第2話 レティとヒロイン

 ~魔王復活まであと三ヶ月~



 今日のレティは、王都の中で最も賑わう商業地区を、大事な書類が詰まっているらしい大きな封筒を片手に歩いていた。

 


(引きこもってオタ活に勤しみたいのはやまやまですけどね、私だって外に出ますよ。ええ、ええ、お仕事ですから。)

 


 レティは、心の中でそうぼやく。向かう先は、アルベルトの家でもあるフィッシャー商会。つまりは、単なるお使いである。レオナルドに書類を渡された時は、あれやこれやと理由をつけてごねにごねたものだが、帰りに本屋に寄っても良いと言われれば、しぶしぶながらも書類を受けとった。

  


(まあ、でもね、新しい噂が聞けるかもしれないしね。)

 


 皇太子と公爵令嬢イザベラ様の婚約破棄は、あっという間に一大ニュースになった。それに対する王宮側の対応がまだ発表されていないことから、みんなあーだこーだと憶測だけが広がって、既に何が本当で何が嘘なのか分からなくなるほど情報が入り乱れてしまっている。

 町中では、皇太子派VSイザベラ派に分かれて、どちらが正義でどちらが悪か、そこかしこで議論され、反皇太子派の策略だというありがちな推論から、皇太子が実は王様になりたくなかったという単なる我が儘説、悪魔に魅入られたなんて馬鹿げたものまで真実のように語られて、だんだんと第三者による陰謀説が最も有力な説になりつつあるようだ。———というのが、ここ数日に得た噂をレティがまとめ、分析した結果得られたレティの中での結論である。

 

 

(人の不幸は、密の味。———とは、よく言ったものだわ。)


 

 眉を顰め、声を潜めながらも、皆それはそれは生き生きと噂している。本当の理由なんて、当事者にしかわからないし、それについて色々想像するのは確かに自由だ。でも、なんだかなぁ。———と、いたたまれない気持ちになってレティはため息をついた。



(私の妄想なんて、可愛いものね。)

 


 そんなことを考えている内に、フィッシャー商会の建物が見えてきた。建物の前では、大きな体躯の男たちによって大きな荷物が運び込まれている。ちょうど船からの荷物が入ってきたところらしい。これはまだまだ時間がかかりそうだとレティはふんで、裏口からお邪魔することにした。さすが、勝手知ったるフィッシャー家である。

 フィッシャー商会の建物の数軒手前に、細い脇道がある。そこから入ってちょっと曲がれば、商会の通用口があり、そこに行けばきっとこの封筒を預けることの出来る誰かがいるはずだ。

 


「こんにちは~。」


 

 前世の御用聞きのようだななんて思いながら、レティは通用口から中に入る。入ってすぐの所で、アルベルトの父親であり、フィッシャー商会の商会長であるトニーおじさんを捕まえることができた。


 

「おお~レティちゃん、いらっしゃい。久しぶりだね~。見る度綺麗になっちゃって、おじさん心配になっちゃうよ~。」


 

 相変わらずの軽さで、トニーはレティに笑顔を向けた。裏口で会うおじさんと、商会の正面玄関で会うおじさんは、絶対違う人だとレティは思っている。


 

「今日、アルベルトは王宮に行ってるよ。何か用だった?」


 

 あ、やっぱりいないんだ。———と思いながら、封筒をぐっとトニーに突き出した。


 

「これ、パパから。」


 

 残念ながら、中身は知らない。完全なお使いだ。トニーおじさんはその中身をわかっていたようで、「ああ、ありがとう。助かったよ~。」と、すぐに受けとってくれた。その後、お茶を飲んでいくようお誘いを受けたが、お断りをしてそのまま踵を返し、レティは通用口を出た。



(アルベルトもいないし、何より忙しそうだしね。)


 

 脇道を戻りながら、鼻歌を口ずさむ。さっきから頭を離れないあの曲だ。

  


 ―――人の不幸は蜜の味。

 


 元の通りに出た瞬間、通りすがりの人とぶつかりそうになって思わず仰け反る。


 

「あ、ごめんなさい。」


「す、すみません!」


 

 お互いに謝りあって顔をあげれば、目の前にいたのはふわふわのストロベリーブロンドの髪に、透き通るような空色の大きな瞳をした女の子だ。年齢は私と同じくらいかな?———と。レティが思ったところで、ん?とある考えが頭を過った。

 


「よそ見しててごめんなさい。お怪我はないですか?」と、その子が空色の瞳でレティの顔をのぞき込む。

 


(ちょっと、待って。)



 ストロベリーブロンドの髪。そして、めっちゃ可愛い。そしてそして、超がつく良い子…の様な雰囲気。



(あくまで雰囲気! これ、重要!)


 

 レティは思わずガシッ! と女の子の腕を掴んだ。





 沢山の荷物を積んだ船が、目の前を通り過ぎていく。港で降ろされた諸外国からの交易品が、港に繋がるこの川を伝って、荷物を待ち受けるかのように川沿いに立ち並ぶ商家に運ばれていくのだ。

 そんな川を見下ろす2階のテラス席で、レティはふわふわわストロベリーブロンドの女の子と向かい合って座っている。本を買うために持ってきたお金は、ここのケーキ代に消えた。

 

 リズと名乗ったその女の子は、何がどうしてこうなったのか全く分からず、落ち着かない様子だ。リズは、アルベルトに借りていた本を、卒業式を迎えてしまったにも関わらず返していなかったことに気がついて、フィッシャー商会まで返しに来たところだったと言う。ところが、商会の玄関前が商品の搬入でごった返していたため、また今度にしようと踵を返した時に、横の脇道から出てきたレティとぶつかった―――ということらしい。

 

 レティはというと、絶対に逃がしてはならぬという焦りから、掴んだ腕をそのままに有無を言わせずここまでリズを連れてきてしまったが、いざ落ち着いてお話ししましょうとなれば、何から話して良いのかわからないでいた。

 


(絶対、変な奴だと思われる! いや、それはもう既に「思われている」か!)

 


 それならば、いっそ! とばかりに、レティは最も聞きたかったことを聞く。


 

「リズさんて、ヒロインですよね?」


 

 突然の質問に、リズが呆気にとられた顔になった。その表情を見て、レティはますます焦る。

 


(やばい! 超ぶっ飛んだ質問しちゃった!?でも、見た目は間違いなくヒロインだよ!?)

 


 しばらく固まっていたリズだったが、目の前でだんだん赤くなっていくレティを見て、はっと何かに気づいたような顔をした。

 


「レティさんは…、その…何かを知っているんですか?」


 

 リズからそう返されて、レティはますます焦る。

 

(リズの言う「何か」とはなんだ。知っているって、何を?)

 


 直球に変化球で返されて、レティは混乱した。レティが知っていることは、自分が転生者であるということだけだ。この世界の元ネタが何で、それが本当にあるのかどうかもわかっていない。皇太子の婚約破棄だって、何かの物語であることの証明には全くならないのだ。しかし、このままでは埒が明かないと、勇気を出してレティは打ち明けた。


 

「私、前世の記憶があるんです。」


 

 変人だと思われても仕方が無い。この記憶がある時点で、既に似たようなものなのだから。アルベルト、ごめんよ。「お前の幼なじみは変人」と、今後からかわれても許して。———と、今ここにいない幼馴染にレティは心の中で頭を下げた。

 

 リズの顔が、驚きの表情に変わっていく。空色の瞳はますます大きく見開かれて、レティをまじまじと見つめた。まるで、未確認生物を観察しているかのようだ。

 レティはだんだん落ち着いてきて、もう変人と思われても良いから、せっかくだし何でも聞いてしまおうと開き直った。


 

「リズさんのその髪色って、この国ではとても珍しいですよね。私の前世ではそういう髪色の子は、主役かそれに近い重要キャラと決まっているんです。そういう子は転生者だったり、その子自身じゃなくてもまわりに転生者がいたり、チートな魔法が使えたりするんです。それで、誰からも愛されて、最終的には王子様の婚約者となってハッピーエンドっていうのが王道なんですけど。」


 

 一気に言いたいことを言って、目の前のリズを見てみれば、リズはまたしてもポカーンとした表情に戻っている。何か言葉が返ってきそうな雰囲気は無い。ここで、言いたいことだけ言って、結局何一つ質問できていないことにレティは気づいた。

 


(あれ? 聞きたいこと…。聞きたいこと…?「ヒロインですよね?」の質問に、「はい、そうです。」と返って来ると思い込んでいたのか! 私は!)


 

 レティは自分の浅はかさに気づき、頭を抱えた。これじゃ本当にただの変人だ。今すぐにでも、この場を立ち去りたい!———そんな衝動に駆られながら、無理矢理誘った側として、ここはきっちり終わらせるべきだと心を落ち着かせる。

 ふぅ。とレティが深呼吸をしたところで、リズが困ったような表情ではあるが、優しい笑顔を見せた。

 


「レティさんが言っていることはよくわかりませんが、私には前世の記憶も無いし、魔法は確かにちょっとだけ使えますが、生活魔法ぐらいなもので、大したことはありません。王子様は確かに同級生でしたし、素敵な方でしたけれど、それだけです。レティさんの思っていたことと違うようで、ごめんなさい。」

 


 そう言って、リズは頭を下げるのではなく、友達がするかのようにくびをちょっと竦めてみせて笑った。

 


(ええ子や! 尊い!)


 

 レティは、拝んでしまいそうになるのを堪えつつ、無理矢理お茶に誘ったこと、リズにとって訳の分からない話をしたことを謝罪した。その後は、アルベルトをネタにゆっくり雑談を楽しみ、同じ歳ということもあってか、思わず話は弾んで、最後には「またお茶でもしましょう」と言って別れた。

 

 人混みに消えるまでリズを見送って、レティも川の流れに沿って家路につく。自分が実はお使いを頼まれただけで、まだ仕事中であることをレティが思い出すのは、あと数分先のことである。




 

 ヒロインとレティが運命的な(?)出会いをしてから数日後、いよいよ皇太子様の処遇が王宮より発表された。王宮の文官であるロッセリーニの言ったとおり、廃嫡、及び伯爵位への臣籍降下が決定。代わりに、第2王子が立太子されることになった。

 皇太子は、臣籍降下に伴い王宮直轄の領地である最北端の地を与えられ、皇太子、改めギュッターベルグ伯爵としてそこを治めることになったそうだ。ギュッターベルグ地方は深い山々に囲まれた地域で、山岳信仰が根強く残っていると言われている場所だ。しかし、ギュッターベルグ北端を境に接する隣国の軍事力がここ数年で飛躍的に上がっており、周辺諸国との軋轢が目に見える形で増えてきていることから、それを危惧した王宮側の戦略的采配といったところらしい。

 

 …と、父レオナルドが新聞を読み、噛み砕いて説明してくれて得た情報である。

 レオナルドは、今もレティの前で新聞を読んでいる。


 

「てことはさ、結局誰かはそこに行かなきゃいけなかったってことだよね。」


 

 しかも信頼できて、辺境伯という身分が釣り合う人が。そして、そこに起こった婚約破棄騒動。もう、誰かの意図がありまくりだ。さすがのレティにも、それは分かった。

 

「まあ、そういうことだな。」 と、レオナルドは新聞から顔を上げることなく返事をする。

 

 端から見れば、騒動を起こした皇太子の単なる左遷。隣国を気にしてるわけではありませんよ~ってやつだ。


 

「なんだかなー。」


  

 呟きながら、頬杖をつく。どの世界でも、大人の世界は一緒のようだ。


 

「そういえば、」そう言って、レオナルドが新聞から顔をあげてレティを見る。レティもレオナルドに顔を向けた。

 


「もうすぐ、ロベルトが一時帰国することになった。」


「兄さんが?どうしたの、突然。」

 


 ロベルトは、レティの二歳上の兄だ。いつとは決まっていないが、ブラン商会を継ぐための勉強として各国を転々としながら勉強している。レティには、遊んでいるようにしか見えないが。

 


「隣国の情勢が落ち着かないからなぁ。その内、渡航禁止命令も出るかも知れんし。そうなれば、帰って来れなくなってしまうだろう?」


「ふぅん。確かにね。」

 


 我が家も、どうやら世界情勢と無縁では無いらしい。レティは立ち上がり、空のカップを下げると、その足で自分の部屋に戻った。そして、そのままベッドに寝っ転がる。いや、本当はもう朝の準備に取りかからなきゃいけないのですけれども、ちょっとだけ。そう、ちょっとだけ。

 


「第二王子か~。」

 


 レティにとって気になるのは、今後の国の情勢とか、他国とのあり方といったことではない。ギュッターベルグ伯爵とイザベラ様のお気持ちは、どうだったのかということだ。

 イザベラ様のお父上である公爵様としては、王妃になるべく育ててきた娘を、じゃあ辺境伯妃に。———とはならないはずだ。そこに愛は生まれていたのか、それとも政略の域を出なかったのか、それによってあの婚約破棄騒動の意味が全く違ってくる。

 

 ゴロンと仰向けになり、何もない天井を見つめる。

 

 こうなると、はやくアルベルトに会いたいものだ。会って学園生活のお二人がどんな雰囲気だったのか、是非とも聞かせていただきたい!



(でもアルベルト、忙しそうなんだよな~。)

 


 そう、あの婚約破棄の話をして以来、レティはアルベルトには会えていない。そして、今月もいよいよ今日で終わり。明日からアルベルトは王宮勤めだ。

 


(なんか、寂しいな~。)

 


 レティは自分のベッドに大の字に寝っ転がったまま、ため息を一つついた。

 

 


 

 数週間後、皇太子様が辺境伯となられて王都を去られ、庶民の話題はもっぱら悪役令嬢、もとい、イザベラ様の次の婚約相手が誰になるのかということだった。新聞各紙、間もなく立太子される第二王子が既定路線とばかりの論調ではあるが、イザベラ様のご実家であるリーベルス家と、次期皇太子である第二王子の後ろ盾とも言われ現政権の宰相を務めるベルテリオ公爵家の不仲も噂されている。だがしかし、そのベルテリオ公爵家には、次期皇太子に釣り合う歳のご令嬢がいない。王家や公爵家に釣り合う家格の貴族の中で、イザベラ様に歳が近く、婚約者のいないご子息が他にもういないというのも、イザベラ×次期皇太子説を有力にさせている原因であるらしい。

 

 …と、ここまでがまたしても父レオナルドが新聞を読み、噛み砕いて説明してくれて得た情報である。 

 


 パパ、いつもありがとう。

  


「このまま、すんなり決まってくれると良いけどね。婚約破棄されて、弟にすげ替えられるとか、さすがにイザベラ様、ドンマイって感じ。」

 


 レティが朝食後のお茶を注ぎながら言うと、レオナルドは新聞から顔を上げた。お茶の香りが漂う。カップに入れたそれをレオナルドの前に置くと、「ありがとう。」と言ってレオナルドが手を伸ばす。香りを楽しんで、一口含むとまたカップをソーサーに戻した。

 


「しかし、今は宰相を務められているベルテリオ公爵家の一強だからなあ。」と、再び新聞に目を戻す。「リーベルス公爵家としては、イザベラ様の時期王妃としての後宮入りは譲らないだろうね。」と、顔も上げずにレオナルドは続けた。つまりは結局、どちらも政略結婚ってことだ。愛があったか無かったかなんて下世話のことは、天上人の方々には関係ないのだ。きっと。



(イザベラ様のお気持ちも、ギュッターベルグ辺境伯様の気持ちも、ね。)



  


「そう簡単な話でもないのです。」

 


 王宮の文官であり、レティの家のブラン商会を担当しているロッセッリーニは、今日も応接室にてレオナルドと商談中であった。最近、不穏な動きを見せている隣国への対応と、第二王子の立太子の儀に向けて、王宮は各商家との取引を活発にしている。そこにイザベラ様との婚約の儀までがもし加わるのであれば、できればその情報を事前に掴んで下準備をしておきたいと思うのが、国の情勢に合わせて算盤を弾く商家というものである。公爵家のご令嬢も、早く次の婚約者が見つかると良いですね。———と、噂の真相を聞くフリをしながら、少しでも情報を聞き出そうとしたレオナルドに、返ってきた言葉は想像より重いものだった。

 

 ロッセリーニ曰く、怪しい動きを見せる隣国を牽制するため、他国と穏便に同盟を結ぶ手段として、第二王子は元々そのお立場をもって、どこぞの国の姫君と婚姻を結ぶ方向で王宮は動いていたらしい。

 


(他国の姫君、キターーーー!!!)

 


 娘さんの出産のためにお休み中のネリおばさんは、娘さんの産後の体調が思わしくないため、今日もお休み中。ここぞとばかりに、耳を大きくしながらお茶をお出しするレティである。

 


(本編終了後、その人気からの第二弾の悪役令嬢と言えば、他国の姫君でしょう!てことは、この世界の主役は…まさかの第二王子?)

 


「しかし、立太子ともなるとそうはいかないですからね。まあ、運良くと申しますか、第三王子はまだ婚約者も決まっておられませんから、そちらの方向もあるとは思いますけれど。」

 

 

 さすが、文官。ヒントはくれるけど、答えもはっきりとは言ってくれない。そしてお茶出しだけが仕事であるレティは、いよいよタイムリミットだ。お茶を全てテーブルに並べ終え、これ以上執務室にいるわけにもいかず、泣く泣く退出である。

 


 イザベラ様と次期皇太子様の婚約者が決まるまで、王宮の混乱は続くのだろうか。月が変わってしばらく経つのに、アルベルトには会えていない。魔術研究室も忙しいのだろう。あんまり政権とは無縁そうだけど。

 


(しかし、こんなに会わなかったことは、今まであったっけ?)



 アカデミーに在学中でさえ、気づけばそこにいて、当たり前にバカなことばかり話していた。なんでこんな大事な時に限って遊びに来ないかな~と、台所でため息をつくレティだった。

 その時、執務室ではロッセリーニが商談以外にもう一つ大事な相談をレオナルドにしていた。そのことをレティが知るのは、その日の夜になってからのことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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