第22話 利用許可証
「封印の魔法は、落ち着いているように見えましたがね。それでも魔王の封印が解けるというのなら、事故か、それとも…人為的な何か―――か。」
ダニーが顎に手を当て、やや考えるようにしながらそう言った。
リズとレティが帰ってしばらくしてから、ダニーとノア室長が魔王の封印場所から連れだって帰って来た。ダニーにとっては、封印後の調査の陣頭指揮をとっていたため数か月ぶりとなる場所であったが、室長にとっては魔王復活の前に一度だけ修道院跡地に入ったことがあっただけで、その頃はまだ魔王の封印場所が特定できていなかった。つまり、そこに入ったのは今回が初めてとなる。
魔王がいるであろう「牢獄」と呼ばれる空間魔法が施された仄かに黒く光る石と、その周りに何重にも施された結界は、特にこれと言って変わった様子は無いと、二人は口を揃えて報告した。先日、アルベルトが確認に行った時も、二人と同じ感想だった。
「しかし、素晴らしい結界でしたね。」
室長はそう言って、アルベルトに笑顔を向けた。結界を張ったのはアルベルトだ。子供の頃から室長は、そうやってアルベルトを褒めて甘やかしてくれる。
「ありがとうございます。」
アルベルトは、照れながら室長にお礼を言う。顔もきっと赤くなっていることだろう。魔力関係については、彼に褒められるのが何よりも嬉しいに決まっているのだ。
「聖女が復活したということは、魔王の復活があると考えていた方が良いだろう。戻って来たリズが言うのだから、信憑性は高いと言わざるを得ない。」
黙って二人からの報告を聞いていたウィルフレッドが腕を組み、皆に向かって話す。そして、ダニーと室長にリズが戻って来た経緯と、異世界とこちらを行き来している状況、そしてこれから王宮とこちらをも行き来するかもしれないということを伝えて、これから起こるであろう魔王復活に備えて協力をお願いした。王宮を支える現場のツートップだ。悪いようにはならないはずだ。
「今後、リズから情報がもたらされ次第、二人にも伝える。」
この世界は、何らかの理由で本当のシナリオからそれてしまっている。リズが原因なのか、エドワードが原因なのか、それともそれ以外の何か―――か。リズからの情報がそのまま当てはまるかどうかもわからないので、こちらでも色々と対策を施さねばならない。
「今、すぐにでもできる何らかの対策はあるか。」
ウィルフレッドが二人に水を向ければ、「修道院跡地の警備は少し増やした方が良いかもしれませんね。」と、ダニーが言った。
「修道院の周りには、伝説の場所を一目見ようという観光客も結構いるので、増員したところで、誰も怪しまないでしょう。隣国との協定も結ばれたことですし、国境の警備に当たっている人間を、少しこちらにまわすよう要請しておきます。」
ダニーの提案に、ウィルフレッドが静かに頷いた。次に、室長が続ける。
「封印場所の傍には、魔力検知の特異な魔術師を置いたらいかがですか。アルベルト君が作ってくれた転移魔法陣は魔術研究室に繋がっているのですから、研究と称して数名派遣することは可能です。」
二人からもたらされる警備の強化案はどれも具体的で、すぐにでも実行に起こせるものだ。ウィルフレッドは納得の表情で頷く。
「あわよくば、封印場所の近くにも転移魔法陣が欲しいものですね。」
室長がそう言うと、三人が揃ってアルベルトを見る。今日、やっとの思いで描き終わったばかりだ。魔力もまだ少ししか回復していない。アルベルトは、自分の身体が急に重たくなったように感じたが、嫌とは言えないのは雇われの身であるが故、仕方の無いことだ。
「わかりました。すぐにでも。」
それぞれの転移魔法陣にその名前を組み込めば、好きな方に移動できるようになるだろう。魔術研究室から封印場所へ飛べるようになれば、研究も一層進む。今後のためにも必要なことだ。アルベルトは納得して、まずは魔力を回復させることだなと考えた。
「では、警備の方はダニーに一任する。ただし、責任者は今まで警備に当たっているものの中から、推薦で決める。研究者の派遣はノア室長の推薦する者で。数名が交代で滞在出来るように、修道院を一部改装する。これはこちらでやる。」
「警備兵の宿舎も欲しいですね。」
「そうなると馬房もいるか。」
「修道院周辺は魔物も少なからず出ますので、できれば回復魔法を使えるものや医療関係者も欲しいですね。」
「医療関係者は、こちらから数名推薦できます。」
「回復魔法を使えるものは王宮側でも足りないぐらいなので、回復ポーションの作成の方向で進めましょうか。薬用植物の研究班を一度こちらに派遣しましょう。王都とは違う植生ですから、新しい薬草が見つかるかもしれませんし。」
ダニーは続々と並べられていく必要なもの、そして足らないものをメモしていく。心強いものだと、アルベルトは他人事のようにそれらを聞いていた。
「では、それで。」
ウィルフレッドが一言でまとめると、二人は揃って「畏まりました。」と頭を下げた。「アルベルトも、頼んだぞ。」とウィルフレッドは力強く言って、「くれぐれも魔力切れだけは起こしてくれるな。」と付け足した。「畏まりました。」とアルベルトも頭を下げた。
ダニーと室長が転移魔法陣に乗って、光の中に姿を消したのを確認したアルベルトが、その階上に戻った頃には、部屋がオレンジ色に染まるほどに日が傾いていた。「もう、帰れよ。」という言葉を残し、自分の執務室へと戻るウィルフレッドを見送って、アルベルトは上着を探す。ウィルフレッドの執務室から取り戻してきたそれを羽織って帰り支度をすると、そのまま部屋を出た。扉に鍵をかけ、廊下を歩く。カツカツカツという聞きなれた音をさせたまま、城の関係者用の出入り口へと向かって行った。
「お疲れさまでした。」
途中で声をかけてきたのは、王宮の文官であるルディ・ドリオだ。
「先ほど、宰相筆頭補佐から命をうけ、修道院跡地の改築とその警備の増強を任されました。」
そう、彼は告げて「よろしくお願いします。」と頭を下げた。「こちらこそよろしくお願いします。」とアルベルトも頭を下げて、仕事が早すぎる―――と、先ほどまで横にいた、見た目だけは優しそうな男———ダニー・ヒル宰相筆頭補佐を思い出していた。そんなアルベルトの思考とは関係無く「つきましては、私にも魔法陣の使用許可をいただけたらと思いまして。」とルディは申し訳なさそうな顔で言った。
―――ああ、それが本題か。
アルベルトは納得して、「もちろんです。」と答えた。そして、使用許可証的な物があると良いかもしれないと気が付いた。
―――これは、急いだほうが良いな。明日には取り掛かろう。
アルベルトはそう考えて、また仕事が増えたことに心の中で肩を落とす。そして、ふと気が付いた。
「そう言えば、ドリオ様は間もなく最終調査報告を終えて、王都に帰られるはずだったのでは?」
「それが…、その件は保留になりました。」
―――ああ、なんて世知辛い。
宰相補佐室の仕事に比べれば、自分の労働量なんて可愛いものだなと、アルベルトはルディに同情する。
「それは、…残念でしたね。」
しかしルディはきりっと背筋を伸ばし、「それでも、フィッシャー卿のお陰で王都には帰ることができそうですから。」と言った。―――ああ、そうか。転移魔法陣は彼のような人のために作ったのだと思えば、苦労も報われるというものだ。彼らの負担が少しでも軽減されれば良い。アルベルトはそう考えて、ルディに笑顔を向けた。ルディは、笑顔で先ほどから何度も頷いている。———自分だって、これで王都へのお使いが減るはずだ。思えば、良いこと尽くしではないか。そう考えるとこの疲れも心地良いものだなとアルベルトは思う。そして、後はやはり、悪用されないように手を尽くすことだと気を引き締めた。
「分かりました。大至急、使用許可証を作成し、早めにお使いいただけるように努力します。」とアルベルトが言えば、ルディは心からホッとしたような顔になり、「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と頭を下げた。
◆
「疲れた。」
そう言って、アルベルトはベッドに飛び込んだ。転移魔法を使うほどの魔力も残っておらず、いつも通り馬車での帰宅になった。玄関扉をくぐれば、レティが心配そうな顔で待っていてくれる。それだけで少し疲れが消える気がするのだから不思議なものだ。
「レティには魔力が無いけど、異世界の電力だったか?…みたいなものが流れていて、自分を癒してくれているのかもしれないな。」
夕食も風呂も済ませたアルベルトが、ベッドに寝っ転がったまま先ほど玄関で思ったことをそのままレティに伝えると、レティはアルベルトの隣にギシッという音をさせて座り、「私は電気治療器か。」と笑った。アルベルトは、ずりずりと身体をずらしてレティの膝の上に自分の頭をのせる。柔らくて、暖かくて、力が抜けていくのがわかる。
「そんなものがあるのか?」
「あるよ。傷とか病気とかを治すようなものでは無いけど、疲れをとったりリハビリに使ったり。」
そう言って、レティは膝の上にあるアルベルトの髪をなで始めた。
———なんでこの黒を嫌がらないんだろうな。
いつものように不思議に思いながら、その指の優しさに目を閉じる。すぐにでも眠ってしまいそうだったが、今日はレティに報告したいことがいっぱいあるのだ。アルベルトは今にも閉じてしまいそうになる瞼を擦って、目を開けた。
「転移魔法陣、レティにも見せたかったな。」
レティは異世界人とはいえ、一般人だ。夫婦だからと言って、おいそれと機密事項を見せられるものでは無いことぐらいアルベルトにもわかっている。レティもそれをわかってくれていて、「ずるい。」とか「良いなぁ。」と羨ましがることは口にしても、しつこく強請ってくるようなことは無い。
「それでね、使用許可証を作ろうと思うんだ。」
「免許証みたいな?」
「免許証?」
「向こうでは、車…って、えっと、馬じゃなくて電気とかガソリンとかで動く馬車を運転するのに、その許可がいるの。それが免許証。その人の顔写真がついていて、他の人には使えないようになっているの。身分証明書にもなって便利だったのよ。会社のIDカードも同じ感じだったけど、そんなに便利じゃ無かったなー。いつも首から下げてなきゃいけなくて、梅雨時はかゆくて。」
異世界語が一気に増えて、理解がおいつかなくなるが、それでも「他の人には使えないための仕組みが施されている。」ということは分かる。
「それが無いと運転できないのか。」
「無免許運転は罪だからね。」
どうやら、法律で決まっているということらしい。
―――なるほど、法改正も必要か? それとも、魔法陣自体にそういった仕組みを組み込むか。
「ただなぁ、魔力が無いと転移できないのがちょっとだけ問題なんだ。」と、ダニー達が抱き合ってやって来た経緯をアルベルトが思い出していると、「じゃあ、その免許証に魔力を込めるとか、出来ないの?」とレティが言った。
―――出来る。
ぽんぽんぽんぽんと、いい案が出てくるのは流石だ。「いつも、助かっております。」と笑顔を向けて上にあるその頬に手を伸ばせば、「どういたしまして。」とその手を取って、自らの頬に当てて笑ってくれた。そして―――。
「おやすみ。」
レティが微笑むと、眠りの呪文を唱えたられたかのように、アルベルトはあっという間に眠ってしまったのだった。
◆
自らが張った結界に足を踏み入れ、緻密に描かれたそれに足を乗せる。常に仄かな光を放っているそれが一瞬強く光ったかと思うと、アルベルトの姿はもうそこに無かった。
アルベルトは、自らが描いた転移魔法陣で、馬を走らせたとしても二、三日はかかる王宮へと、瞬く間に移動した。初めての経験だったが、特にこれと言って何かが変わったという事は無い。ただ眩しい光に目を奪われている内に、景色が変わっていた―――そんな感じだ。移動には魔力を使っているはずだが、アルベルトにとっては大した量では無いのか、それについてはあまり感じられなかった。
王宮の魔術研究室に設置された転移魔法陣を出て、そのまわりに張られた結界を確認する。どうやら、上手く作動しているようだ。アルベルトはホッとして、肩から力を抜いた。「おはようございます。」という声がして、アルベルトがそちらの方向に目をやると、ジョン・ノア室長が階段を下りてきているところだった。「音がしたので、もしかしたらと思いまして。乗り心地はいかがでしたか?」と室長が笑う。
「思ったよりも良いものですね。魔力を持っていかれたり、酔ったりなんてことも想定してはいたのですが。」
アルベルトはそう答えて、その場所に似つかわしくない、魔法陣の脇にある長椅子に置かれた毛布に目をやった。「あれも、もう必要ないですね。」と室長が笑い、「こちらで片づけさせましょう。」と言って、その毛布を手に持ち階段の方へ向かう。アルベルトは、一度恥ずかしそうに頭を掻くと、その後について階段を上った。
アルベルトが王都側の魔法陣を描く際、ギュッターベルグから転移をしてきてからそれを描いたのでは魔力の消耗が激しいため、早く終わらせるためにもこちらに寝泊まりをしていたのだった。王都にある実家に帰るのも億劫で、その長椅子をベッド代わりにしていたのだが、それはこの研究室に入ってからはよくあることだったので、その長椅子はほぼアルベルト専用となっていたと言っても良い。アルベルトがそこに寝泊まりしていることは、研究室の誰もが知っていることでもあり、アルベルトももう今更何も考えず、そこを
それが室長によって撤去されてしまったことは、これからはしっかり家に帰って休むようにという彼の気遣いでもあるのだろう。
室長の後に続いて地下を出る。朝日が差し込むそこは、通い慣れた魔術研究室だ。「お茶をしていく時間はありますか?」と、室長が聞く。「相談させていただきたいことがあるので、ご一緒させていただけると有難いです。」とアルベルトが答えれば、室長自らお茶を淹れてくれた。
「使用許可証ですか。」
室長が、手ずから淹れたお茶の入ったカップを手に持ったまま、アルベルトを見た。
「転移魔法陣を誰でも使えるという状況はあまり良くないと思うので、その許可証を持つ者だけが利用できる形にしたいと考えています。許可書には本人以外使えないように設定して、ついでにその許可証に魔力を乗せておけば、宰相筆頭補佐様のような魔力の無い方にも気兼ねなくお使いいただけると思いまして。」
室長は、アルベルトの言葉に「なるほど。」と頷きながら、手に持っていたカップをソーサーに置いた。
「という事は、石ですか?」
「石、ですね。」
それだけ複雑な設定を施すためには、どうしても魔力を込めやすい石が必要になってくる。その人の血を設定に組み込む契血設定もしたい。そうなると、やはり安定感のある石が最も適しているのだ。もちろんただの石では無い。この地が何十年何百年という時をかけて作り出した、宝とも言える石だ。魔王が封じられている石も、それの最も強力なものと言って良い。今回のものは、それほど大きなものである必要は無いが、それなりのものではあってほしい。レティの世界は固い紙のようなものにそう言った情報を入れられるのだというのだから、どういった仕組みになっているのかぜひ見たいものだとアルベルトは思う。
「形は、紛失や盗難を防ぐためにブレスレットにしようかと思っています。」と言って、アルベルトはそのイメージを室長に伝える。その石を嵌め込める物と言えば、ネックレスか指輪か、ブレスレットといったところだろう。バングルのような形であれば、無くなることもほとんど無いはずだ。
「わかりました。今すぐにでも用意させましょう。」
室長はそう言って、テーブルの上に置かれたベルを鳴らした。ノックする音と共にドアが開いて、研究員の一人が入って来る。室長が指示を出す。石のレベル、ブレスレットの形、具体的なイメージを伝え終わると、その研究員は一礼してすぐに出て行った。
「用意が出来るまで待ちますか?」
室長の問いかけにアルベルトは首を振って、まずはこの地下にある魔法陣に早速そういった設定を施してしまう旨を伝えた。やらなければいけないことは山ほどあるのだ。それが何のためだったのか、本来の目的を忘れがちになってしまうのだが、それでもこの世界を守ることに繋がるのだと信じて、やれることをやるしかない。
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