんと。ほんとだってば。」



 リズはそう言った後、急に怒ったような顔になり、「あの後、大変だったんだからね! 一番最後に連絡をとったのが私ってことで、警察から連絡が来てさ。まあメッセージの内容があれだったから、疑われはしなかったんだけど。」そう訴える声は、少しずつ寂し気なものに変わっていった。



「ああ、ごめん。ごめん。携帯いじって階段下りてたら足踏み外しちゃってさ。」



 少ししんみりとした雰囲気が漂ったかと思ったが、そんなもの関係無いとばかりにレティがあっけらかんと言った。



「あんたの家、結局親戚のおじさんが片づけることになって、きっと嫌がるだろうと思ってさ、私がやってそのおじさんに報告するってことにして、一応全部終わらせたから。」


「まじで? 助かったー。あの汚部屋見られてたら、末代まで語られちゃうよ。」



 異世界人同士の会話に入れずに、ウィルフレッドとアルベルトはいよいよ諦めてお茶を飲む。しばらくは喋らせておこう。———という気遣いでもある。



「あの部屋の物、同担だったヤッチにあげたよ。涙流して悲しんでんだか喜んでんだか判らないぐらい、ぐっちゃぐちゃに泣いてた。」


「あー、でもヤッチがもらってくれたんだったら安心だ。私の推しも、きっと喜んでいることでしょう。」と、レティは胸の前で十字を切り、祈った。


―――お前が修道女かよ! とツッコミを入れたい気持ちを、アルベルトはぐっと我慢する。ウィルフレッドは、あんなに早く会わせろと言っていたレティが目の前にいるにも関わらず、最早遠い目をしている。理解の範疇を超えた生き物が、二人もここに揃っているのだ。嫁に会わせたくなかった気持ちを理解したことだろう―――と、アルベルトは心の中で十字を切り、祈った。



「そういえば、もう何年か前だけど、あんたの七回忌しようってことになってさ。久しぶりに高校時代のオタ友に声かけたんだけど、」「ん?ちょっと待って。」



 レティが、突然リズの言葉を遮った。



「七回忌って、どういう事?」



 レティが、怪訝な顔をする。その顔は、きっと自分がレティによくしている顔だ―――と、アルベルトは他人事のようにそれを見ていた。



「あんたが死んでから、こっちはもう十年経ってんのよ。」



 そう言って呆れたように苦笑したリズとは対照的に、レティが固まっている。ウィルフレッドも、その視線をレティに向けた。

―――理解できているのか?できていないのか? 異世界人同士の戦い、どちらか勝つか。既に、どちらの言葉も理解の範疇を超えた二人は、審判の気分で二人を交互に見た。



「やばい。前世の時間経過、半端無いわ。」



 どうやら、戦いはまだ続くらしい。ウィルフレッドはベルを鳴らして使用人を呼ぶと、お茶を淹れなおすよう指示を出した。どうやら、長期戦を覚悟したようだ。



「じゃああの子、今いくつ?私が死んだとき二歳ぐらいだったっけ?」


「当たり、だからもうすぐ中学生。」


「はあーー⁉」



 はあーー⁉ は、こっちの台詞だと、同じようなツッコミを心の中で繰り返す。でも、なんとなくわかった。リズの話に時々出ていた「子供」というのは、リズの子供ということだ。

 ウィルフレッドは、固まったままだ。ウィルフレッドが、リズの事を憎からず思っていたことは知っている。これはけっこうショックなんじゃなかろうか―――と、アルベルトは彼に対して同情した。



「え、じゃあもういくつ? 六、七…って、十一歳?」


「先日誕生日がきて、十二歳ね。」


「はっや! 人んちの子は早いって言うけど、やばいわね。そりゃ、年取るはずだわ。」



 いや、それはそういうことじゃないと思う―――とは言わない。こちらが半年という時間を過ごしている間に、彼女は十年という時を経ていたらしい。


―――あれ? でも、さっきは「二十年」と言わなかったか?



「ちょっと…、ちょーっと待て。なんで十年? 二十年じゃなくて?」アルベルトが聞く。ここで聞いておかないと、聞くタイミングはなかなか回ってこないだろうと判断したからだ。


「ああ。」とリズは二、三度頷いて、「私が初めて聖女としてこの国にやってきたのは、向こうの私にとっての二十年前。三年半こっちにいて向こうに帰ったけど、向こうではほんの数時間の出来事だったの。帰ってみたら目の前にゲームがあって、画面にエンドロールが流れてて、一人で笑ったわ。」



 不思議な異世界語への質問は後でするとして、アルベルトはその続きの言葉を待った。



「その後、向こうのレティと十年ちょっとの間友達してて、向こうでレティが死んでこっちに来て、それからまた十年が経ったってわけ。」



 だめだ。難しすぎる。異世界人、恐るべし、だ。

「つまり、」と、レティが説明を足す。



「向こうでは私たちは同級生なんだけどね。私と仲良くなる前のリズが十七歳で三年半前のこの世界に転移して、また戻って、私と仲良くなって、そんで十年過ごして、今度は私が死んで、私が昔リズがいた三年半前に転生したの。正しくは、前世を思い出しただけなんだけど。」


 うーん、つまりは向こうの時間軸で見ると、まずリズが転移して、その十年後にレティが転生したということか。ほぼ同時期の、こちらに。向こうでは、十年という時間の隔たりがある中で、それぞれが同じ時間に転移してきたということか―――と、アルベルトは解釈する。やはりそれなら、魔王復活と関わりがあるということだろう。



「そんで、今三十…八?」レティの問いに、リズが頷いた。「で、38歳になったリズが、またこっちに転移したってこと。」



「向こうとこちらの時間軸は、平行しているわけではないということだな。」ウィルフレッドも、どうやら理解できてきたようだった。



 トントンとドアをノックする音がする。ワゴンに新しい茶器を載せて、侍女が入ってくる。賑やかだったお喋りがピタリと止み、先ほどまでの騒がしさと相まって、妙な静けさを感じた。

「ふっ。」とウィルフレッドが笑う。皆の注目が、嫌でも彼に注がれる。その視線に気まずさを覚えて、彼はあごをポリポリと指で掻いた後、「名を。」とレティに向かって言った。


 レティはハッとした顔をして慌てて立ち上がり、その場でスカートを摘み頭を下げた。そして、「お目汚し、失礼いたします。レティ・フィッシャー。フィッシャー子爵の家内でございます。」と、丁寧に挨拶をした。


「楽に。」と言われ、レティが顔を上げる。明らかに、ホッとした表情をしている。噛まずに言えた!———というところだろう。


「よく来てくれた。アルベルトには何度も催促していたのだがな。」と、ウィルフレッドが伯爵然とした態度で言うと、「ありがたきお言葉でございます。遅くなりましたこと、主人に代わりお詫び申し上げます。」とレティが頭を下げた。


 アルベルトは、蟀谷を押さえたくなるのをグッと我慢した。おそらく苦虫を嚙みつぶしたような顔になっていることだろう。それを見て、リズがにやにやと笑っている。違和感は―――そうか。リズの中身が、もうあれから二十年という時が経ち、子供も育てた四十近い逞しい女性になったということだ。———と、アルベルトは納得する。

 アルベルトは、ふと王都にいる自分を育ててくれた両親を思い、「黒持ち」の子供を授かった苦労はいかほどのものだっただろうかと想像し、そして感謝した。


 しかし、そんな感傷に浸っている場合ではない。問題は、リズが再びこちらにやってきた、その意味だ。


 侍女がお茶を新しいものに替えて、退出して行く。ドアが閉まる音が聞こえて、リズが待ちきれないとばかりに話し始めた。



「二人は初対面なのね。」


「アルベルトがなかなか会わせてくれなくてね。」



 レティが、アルベルトを睨む。「そんな話は聞いていない。」と言わんばかりの顔だが、アルベルトは見て見ぬフリをする。


「で、今回も魔王が復活するってことか。」アルベルトが話をそらしにかかると、「え?」とレティが目を開いてアルベルトを見た。アルベルトもその視線に気づいたのか、レティを見て軽く頷いた。そして、———二人はすぐにリズに視線を戻す。ウィルフレッドの表情は、変わらない。



「実はまだゲーム始めたばかりで、これから先の事は全然わからないんだよね。パッケージに魔王が書かれているから、おそらくそうなんだと思うけど。」



リズは、そうあっさりと答えた。


「前のゲームの第二弾って感じなの?」とレティが聞く。


「一応そんな感じかな。でも、前作から時間もずいぶん空いてるから、パワーアップして帰って来た! 的な売り方。」


「なるほどね。で、今回の主人公も聖女なのね。」


「でも、この格好だけどね。」



 リズはそう言って、黒いローブを見せびらかすように、腕を広げて見せた。明らかに修道女のそれだ。そして、変わらないストロベリーブロンドの髪。



「このゲームのシナリオライターかキャラデザインの人って、ストロベリーブロンドにこだわりがあるのかしら。」



 久々の異世界呪文だ。アルベルトとウィルフレッドの視線がまたぶつかる。アルベルトが肩を竦めて首を振る。


 どういう意味?

 わからない。


 そんな会話が暗黙の裡になされたようだ。



「まあ、幼稚園女子の七夕願い事ナンバーワンと言えば、ストロベリーブロンド女の子が変身するアニメのキャラだったじゃない。」


「ああ、あれね。私は黄色が好きだったけどなー。」


「最初は黄色の髪が主流だったのにね。いつのまにかピンクが王道よ。」


「ピンクは正義だからね。」


「そうね、ピンクは正義。」



 新しい合言葉のようだな。———と、アルベルトはもう現実逃避だ。レティの異世界の言葉にもずいぶんと慣れたつもりでいたが、どうやらまだまだだったようだ。



「変身シーンがどんどん長くなってさ。」


「そうそう、一人一人変身してたらそれだけ五分かかるっていう、ね。」


「その内、画面が分割されるようになって。」


「うん、二人とも。そろそろ魔王の話に戻ってもらっても、良いかな?」



 ウィルフレッドが無理矢理会話に割り込んで、困ったように笑っている。異世界語に溢れてはいても、明らかに話がずれてきたのはアルベルトにもわかった。


「あ、ごめんね。とにかく、今回はこれでいったん帰るわ。息子も違うセーブデータで始めてるし、次来るときは色々情報集めてくるから。」


 そう言って、リズは立ち上がった。そして、「あ、そうだ。」と何かを思い出したようで、レティの方を見た。



「一応言っといたほうが良いかな? ほら。あれ。高校時代よく漫画の貸し借りしてた、彼…遠藤! 遠藤って、覚えてる?」



 リズの質問にレティはしばらく考えて、「ああ、ざまぁ好きの。」と答える。そういえば、そんな奴がいたなと思い出す。数少ない、連絡の取れるクラスメイトだったと言える奴だ。


 するとリズは、「あいつ、今、病院で寝たきりらしいよ。」と言ったのだった。





 ウィルフレッドの執務室。応接室から引き揚げた二人は、全ての案件を一旦後回しにして、今後について話し合うことにした。しかし、彼の机の上には、先ほどの時間に目を通さなければならなかった書類が山積みになっている。それを見たウィルフレッドが、大きな溜息をつく。今は、ウィルフレッドの執事も下げていて、伯爵然とした態度は一切無い。


 皇太子としてそのまま王宮にいても、彼の事だ、きっと上手くやっただろうが、こちらに来てずいぶんと彼の本音を見ることが出来るようになったな、とアルベルトは思う。そして、それを友として、心から喜んでいる。何より、こうして昔のように二人で会話できることが、貴重な時間だと知っているからこそ猶更だ。


 レティとリズは、もうずっと本音で話してきた仲なのだろう、と先ほどまでのお喋りの止まらない二人を思い出す。異世界には身分制度というものが無いと、レティが言っていた。国民全員で代表者を選び、その代表者が政治をするという。俄かには信じがたいそれは、身分を笠に色々とやられたアルベルトにとって、理想郷のようにも思えた。こちらの世界でそれを現実にするのは、今の状態ではほぼ不可能だ。



 あれからリズは「セーブをしに行く。」という異世界語を残し、立ち上がった。

「どこでもセーブできるの?」とレティが聞くと、「オートセーブが付いてるんだけど、女神像の前でセーブが基本みたい。でないと、話が微妙に巻き戻るのよ。」とリズが答えた。


「今回はセーブができる。」と言っていたそれだ。これはいよいよ「セーブ」という異世界語の意味を、しっかりと理解しなければならないらしい、とアルベルトは背筋を伸ばす。



「巻き戻るって…なんか嫌ね。」


「でも、実際やってみたけど、同じ人が同じ会話をするのよ。ゲームだと思えば普通なんだけど、現実だと思うとすごい違和感だった。巻き戻ったことで、こちらがどうなってしまっているのかちょっと不安だし、何より気持ち悪いから使わないようにするわ。」


「違う時間軸に飛ぶってことなのかなぁ。」


「うーん、どうなんだろ? もうそれって、考え過ぎたら負けだと思ってる。」


「同意。」



 立ち上がってからも会話が止まらない二人。まあ、ありがちだよね。———と、アルベルトは遠い目をする。


「じゃあ、行くね。」とリズが言うと、「あ、私送ってくる。」と言ってレティも立ち上がった。そして、レティだけがウィルフレッドに対して暇の挨拶をして、リズは「じゃあねー。」とだけ言って、二人は並んで部屋を出て行った。


 ドアが完全に閉まりきる前に、廊下で既に話し始めている声が聞こえ、それが少しずつ小さくなっていく。ウィルフレッドと目が合い、お互いに苦笑し合った。



「どう、思う。」



 執務机の椅子に腰かけて、ウィルフレッドは机の前に立つアルベルトに声をかけた。



「どう、思うも何も、リズがそう言うなら何か起こることは間違いないんだろうな。」



 腕を組んだアルベルトの答えに、ウィルフレッドは何かを考えている。リズは、「これから間違いなく何かは起きる。それが魔王である可能性は高いが、断言はできない。」と言っていた。まずは、リズからの情報を待つことだろうな―――とアルベルトは考えて、「とにかく、一度魔王の封印の確認をしに行く。信用のできる兵を二、三人貸してくれ。」とウィルフレッドに言った。



「わかった。では、私はこれから国王陛下に文をしたためる。あとでそれを王宮に届けてくれるか。」


「了解。…あ。」



 アルベルトの何かを思い付いたような声に、一旦は机上の書類に目を落としたウィルフレッドだったが、視線を戻して「どうした。」と聞く。アルベルトは「いや。」と言い淀む。「なんだよ。」と急かされて、「あー。」と再び言い淀み、かゆくも無い顎をぽりぽりと掻いた後、「リズの事、ドンマイだったな。」と言った。


 その言葉にウィルフレッドは目を見張り、そしてふっと笑った。



「幸せそうだから、まあ良いさ。」



 チリリリリン。———そう言いながら、ウィルフレッドが鈴を鳴らす。



「お前のところは、楽しそうだな。」



 そう言って、ニヤリと笑ったウィルフレッドは、「また今度ゆっくり会わせてくれよな。」と言った。


 コンコンとノックする音が聞こえて、ドアが開く。「お呼びでございますか。」という落ち着いた声と共に入室してきたのは、執事のロン・クックだ。


 ロンは元々王宮の文官で、主にこの城を管理していたのだが、この度のギュッターベルグ伯着任の際、そのままこの城で登用することとなった。ロンがこちらで出会った女性と結婚し、今では子供もいてこちらの学校に通っていることから、本人の希望もあってのことだった。



「騎士団長と、修道院跡地の管理部の者を一人こちらに。」


「かしこまりました。」



 ロンが踵を返し、部屋を出ていく。どうやらこれから忙しくなりそうだと、アルベルトは覚悟した。



「ふぅ、忙しくなりそうだな。」と、ウィルフレッドが椅子の背もたれにどかっと寄りかかって言った。








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