第4話 レティのお見合い

 ~魔王復活まであと三ヶ月~



 レティは、一枚の姿絵を手に固まっていた。


 商会の担当官であるロッセリーニと同じ王宮の文官の服を着た、見目の良い優しそうな青年が、そこには描かれていた。

 

 そういえば小学校の頃、大好きなアニメキャラの画像を下敷きに挟んでいたなとレティは思い出す。


 

(アイドルのキラキラしい写真を挟んでいる子が多かったな~。私は、先生と呼ばれる猫のキャラだったけど。)



 レティは、姿絵が見えなくなるようにその表紙を閉じる。閉じられた時のパタンという音に、その紙の物の良さに感心して、再びその表紙を開いた。



(あの笑っているようで笑っていない目が大好きだったんだよね~。目、瞑って描けるぐらい練習したし。)


 

 姿絵の青年は笑顔ではないが、それでも優しそうな表情で描かれてはいる。そこにあの猫のような嘘くささは感じない。レティは再びパタンという音をさせて、その表紙を閉じた。


(あの、真ん中に紙を挟めるようになっている下敷き、今でも売っているのかな?)


 

 今ではもう遠い世界に現実逃避しながら、思いを巡らせる。右手に感じてしまう、この妙にしっかりとした紙。逸らしていた目を、手元に再び戻す。

 


(ええ、ええ、わかっていますとも。これは、現実逃避。)

 


 夕食の前、「レティ、ちょっと。」と父親であるレオナルドに執務室に呼び出され、「はい」と手紙でも渡すかのような気軽さで渡されたのだ。

 


「昼間、ロッセリーニ様が商談にいらっしゃったんだけど。その時に、レティにどうかと持って来たんだ―――けどね。」

 


 レティは、まさかという気持ちで、渡された姿絵の表紙とレオナルドの顔を交互に見つめた。

 


「訳あって、何人かに打診しているから、会うか会わないかは早めに決めてもらえると助かるって。」

 


(あれ? 私、今、いくつだっけ? もう、そんな歳だったっけ。)


 

「お見合い…写真?」と、レティが独り言のように呟くと、「まあ、そういうことだね。」と、レオナルドは事も無げに答えた。

 


 まさか、お見合いの話が自分にやってくるとは!

 

 青天の霹靂。


 寝耳に水。


 藪から棒。

 


 レティには、2つ離れた兄のロベルトがいる。彼は、何年後かはわからないが、いつかはこのブラン商会を継ぐための勉強として、今は取引先の国を転々としている。だからそう、レティはいつかは嫁に行かねばならない。貴族のような思惑満載の政略結婚は無いだろうと思ってはいたが、商売を有利にするための結婚はあるかもしれないなと、そう覚悟していた…気はする。


 姿絵の彼は貴族だが、ほぼ末端である男爵家の三男坊。長男が家を継ぐため、王宮に文官として出仕しているとのことだ。ブラン商会にとって、悪い話では無いだろう。もしかしたら、貴族との繋がりがまだまだ薄いブラン商会にとっては、願ってもない縁談なのかもしれない。

 


「というわけで、よく考えて。早めに返事をね。」

 


 それだけ言って、レオナルドは執務室を出て行ってしまった。判断はレティに任せる―――ということのようだと、レティは気づく。レオナルドのそれは、「親心」ということか。

 

 レティは、頭の中が混線状態のまま夕食を終え、部屋に戻った。夕食の最中、レオナルドは全くその件に触れてこなかったのだが、どう思っているのかぐらい聞いた方が良かっただろうかと、部屋に戻ってから思いついたが…時に既に遅しだ。

 


(でもな~。)


 

 ベッドにどさっと倒れ込んで、右手に姿絵を持ったまま大の字になる。結婚なんて、まだまだ先だと思っていた。人様の婚約破棄騒動にワクワクしている場合じゃ無くなってしまったようだ。しかも、———いよいよ転生者としての意味がわからなくなっていく。

 


(もともと異世界に転生したことに意味なんてないのかもしれないと、薄々感じてはいたけどさ!)


 

 前世では、独身&彼氏無しだった。それでも、それなりに楽しい日々を送っていた。SNSでは、高校時代の同級生達がそれはそれは幸せそうに家族との写真をUPしていたけれども、どうにも自分には関係の無い世界に感じていたのだ。結婚は人生の墓場だと言った誰かの言葉を鵜呑みにしていたわけではないけれど、結婚に意味を見いだせなかったことも事実だ。

 


(結婚の意味とは?)

 


 これからの人生において支え合う存在を作ること。


 家を繋ぐこと。


 子供。

 


 どれもこれもピンとこないのは、やはりどこかで誰かと愛し合い、育む、そんな結婚に憧れているからかもしれない。

 


(そういえば…。)



 子供の頃、「大人になって誰も結婚してくれそうな相手がいなかったら結婚してやる。」ってアルベルトに言われたっけ―――そんなことを思い出して、レティは「はぁ。」と溜息をついた。

 


「…なんて、失礼な奴だ。」

 


 数日前、レオナルドのお使いで再びフィッシャー商会に行ってきたが、やはりアルベルトはいなかった。アルベルトの父親であるトニーおじさんによると、最近はほぼ泊まり込みで働いているらしい。たまに着替えを取りに来て、そのまままた仕事に戻ったりしているとかで、トニーおじさんもアルベルトの体調を心配しているようだった。

 


(何をやってるのよ、もう。 )



 あまりに長いこと会わなすぎて、顔も忘れそうだ。———いや、忘れないけど。

 


「お陰様で、婚約者ができてしまいそうですよ!」

 


 思ったよりも大きな声が出て、レティは「ふん!」と鼻で笑った。

 

 


◆   


 それから、二日後。レティはその日もお使いを頼まれて、王都の中でも一番賑わっている商業地区に来ていた。川に沿って歩いていけば、間もなく目的地が見えてくる。相も変わらず頼まれたお使いの先は、フィッシャー商会である。その玄関の前では、ちょうど商会長のトニーがいくらでも荷物を運べそうな屈強な男達に厳しい顔つきで何か指示を出していた。

 


「トニーおじさーん。おはよーございまーす。」

 


 レティは頭の上で大きく手を振って声をかけたが、トニーだけでなくその男達までもが一斉にレティを見たことで、結構大きな声だったかも…と、ちょっとだけ顔を赤くした。



「おお、レティちゃん。いらっしゃい。ちょっと、中で待っててくれるかい?」

 


 トニーおじさんは玄関を指差してそう言うと、「いくぞ。」と男達に一声かけて、全員を引き連れ港の方に歩いて行った。


———玄関前のおじさんと通用口のおじさんは、やはり絶対に別人だ。


 男達の背中で完全に隠れてしまったトニーを見送りながら、「まるで壁のようだ」と思う。言われたとおり待つしかないので、レティは玄関から商会の中へと足を進めた。

 


「こんにちは~。」

 


 玄関には誰もいないようだったが、挨拶してみれば脇の応接室の扉から見知った顔がひょっこりと顔を出した。



「レティじゃないか! 久しぶりだなぁ。」



 そう、声をかけてきたのは、アルベルトの兄、ヘルマンだ。フィッシャー家の長男であり、商会の跡取りでもあるヘルマンは、アルベルトと同じ顔の形をしているというのに、この世界にありがちな金髪に碧眼だった。

 アルベルトの似顔絵を塗り絵みたいにして、何も知らない子に塗らせたらこうなるんだろうな。———レティはそんなことを思いながら、「ヘルマン、久しぶり。アルは?」と聞いた。


 ヘルマンも、レティにとっては幼なじみだ。ヘルマンは、子供の時にレティやアルベルトに悪さを教えた師匠の一人でもある。もう一人はもちろん、レティの兄ロベルトだ。


 

「アルは仕事。もうしばらく顔も見てないよ。」



ヘルマンは、肩を竦めて言った。一緒に住んでいる兄弟でさえ、顔を見ていないというのだ。レティが会えるはずがない。「なんだ~。」とつまらなそうな顔をすれば、「何か用事でもあった?」とヘルマンが聞いてくる。「別にこれといって無いんだけどさ~。」レティがそう答えたとき、玄関からトニーおじさんが帰ってきた。

 

「お待たせ。」と言いながら、二人のところに近づいてきて「ありがとね。」とその手を出す。書類を待っているのだとわかって、レティはその上に封筒をのせた。「いつもお使い、ありがとね。」と笑うので、「どういたしまして。」とレティも笑った。


「で、レティちゃん?」と、トニーおじさんが前のめりになる。その目は、興味深々でありながら、少しの焦りを含んでいるようにも感じられた。

 


「お見合いするんだって?」

 


(ど、どこからその話を! それ、まだ、一昨日のことだし!まだお見合いするなんて言ってないし!)

 


「いや、それは、」と口ごもるレティに、「何それ? レティ、お見合いすんの?」とヘルマンが食いついてくる。焦ったレティは、顏の前で両手を振りながら、「しないよ! お見合いの話が来ただけ!」と思わず答えてしまった。

 本当は、まだ会うか会わないかの返答すらしていないのだ。レオナルドが催促して来ないのを良いことに、このまま見て見ぬフリ出来るのではと、馬鹿なことさえ考えていた。


 

「そうなの? 良かった~。」



 そう言って、トニーおじさんはお客様が待てるようにおいてある長椅子にどすっと腰掛けると、「レティちゃんは僕の義娘になってくれるものだとばかり思っていたから、話を聞いたとき信じられなくて。」と、———それこそ信じられないことを言った。

 


(は? 義娘? 養子縁組か?)


(いや、さすがに本当の意味はわかってますけどね!)


 

 レティは口をパクパクするが、うまく言葉を発せないでいると、「昨日、アルベルトがちょうど着替えを取りに帰ってきてたから、知ってるか~って聞いてみたんだけど、あいつもすごい驚いてたよ。」と、トニーおじさんが笑って言った。

 


(そりゃ驚くでしょうよ。)



「大人になって誰も結婚してくれそうな相手がいなかったら結婚してやる」って、言ってたような奴だ。そんな私にもいよいよ縁談ですよ~売れ残るのはあなたの方じゃないですか~と、レティは心の中でアルベルトに悪態をつく。なぜか火照った頬に、手でパタパタと風を送ってみたが、効果は無く。動悸が、煩い。

 

「あいつ帰ってたんだ?」

「昨日、昼頃ばたばた帰ってきてまたすぐ出てったよ。」


 レティの様子を気にする風でも無くヘルマンと家族の会話をしていたトニーおじさんは、その後レティの方を見て、「で、アルベルトから伝言なんだけど。」と言った。

 




 フィッシャー商会を辞して、川沿いをそのまま歩く。今日は荷物が届かなかったのか、船は観光客を乗せていて、道は人も疎らで歩きやすかった。

 


(今日は、どんな物語の本を買おうか。)

 


 レティが買った本は、それを読み終えると次はアルベルトの番というのが、いつの間にやら二人の暗黙の了解のようになっていた。ありきたりな冒険物語は当然としても、女の子が夢見るような恋愛小説でさえ、アルベルトは借りていく。そして次会った時、答え合わせをするかのように感想を話し合うのだ。


 

(もう、本を読むような時間は無いんだろうな。)


 

 いつの間にか、逞しくなってしまったアルベルト。くりくりだった黒目は、キリッと大人の目になって、今やレティのだいぶ上にある。



(子供の時は、私の方がいつも少しだけ大きくて、会うたび背比べしていたっけ。人一倍負けず嫌いなやつだった。うん。)

 


 小さい頃のアルベルトを思い出しながら、レティはさっきトニーおじさんに言われたアルベルトからの伝言を思い出す。

 


―――出来れば、仕事が落ち着くまで待っていてほしい。

 


(何を? お見合いする事を? アルベルトを?)



 少しだけ言葉が足りないのは、相変わらずだ。こんなに長いこと会えていないけど、アルベルトは変わっていない。レティだって、一応女の子だ。そこまで鈍感ではない。ただ、気がつかないフリをしていただけだ。それはきっと、アルベルトも同じ。


 

―――居心地の良い時間を、ただ大事にしていただけ。


―――それを壊したくなかったし、壊す必要が無かっただけ。


 

 それだけお互い大人になってしまったんだな~と、レティはため息をついて、いつもの本屋の前で立ち止まる。そして結局、中には入らずに家路についたのだった。

 


 


 

 

 

 

 

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