第25話 シナリオを変えたのは
礼拝堂でタケルを見送って、走って戻って来たアルベルトが、自分の応接室の扉の前で息を整える。そして、ノックをした。返事が聞こえて中に入ると、ソファーに座っているウィルフレッドが、入室してきたアルベルトを見て、隣に座るよう目線を向けた。
「イザベラが、聖女様に会いたがっているのです。」
エドワードはアルベルトに一瞬目を向け、その色に驚いたようだったが、その存在を無視するかのように足を組み、斜に構えたまま当たり前のようにそう言った。聖女の依り代であった男爵令嬢、リズ・シュナイダーに会いたいと言うならば、わざわざこちらに来るまでもなく、命令を下せば良いだけだ。「聖女」とはっきりと言いきったそれは、こちらに聖女が現れたことを知っていると暗に示しているかのようだった。
―――陛下が、エドワード殿下に何か話されたのかだろうか?
殿下の隣に座るダニー・ヒルも状況を把握しきれていないようで、不安気な表情を隠しきれないでいる。
「運命を変えてしまったのは自分だと苦しむ彼女が、聖女様に謝罪を申し上げたいと言っているのです。」
エドワードは、それが自分のことであるかのように、ひどく申し訳無さそうな雰囲気でそう言った。「運命を変えてしまった」と、何の違和感も与えず言い切ったエドワードは、自分は全て知っているのだと、そう言っているのだ。
「運命を変えたというのは、どういうことなのでしょうか?」
ウィルフレッドは、全くと言って良いほど表情を変えず、そう言った。兄とはいえ、今は臣籍降下された身だ。本人を前にして敬語を使わないわけにはいかない。しかし、丁寧に返された言葉に、エドワードは片眉を上げた。
「兄上、ここは公式の場ではありません。そのようなさみしい言葉使いはやめてください。」
エドワードはそう言って、困ったように笑う。アルベルトは彼の本心が読めず、何とも言えない気持ち悪さを感じていた。
「そうもまいりません。皇太子殿下に対して臣下の礼を尽くすことは当然のこと。周りに示しがつかなくなります。」
ウィルフレッドが毅然とそう言い切ると、エドワードは一瞬つまらなそうな顔をしたが、ニッコリと嘘臭い笑顔でそれを誤魔化して、「わかりました。」とだけ言った。
「で、その運命というのは。」
ウィルフレッドがエドワードに再び水を向ける。彼は相変わらず表情を変えないままだ。それに対して、エドワードがやや不機嫌な表情を見せたが、肩を竦めてから表情を戻す。
「彼女は本来、修道院に送られる運命だったのだと、そう言うのです。」
イザベラは、聖女に怪我を負わせようとした罪で、幽閉だか修道院送りだかで王都にはいなかったはずだと、リズが言っていたことをアルベルトは思い出す。シナリオとは違う動きをしていると。
―――それはエドワードのせいだと思っていたのだが…違うのか?
アルベルトは、じっとその心理を読もうとエドワードを見るが、彼は胡散臭い笑顔をのせたままだ。心を読む魔法があれば良いのにとさえアルベルトは思う。
「申し訳ございませんが、愚鈍な私にはその運命という意味がよくわからないのです。イザベラ・リーベルス公爵令嬢様が、ご自分の運命を知っていらっしゃるということなのでしょうか。もしそうならば、何故そんなことが?」
相変わらずウィルフレッドは表情を変えない。リズの言っていた、本来ならばもう王都にいないはずのイザベラの今の状況は、それがエドワードによるものだと思い込んでいたのだが、それが違うという事だろうか。
「彼女は、二度目の人生を生きているのです。」
エドワードが答えたものは、これほどまでに不思議なことが起きている今の状況においても、全く聞いたことのないものだった。流石のウィルフレッドも、その言葉の意味を飲み込むのに時間が必要なようだった。
「それを、殿下は信じておられると。」
それでもすぐに持ち直し、リズの話を、いや、リズの存在自体を知らなかったかのような態度でエドワードに質問を重ねる。ウィルフレッドがもっと食いついてくるとでも思っていたのか、エドワード殿下はそのイライラした態度を隠しきれなくなってきていた。
「馬鹿にしているのですか?」
「そのように聞こえてしまったのならば、謝罪致します。あまりにも現実離れした内容でしたもので。」
そう言って、二人は黙ってしまった。目線をお互いに逸らさないまま、しばらく睨みあうような形の二人だったが、それを崩したのはウィルフレッドの方だった。
「運命など、あって無いようなものではありませんか。リーベルス公爵令嬢様もそんなことに捕らわれず、前を向いたらよろしいのです。一年と半年後には皇太子妃になられるのですから。」
ウィルフレッドそう言って、ニッコリと笑った。こいつだけは敵にまわしてはいけないと思わせる、怖い笑顔だった。エドワードがそれを見て、天を仰いだ。そして、「わかりました。」と言って頷き、そして立ち上がった。
「兄上からの言葉として、それをイザベラに伝えさせていてだきます。少しは気持ちが晴れるに違いありません。」
苛立ちを隠そうともせず、その胡散臭さに溢れた笑顔をウィルフレッドに向けた。ウィルフレッドも同じように立ち上がり、「何もお力になれず、申し訳ございません。」と頭を下げた。そして、「ご婚約者であられる殿下に申し上げるものではないかもしれませんが、リーベルス公爵令嬢様に、もし私でもお力になれるようなことがあれば、いつでもこの手を差し伸べましょうと言っていたとお伝えください。」と言った。
エドワードがウィルフレッドを睨む。そして、何も言わずに転移魔方陣のある地下室へと向かって行った。ダニー・ヒルも一礼をしてからその後を追った。
「お疲れ様。」と言って、ウィルフレッドが困ったように笑う。確かに疲れた―――と、アルベルトはソファーの背もたれに寄りかかり、伸びをした。上司の前でする態度では無いが、使用人たちには退出命令を出していて、誰もいなかった。アルベルトは頭の後ろで手を組んで、「ウィルもな。」と笑い返す。
「まさか強行突破してくるとは思わなかったな。」
「陛下から、何かお言葉があったのかもしれない。」
早く会わなければならない何かが起きたのだろうか。それとも、隣国訪問まで待てなくなってしまったのだろうか。始めから転移魔方陣があれば、「隣国訪問のついで」などという取って付けたような理由は必要なかったはずだ。転移魔法陣が出来てしまった今となっては、そんな理由はエドワードにとってただ面倒なだけのものとなってしまったのだろう。皇太子という身分のせいで、このような最北端の地では特に、おいそれとやって来ることなど出来るわけがないことぐらい、ウィルフレッドにはよくわかる。巻き込まれたダニーには同情するが、どうして先ほどの状況になったのか、部下であるルディを通してすぐにでも報告があるだろう。
「真っ黒じゃなかったな。」
アルベルトが、思わずと言ったように呟いた。タケルが、「エドワード殿下は魔王に心を売り渡して得た力で真っ黒になった」と言っていたことを思い出し、自らの黒い前髪を引っ張って、なんとも言えない気持ちになる。「見てみたかった気もするけどな。」とウィルフレッドが笑う。そして流れた沈黙に―――口火を切ったのは、ウィルフレッドだった。
「やはり、気になるものなのだな。」
何のことだかわからなくて、アルベルトが首を傾げる。
「前髪を引っ張って、それを見る癖。———無意識か。」
ウィルフレッドがそう言って頭を指差して笑う。きっと、無意識だった。いつもそんなことをしていたのだろうか。ただ、自分の黒さが少しでも薄れていないものかと、なんとなく髪を手に取っていた気はする。
「強さの証なんだけどな。」
ウィルフレッドの言葉が、子供の頃にレティが言った「勇者の証」という言葉と被る。怯えられた目で見られた時、そそくさと避けられた時、こんな強さは無くても良かったから普通に生まれたかったと、それこそ何度も思ったものだ。それでも最近さほど気にせずにいられたのは、レティやウィルフレッドという、それを全く意に介さないでいてくれる人間に囲まれているからだろう。小さい頃は家族に守られ、今は二人に守られている。「何が最強だ。」とアルベルトは情けない気持ちになった。
「お前は、もっと自信を持て。」
ウィルフレッドはそう言って立ち上がり、「お前は国内最強の魔法使いで、家には最強の嫁がいるんだろう?」と笑った。そして、「悪いが、細君に今すぐ登城するよう言ってくれ。馬車の手配を。」と言ったのだった。
◆
しばらくして、レティが慌ただしくやってきた。自分が呼ばれるという事が、どういうことかわかっているのだろう。城の馬車止めで待っていたアルベルトを見て早々、「何があったの?」と聞いてきた。皇太子殿下がこちらにいらしていたことは、アルベルトの執務室から外には漏れていないはずだ。アルベルトは声を抑えて、「部屋に行ってからな。」とだけ言った。
再び応接室に場所を戻し、既にソファーに寛いでいたウィルフレッドに、レティは丁寧に挨拶をした。「急に呼び立ててすまなかった。」とウィルフレッドが言うと、「恐れ多いことでございます。」とレティが頭を下げた。
平民として生きてきたレティが、なぜそんな貴族らしい言葉を使えるのか、アルベルトは不思議に思って、前に一度聞いてみたのだが、「前世でライトノベルを読み漁った賜物よ。」と得意げにいつもの異世界語が返って来たのだった。向こうでは、異世界に転生する話が数多くあって、その中の貴族の世界に転生する物語をレティは好んで読んだのだと言っていた。「男爵令嬢に転生したリズみたいなもの?」と問えば、「王妃様に転生する話もあるのよ。」と、レティはひどく恐ろしいことを平気な顔で言ったのだった。
ウィルフレッドは、リズでは無く息子のタケルがやってきたこと、そして皇太子殿下がおそらくはダニーに無理言って転移魔法陣を使ってやってきたこと、タケルは彼に会わないようにして帰らせたことを簡単に説明した。
「ずいぶんと千客万来だったのですね。」
説明を受けたレティが、相変わらずの異世界語で二人を労った。「せんきゃく、ばんらい?」と繰り返したウィルフレッドだったが、そのまま口を閉ざす。その言葉の意味を聞いていては、話が進まないという事を思い出したらしい。
「タケル君、もうそんなにしっかりしてるんだ。」
レティが遠い目をして優しく笑う。生まれたばかりの頃に会ったことがあるのだとレティは言った。お祝いを持って遊びに行ったリズの家で、まだ座布団一枚で足りる世界に抗うように手を伸ばし、足をバタつかせていたのだと。
タケルが言っていた、このゲームの本来のシナリオをレティに話し、いよいよ完全に違えてしまったようだとウィルフレッドが困ったように言った。すると、レティは肩を竦めて笑い、「本来の話に戻すのは、もう今更無理だし、全く必要の無いことです。」と言い切った。
「所詮、シナリオはシナリオ。そんなものは、こちらの世界に責任を取る必要の無い、向こう側の人間が勝手に作り出したものです。現実に生きている私たちにとって、全く大したことじゃありません。」
レティはそう言ってにこりと笑い、「今、やれることをやるだけです。」と言った。一瞬驚いた表情を見せたウィルフレッドだったが、その言葉に柔らかく笑う。アルベルトは、レティの言ったことを確かにその通りだと思う。
皆、シナリオに振り回されすぎているのだ。ウィルフレッドも、はっきりとそう言われて、自分の中でその存在を大きくしていたそれに気が付いたことだろう。
「しかし、皇太子殿下もいよいよ見境が無くなってきましたね。」と、レティが小声で言った。
「リズにそれほどまでに会いたがる理由は何なのでしょう?」
「今回は、皇太子殿下の婚約者であられるリーベルス公爵令嬢がリズに謝罪をしたがっていると言っていた。」
「イザベラ様が?」
アルベルトの答えに、レティは視線をそちらに向ける。
「運命を違えてしまったのは、自分だと。」
「イザベラ様がご自分の運命を知っているということ?」
「イザベラ様は、二度目の人生を生きているのだと。」
「ああ、逆行転生…ね。ほんと、なんでもありね。この世界。」
レティが当たり前のようにそう言ったので、驚いたウィルフレッドとアルベルトはお互いに見合い、そしてレティに視線を戻した。
「知っているのか?」とアルベルトが問う。
「向こうの物語ではすごく多い設定なの。大体が一回目の人生で失敗して処刑されたような令嬢が、やり直して幸せになるっていう。」
レティが嬉々として説明を始める。
「イザベラ様とギュッターベルグ辺境伯様の卒業パーティーでの婚約破棄騒動の時、イザベラ様が転生者じゃないかってことは疑ったの。異世界転生か、逆行転生か、さすがにどちらかはわからなかったけど。まさか、自分で言い出した婚約破棄だなんてことは知らなかったしね。」
自分の予想が当たったことに気を良くしたのか、レティはますます饒舌になっていく。もうこうなると止められないという事は、アルベルトは長年の経験で知っていた。
「それなら、リズが変えられなかったシナリオを、本当に変えてしまったのはイザベラ様と皇太子殿下ね。皇太子殿下は異世界転生者で、メンヘラ…となると、イザベラ様が違う人生を生きているのもわかっていらしたんだわ。じゃあ、イザベラ様が…本当の主人公? いや、待って。でも…、前のゲームも、今回のゲームも知っていて、プレーヤーに会いたい理由…。」
レティが思考の沼に沈み始める。こうなると人の話は聞こえなくなるとわかっているアルベルトは、ウィルフレッドに話しかける。
「今回のシナリオでは、ギュッターベルグ伯に転移魔法陣の利用を勧められたことで、記憶を思い出すと言っていた。修道女が聖女であることを知っていて、その覚醒を促すようなことをギュッターベルグ伯が言うと。」
「うーん、それって…、覚醒を促したんじゃなくて、本当はがっかりさせたかったんじゃないかしら。本来君がいたはずの場所を見てくるように言うんでしょう? そこにいるべきなのは、本当は私なのに!———って怒ってほしかったのよ。メンヘラ皇太子殿下なら、そう考えそうじゃない?」
アルベルトの言葉に、レティが思考の中から戻って来た。知らない異世界語が出てきたが、この意味を聞いたら不敬罪に問われそうなのでやめておく。
「片やお姫様、片や修道女となれば、そこには嫉妬や憎悪が生まれてもおかしくないわ。だけど、怒ってくれると思っていたのに、彼女は聖女として覚醒してしまった。魔王が復活する予定もないのに。」
聖女が現れるという事は、魔王が復活するという事だとレティは言う。どちらが先かはわからない。それは「卵とニワトリ理論」だと。
「だけど、ギュッターベルグに戻ると、魔王に心を売ったギュッターベルグ伯がいるんでしょう? 兄にコンプレックスを存分に抱いた、メンヘラな彼が。」
そう言ってレティは笑うと、「そんなことやっぱり、この世界ではあり得ないわ。」と言った。「どうして?」とウィルフレッドが楽しそうにレティの言葉の先を促す。
「おそらく、今回のゲームのラスボスはギュッターベルグ伯でしょう。彼を倒した後に真のラスボスとして魔王が出てくるかどうかは別として、ギュッターベルグ伯がものすごく強いって言うのなら、それを倒すために聖女が召喚されたと考えるのが普通です。」
「そんなものか。」
アルベルトが納得できないとでもいうように眉間に皺を寄せると、レティがアルベルトを見て「所詮ゲームだもん。映像に重きを置いたゲームのシナリオはシンプルで良いのよ。」と言った。言葉の意味はよくわからないが、どうやらそれで良いらしい。
「じゃあ、それがこの世界ではありえないという根拠は?」
ウィルフレッドにそう聞かれて、レティは一つ頷く。
「エドワード殿下は、閣下に対して幼少の頃からの積もり積もったコンプレックスがあったのでしょう? しかも、かたや聖女と共に封印した時期王様で、かたや最北端の地に臣籍降下された元王子様。燻っていたものが爆発してもおかしくない状況が―――今回に限っては無いのです。」
レティは両手の人差し指をそれぞれ立てて、交差させた。皇太子殿下がギュッターベルグへ、ギュッターベルグ伯が皇太子へということらしい。
「しかも、今回の彼は異世界転生者で、シナリオを破綻させた張本人です。だから、皇太子殿下が望むのは、自分がラスボス化するのではないかと、プレーヤーに怪しまれない方法でリズに近づくこと。そして、そんなリズに求めているのは、きっと、もっと単純な、異世界に対する何かだと思います。」
レティがそう言って頷き、「異世界にやり残した何かでもあるんじゃないかしら?」と言った。
―――そんな単純なものなのだろうか。
アルベルトは不安の残る自分の気持ちを隠せないでいた。それに相反するように、レティは自分の考えに自信があるようだ。レティはいつだって、もしそれが間違っていたとしても自信満々なのだが。
「ただ、イザベラ様が本当に謝罪したいと言っているというなら、謝罪させてあげたら良いと思う。リズは今、とっても幸せだろうから、全く意に介さないでしょうけどね。」と言って、肩を竦めた。そして、「今のリズなら、運命なんてクソくらえぐらい言ってくれるんじゃないかしら。」と言って楽しそうに笑った。
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