第21話 王都に行く理由

 ルディの先導で応接室に入ると、そこには二人掛けのソファに腰かけて、ゆったりとお茶を飲んでいる修道女姿のリズがいた。その堂々とした振る舞いに、アルベルトは思わず苦笑する。

 リズがこちらに気がついて立ち上がる。そして、「ダニーさんじゃない!」と王宮の宰相筆頭補佐であるダニーに向かって、笑顔で言った。

 ダニーの目は、驚きのあまり点になっている。その身分になってから、そんな風に呼ばれることなど、全くと言って良いほど無かっただろう。アルベルトは一気に血の気が引いた気がした。



「ぶふっ。」



 思わず吹き出したウィルフレッドが、ダニーに向かって「誰だかわかるか?」と聞く。ダニーはひどく困ったような顔をして考えているが、驚きでその思考は纏まらないようだ。ルディはその間に、そそくさと部屋を出て行ってしまった。ダニーはルディにとって直属の上司だ。触らぬ神に祟りなしといったところだろう。



「当てたら、何かご褒美をやらねばならないな。」



 ウィルフレッドが楽しそうに言って、ソファに座る。そして、空いているソファを指さし、それぞれ着席するように促した。室長も驚きのあまりリズから目を離せないまま、席に着く。



―――室長は、リズとは初対面か。



 アルベルトはそう考えて、今のリズの姿ではダニーにとっても初対面であることに苦笑した。



「転移魔法陣が完成した。」



 中身があの魔王を封印した聖女であることを二人に説明し終えたアルベルトが、リズに向かってそう言うと、「やった!これで王都に行けるわね。」と彼女は嬉しそうに手を叩いて言った。ダニーの目は、リズのその揺れるストロベリーブロンドの髪にくぎ付けになっている。唯一の共通点であるその珍しい髪色だけが、今のリズが聖女であることを証明しているかのようだ。



「お前、王都に何が目的で行くんだ?」



 理解が追い付かず固まっているダニーと室長をそのままにして、アルベルトは聞きたかったことをリズに向ける。



「それは当然、皇太子様とリズ・シュナイダーの結婚式イベントを見るためよ。」



 一同が固まった。こいつは何を言ってるんだ?———と、皆それぞれ思ったことだろう。

 皇太子殿下には、イザベラ様というリーベルス公爵家のご令嬢との婚約が既に為されている。イザベラ様は、ウィルフレッドがまだ皇太子だった時は彼の婚約者だったのだが、ウィルフレッドの廃嫡及び臣籍降下の際に二人の婚約解消が決まり、イザベラ様はそのまま次の皇太子となったエドワード殿下の婚約者に収まったという経緯がある。しかも、殿下はまだアカデミーの二回生だ。お二人の婚姻は、早くてもその卒業後である再来年になるだろう。



「お前の言う皇太子というのは、もしかして私の事か?」



 ウィルフレッドがリズに向かって、苦笑しながら言った。ああ、なるほど―――とアルベルトは納得する。ダニーと室長は狐につままれたような顔をしたまま、ずっと言葉を発せないでいる。



「…え?」



 そう言って、今度はリズが固まった。レティの言っていた通りかもしれない。シナリオが違っている今のこの世界は、新たなゲームの中でさえも、本来あるべき姿を為していないようだ。本来のシナリオでは今頃、ウィルフレッドと聖女の婚姻式が執り行われているはずだったということだろう。でも、実際はそんな予定は全く無いし、当のウィルフレッドはギュッターベルグ伯として王都から遠く離れたこの地にいる。



「じゃあ、裏ルートは完全に別ルートだったってこと? でもエンディングは一緒だったはず。ウィルは本当は向こうにいるはずなんだけど、どうしてこっちにいるんだっけ? イザベラ様は既に刑が科されているはずなのに、第二王子の婚約者になってるってこと?」



 ぶつぶつとリズによって紡がれる異世界語に紛れて、恐ろしい言葉も聞こえるが、もう今更だ。自分の思考に沈んでいくリズを無視して、ウィルフレッドがダニーと室長に視線を向ける。



「これから、このリズがそちらをウロウロするかもしれないが、対応をお願いしたい。」



 ウィルフレッドがそう言えば、少し戸惑った雰囲気を見せながらも、「承りました。」と二人の声が揃う。不思議な生き物を見るような目でリズを見ていた二人の意識が、やっとこれでこちらに戻ってきたようだった。


「転移魔法陣はどうやら必要無かったみたいだな。」とウィルフレッドが苦笑する。「…せっかく、作ったのに。」と、アルベルトが今までの苦労を思い出して、肩を落とす。「私たちが有意義に使わせていただきますよ。」と室長が言い、その言葉にダニーも頷いた。



「ねえ、今からレティに会いに行って良い?」



 リズが話の流れを物ともせずに、アルベルトに言った。



「レティに?」


「ちょっと色々確認したいの。」



 この後、室長を魔王の封印場所に案内しようと思っていたのだが。———と、アルベルトは考えて、ちらりと室長に目をやると、それに気が付いたダニーが、「場所なら私も存じておりますから。」と言った。




 結局、ウィルフレッドも同席したいということになり、レティをこちらに呼ぶことになった。

 ダニーとノア室長は、ルディに案内されて魔王の封印場所へと向かって行った。部屋を出ていくときの室長のウキウキとした態度は、先ほどの魔法陣の感想を述べる室長のそれと同じだった。約束を果たせず頭を下げたアルベルトに、室長は「疲れているのだから、少しゆっくりしてください。」と笑顔で言ってくれた。レティが到着するまでの間、少し休むと良いとウィルフレッドにも言われ、アルベルトは先ほどまでいた自分の部屋に戻っている。

 しかし、「転移魔法陣を見てみたい。」とリズが言ったため、結局ウィルフレッドとリズも一緒に部屋を移動してきてしまった。どうやって休めと言うのだと、アルベルトは心の中で頭を抱えたのは内緒だ。


 二人は今、部屋の地下にある部屋に、魔法陣を見に行った。アルベルトも一緒に階下に下りようとしたのだが、ウィルフレッドに静止され、今は執務室の入り口に鍵をかけた状態で二人掛けのソファに足を投げ出して横になっている。

 魔力の無いものは魔法陣が発動しないと、ダニーは言っていた。それならば転移に、それが少しだとしても、魔力を使うことは間違いないだろう。安易に利用しないように気を付けなければと考えている内に、アルベルトはどうやらウトウトと眠ってしまったようだった。




 王宮のバルコニーに、ウィルフレッドとリズ・シュナイダーが笑顔で並び立ち、沸きあがる民衆に手を振っている。群衆の波に押されながら、アルベルトはレティと繋いだ手に力を込めてその存在を確認し、幸せに満ち溢れた二人を見ていた。


―――晴れ渡った空に鐘の音が鳴り響き、祝砲が上がる。



「アルベルト。」



 レティが自分を呼ぶ声がする。アルベルトは、横に並び立つレティを見る。愛しいその人は、バルコニーに向かって繋いでいない方の手を夢中になって振っていた。



「アルベルト。」



 隣りの人からではないその声に、アルベルトは辺りを見回した。どこかから聞こえる、レティの声。



「アルベルト! 起きなさい!」



 驚いて、ガバっと身体を起こす。眠ってしまっていたらしいことにアルベルトは気が付いて両手で顔を擦り、その手で髪を簡単に整えた。おそらく、寝起きの目は真っ赤になっていることだろう。



「レティ、ごめん。寝てた。」



 アルベルトがまだはっきりしない口調でそう言うと、レティは微笑んで「最近、お疲れだったもんね。」と髪をなでてくれた。その手の優しさに、思わず目を瞑り身を委ねていると、「んっんん。」と咳払いをする音が聞こえる。そちらを見やれば、向かいに座ったウィルフレッドが、視線を反らしていた。その隣で、リズがニヤニヤと笑っている。そして、「リア充、爆発しろ。」と恐ろし気なことを言った。

「リア充は、リズもでしょ。」とレティが返す。そして、二人そろって楽しそうに笑う。子供同士の暗号のようだな―――と、アルベルトはまだ眠い目を擦った。



「すごいことに気が付いちゃったのよ。」と言って、リズが話始めたのは、まず本来あるべきこの世界についてだった。


「皇太子殿下と恋に落ちて、聖女に覚醒して、魔王を封印してハッピーエンドっていうのが本当のシナリオだったじゃない?」



 リズは元の世界に帰りたくなくて、皇太子殿下つまりはウィルフレッドと出会わないようにしていた。それが、実は裏ルートへの入り口だったのだと教えたのは、前世でこの世界から帰って来たリズに教わったレティだ。こちらにやってくる時間にずれがあったお陰で、この世界は救われた―――と言って良い。



「リズと皇太子殿下が出会わない裏ルートは、恋に落ちなかったんじゃないの? 裏ルートがこの新作の伏線だったって、私は踏んでたんだけど。」


「裏ルートでも、皇太子殿下は聖女と結婚したはずよ。イザベラ様は、聖女に怪我を負わせようとした罪で、幽閉だか修道院送りだかで王都にはいなかった…はず。」


「じゃあ、イザベラ様が…違う動きをしている?」


「そういえば、」と言って、ウィルフレッドが、二人の会話に割って入る。


「エドワードが異世界人の可能性もあるという話をこの前したな。」



 確かに、この前リズが来た時にそんな話をした。エドワードがわざわざこちらにやってくる、本当の理由とは。



「イザベラと私の婚約破棄騒動は、イザベラの発案によるものだった。」



 初めて知る事実に、アルベルトも目を見張る。レティは、当時あれほどレティ自身が大騒ぎした卒業パーティーでの婚約破棄騒動の原因を知り、期待に満ちた目を必死で隠そうとしているようだった。



「そして、おそらくそれをイザベラに勧めたのは、エドワードだ。」


「何か、思い当たる節があるの?」


「リズに魅了の魔法をかけられた時と同じような症状が、その時のイザベラにも出ていた。エドワードとイザベラが会って、そのすぐ後のことだったから、気になっていたんだ。」



 リズの質問に、ウィルフレッドが答えた。


———そうか。だからか。


 ウィルフレッドが婚約破棄について頑なに何も話さなかった理由をアルベルトは知った。



「魅了の魔法…。」


「やめろよ。ご法度なんだから。」



 妄想を掻き立てるような話にうっとりとしているレティに、アルベルトがツッコミを入れる。前にもしたような会話だなとアルベルトは考えながら、あの嘘くさい笑顔を浮かべるエドワード皇太子殿下を思い出していた。王宮で何度か会話したことはあるが、あまり関わりたくないというのが本音だ。



「とにかく一度、王都に行ってみるわ。」と、その辺に買い物でも行くかのような軽さでリズが言って、立ち上がった。「こっちよね。」と、転移魔法陣のある階下への階段を指差し、歩き出す。


「待て、待て、待て、待て。」


「なんでよ。」



 慌ててアルベルトがリズの服を掴んで引き留めると、リズが怒ったように振り向いた。



「転移するまでは良い。でもその先は、王宮の魔術研究室だ。見慣れない修道女が一人で歩いていたら、あっという間に捕まるぞ。こっちと違うんだから。」



 リズは前回この世界にやって来た時に、転移魔法陣を探してこのギュッターベルグ城内をうろついた前科がある。王宮の騎士は、さすがにそれを許さないだろう。ギュッターベルグ城でリズを見逃した警備兵たちは、アルベルトの指示により罰として訓練にうさぎ跳びが追加された。恥ずかしさとしての罰と訓練の両方を兼ね備えたそれを教えてくれたのは、レティだった。向こうの世界でそれを課してきた先生は鬼だと。…鬼とはこちらで言う魔物のことだとレティは言った。



「もう少し待っていれば、研究室の室長とダニーが魔王の封印場所から帰って来る。その時一緒に行ったらどうだ。」と、ウィルフレッドが提案する。「でもそしたら、帰るのが遅くなっちゃう。」リズはそう言って目を瞑る。瞼の裏に、何かが書いてあるかのように。たまに、リズがやる仕草だ。そして、「もうすぐ子供が帰って来るのよ。」と言ってもう一度ソファに腰を下ろした。



「何、それ。どんな仕組み?」



 レティがリズの顔を探るように覗き込む。明らかにその目は興味で溢れている。アルベルトはレティが暴走モードに入ってしまうのではないかと少し不安な気持ちでそれを見ていた。



「目を瞑るとゲームのメニュー画面が見える。」


「いや! ずるい! 私も見たい!」


「セーブもできる。」


「ステータスは?」


「見れる。」


「えええー! ステータスは、やっぱりシュン!って、目の前に出るやつでしょ。残念。じゃあ、呪文は?」


「この画面で唱えることはできないけど、その説明はある。」


「いやー!」



 リズが聞かれる度に、瞼を開閉する。レティは興奮して前のめりだ。目の前に、レティ憧れの「卒業パーティーで婚約破棄」を言い渡し、市中を賑わせた元皇太子殿下であらせられて、今ではこの地を一手に治めるギュッターベルグ伯がいても、いよいよその衝動を抑えられなくなったようである。



「タケル君も、このゲームやってるんでしょう?こっちに飛んじゃったりしないの?」


「それは私も心配したんだけど、大丈夫みたい。普通にイベントシーン見てたよ。ウィルとリズの結婚式を見せてもらったけど、最高に綺麗だった!」


「ずるい! 私も見たい!」



 そういえば、先ほど自分もそんな夢を見ていた気がするとアルベルトは思い出す。王宮のバルコニーで、幸せそうにウィルフレッドとシュナイダー嬢が手を振っていた。思わずウィルフレッドに目をやると、彼もアルベルトを見て、そして困ったように肩を竦めて笑った。結婚の「け」の字も無いのにな―――といったところだろうか。

 冬が終われば、あの婚約破棄から一年が経つ。彼は未だに婚約者を決めていないし、思う人もどうやらいないようだ。ウィルフレッドが憎からず思っていたであろう目の前に座る修道女には、向こうに旦那とタケルという名の子供がいるらしい。残念なことだとアルベルトは同情の目を向けた。魔王封印の功績を得て、有力貴族から大量の姿絵が送られてきているようではあるが、それに目を通しているのを見たことは一度も無い。



「タケル君は、十二歳と言っていたか。」


「そう、もう来年には中学生。」



 あまり聞きなれない名前だな―――とアルベルトは思う。向こうではそれが普通なのだろうか。レティの向こうでの名前はナオミだったと聞いた時も、同じように考えたことを思い出す。



「タケルって、確かすごい難しい漢字だったよね。」


「武士の武に、尊敬の尊だもん、難しくはないよ。読みにくだけで。」


日本武尊ヤマトタケルノミコトのタケルかぁ。格好いいよね。」



 いつもとは違う、随分と固い異世界語だった。



「とにかくまあ一度、帰るわ。」



 そう言って、再びリズが立ち上がる。



「そのエドワード様とやらは、いつこっちに来る予定なの?」


「隣国を訪問した帰りに寄る形だからな、まだ先だと思うぞ。」



 ウィルフレッドの答えに、リズが何かを考えているようだった。

 それが、「皇太子殿下との再会」なのか、「ギュッターベルグ伯との出会い」なのか、ここまで捻じれてしまっていては、答えがあるのかもわからない。それでもここは現実で、前に進まなければならない。



「わかったわ。じゃあ、また来るね。」


「あ、私、送って来る。」



 レティは、急に思いついたように立ち上がり、ウィルフレッドに辞去の挨拶をする。ウィルフレッドはにこやかに笑って、それを許した。

 二人が並んで部屋を出ていく。ドアがまだ閉まらない内に、「ええー? マジで?」というレティの声が響いて、「ぶふっ。」とウィルフレッドが噴き出した。前にも見たような風景だ。帰ったら、「お喋りはドアが閉まってから。」とレティに注意しようとアルベルトは決めた。









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