<SS>姿絵の事情
~魔王復活まであと三ヶ月~
ダニー・ヒルは焦っていた。
それほど結婚に夢見たつもりはないが、それなりに可愛らしい嫁をもらって、それなりの暮らしができれば良いなぐらいには思っていた気がする。確かに、既に適齢期を過ぎ気味ではあったが、だからといってまさか気位の高い貴族令嬢との婚約などといった、そんな話が自分にふりかかってくるとは、思いもしなかった。
ヒル男爵家は、王都からほど近い、小さな領地を治めるだけの末端貴族だ。食べ物には困らないが、贅沢が許されるほどの収入は無い。ダニーはヒル家の三男坊であり、親から受け継ぐ財産もないことから、アカデミーを卒業後、職を求めて王宮に出仕することにした。今まで学んだことをフルに活かせる活気のある職場は向いていたようで、ダニーは仕事に夢中になった。仕事中毒と言っても良いかもしれない。せっせと働いている内に、気がつけば結婚適齢期をさっぱり無視して、それなりの地位を得るまでになっていた。
そんな彼に、大きな転機が訪れたのは今から二年半ほど前の事だっただろうか。アカデミーで起きたとある事件を調査している内に、上層部の方々に目をかけてもらえるようになった。宰相補佐室への所属も決まり、嫉妬や羨望ののった視線を横目で向けられるようになった頃、パーティーで女性に色目を使われることが増えてきた。
こちらにその気は全く無いが、モテるのも存外悪くない。実力だけでここまできたという自信もあって、それなりに適当に遊んできた。それが、どうやらいけなかったらしい。
気位の高い侯爵令嬢に、目をつけられたのだ。
とあるパーティーで、「ある令嬢が一緒に踊って欲しいと言っている」と声をかけられた。言ってきた彼は、子爵家のご子息で旧知の仲だ。光栄なことだと軽い気持ちで受けたのだが、どうやらそれが失敗だったようだ。
相手は、貴族としては数段位の高い侯爵家のご令嬢。取り巻きの令嬢達が噂する文官とやらに、興味を持ったらしい。こちらから誘った体でダンスを踊れば、それからひどく執着された。侯爵家の身分を笠に着て、他の女性達を遠ざけ、常にエスコートを強請り、愛し合っているかのように吹聴する。———そんな令嬢だと気づくのに、それほど時間はかからなかった。しかし、勝手なことをするなとでも訴えて、もし怒らせてでもしまえば、片田舎の男爵家であるヒル家など、一捻りだろう。
ただ一つ救いだったのは、その令嬢の父親である侯爵様が、「ただの文官で、しかも末端貴族である男爵家の、しかも三男坊ごときに!嫁になど出してたまるか!」と、大反対したことだ。「お父上に怒られますよ。」「侯爵様にキツく言われておりますので。」と、ことあるごとに令嬢の父親を理由に使って、ダニーは令嬢から少しずつ距離を置くことに成功した。ただ、まだ諦めてはいないようで、社交界で会う度にしつこく絡んできてはいた。でもまあ、それぐらいならとダニーは軽く考えていた。仕事に悪影響を及ぼすようになってきた恋愛事が少し面倒になっていたこともあり、女除けにはちょうど良いと思っていたのだ。しかもその頃、ダニーが抱えていた案件は、国を揺るがすレベルのものとなっており、女に現を抜かしている場合では無かったのだ。
ところがだ。
ここにきて突然浮上したダニーの、宰相筆頭補佐官任命、そして子爵位の叙爵。子爵位とはいえ、宰相の筆頭補佐だ。出世街道まっしぐらである。まだ公表されてはいないが、水面下で既に打診されている。そんなものが、侯爵様の耳にでも入ってみろ。あの令嬢と結婚まで、ノンストップの一直線だ。絶対に逃げられない。———そんな確信があった。
ダニーは、信頼できる同期に相談をすることにした。そして、平民あがりの苦労人である仕事仲間のロッセリーニは、ダニーの相談を聞いてこう言ったのだ。
「じゃあ、お見合いでもして、結婚してしまえば?」———と。
目から鱗だったが、何故だろう。もうそれしか方法が無いように思えた。「結婚は、良いよ。」と、ロッセリーニが左手の指輪を優しい顔で撫でている。それを見て、急に結婚という物が今自分に必要なのものだとダニーは確信する。平民でも良ければ、取引先に適齢期の女性が数名いるとロッセリーニが言えば、ダニーはその場で自分の姿絵を用意して彼に託す許可をもらった。
ロッセリーニの取引先と言えば商家だ。彼が担当しているなら、しっかりした商家に違いないし、何より彼の人を見る目をダニーは信じている。誰でも良いとは言えないが、彼ならきっと今自分にとって必要な、素敵な女性を紹介してくれるに違いない。そう信じて、ダニーは初めての早退届を提出し、絵師の元へと走ったのであった。
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