第18話 レティとアルベルト
「ねえ、例の修道院の跡地って、一般の人は入れないの?」
夕食時、アルベルトが目の前の並べられた食事に目を奪われている時に、レティが
フィッシャー子爵家も、小さい家ではあるが貴族という事で、数名の使用人を雇っている。引っ越してきた当初、平民として生まれ育ったレティは人を雇うことに反対だったのだが、「平民に仕事を与えることも、貴族の義務だ。」というウィルフレッドからの言葉をそのままアルベルトが伝え、今では家の中を三人、庭師を一人、それぞれ通いではあるが交代制で働いてもらっている。
「今は国の管理下にあるから、さすがに無理だな。」
「だよねー。」
そう言われるとわかっていて聞いたのだろう。レティは何事も無かったように手を合わせると、「いただきます。」と言った。———これは異世界の食事の前の挨拶らしい。こちらでは神と糧を得ることへの感謝を込めて祈るのだが、向こうはその一言にその全ての意味が含まれていると、レティが教えてくれて、それ以来「いただきます。」がフィッシャー家の主流となった。
「いただきます。」
アルベルトも、同じように手を合わせ口にする。毎回、「なんとも合理的だ。」と考えてしまうのは仕方の無いことだろう。
「リズが、何か言ってたのか?」
修道院跡地の地下には、魔王が封印されている。半年前に現れた聖女によって、再び封印されたものだ。その前の魔王復活は二百年程前と言われているが、文献などの記録はそこまで多くない。
まさか封印してから半年で、聖女のその封印が解けるとは思えないが、リズが再び現れたということは、そこに何らかの意図があるということなのだろうか。
「封印が、今どんな状況か見てみたいよねって。」
「ああ、そういうことか。まあ、特に変わったところは無かったけどな。」
スープを飲んでいたレティの手が止まる。そして、驚いた顔でアルベルトを見た。
「見てきたの?」
「当たり前だろ。何のためにこっちに派遣されてると思ってるんだ?」
「あ、そっか。そうだった。」
町を歩けば必ずと言って良いほど、二度見され、怯えられ、避けられる黒。アルベルトの髪と目の色は、強い魔力を持っている証だ。「黒持ち」と言われるそれは、黒に近ければ近いほど魔力が強いと言われている。つまり、真っ黒のアルベルトの魔力は言わずもがなだ。貴族の世界には、アルベルトほどでは無いにしても、魔力を持つものが少なからずいる。それでも遠ざけられてきた。市井でも、アカデミーでも、王宮によって行われていた魔術制御の訓練の時でさえも。
そんな中で、自分に居場所を与えてくれたのは家族や、ウィルフレッドや、魔術研究室の室長だ。ところが、レティは彼らともまた違って、「黒持ち」であることを全くと言って良いほど気にしなかった。アルベルトの人生にとって常に付きまとう「忌まわしい黒持ちである」ということを、忘れているのではないかと思ってしまうほどに。
―――いや、絶対に忘れている。アルベルトはそう確信する。
レティはそのままスプーンを置いて、箸を持つ。二本の棒を組み合わせたそれは、レティが生み出した異世界アイテムの一つだ。片手で二本の棒を器用に使い、食べ物を挟んだり、切ったり、混ぜたりと、自由自在である。
アルベルトも、レティにすすめられて挑戦した当初は、その持ち方でさえ指が
「何の変化も、無いの?」
「特に、これといったことは無かったな。」
魔王が封印されているのは、聖女の魔力によって作られた石の中に広がる空間だ。それをリズは、「牢獄」と言っていた。「石棺」と表現する役人もいるらしい。仄かに黒く光るそれからは、強い魔力が感じられるが、それだけだった。魔王封印の際、実際に封印したのはリズで、その周りに結界を築いたのはアルベルトだった。
「一度で良いからその石を拝んでみたいものだわ。」とレティが言うと、「お前なぁ。普通、近づきたがらないものだぞ。」と、アルベルトが笑った。
「そう言えば、これで新婚旅行もしばらくお預けね。」
「あ。」
ギュッターベルグにやって来て半年。仕事も落ち着いてきたし、そろそろ休暇でもとってどこかに行こうかと話していたところだった。しかしこれで、休暇を取るどころの問題では無くなってしまった。
「まじかー。」
アルベルトは、箸を握ったまま頭を抱えた。マナー的にはアウトだが、家の中では遠慮無しだ。
新婚旅行も結婚式でさえも、まだの二人だった。おむつの時代からの付き合いだ、新婚らしい雰囲気は全く無いが、それでも世に言う幸せな時間はしっかりと満喫しておきたい―――そう主張したのは、アルベルトだった。レティは特にこだわりが無いようで、それについては少し面白くないとアルベルトは感じていたところだ。
「落ち着いてからゆっくり考えたら良いよ。」と、レティが困ったように笑って言う。仕事に理解があるのは有り難いが、さみしいと思ってしまうのは仕方の無いことだと思う。そういう時いつも、アルベルトは自分の子供っぽさを痛感してしまうのだ。
―――こういう時、こいつなんか妙に落ち着いてるんだよな。
そう思ったところで、ふとリズの言葉を思い出す。
「レティ。」
そうアルベルトが声をかけると、レティは手を動かしたまま顔だけこちらに向けた。口いっぱいに頬張る様が、リスのようだ。これもマナー的にはアウトだが、まあそれも良い。
「お前、前世で死んだとき、何歳だったんだ?」
レティの手がピタリと止まり、ごっくんと飲み込む音がした。視線がアルベルトからずれていく。
―――ああ、これは。アルベルトはニヤリと笑った。
「リズは向こうに帰ってから、レティと十年間友達だったと言っていたよなぁ。」と頬杖をついたまま、正面に座るレティの顔を覗き込むように見る。
「あの時のリズが十五ぐらいだとしても、」「あーあーあーあー、聞ーこーえーなーいー。」レティが大きな声を上げながら、両手で耳を塞いだ。
「子供かっ!」
「あーあーあー」
そんなことを言い合いながら、二人で笑った。そして、再び夕食に戻る。ところが、箸を一度だけ伸ばしたところで再びアルベルトが止まった。
「なあ、そういえば、あいつっていうのは? なんだっけ? ほら。」
帰りがけに、リズが言った言葉だ。なんとなく話がずれて、あまり話題にならないままになってしまったようだったが、アルベルトはなんとなく気になっていた。
「ああ、遠藤?」
そう言って、レティも手を止めた。
「リズと私のクラスメイトなんだけどね。…病院で寝たきりだって言ってたね。娘さん、確かリズの家より少し上ぐらいだったんじゃなかったかな。」
レティは独り言のようにそう言って、「今の私にはどうしようも無いんだけどね。こっちに転移でもしてない限り。」と、ペロリと舌を出して笑った。
ノックの音がして、マリーが食後のお茶を運んできた。
「マリーさん、ありがとう。あとはやっておくから、もう帰っていただいて大丈夫よ。」とレティが言うと、「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて。」と、マリーは笑顔で一礼をして退出していった。
夕食後にのんびりと話すのが楽しみで、気兼ねなく話せるように使用人には帰ってもらうことにしたのは、レティの案だ。
今日は、聞きたいことが山ほどある。まずは「セーブ」という新しい異世界語について教えてもらわねば、とアルベルトはお茶に手を伸ばした。
「ゲームしてたら、途中で休憩したくなったりするじゃない?」
「チェスの途中でトイレに行きたくなる―――みたいな?」
お茶を飲みながら始まった「レティ先生による異世界語講座~セーブ編~」(レティが名付けた)は、それぞれ寝支度を終えて寝室にまでもつれ込んだ。アルベルトがどうしても理解しきれないでいるため、延長戦に突入だ。レティのざっくりとした異世界語満載の説明だとわかりにくいので、具体的に頼むとアルベルトが要望を出したところだった。
「トイレとかでも良いし…、そうね、急に帰らなきゃいけなくなって、今度また遊ぶときにその続きをしましょう、みたいな。」
それならわかるということで、アルベルトは頷いて見せる。そういったことは、実際によくあることだ。レティとアルベルトもたまにチェスをするのだが、レティが弱すぎてあっという間に終わってしまうことがほとんどで、たまに持ち越しとなっても、その続きが打たれた
「でも、駒を並べたまま盤を置いておけるような場所じゃないとしたら、どうする?」
「駒の配置を憶えておく。」
「そういうこと。それをゲーム自体が憶えておいてくれるの。チェス盤を出せば、前はここで終わりましたよと教えてくれるような感じ。」
「それは、便利だな。」
「そう、とても便利。昔は何文字かの暗号みたいなのを自分でメモらなきゃいけなくて、それ用のノートとか作ったんだって。でも、書き間違えたり雑に書いたりでその暗号が違ってたりするとゲームに戻れなくて、その時流れる音楽がトラウマになるらしい。」
ドゥンドゥンドゥンドゥンとレティがその恐ろし気なメロディを
「じゃあ、リズも暗号を間違えるとこちらに来ることができなくなるのか?」
「それは、昔の話。今はゲーム側がそれをメモしておいてくれるから間違えることはないの。で、そのセーブっていうのには二種類あって、ひとつは自分が意図してするセーブと、もうひとつはゲーム側が定期的に自動でするオートセーブ。」
二本の指を別の手で指差しながら、レティが説明する。その二本の指を見ていたアルベルトは、その向こうに―――風呂上がり、急いでやってきたのだろうか―――レティの髪から雫が落ちているのに気が付いた。
「例えば、途中で地震が起きたとするでしょ?駒がずれて、配置がわからなくなっても、盤が定期的にセーブしておいてくれれば、また元に戻せる。」
「それは、すごい便利だな。」
「でも、勝っていたのに急に負けが込み始めたりすると、元のセーブした場所に戻したくても戻せなくなるからオートセーブはたまに邪魔。」
アルベルトはちょっと理解が追い付かなくなり、少し思考を切り替えようと、自分の肩にかけていたタオルをレティの頭に乗せて、わしゃわしゃと拭いた。
「ありがと。」
雫が目に入るのか、レティが目を閉じた。まつ毛が、長いな―――と、思わず見とれてしまったことは内緒だ。
「今回は、その両方の機能が使えるって言ってた。」
「ちょ、ちょっと、待って。」
アルベルトは手を止めて、思考の中に生まれた違和感を探る。レティは目を開けて、タオルの中からアルベルトを見上げた。
「セーブをするということは、ゲームの時間が止まるということだよな? てことは、リズが向こうに帰っている間は? こちらの時間は止まっているってことか?」
「そうそう。向こうとこちらの時間は、全く違う軸で進んでいるからね。でも、このゲームはストーリーを追っていくものだから、イベントからイベントに飛んでいくのみたい。だから、リズが来る時は何かが起きる時———と考えた方が良いわ。」
「リズが来るときに、ゲームが動く?」
「そういうこと。今回は、ギュッターベルグ伯様との出会いイベントだったんだと思う。」
なるほど―――とアルベルトは頷きながら、思考をまとめていく。レティの頭に乗せたタオルを再び自分の肩にかけると、レティの髪に手を伸ばし、まだ濡れているそれを梳く。そして、魔力をふっと込めると、一瞬ふわっと浮き上がった髪はもう乾いていた。ペタリとしていた毛先がくるくると踊りだす、その瞬間が―――アルベルトは好きだった。
昨夜の内に降った雪は、今日の晴天で随分溶けたとはいえ、まだまだ寒い。しかも、冬はまだこれからだ。濡れた髪のままでは、風邪をひいてしまうから―――そんな理由をつけては、毎晩せっせと乾かしている。
「魔法って、便利よね。私も魔法使えたら良かったのに。」
レティが不貞腐れたように言う。子供の頃、まだ魔力制御ができなくて、アルベルトの兄であるヘルマンを怪我させてしまった時から、アルベルトは意識的に魔法を使うことを避けてきた。それでもたまに「魔法を見せて欲しい。」としつこく
レティの乾いてふわふわになった髪を、そのまま指で弄ぶ。くるくると弄っていると、レティが「ふふふっ」と、くすぐったそうに笑った。
「ありがとう、レティ。」
呟くように吐いた言葉は、思わず出たものだった。レティは少し驚いた顔をしていたが、アルベルトにすらわからないその言葉の真意が伝わったかのように、「どういたしまして。」と言って、また笑った。
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