第16話 魔王封印

 王宮の前の広場で、レティはその暗雲が広がっていくのを見ていた。北の方角、南からの斜めに差し込まれた太陽の光が、その行き場を少しずつ無くしていく。ゆっくりと迫る暗闇に、いよいよその時が来たのだとレティは知る。

 北の空を指差し、早口で何かを叫んでいるもの。子供の手をとって、引きずるような速さで去っていく人。腰を抜かしたのか、その場で蹲ってしまった人もいた。


 新聞に「聖女降臨」の記事が掲載されてから、魔王についての記事が新聞のほとんどを埋めるようになるまで、さほどの時間はかからなかった。連日のように、魔王や聖女についてわかったことや、その伝承などが新聞を騒がし、ギュッターベルグの歴史を調べている学者の名前がほとんどの人に知られるほどになっていた。

 今までそんな話が全く知られていなかったことが嘘のように、様々な情報が錯綜している。嫌でも高まる緊張感の中、王宮はいざという時の避難場所と物資の確保状況等をあちらこちらで告知し、皆それぞれに自分の身を守る方法を探すよう、勧告している。


 レティは、他人事のようにその暗雲を見つめながら、その下で身を震わせているかもしれない、かけがえのない友と大切な幼馴染を思う。



―――どうか、無事で。



 その暗雲を幻のように感じながら、しばらくそこに佇んでいた。





 その頃イザベラは、エドワードに呼ばれお茶をしていた。いつもとは違う、鋸壁から王都が見下ろせる部屋で、まさにその暗雲が広がっていく様を見ていた。前回の生では、この時を前に既に生涯を終えていた。イザベラにとって、ここからは未知の世界であることに気が付き、ふるっと身震いをする。

 そんなイザベラを見て、「いよいよだね。」と、エドワードが笑った。


 イザベラは、そんなエドワードの言葉に驚き、その口元から、細められたその瞳から、目が離せなかった。今日起きることを、知っていたかのような口調。お茶会の場所も、いつもなら庭園で―――というのが当たり前だと思っていたのに、今回指定されたこの初めての場所に少しばかり戸惑っていたのだが、もしかして…これを見るためだった?———という疑念がイザベラの中で生まれる。

 イザベラの心の中の染みが、より大きくなっていく。———そんな気がした。


「ゲームオーバーは痛そうだからやだなー。」と、頬杖をついて暗雲を見ながら笑うエドワード。「兄さん、頑張ってよね~。」と北の空を見ながら言う口調は、ひどく軽い。


―――私、何か、間違った?


 そんな言葉が、イザベラの頭を過る。落ち着かない心を隠そうとして、広げた扇子を取りこぼした。その音に気が付いて、エドワードがイザベラを視界にとらえる。そして、落ちた扇子に目をやることもなく、「計画通り、だね。」と無邪気に笑った。






 ギュッターベルグ城は、まだ昼前だというのに真夜中のような暗さになっていた。使用人たちが燭台に火を入れているのだろう、慌ただしい足音が廊下を通り過ぎていく。そんな中、ダニー・ヒルは執務室の机に置いてある地図を見ていた。

 今そこに、ギュッターベルグに派遣された近衛兵のほぼ全てが向かっている。その中には、元皇太子殿下であられるギュッターベルグ伯も、あのストロベリーブロンドの髪を持つ少女も含まれている。


 彼女が、あの黒髪の魔術師によってこの城に連れて来られた日、ダニーが思ったのは「やはりな。」という言葉だった。呪いのような予言を聞かされてからダニーの心に引っかかっていたのは、「彼女が何者なのか」ということだった。そして、その答えに気が付かないフリをしたまま、気が付けばこんな所まで来ていたのだ。

 宰相補佐から宰相筆頭補佐になり、妻帯者にすらもなっていた。王都で待たせている新婚の妻には、この仕事が終わればゆっくりできるはずだと手紙を書いたが、どうだろう?———ストロベリーブロンドの彼女がここまでやってきたのを知って、まだしばらく無理なような気がしてきた。長かったのか、短かったのかわからない時間だったと思う。


 ギュッターベルグ城の応接室で、久々に彼女に対面した時、「あの時は、ありがとうございました。」と、彼女は丁寧に頭を下げた。「私の、訳のわからない言葉に耳を傾けていただき、お陰様でここまで来ることができました。」と、三年前の彼女からは想像ができないほどしっかりとした口調で、そう言った。「三年後に、魔王の封印が解ける。」と告げた頃の彼女は、まだあどけなさの残る少女だったが、今ではその面影も薄く、凛と立ち、屈強な体躯を持つ近衛兵たちを前に、堂々とその姿を晒していたのがとても印象的だった。


 その後、案内した修道院跡地で覚醒した彼女の美しさはずっと忘れないだろう。女神リリアが遣い賜うたその娘、———聖女。そして、この国の救世主。



 今彼女は、この世界を救うべくあの暗雲の元凶の元へと向かっている。



 ダニーに出来る残された今すべきことは、皆の無事を祈ることだけだった。後で、現場にいた騎士たちから、その武勇伝をしつこく聞かされながら、報告書が書けたら良いと思う。






 このイベントシーン、向こうに帰ったら絶対見に行こう。


 リズは光り輝く自分の姿を、他人事のように感じていた。二百年前の聖女リリアの記憶が頭の中に流れ込んできたときは、ひどく酔いそうな眩暈がした―――というのが正直なところだ。

 異世界に落ちた高校生、。そんな話、あったなぐらいの感覚で、彼女の人生を見ていた。


 落ちてきたということは、帰れなかったということだ。制服と学生証が残っているということは、生きたその身体のまま落ちてきたという事だろう。



―――えぐい。



 スタートボタンを押してこの世界に入ってしまった私も、おそらくその人生を終えてからやってきたのであろうレティさんも、まだましな方だったんだなと、そんな冷静な感想しか抱けない自分に思わず笑う。その笑みを見て何を勘違いしたのか、周りにいた護衛や、ダニーさんまでもが「ほうっ」と溜息をついた。



「あの時、お前変なこと考えてただろ。」と、アルベルトが言う。



 あの時とは、聖女として覚醒した時のことだとはすぐにわかった。彼はこういう所、ほんと勘が良いなと思う。

「別に。」と、リズは笑って誤魔化した。


 体中に、魔力とはまた違った力が満ちているのがわかる。あれほど怖かったハッピーエンドを、待ち望んでいるかのように、身体は万全だった。


 ハッピーエンドを迎えた暁には、アルベルトにまた王都のリズの自宅まで送ってもらわなければならないはずだ。だから、リズは彼に説明した。帰りのリズは、今のリズではないだろう―――ということ。今、この身体の中にいるリズは、莉愛という異世界から来た人間だということ。それは、魔王を封印するために、この世界を救うためにここにいて、本当は向こうの世界でゲームをしているだけなのだと。


 もっと呆れられたり、変な目で見られたりするかと思ったが、アルベルトはキョトンとした顔で、「なんか聞いたことがあるような話だな。」と言って苦笑した。

 横で書類に目を通していたウィルフレッドが顔を上げて、「こんなバカげた話を、お前は聞いたことがあるのか?」と真剣に聞いていた。



「最初、ゲームとか全く理解できなかった。」

「ああ。それ、俺も。」

「え? アル、お前。ゲームとか、なんで知ってんだよ!?」



 二人でいると、随分と軽い口調になるのだな。と、リズは蚊帳の外で聞いている。この二人が、実は幼いころからこんな感じだったということをリズが知ったのは、こっちに来てすぐのことだった。なんだか、ひどく騙された気分だったのを憶えている。


「いや、幼馴染が、」と、アルベルトが説明している。


 今までウィルフレッドにその説明をしていなかったことも驚きだが、こんな嘘のような世界の話を、レティさんが小さい頃から当たり前のようにアルベルトに話していたことも驚きだ。それを、一応はしっかりと聞いていた彼にももっと驚きだが。


「早く紹介してくれよ。」とウィルフレッドが言うと、「その内な。」とアルベルトが答えた。


ぞわっと音がしたかのように吹いて来た重い風に、「さ、いよいよね。」と、リズが呟けば、二人は黙って頷いた。そして、立ち上がる。



 王宮から派遣された文官から、もうすぐ修道院地下にある洞窟の最終報告がなされる。毎日上がってくる日報で、その封印場所が特定できたという報告は既に受けていた。そして、その現状も。あとは、そこへ向かい封印を施すのみ。


 決行は明日。


 魔王が目覚める瞬間を狙う。———とは、リズの言葉だ。そういうものだから、と彼女は言い切った。


 早朝、明るくなる前に既に修道院跡地前に集合した一団は、予定通りの隊列を組み、その下に眠っていた洞窟の中にゆっくりと歩を進める。

「大丈夫か?」と、ウィルフレッドが歩みを止めぬまま、顔を覗き込んでくる。リズはその気遣いが嬉しくて、繋がれた手に一度だけ目をやると、「うん。」と、ただそれだけ不器用に答えた。


 初めて入る洞窟の中は、リズが想像してものと違った。ウィルフレッドやアルベルトは既に何回か来ているとのことだったが、洞窟というよりは修道院の地下室と言った表現の方が近いかもしれない。魔王を封印し、それを見張り続けるために、上部の修道院とその封印場所への道を整備したのだろうな———そんなことを想像しながら、その歩みを進める。

 途中途中にある小さな部屋は、囚人でも入れられていたのだろうか。ゲームでも緊張感を煽る音楽が印象的で、魔物と戦うような場面は全く無かったように記憶しているが、どうやら時折現れているらしい魔物は、リズの目に届く前に騎士団や魔術師たちによって葬られているようだった。皇太子と討伐に行けば、そりゃあ騎士団が普通付いてくるよね―――とリズは苦笑する。現実はこんなものなのだと、妙に納得した。こんな状況でさえ笑っているリズを隣で見ていたアルベルトが、息を飲んだのはここだけの話だ。


 だんだんと空気が重くなる。奥から流れ込んできて、身体にまとわりついてくるかのような湿った風。

 ―――呼吸がしづらい。


 先頭を歩いていた騎士団の足が止まる。それぞれが脇に避けていき、リズの前に道ができる。そして―――、目の前に現れた重厚な扉。


 ウィルフレッドがリズを見て、頷いた。リズは、横にウィルフレッドの存在を感じながら、そのまま足を進めて行って、———その扉をそっと押した。














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