第26話 修道院跡地

 レティと二人並んで馬車に乗るのは久しぶりのことで、アルベルトは何だか妙に緊張していた。

 しかも、城に招かれたということで、いつもより着飾ったレティはとても綺麗だった。首元をも隠すような露出の少ないシンプルなドレスではあるけれど、肩までの髪を揺らすレティにはとても似合っていた。



 レティが城の応接室から退室する際、一緒に帰宅することをウィルフレッドから勧められたアルベルトが全く遠慮することなく頷くと、彼は苦笑した。



「お前は昔から、細君のことになると本当に素直だよな。」



 ウィルフレッドはそう言って笑う。

 レティが驚きの表情でアルベルトを見て、それから真っ赤になって俯いた。



「そう、か?」



 アルベルトは口元に手を当てて、ウィルフレッドからもレティからも目線を反らす。おそらく耳まで真っ赤だろう。そうかもしれないと気がついてしまったら、今までの事が急に恥ずかしくなってしまったのだった。



「恥ずかしがることではない。素直に羨ましいと思っているんだ。」



 ウィルフレッドがそう言って、困ったように笑う。そして「私もいい加減、あの積まれた姿絵を見なきゃならんな。」と、頭の上で腕を組み、ソファーにどっかりと寄りかかる。



「お前たちを見ていると、結婚も良いものだなと思うよ。」



 それを聞いた執事のロンが、ウィルフレッドの執務室へと走って行ったのは、恐らくはその机に大量に積まれた姿絵を見やすいように整理するためだろう。




 馬車に揺られながら、レティはウトウトと、アルベルトの肩に頭を預け眠ってしまっていた。

 慣れない登城に、慣れない閣下との面会だ。きっと疲れたのだろう。アルベルトは、寄りかかられた腕を抜いてレティの頭を、自分の胸に寄りかからせると、顔をくすぐるその髪を撫でた。レティが一瞬目を覚ましたようだったが、再び寝息が聞こえてくる。馬車の揺れに合わせて、毛先がくるくると踊っていた。アルベルトはそのまま、レティを抱き締めるように腕を彼女の肩に回し、その頭にキスをした。



 家に着くと、馬が踏鞴を踏んだのだろうか、スピードが落ちた後に少し揺れて、そして止まった。馬がぶるると鼻息を鳴らす音が聞こえる。

 窓から外を覗くと、玄関前に泥まみれになった小さな雪だるまが二体並んでいるのが見えた。宣言通り、ロベルトが作ったのだろう。残っている雪は、もう氷のように固まってしまっている。苦戦の後が伺えて、アルベルトは笑った。


「レティ、ついたよ。」と、彼女の肩に回した手でポンポンとその肩を叩く。

「ん。」とだけ言って、レティが身体を起こした。



「重かった?ごめんね。」



 レティの体が自分から完全に離れたのを確認して、アルベルトは馬車の扉を開けた。先に下りて、レティに手を差し伸べる。なんとなく気恥ずかしそうにしながらも、レティはその手を取ってくれたのが嬉しくて、アルベルトは笑った。



「何これ!」



 馬車から降りたレティが、泥だらけの雪だるまを見て「あはは。」と笑う。二つ並んだそれは、既に溶けてきているのだろうか、片方が斜めになってもう片方に寄りかかりそうになっている。



「泥だらけね。」

「そうだな。」

「でも二人並んでて幸せそう。」

「そうだな。」



 捕まえた手を放さずに、二人はお互いを見て笑った。



 夕食の席で、ロベルトが「雪ってかなり冷たいのな!指がもう、痛くて痛くて。」と嬉しそうに言った。


「子供か!」とレティが笑い、「積もっていればもう少し簡単に作れるんだけどね。」と言った。

「積もっちゃったら、今度は向こうに行けなくなっちゃうからな。」とロベルトが言う。向こうとは隣国のことだ。

「荷馬車に乗せてもらえることになったから、明日の早朝に出るよ。」とロベルトは目の前にあるスープに手をつけ、「うん、美味い。」と頷いた。


 ギュッターベルグと隣国の間にある山脈の、最も大きな山を迂回する形で道が続いているのだが、協定を結んだことで着々とその街道は整備されていっている。雪が完全に積もっているわけではない今なら、まだ馬車も荷車もたくさん出ていることだろう。


「そういえば、今日さ。」と、ロベルトが手に持ったスプーンを顔の前で揺らす。マナー的にアウトだが、使用人は帰らせていて誰もいない。しかも、ロベルトは平民だ。誰も気にしない。



「行ってきたんだ、修道院跡地。」



 ロベルトの言葉に、そういえば行くと言っていたなとアルベルトは思い出す。転移魔法陣を敷き終えてから自分は行っていなかったことも思い出し、明日にでも確認しに行くかと考えていたら、ロベルトが言葉を続けた。



「観光客も結構いたけど、警備がすごくてさ。誰かお偉いさんでも来ていたのかな。なんかバタバタしてたよ。」



 その言葉にアルベルトは固まった。レティも気がついたのか、驚いた顔でアルベルトの方を見る。



「まさか。」



 なぜその可能性を考えなかったのか。ダニーが傍にいたことで、なんとなく大丈夫だと思ってしまっていたが、彼の立場では意見出来ない。


「ん?どうした?」とロベルトが不思議そうにこちらを見ているが、アルベルトはその可能性を否定できない限り、ここでじっとしているわけにはいかない。


「ちょっと、見てくる。」と言って、アルベルトが立ち上がる。

「今、上着を取って来る!」とレティも立ち上がり、食堂を走って出て行った。




 久々の転移魔法を使う。向かう先は修道院跡地地下の最奥だ。


 王都ほどの長距離だと魔力の枯渇が心配になるが、修道院跡地は同じ領地内だ。使う魔力はたかが知れている。

 レティから上着を受け取り、アルベルトは「行ってくる。」とだけ言った。レティが頷いたのを確認して、魔法を展開する。次の瞬間には明るかった室内から、薄暗い地下へと移動していた。


 突然目の前に現れたアルベルトに、二人いる警備の兵はひどく驚いていたが、それでも二人ともすぐに姿勢を戻し、揃って一礼した。


「異常は?」とアルベルトが聞くと、「ありません。」と年配者らしき兵が答えた。



「誰か来たりはしなかったか?」



 アルベルトがそう聞くと、彼は少し考えた後、「こちらではありませんが、修道院跡地の方に、夕刻少し前にお客様がいらっしゃったようです。」と言った。



「対応は誰が?」

「宰相筆頭補佐様がいらっしゃいましたので、私たちは人払いされておりました。」

「こちらには?」

「私は夕刻からこちらを担当しておりますが、どなたも来ておりません。」



 そうかと頷いてから、念のため確認しようと魔王を封印してある部屋の扉を押す。重たい扉の先に、アルベルトが張った結界が広がっている。その真ん中に、魔王が封印されている石が置かれている。

 兵の報告通り、アルベルトが張った結界に異常は無く、誰かが立ち入った形跡も無いようだった。


「ご苦労様。」と兵を労って、アルベルトは急ぎ足で修道院跡地に向かう。


 薄暗く長い通路を進み、地下を出る階段の前にある転移魔法陣の部屋を覗く。仄かに光を発しているそれも、どうやら変わりは無いように見える。

 誰が利用したのかわかるようにした方が良いかもしれないな、とアルベルトは考えて、それには自分の苦手とする魔力完治と鑑定魔法が必要になることに気が付き、溜息をついた。


 地下を出ると、そこは修道院跡地の中庭だ。それを囲むように回廊があり、中庭を望むように作られた修道女の部屋がそれに面している。そして、その回廊の先に礼拝堂がある。


 地下の出入り口を警備している兵にも確認をしたが、ダニー達は地下にある転移魔法陣を出た後、魔王の封印されている奥には向かわず、直接こちらにやってきたとのことだった。



「どちらに行ったかわかるか?」



 アルベルトの質問に、一人の兵が前に進み出て、「修道女の部屋の方へ行かれたよと報告を受けております。」と答えた。


 既に修道院としては機能していない場所であったが、元々は修道女も複数名いたようで、礼拝堂の扉を出た先の回廊の周りには、それぞれが生活できるように小さな個室が並んでいる。

 アルベルトはその中の一つ、いつしか「聖女の部屋」と呼ばれるようになった場所へと向かった。


 ドアを開けると、そこには簡素な机とベッド、そして小さなワードローブだけが備えられている。

  アルベルトが足を踏み入れる。ギシッと床の軋む音がして、過ぎた年月を思わせる。ゆっくりと見回してみるが、そう頻繁に訪れているような場所ではない。誰かが入った形跡らしきものがあったとしても、気が付かないかもしれないとアルベルトは半ば諦めながら、ワードローブの戸を開けた。


 ここは、二百年前にこの世界を救ってくれた聖女の部屋だった。

 リズが現れるずっと前、最初の魔王伝説の聖女。


 そこに残された不思議な衣装。男物のような、襟のあるシャツ。簡素な紺色のジャケット。そのポケットには、赤いチェック柄のリボンが入っている。そして、生地を折り重ねながら一周しているグレーのチェック柄のスカート。

 アルベルトはそれらを確認し、ワードローブの戸をそっと閉めた。


 礼拝堂も見に行ったが、そちらを警備していた兵達によると、二人はこちらでしばらく女神リリアの像を見つめた後、特に何もすること無く帰って行ったとのことだった。

 一体何をしに来たのかを掴めず、気持ち悪さが残るまま、アルベルトはその像を見つめる。何も語らないその瞳に問いかけても、気持ちは落ち着かないままだ。

 もしかしたら城の方で何かあったかもしれないと考えて、再び転移魔法陣のある地下へと向かう。先ほどと変わらず仄かに光っているそれに乗り、アルベルトはギュッターベルグ城にある魔法陣に転移した。


 月の明かりが差し込む自分の執務室に灯を入れる。先ほどまで灯が入っていたのだろうか、そこには少しぬくもりが残っていた。鈴を鳴らせば、夜を担当している使用人が来てくれた。



「閣下はもうお休みか?」

「先ほどまで、宰相筆頭補佐様と応接室にてお話されていたようでしたが、お見送りされて後、自室に入られました。」



 そうか、とアルベルトは頷いて、それならばと今日はこれで一度帰ることにした。

 既にダニーが何らかの報告に来たということだ。何かあれば夜遅くだろうと呼び出すに違いない。

 入れたばかりの灯を消して、家までの距離ならそれほどまで魔力を使うこともないだろうからと、転移魔法を展開した。


 真っ暗だった部屋から、明かりの灯る我が家の玄関に飛ぶ。

「ぎゃあっ!」という声と共に、突然現れたアルベルトに驚いたロベルトが尻もちをついた。




 

 

 

 

 

 




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