第5話 【宰相補佐】ダニー・ヒル

 ~魔王復活の3年前~



 その話は、荒唐無稽というにはあまりに具体的で、根拠が無いとは言い切れないような何か得体の知れない「予言」のようだった。

  


 二年半ほど前のある日、ダニーは知り合いである男爵に頼まれて、娘さんが見たという夢の話を聞きに来ていた。当初、男爵から直々に頼まれたときは、「娘の夢!?」と男爵の人間性を疑ったものだが、アカデミーで突如起きたあの事件に遭遇した令嬢が、その後しばらくの間臥せったかと思えば、急にそれを語り出したのだと涙ながらに言われれば、興味を持たざるを得ない。  

 今、ダニーが任されているのは、アカデミーに降りたったワイバーンの出所の調査と、周辺状況の確認だったからだ。もしかしたら、現場で何かを見たのかもしれない―――と、何らかの情報を期待しつつ向かった男爵家。そこで、ダニーが案内されたのは、まさかのご令嬢の寝室だった。


 未婚の男女ということで一瞬怯んだダニーだったが、男爵も同席してくれるとのことで入室させてもらうことにした。中はナイトウェアなのだろうか、肩から上着を掛けて前を手で押さえている令嬢は、枕を背にヘッドボードに寄りかかっていたが、明らかに顔色が悪く、時折何かに怯えて唇を奮わせる。

  


「こんにちは。王宮で文官をしております、ダニー・ヒルです。」



 体調が心配ではあるが、頼まれたのはこちら側だ―――と、そう思い直して、仕事用の笑顔で挨拶をすれば、彼女は一瞬こちらを見たかと思ったのだが、虚ろな目をしたまますぐに逸らしてしまう。



 ストロベリーブロンドの髪が———揺れた。

 

 そして、言ったのだ。ひどく小さい声で。

 

それでも、その言葉は妙にはっきりとダニーには聞こえた。


 

「魔王が、復活します。」———と。 

 


 最初は、こんなまだ幼さの残る女の子が何を言っているのかと思ったが、そこには耳を傾けずにはいられない何かがあった。声が直接、脳に語り掛けてくるような、そんな錯覚。


 

「…最北端の地に、魔王が封印されています。


…その封印がされたのは、二百年と少し前のこと…。」


 

 彼女が小さく口を動かす度に、ストロベリーブロンドの髪が静かに揺れる。耳から零れた髪先がその口元に張り付いて、ダニーはそれから目を離せないでいた。


 

「…封印を施した聖女の魔力は、その死後徐々に弱まり、


…あと数年の内に


…正しくは、約三年後に崩れます。」


 

 彼女は、一体…何を言っている?


 一体、何を知っている?



 横目で、彼女の父親が顔を覆っているのが見えた。しかしなぜか、彼女から目を逸らすことができない。ダニーは、自分が震えていることに気がつき、自らの手を包み込むように膝の上で手を重ねた。


 

「…二百年経った今、封印は直ぐにでも


…新たに、施されなければなりません。」


 

 ゆっくりと、囁かれるように紡がれる言葉を、ダニーは胸座を掴まれるかのような気持ちで聞いていた。ひどく息苦しい。しかし、逃げられない。逃げては…いけない。

 


 三年後。


 最北端の地。


 魔王の封印。


―――そして…?


 

 頬に張り付いたストロベリーブロンドの髪を、指先で耳にかけ戻しながら、目線をダニーに向けた彼女は、「私に聞いたという事は…、誰にも言わないでください。」と懇願するように言った。

 

そして、


―――「お願いしますね。。」と、静かに笑みを浮かべ、ダニーの視線をその空色の瞳で受け止めて、丁寧にそう言ったのだった。




 

 ダニーはその後、どう帰ってきたのか憶えていない。ひどい顔色に息切れだったと同じ部署の人間が言うのだから、おそらく逃げるように帰ってきたのだろう。

 


 三年後。


 最北端の地。


 魔王の封印。

 


 …?

 


 ダニーは彼女の言葉の一つ一つを丁寧に書き写し、何かに追われるように調べ始めた。


―――何かを忘れている気がする。


 何かが引っかかっているのに、それが何かわからない。心臓を掴まれているような、息苦しさを感じる。


 そんな焦燥感に駆られながら、王宮のそれらしき文献を全て調べ、魔術研究室の人間も引き入れて、まだ噂でしかない情報も見逃さず精査していった。


 最北端の地、ギュッターベルグ。


 ダニーは、山々に囲まれる険しいその地に足を運び、近隣の住民や、そこを通る商人たちからも情報を得る。

 

 家畜の不審死。


 住民たちの不安の声。


 そして、———違和感の残る修道院の跡地。

 


 彼女の言葉が、少しずつ、少しずつ―——、でも確実に現実味を帯びていく。


 

 しばらくして、ワイバーン事件の最前線にいた皇太子を中心とした会合が開かれた。それは、ダニーの本来の仕事である「ワイバーンの出所の調査と、周辺の確認」の報告会である。そこでいよいよ、ダニーは全ての調査結果を報告する。

 

 ギュッターベルグにおける隣国の不穏な動き。


 地震の多発。


 魔物による被害の増加。

 

 魔王という言葉は、ここでは出さない。大事なことは、現実に起きている具体的な被害とその数値だ。



 ダニーの一連の報告を聞き、腕を組み落ち着いた様子で聞いていた皇太子は、数名の文官が羨望とも妬みともとれるような視線をダニーに向ける中、彼に禁書庫の閲覧許可と国王陛下への上奏命令を下した。


 

「早急に国王陛下へ、一連の調査結果と今後予想されうる全ての状況を報告せよ。」———と。


 

 実は、魔王再来の危険性について、王家や宰相といった政府の中核においては既に議題にあがっていたのだ。二百年前に、どこかから突如現れた聖女によってかけられた封印。それが、弱まっているのではないか―――と。

 ワイバーンの事件があって、特に急ぎの案件として宰相閣下を筆頭に動き出そうとしている―――ダニーが調査したことを報告したのは、まさにその時だったのだ。

 

 ギュッターベルグの山向こうにある隣国の武装化。魔王は、その隣国との国境沿いに封印されている。二百年前、聖女によって倒され、封印せしめた場所だ。

 


 そして、翌日。ダニーの宰相補佐室への移動が、発表された。



 

 数日後、国家の重鎮だけで行われる御前会議に向けて、ダニーは利用を許可されたばかりの禁書庫へ足を踏み入れた。

 ワイバーンの事件から、既に半年以上が経過していた。魔王復活を匂わせる調査報告書を作るのに、予定より時間がかかってしまったのは、魔王についての情報があまりにも少なかったからだ。しかし、それらはおそらくここにあるはずだ。

 彼女は、「三年後」と言っていた。あれから既に半年が経過し、残された時間は二年と半分。今日、ここで、魔王復活に関わる何かを掴まなければならない。

 

 王宮図書館の一部とは思えないほど、異質な空気と緊張感。決して広くはない空間に、重々しい本ばかりが並んでいた。禁書庫を管理している文官が先導し、ある棚まで来ると「こちらが二百年前の、魔王封印に関わる文献を集めた棚になります。」と指差した。


 

「これしか、無いのですか。」


 

 ダニーは、その少なさに驚く。しかし、仕方が無いとも思う。二百年も前のことだ。識字率も今よりずっと低かっただろうし、紙もまだ高価だった頃だ。

 棚の中から数冊を取り出し、席へと運ぶ。椅子に座り、一番上の本を取り、重い表紙をめくる。最近誰かがこの本を見たのだろうか、古い本独特の埃っぽさは薄れていた。

 それは、どうやら報告書のようであった。少々無骨な字ではあるが、丁寧な字でその日の出来事が書き綴られている。当時の騎士団のものであるようだった。

 

 重い羊皮紙を丁寧にめくっていく。そこで、いよいよダニーは見つけた。


―――――――――


 9月17日 魔王襲来


――――――――― 


 ああ、魔王は本当にいたのだ。やっと、ここまで辿り着いた。

 

 ダニーは安堵のため息を吐き、そんな自分に驚く。彼女の話を聞いてから、どれ位経ったのだろうか? 始めは、無我夢中だった。しかし、ギュッターベルグに到着したばかりの頃に、それが彼女の「夢」の話であることを思い出し、疑い、それでも聞いてしまった手前仕方なくいった風に自分を納得させる形で調査を開始したが、彼女の言った事を少しずつ少しずつ証明していくかのような、そんな日々であったと思う。

 


 その他の本もめくってみたが、それぞれ各部署による報告書であった。

 


 王都より北、ギュッターベルグ方向に突如広がった暗雲。

 魔王襲来の報告。

 皇太子を筆頭とした騎士団と魔術師集団による討伐部隊の結成。

 

 突如として現れた聖女。

 そして、———封印。



 ギュッターベルグにある魔王封印の地の状況も記されている。

 

 教会が祀る女神リリア。その実体化とも、娘とも言われる謎多き聖女という存在。

 


(…? なんだ?)

 


 ダニーの中で、あの違和感が再び浮上する。


 何かを、見落としている?

 


 喉が乾く。しかし、ここは飲食禁止だ。ダニーは、グッと唾を飲み込んだ。本を閉じ、考え込むダニーの元に、先ほど案内してくれた文官がカツカツと足音をさせながら近づいて来た。手には、一冊の本のようなものを持っている。

「皇太子殿下より、こちらをお渡しするよう仰せつかりました。」と言って渡してきたその本は、先ほどまでのものとは比べものにならないほど小さいものだった。ダニーが報告書に目を通している間に、どうやら皇太子殿下が来ていたらしい。彼が落ち着いた時に渡せと言われた———とのことだった。

 

 その小さな本は、紺色の不思議な手触りのカバーがされている。さすがに二百年も前の物だ、角が擦り切れてしまっていた。


 

 その、小さな表紙を開いた。


 

 そこには、あり得ないぐらいびっしりと細かい文字が並んでいた。印刷技術など、最近やっと王都に定着してきたようなものだ。そんな技術が、二百年前に?———と疑問に思いながら、丁寧にページを捲る。紙も恐ろしいほど薄く、経年劣化だと思われる黄色っぽさはあるけれど、それでもかなり綺麗な状態だった。


 何ページかペラペラとめっくていくと、可愛らしい手書きの字が見えた。どうやら―――日記のようだ。


――――――――――


 4月15日

 ここは、現実? 


――――――――――

 

 そんな、たった一行の文章から始まった日記は、しばらくメモ書きのような感じで文章が綴られているだけだった。途中、知らない言葉も混ざっていた。


そして、———彼女はいつもどこかに帰りたがっていた。


――――――――――  

 7月23日

 目の前で男の子が魔物に襲われた。怖かった。

 自分には魔物を祓う力があるらしい。

――――――――――  


(これは…、聖女の日記?)

 

 ダニーは、一文字一文字を確認するように、ゆっくりと丁寧に読み進めていく。

  

 魔物が増加し、祓う度に彼女は聖女と崇められていく。それを戸惑う聖女。魔王が誕生し、討伐部隊が結成されたことを知る。聖女の噂を聞きつけ、王宮より遣いが来る。そして、国王陛下より魔王討伐への協力を要請されたと書いてあった。


 そこで日記は終わる。おそらく、討伐に向かったのだろう。「聖女が死んだ」という記録は無い。魔王の封印が成され、討伐が終わった後、ずっと帰りたがっていたどこかに、彼女は無事に帰ることができたのだろうか―――と、ダニーは思いを巡らせた。

 小さな本を閉じれば、その表紙には「生徒手帳」と書かれていた。

 


(どこか、違う国の学生だったのだろうか。)

 

 二百年前にこの国を救ってくれた聖女。彼女が、幸せであったことを願う。

 


 

 全てを読み終え、禁書庫を後にする頃には既に日がくれていた。何時間そこにいたのか、どうやら昼食も忘れていたらしい。それでも、取り急ぎ報告書を作成しなければならないと、ダニーはその歩を早めた。

 


 魔王は復活する。

 

 彼女の言葉が証明される。

 


 そこで、急に頭をある思考がよぎる。ダニーは大きく目を見開き、ずっと抱えていた違和感の正体を知る。

  


―――彼女は一体、何者だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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