第11話 ギュッターベルグ

 ~魔王復活の二年前~



 御前会議にて、今後の方針が決まった。皇太子を筆頭とした対策チームは極秘での立ち上げとなり、人数もひどく限られたものとなった。ダニーは宰相補佐として、ギュッターベルグにおける魔王復活に関する調査及び、それによる被害の予測と被る損害、住民の避難場所の確保と物資の確保など、現地でのありとあらゆる作業を一任されることとなり、現地と王宮を往復する忙しい日々を送っていたのだが…。

 今回の現地入りには、いよいよ皇太子殿下も同行することとなり、ダニーがその案内役を務めることになってしまった。割り当てられた部下は少なく、皆、暇も無く現地を走り回っている。避難経路の割り当てなど、現地の知識が大きく求められるものに対して、ギュッターベルグの住民代表として数名にも動いてもらう許可が下り、やっと今回の案内役を引き受けることを決めたばかりであった。

 

 テーブルに描かれた地図の上に、置かれた無数の駒とメモ。ここは、ダニーが現地で本格的に調査に当たることが決まって、王宮より貸し下げられた、昔の領主が使っていたという「城」と言っても差し支えないほどの立派な建物の一室である。

 王宮の直轄地のため、文官が派遣され治められているのだが、その際に文官が寝泊まりする施設としても利用されているためか、管理人も使用人もいて、手入れも行き届いていた。そして、もともと執務室として使われていた部屋を、ダニーもそのまま利用する形になった。

 

 その部屋の机には、ギュッターベルグ地方の地図が大きく描かれている。山々に囲まれた地域であることは一目瞭然だ。やや南に位置する場所にこの城があり、そこから南寄りに少し偏った形で集落が点在する。

 この城より北の方、隣国との国境は山並みに沿っていて、この国境寄りに赤いインクで大きく「×」の印が付けられている。そして、ここに無人の修道院があり、既に調査済みの場所でもある。

 


「現状の報告を。」

 


 机の向かい側で、腕を組む皇太子殿下が声をかけると、現在この地を担当している文官と、昨日皇太子殿下と共に王都からやってきた、第三騎士団の団長と魔術室研究室のジョン・ノア室長が揃ってダニーの顔を見た。ダニーは、手元にある書類に目をやった。

 


「ではまずは、魔物による被害状況から。」

 


 殿下も、手元にある調査報告書の写しに目を落とす。

 


「そちらの数字を見ていただければ分かるように、魔物の量も増えておりますが、最近では中級の魔物も発見されるようになってきております。状況は確実に悪化していると言えるでしょう。その下は、それら魔物による農作物や建物への被害をまとめたものです。」

 


 皆が静かに資料に目を通している。紙の擦れる音が聞こえる。

 


「各集落では、それらから身を守るため自警団が組織され、所によっては傭兵団なども結成されてきているため、損害額の上昇は抑えられておりますが、それら組織にかかる費用が各集落の財政を圧迫していることは、間違いありません。」

 


 それについては、御前会議でも既に報告済みであり、今回の皇太子殿下来訪に随行する形で、王宮からも第三騎士団が派兵されることとなった。

 


「つきましては、第三騎士団にはこの建物周辺の警備の他に、各自警団との連携の確認、そして修道院近辺の調査へのご協力をお願いしたいと思っております。」

 


 そう上奏すれば、皇太子殿下は騎士団長に目をやり頷いただけだったが、「御意に。」と団長は首是した。

 


「他には。」

 


 皇太子殿下がそう声をかけたとき、ゴゴゴという地響きと共に揺れを感じた。皆、それぞれに怪訝そうな表情になる。大した揺れでは無いが、この地ではこういった地震が増えてきている。それほどかからない内に、揺れは止まったが。

 


「このような地震も、日々増えてきております。いつ大きな被害をもたらすことになるかわかりませんので、避難場所等の周知だけは徹底的にお願いいたします。各集落においての避難場所、及び物資等については次のページに。」

 


 紙の擦れる音が大きくなり、そしてまた止んだ。皆それぞれに、資料を見ている。

 


「各集落への通達は完了し、順次対応中です。」

「そちらへの応援は。」

「できれば。」

「何名必要ですか。」

「各集落からの派遣要員もおありますので、窓口として4,5名。」

「わかりました。」

 


 話が着々と進む。早朝から始めた会議だったが、窓から入る光の短さが、もう太陽はずいぶんと上の方に上ってしまったことを告げている。

 


「では、よきに。」

 


 皇太子がそう告げると、文官と騎士団長は頭を下げて部屋を出ていった。

 


「では、ダニー・ヒル宰相補佐殿、案内を頼む。」

 


 これからあの修道院に皇太子殿下を案内する。皇太子付きの護衛二人と、残っている魔術研究室室長のノアに視線をやってから、「畏まりました。」とダニーはその頭を下げた。

 



 


「これは…。」


 

 修道院跡地に足を踏み入れると、ジョン・ノア室長がぼそりと呟いた。建物の中は、動物等に荒らされたような形跡はあるものの、すっきりと片づいていた。「何もない。」と言った方が、より正しい表現かもしれない。

 

 入り口から真正面に女神リリアの像が見えるが、聖堂らしい会衆席や朗読台といったものは見あたらない。リリア像が無ければ、聖堂かどうかさえ疑ってしまいそうなほど、簡素なただの空間だった。音のない、それでもどことなく安心感のある不思議な空間。ダニーを先頭に、集団は進む。

 

 足を踏み入れると、その足音だけが妙に響く。ステンドグラスから降り注ぐ光が、足下を照らしている。


 

「何か感じるか?」


 

 皇太子殿下が静かにノア室長に聞くが、彼は小さく首を振っただけだった。

 

 女神像の前まで来る。こちらを見下ろす女神リリアの像。白い、その瞳。右脇に扉があるのが見える。作りは、よくある修道院のそれと同じだ。

 「こちらへ。」と言って、ダニーがその扉を開ける。その扉をくぐると、小さな談話室があり、その窓から小さな中庭を囲むようにして配置されている食堂や修道女の部屋がいくつか見えた。


 細い長い回廊を進む。何部屋か通り過ぎたところで、ダニーは足を止め、後ろから来る皇太子殿下を待つ。修道女用の部屋が並んでいる。その内の一つの部屋に、皇太子殿下を案内するようだ。


 

「こちらが、その部屋になります。」


 

 ドアを開けると、そこには簡素な机とベッド、そして小さなワードローブだけが備えられていた。皇太子殿下が、ゆっくりと歩を進め中に入る。大人二人が入ると少し窮屈にさえ感じるその部屋を、端から順に見回しているようだ。机に目を止め、引き出しを開けると、中には筆記用具が入っているが、どうやらインクが固まってしまっているらし。羽ペンの羽毛部分は、その名残だけを残してほぼ無いと言って良い。引き出しの中はそれだけで、後は何も見あたらなかった。それは、ダニーが既に確認済みだ。

 

 ダニーは皇太子殿下の後を追って中に入ると、ワードローブの扉を開けた。この部屋に残されているもので手がかりになるものは、その中にあった。そこに残された不思議な衣装。少し埃っぽさを纏った、男物のような襟のあるシャツ。元は白かったと思われるが、経年劣化でうっすらと黄色がかってしまっていた。そして、簡素な紺色のジャケット。そのポケットには、赤いチェック柄のリボンが入っていた。その横にかけられているのは、生地を折り重ねながら一周しているグレーのチェック柄のスカートだった。それは、この世界では考えられないほど短いものだ。平民の女性でも、ここまで短いスカートははかないだろう。

 

―――それが何を意味しているのか。これは一体、何なのか。

 

 いつも、どこかに帰りたがっていた聖女。「ここは、現実?」で始まる日記。その答えを知る人は、もう二百年も前に生きていた人だ。既にここにいないのは、明らかだった。ダニーが、その痕跡を探して探して、やっと見つけたのがこの部屋だった。

 生徒手帳と書かれた聖女の日記の表紙に描かれた紋章と、同じ紋章がジャケットの胸元に刺繍されているのに気がついたのは偶然ではない。ダニーは全てを暗記するほど日記を端から端まで読み込んだし、変わった形のその紋章も目に焼き付けていた。それでも聖女に繋がる手がかりは、これしか見つけられなかったけれど。

 


(帰れなかったのだろうか?)

 


 二百年前に、この世界を救ってくれた聖女。間もなく訪れるであろう災厄を前に、再びその訪れを乞い願うのは我が儘であろうか。もう一度、私たちを救ってくれはしないだろうか。

 

 皇太子殿下がノア室長に何か呟いたが、室長はしばらく考えた後、また小さく首を振っただけだった。殿下は部屋の奥まで歩き、窓から小さな中庭を望む。日当たりの良い部屋。あまり表情を変えない殿下の空を見上げる瞳が、少しだけ揺れた気がした。

 

 ダニーはふと、揺れるストロベリーブロンドの髪を思い出す。「魔王が復活します。」と静かに告げた血の気の失った唇を。空色の瞳に見つめられ、静かに呼ばれた自分のフルネーム。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさの中、逃げるように飛び出した部屋。

 

 シュナイダー男爵家に手紙を送ったが、返事はまだ来ない。彼女が何者なのか―――ダニーはまだ、認められないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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