第20話 魔法陣の完成
「ただいまー。」
アルベルトは実家に一泊し、睡眠をとることである程度まで魔力を回復させ、日の出と共に自宅に帰ってきた。昨日の夕食は、久々に実家での家族の団欒となるはずだったが、レティの兄ロベルトは結局夕飯も食べてから帰った。まあ、フィッシャー家にとってブラン家の人間はほぼ家族のようなものであり、全く誰も気にしてはいなかったが。
王都と違って、先日雪が降ったばかりのギュッターベルグの朝は、凍えるほどに寒い。しかも空は、今にもまた降りだしそうな雲に覆われている。玄関前に転移したアルベルトは、自分の吐く息の白さに、家の中に転移するべきだったと後悔した。
そういえば―――昨日、ギュッターベルグ城に登城した際に着ていったコートは、ウィルフレッドの執務室に置きっぱなしだ。目を瞑り、空を仰ぐ。これから、朝食を食べて着替えたらまた登城するのだが、コート無しでは寒いだろうなと想像して、ブルっと震えた。
アルベルトは、玄関扉を開けて中に入った。——が、早朝ということもありまだレティは起きていないようだ。
パタパタと音がして、使用人のマリーがやって来た。
「お帰りなさいませ。」
そう言って立ち止まり、マリーが丁寧に頭を下げた。そして体を起こすと、手を伸ばしアルベルトの荷物を受けとった。
「ただいま。朝早くから悪いね。着替えてまた出る。朝食の用意をお願いしても?」
「かしこまりました。」
「レティは?」
「まだ寝室でお休みになっていらっしゃいます。」
アルベルトは、レティが大好きな菓子が入った袋だけ持ち、寝室へ向かう。その菓子は、アルベルトの父であるトニーが、大好きな義娘レティのために、夕食前に商会の使用人を走らせ買いに行かせたものだ。
行儀は悪いが、階段を一段飛ばしで上って行けば、寝室はすぐだ。コンコンとドアを静かにノックする。———返事は、無い。
そっとドアを開けて体を滑り込ませると、カーテンの隙間から入る朝日が、ベッドで眠るレティの爪先を照らしていた。雲間から太陽が覗き始めたようだ。これで少し暖かくなってくれれば良い―――と、アルベルトは執務室のコートを思い出し、溜息をついた。
レティは布団を抱き抱えるようにして眠っている。その横に滑り込みたい気持ちを押し込めて、アルベルトはベッドに腰かけた。ギシッという音がして、ベッドが沈む。アルベルトは、レティの顔に手を伸ばし、そこにかかった髪をそっとその耳にかけた。「うーん。」と言って、レティが寝返りをうつ。
「レティ、ただいま。」
アルベルトが耳元でそう声をかけると、レティの瞼がうっすらと開いた。
「…う、ん?…アルベルト?」
モゴモゴと、やっと聞き取れるかどうかという声だ。「朝食だけ食べたら、またすぐ行かなくちゃならないんだ。親父からのお土産、ここ置いておくね。」と言って、サイドボードにお土産の入った袋を置く。レティはゆっくり起き上がり、ヘッドボードに寄りかかると、「おかえり。…魔力、無くなっちゃったの?」と目を擦りながら聞いてきた。
「王都に転移して、暗記魔法使ったら、帰る分が足らなくなっちゃったんだ。」
「暗記…魔法?」
「複雑な魔法陣をね、暗記して来たんだ。そして今度は、それを描かなきゃいけない。」
すると、レティはまだ少し赤みの残る目をカッと開き、「何それ、ずるい。コピペじゃん。」と言ってアルベルトに詰め寄った。
「コピ、ぺ?」
「コピーアンドペースト」
どうやら新しい異世界語のようだ。何か、食べ物のようだなとアルベルトは思う。
「暗記魔法のようなものが向こうにもあったのか?」
アルベルトはなんとなく気になって聞いてみると、「向こうは魔力じゃなくて、電力よ。そんで、マウスをカチッとしてキュッとしてカチッ。」と、レティは得意気に右手を動かしながら異世界の呪文を唱えた。
「マウスって?」
「ああ、PCを操作する道具なんだけど、ネズミの形に似ているから、マウス。」
「PCっていうのは?」
「ああ、そこからかー。」
レティが頭を抱えて布団に突っ伏した。溢れる異世界語に、アルベルトは―――ああ、帰ってきたんだな。———と安心した気持ちになって笑う。
「向こうでも、魔法のようなことが出来たのよ。全て人間が作り出したものだけど。遠くの人に意思を伝えるのは、こっちよりも簡単で、誰にでもできた。メールとか電話とか、後は…SNSとか。」
こちらでは意思の伝達はある程度の魔力を持ち、制御が得意な者同士でしかできない。今それが出来るのは、アルベルトと、おそらくは魔術研究室の室長ぐらいではないだろうか。それでも、ギュッターベルグと王都という遠く離れた場所にいては、無理に違いないが。
「移動もできたのか?」
「それは出来なかった。それを出来るように研究してた人はいたけど。」
「魔法じゃなくて、なんだっけ?何とかりょく?」
「電力。」
「電力。」
「メッセージを届けるのは電波。お金さえ払えば誰にでも使えるの。」
「電力と電波。」
魔力の無い世界で、人間が作り出した魔法とでも言うのだろうか。こちらで人間が編み出した魔術ともまた違う、誰にでも使える魔法だとレティは言う。そしたら「黒持ち」などと差別されることもなかっただろうと、アルベルトは思わず考えて、朝から暗くなりそうだから考えることをやめた。
「リズが来たんだ。それで、転移魔法陣が欲しいって言って。」
「ああ、そういうこと。確かに、王都への移動には必要よね。」
「王都に行くことは、そんなに重要なことなのか? 魔王はこっちにいるのに。」
レティはしばらく考えて、「王都には皇太子殿下がいらっしゃるからじゃない?」と言った。そして、「本当のシナリオの皇太子殿下は、こちらに来ちゃってるけどね。」と困ったように笑った。
◆
転移魔法陣は城の一角、アルベルトに与えられた部屋の地下にある研究室に設置することが決まった。あくまでも試験的な設置ということで、全ては秘密裏に進められなければならないということ、そしてリズの利用をアルベルトが把握できることの二点を考慮した上での苦肉の策だ。
アルベルトの部屋の地下は、魔術や魔王に関する研究施設として使用していた。彼は本来、王宮魔術研究室の研究員であり、封印された魔王関連の研究のため、こちらに派遣されたのだ。そこにウィルフレッドの要望が強く入っていることは間違いなく、彼からの魔法とは全く関係のない要求が多すぎて、研究は遅々として進んでいない。
それでもその地下室は、たまに王宮からやってくる他の研究員や、学者等も使えるように日々整備され、利用されていた。今回はそれらの設備を、図書室に近いもう少し広い部屋に移動し、魔王研究専用の特別な機関を設立する―――という形をとる。実情は、その地下で転移魔法陣を展開することが主要事項なのだが。
まずはギュッターベルグと王宮を繋げるべく、アルベルトは暗記魔法で記憶した魔法陣を丁寧に描いていく。王宮側は魔術研究室の、こちらも地下室に繋がることになっている。
普段あまり持たない杖を、今回は使用する。杖の先に魔力を集中させることで、結界の施された地面に線を置いていくというイメージだ。
杖を持つと途端に魔法使いのイメージになるので、アルベルトはそれを極力使わないようにしてきた。制服であるこの黒いローブでさえも嫌なのに、何故これ以上魔力があることを大々的に宣伝しなければならないのか。———アルベルトは、いつもそう怪訝に思っている。彼にとっては、その黒髪と黒い眼だけでもう十分だった。
魔術は、魔力があり、ある程度勉強さえすれば誰にでも使える。しかし、魔法は違う。「溢れ出るほどの魔力と、それを制御するだけの力と、神より与えられし才能が必要だ。」と言ったのは、魔術研究室の室長ジョン・ノアだ。それでも、この力が嫌いだった。無ければ良かったと、何度思ったか分からない。
「向こうでは、みーんな黒髪黒目だったよ。」と言ったのはレティだ。
「たまに髪を染めたり、コンタクトレンズで色を変えたりして、不思議な色にしてた子もいたけどね。金髪だけじゃなくて、ピンクとか、緑とか。」
こちらでは当たり前の色が、向こうでは珍しいということを、彼は不思議な気持ちで聞いていた。そして、この目立つ黒髪の色を変えることが出来るなら、飛びつくようにしてそうしただろうなとアルベルトは思う。
「実はみんな魔法使いだったのかなー?」
レティはそう言って、「ちちんぷいぷい」という不思議な呪文を唱えながら杖を振り回すような仕草をした。レティの前でアルベルトが杖を持ったことは無い。アルベルトは不思議に思う。
「魔法使いと言えば、そっちでもやっぱり杖なのか?」
「確かに、アニメとか本に出てくる魔法使いは、杖を使うのが多かったかなぁ。あとは、箒とかデッキブラシ? あ、それは空を飛ぶ道具か。」
「箒で、空を飛べるのか?」
「そう。箒に跨って空を飛ぶの。箒自体が飛ぶものもあったし、乗るものは関係なく、魔法使いの体に流れている血で飛ぶって言ってたのもあったわ。絨毯の人もいたよ。あれ? 絨毯を飛ばすのは人じゃなかったっけ?」
「魔法で…空を飛ぶ。」
どんな原理だろうか―――アルベルトがそう考えていると、「でもね、飛行機があれば誰でも空を飛ぶことができたの。」とレティが言った。「空を飛ぶ乗り物がいくつかあってね、行こうと思えば月にだって行けたのよ。」そう言って、天井を指さした。
―――月。
アルベルトは何もない天井を見上げて、夜空にポツンと光るその存在を思い浮かべる。
―――なんて、世界だ。
魔法使いなんて大したことではないと思えるほどに、その世界は不思議に満ちている。
「そう思えば、携帯電話が杖みたいなものかもね。飛行機の予約も、わからないことを教えてくれるのも、遠くの人と連絡を取るのも、全部それ一つでできたんだから。」
そう言って、レティは得意げに笑った。携帯電話という杖をぜひ見てみたいものだと思い、レティにその絵を描いてもらったが、ただの厚い板のようだった。謎は、深まるばかりだ。
「二十一世紀にはプロペラを頭に付けて飛べるようになるはずだったんだけど、それはもう少し先だったみたい。」
そう言って、二つの丸で出来たような髭の生えた何かが、その携帯電話を持っているかのように描かれていく。丸い魔法陣を二つ組み合わせたような生き物が…
アルベルトは、はっと今の状況を思い出し、手を止める。
―――危ね。
集中しなければいけないのに違うことを考え始めてしまうのは、魔力が切れてきている証拠だ。魔力が、ごっそり減っているのを感じる。転移魔法陣の描写は、想像以上に魔力を必要とするらしい。しかも、今朝王都から転移魔法で帰って来たのだ。そこに地下室の片づけと、魔法陣の展開…今日はこれ以上やったら危ないかもしれない。アルベルトはそう考えて、杖を壁に立てかけた。
転移魔法陣が描きあがったのは、それから数日後のことだった。毎日、ただひたすらに魔力を込めた線を、あるべき場所に置いていく作業に、アルベルトは疲れ切っていた。しかし、出来上がったそれを見れば、努力が報われるというものだ。
描きあがった瞬間に、仄かな光を発したそれは、アルベルトの張った結界の中で、その存在感を示している。
試しに一度乗ってみようかと思ったが、もしダメだった時にこの疲れ切った体では帰ってこれなくなってしまうことに気が付いて、やめた。向こう側に魔術研究室の誰かがいるだろうか。そう思って、ジョン・ノア室長宛にメモを書く。杖に魔力を乗せ続けていたせいだろうか、なんとなくその字にも魔力が宿っている気がして、アルベルトは苦笑した。
そのメモを魔法陣の中心に置いてみる。すると、光が少しづつ強くなり、一瞬ふっと輝きを増した後、そのメモが消えた。
―――上手くいったか?
アルベルトは魔法陣が見える位置にあるソファに腰をかけ、返事が来ることを期待して、しばらく休むことにした。ドカッと音がするほどの勢いで、ソファに沈み込む。魔力切れを起こしてはいないが、それに近いものがあるとアルベルトは感じていた。魔法陣に取り掛かってからは、家に帰っても夕食を食べたらあっという間に睡魔が襲ってきて泥のように眠る―――そんな日々だった。レティにも心配をかけてしまっている。これで、少しはのんびりできるだろうか。そんなことを考えて、今もまた重たくなってきた瞼を両手で擦った。
―――お茶でも飲んで目を覚ますか。
アルベルトはそう独り言ちて、立ち上がり、自分の執務室に繋がる階段を上った。
アルベルトが手ずからお茶を淹れてソファに座りなおした頃、カツカツカツと階段を誰かが下りてくる音がした。上階の部屋のドアには鍵をかけていたはずだ。その中に入って来ることができる人物など一人しかいない。
ガチャっと音がして、地下室のドアが開く。
「どうだ?終わりそうか?」
入ってきたのは、ウィルフレッドだ。彼は目の前でうっすらと光る魔法陣に目をやり、そしてソファに座るアルベルトを見た。
「体は? 大丈夫か?」
「まあ、なんとかね。」
そう言って、アルベルトが肩を竦めると、ウィルフレッドはホッとした顔をして、「それなら良かった。」と微笑んだ。彼は毎日のようにここを訪れては、進捗状況とアルベルトの体調を確認していた。恐らく、一番の理由は後者だろう。魔力切れの辛さを知っている者として、アルベルトが倒れることだけは避けたかったに違いない。
うっすらと輝く美しいそれを、二人でしばらく眺めていた。「綺麗だな。」とウィルフレッドが言えば、「そうだな。」とアルベルトは答えた。
―――レティの元の世界の魔法も、こんなに美しかったのだろうか。一度見せてみたいものだ。
それには、今目の前にいる人物の許可がいるのだが。
「どうした?」
思わず、ウィルフレッドをじっと見ていたようだ。アルベルトが、ふっと笑って口を開きかけたとき、フワッと魔法陣の光が強くなった。すっと風が吹いた気がした。二人の視線が、そこにくぎ付けになる。
すると、魔法陣の真ん中に、音も無く大きな影が現れた。魔法陣の光に照らされてそこに立っていたのは、魔術研究室のジョン・ノア室長と、宰相筆頭補佐のダニー・ヒルだった。———なぜ、ここに二人が? しかも、抱き合うような形でその上にいる。四人の目が、驚きのあまり見開いている。驚き固まったままの四人を他所に、魔法陣の光は収まってくる。
「くっ、くくっ。」
あり得ない二人が抱き合っている姿に、アルベルトが思わず吹き出した。ウィルフレッドは困ったように笑って、「お前達、良い大人が何をしている。」と言った。ダニーとノア室長はお互いを見やると、恥ずかしそうに離れ、そのまま慌てて魔法陣を出る。そして礼の形を取り、「申し訳ありません。」と、どちらともなく頭を下げた。―――まさか、身分のある二人が試運転でやってくるとは。能動的に仕事をこなす二人らしいと思って、アルベルトは笑った。この人達が上司で良かったと、口には出さないが、そう思う。
「お久しぶりでございます、閣下。」と言ってノア室長が頭を下げた。
「閣下におかれましては、」「ああ、堅苦しい挨拶は要らない。」
ダニーの言葉をウィルフレッドが遮って、「で、どうだったんだ。乗り心地は。」と二人に水を向ける。「まわりが光ったと思ったら、もうこちらにいました。」と、室長がやや興奮気味に話す。「出来上がった瞬間は、それはそれは本当に美しくて。そこにいられたのは、一生の幸運でした。」と、ダニーは頬を染めた。まるで新しいオモチャに興奮する子供のようだな―――と、アルベルトは思うが、それを口に出す勇気は無い。
「しかし、どうやら魔力の無い者だけでは移動出来ないようなのです。」
ダニーが首を傾げながら、ひどく残念そうに言った。なんでも、アルベルトからのメモを受け取った後、宰相筆頭補佐という身分を笠に着て「自分が先に行く。」と魔法陣に乗ってはみたが、それは仄かに光るばかりで何の変化も起こらなかったらしい。これはもしかしたら何かミスがあるのかもしれないと、確認するためにノア室長がそこに乗った瞬間、二人揃って転移してしまったのだとダニーは説明した。そして、驚きのあまり抱き合ってしまった―――と、そういうことらしい。
「君のメモには魔力が込もっていましたから、こちらに届いたのでしょうね。」と、指先に挟んだメモを見せながら室長が笑う。「ずっと杖で線を描いていたせいで、ペンも杖のようになってしまったみたいで。」とアルベルトも笑った。「ということは、魔力のあるものを何か持っていれば、魔力が無くても転移できるかもしれないな。」とウィルフレッドが言う。「では、帰りはそのメモを私が持って魔法陣に乗ってみましょう。」と、ダニーがノア室長の指から嬉しそうにメモを抜き取った。
「まあ、せっかく来たことだし、お茶でもどうだ。」
ウィルフレッドが、二人を上階へと誘う。顔を見合わせた二人はにこやかに頷いて、彼の後について行った。アルベルトもその後に続く。魔法陣が仄かに光る部屋を出ると、そのドアを閉め、しっかりと鍵をかけた。
階段を上がりながら、せっかくだしお茶の後にでも魔王の封印場所を見に行きたいと室長が言う。「では、ご案内しましょう。」と、後ろについて階段を上るアルベルトがそう約束した。
上階には、ウィルフレッドの執事であるロンが待っていた。「応接室にお茶を用意してくれ。」とウィルフレッドが言えば、「かしこまりました。」と頭を下げてロンが部屋を出ていく。それについて行くように部屋を出た四人の元へ、間もなく最終報告書を携えて王宮に帰る予定であるルディが駆け寄ってきた。
最近よく見る景色だな―――と、考えながらアルベルトはそれを見ていた。ルディはここに居るはずのない二人に目を見張った後、気を取り直してウィルフレッドに向かい、頭を下げた。そして、「リズ様がいらっしゃいました。」と言った。
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