第27話 イザベラ・リーベルス公爵令嬢
ちらちらと、雪が降っていた。
いつもより早めに登城しようと、冷たい空気に怯みながら外に出たアルベルトは、空から小さく小さく降る雪に目を止めた。これぐらいの雪なら積もることはないだろうが、心配なのはロベルトの道中だ。
アルベルトが屋敷を出るよりも一足早く、ロベルトは隣国に向けて出発した。早朝にこちらを出れば、今日中に隣国の最南端にある街に辿り着けるのだと彼は言っていた。分厚いコートを着込んだロベルトを見送って、アルベルトもコートを着た。
それまで散々やいやいとロベルトとやり合っていたレティは、そんなアルベルトを何も聞かずに見送ってくれた。何のために早く行くのか、わかっているということだろう。
早朝で、まだほとんど人のいない城の中は、いつもより冷たい空気が肌を刺すようだった。アルベルトは、まず自分の執務室へ向かう。途中、ウィルフレッドの執事であるロン・クックが近づいてきて、落ち着いたら彼の執務室に顔を出すように言ってきた。もとよりそのつもりだったのだが、いつもより早い登城に、そう声をかけてもらえたことは純粋に有り難かった。
鍵を開け、自分の執務室に入る。あれからここを訪れた者はいないだろうかと、見回してみるが、これといって変化は無いようだった。地下へ向かう階段を下りて、転移魔方陣を確認する。仄かに光を放ちながらそれは、何事も無かったかのようにそこにあるだけだった。
コンコンと上階のドアが叩かれたような音が聞こえてアルベルトは振り返り、階段へと踵を返す。
「良かった!いた!」
まだ階段を上りきらない所で声がした。修道女がニヤニヤとこちらを見下ろしている。
「勝手に入るなよ。」
「別に良いじゃない。何も盗ったりしないわ。」
「そういう問題じゃない。頼むから、勝手に転移魔方陣を使ったりするなよ。」
「入り口に、許可証を持った人しか開けられない鍵がかかってるんでしょ?」
バレてたか。――とアルベルトは心の中で舌を出す。どちらにしても、皇太子殿下の結婚式は無いし、ウィルフレッドはこちらにいるし、リズが王都に行く必要は何も無いのだ。
「で、何か用か?」
アルベルトが階段を上りきってそう言うと、リズが目を見開いた。そして、「私の扱い、雑!」と言ってけらけらと笑い、「次の用が何なのか知りたいのは私よ。」と言って、笑い過ぎて目尻に溜まった涙を拭いた。
「ロードしたらここに来たに決まっているでしょう?」
「ロード?」
「セーブしたところに戻ることよ。」
「ああ、なるほど。そうだった。なんだか色々ありすぎて忘れてた。」
そう言って頭を掻いて、「ウィルフレッドの執務室に呼ばれているんだ。リズも来てくれ。」と言えば、「オッケー。」とリズは笑って頷いた。
「タケルが、ウィルが格好良かったってうるさくて。」と、リズが困ったように笑う。
「うちのパパが、ウィルって誰だとか始まっちゃって、ゲームに出てくるキャラの話だって誤魔化したけど、タケルが黙っていられるかどうかが心配だわ。」
「タケル君なら大丈夫だろう?」
「分かってないわね。男の子は、家の中では甘えん坊なのよ。」
リズが母親の顔でそう言うと、「そしたら次は、リズのご亭主に会えるという事か。」とウィルフレッドが笑った。
「みんな同じ顔なのにな。」
「タケル君だとリズより少し子供っぽく見えるのが面白かったな。」
アルベルトとウィルフレッドがタケルを思い出して笑う。リズは、それを優しい笑顔で見ていた。
「で、まずは昨日のことだ。」
ウィルフレッドの言葉に、昨日から引きずっていた緊張が一気に戻る。
「あの後エドワードは、修道院跡地に向かったとダニーから報告があった。」
アルベルトが頷いて見せると、「あまり驚かないんだな。」とウィルフレッドが不思議そうに言った。
「ああ。実は、レティの兄が昨日跡地に観光しに行って、その時、誰か来ていたようだったと言うものだから、転移魔法使って見に行ったんだ。警備の兵達から、その報告は受けた。魔王の封印の方には行かなかったらしいが。」
アルベルトの報告に、ウィルフレッドは納得したように頷く。
「ダニーがエドワードを王宮に送ってから、再びこちらに来て報告してくれたのだが、どうやら聖女の部屋を見に行ったらしい。」
聖女の部屋と言えば、二百年前に現れて魔王を封印してくれた聖女の方だ。エドワードがなりふり構わず会いたいと言っているリズの方では無い。
「ワードローブに掛けられた衣装を見て、…泣いていたと。」
皇太子殿下が泣いていた?
アルベルトは、あの嘘くさい笑顔を見せる彼が泣いている姿を想像する。
「なぜ?」
「理由は話さなかったそうだ。」
ウィルフレッドが首を横に振る。沈黙が流れる。
エドワードが泣く理由。
イザベラを唆し皇太子の地位を得たエドワード。
彼が異世界転生者である可能性。
何かが浮かんで来て、それが喉元まで来ているのにその姿を現さない。
「それから、リズにお願いしたいことがあるのだが。」
「何?」
「一度、イザベラに会ってもらいたい。」
それは、エドワードがリズに会うためにこじつけた理由ではなかったか。そんな風にアルベルトが考えていることに気が付いてか、「イザベラの父親であるリーベルス公爵から、どうしてもと頼まれてしまったと、ダニーが。」とウィルフレッドが説明した。
「イザベラ様が聖女に会いたがっているというのは、本当のことだったのか。」
「そういうことらしい。」
二人が納得している様子を見ながら、リズは立ち上がる。
「じゃあ、今回はそのために来たという事ね。」
ニコニコと、それはそれは嬉しそうなリズにウィルフレッドが言葉をかける。
「なんでそんな嬉しそうなんだ?」
「だって、やっと転移魔法陣使わせてもらえるのよ?本当ならゲームの序盤で使えるはずなのに!」
身体の前で両手を握り、ぶんぶんと上下させて怒っているのか喜んでいるのかわからないリズに、二人が笑う。
そして、チリリリリンとウィルフレッドが鈴を鳴らすと、執事のロンが姿を現した。
「ルディ・ドリオに、今すぐ王宮に飛んでダニー・ヒルと取り次ぐよう伝えてくれ。リズにイザベラと面会する旨、確認できたと。公爵家からの返事が来次第、リズはダニーと共に公爵家へ。アルベルトはリズの護衛として一緒に行け。」
ウィルフレッドの言葉に頷いたリズとアルベルトは、お互いを見てまた頷いた。
三大公爵家の一つであるリーベルス公爵家は、王宮からもほど近い場所にその屋敷を構え、その荘厳さを誇る建物と手入れの行き届いた庭は、王宮の離宮をも凌ぐと言われるほどの豪華さだ。
そんな建物に圧倒されて、緊張感を増すアルベルトだったが、そんな彼を気にすることも無くリズは至って落ち着いていて、「なんか観光に来たみたいね。」と楽しそうに言う。
馬車にはリズとアルベルトと、そしてダニーが膝を突き合わすようにして座り、門をくぐってからなかなか辿り着かないその屋敷が、近づいてくるのを今か今かと待っていた。
「異世界にも、こんなすごい建物があるのか?」
「あら、馬鹿にしないで。向こうには雲の上までいけるような塔があったり、誰でも遊びに行けるお城のような遊園地があったりするのよ。」
「雲の上。」
アルベルトが馬車の窓から空を見上げる。しかし生憎、今にも雨が降りそうな曇天模様だ。ギュッターベルグが雪だったことを思えば、まだまだこちらは暖かいのだが、日が差さなければ寒いものは寒い。
レティが前世で生きていた世界。夢物語のようにいつも聞いていたが、リズにとってはそちらが現実だ。
「こういうお城みたいな雰囲気の建物は、私が住んでいるところからは遠いんだけど、向こうにも結構いっぱいあるの。そういう場所のほとんどは観光地になっていて、誰でも中に入れるのよ。」
「貴族は住んでいないのか?」
「あら、そういうことはレティから聞いていないの?王様とかお姫様とかいる国は、もうほとんど無くなってしまったのよ。」
異世界の話を聞く機会などほとんど無かったであろうダニーが、目を見開いてリズの話を聞いている。気を付けなければ不敬罪になりかねない話だが、リズが異世界から来ていることを知るダニーなら、きっと大丈夫だろうとアルベルトは信じることにして話を続けた。
「ああ、身分制度が無いんだったな。」
「うちの国は、ね。でも、残っている国もあるわ。それでも、王宮の政治に不満を溜めた平民たちが革命を起こしたり、他の国との戦争に負けて王族がいなくなったり、理由は様々だけど、力と知識を持った平民が協力し合って、貴族制度を廃止した国が多いわね。貴族制度が残っていても、権力が無かったり、普通に平民のように働いていたりと様々よ。」
「リズの国も元々は貴族制度があったってことか?」
「うちの国?うちの国には実はまだ王様らしき人がいるんだけど、何かを決められるような権力が無いの。こちらと同じく君主主義だったらしいんだけど、私のおばあちゃん世代の時に起きた世界大戦に負けて、今は民主主義国家よ。」
みんしゅしゅぎとは?と思いながらも、その意味を聞くのはやめて、色々な形があるのだなとアルベルトは納得することにした。いくら聞いたって、この国の厳しい身分制度は変わらないだろうし、王宮に平民が観光に訪れることも無いだろう。
「世界大戦とは、世界中で戦争が起きたということですか?」
ダニーがリズに問う。思わぬ人からの質問に、リズがちょっと驚いてから二ッと笑う。
「そう。しかもそれが三十年ぐらいの間に二回もあってね。うちの国は、町一つ消えてしまうぐらいの爆弾を二つも落とされて負けたの。でも未だに戦争をしている国はあって、たくさんの人が死んでいるわ。そう思ったら、こちらの方が平和かもしれないわね。あ、でもこっちは遠い他の国で戦争しているかもしれないか。」
最後の方はリズが何かを納得したように、ぶつぶつと独りごちた。それが聞こえたのか、ダニーは頷いて、「どこの世界でも、人間という生き物の習性は変わらないということですね。」と寂しそうに言った。
馬車が揺れる。馬の鼻息が響いて足音が止み、馬車停まる。
ダニーが外を見てから、扉を開けた。本来なら、開ける立場のアルベルトが出遅れたことを謝罪すると、ダニーはにっこりと笑って「馬車の中だけは貴族制度廃止ということで。」と小さな声で言った。ダニー・ヒルは魔王伝説の功績を認められ、今でこそ子爵位を冠しているが、実家は末端貴族である男爵家だ。アルベルトと同じで、貴族制度には思うところがあるのかもしれない。
公爵家の玄関には使用人が並び、三人を出迎えてくれた。先頭に立つ執事らしき人物が先導し、応接室へと案内される。豪華な内装に気後れしつつ、ソファーに座り、リズに謝罪をしたいと懇願しているという人物を待った。ところが、そこに訪れたのはまさかのこの豪邸の当主、リーベルス公爵その人だった。
立ち上がり、挨拶の口上を述べる。リズは男爵令嬢だった時代もあるのだが、もう二十年も前のことで忘れてしまったと、修道女の服であるスカプラリオの前を摘まんで頭を下げただけだったが、リーベルス公爵は気にしていないようだった。
アルベルトは王宮でのパーティーや、何らかの儀式の時に見かけたことがあったはずなのだが、もっと恰幅の良い人物では無かっただろうかと、今目の前に座る人と記憶を重ねる。目の隈がはっきりと見て取れて、彼の疲労ぶりは明らかだった。
「遠いところをご苦労。イザベラは自室にいる。会いに行ってくれるか。」
公爵からの頼み事だ。断れるわけがないと心の中で呟く。しかし、リズはそんなことを気にするまでもなく、「じゃあ、行きましょう。」とアルベルト達に言って立ち上がり、服を整えている。
リーベルス公爵はそんなリズに驚き、そして同じように立ち上がると、「よろしく頼む。」と言って、信じられないことにその頭を下げたのだった。
「今日は、いつもより少し体調が良いみたいです。」
そう言って、簡素な形ではあるけれど、それでも贅沢なまでに刺繍の施されたドレスに身を包んだイザベラが、彼女の自室で三人を出迎えてくれた。通されたのは、客をもてなすことができるようにソファーなどの調度品が備えられた部屋で、彼女の本当の自室はこの部屋の向こうにあるようだった。調度品は全て品よく纏まっており、さすが公爵家のご令嬢といったところだ。
リズはそんな部屋を「ほえー。」と修道女らしからぬ声を出して、キョロキョロと見回している。そして、「恐ろしく広いわねぇ。我が家がまるまる入ってしまいそうな部屋だわ。」と呟いたリズの言葉を、アルベルトは聞かなかったことにした。
「これは掃除が面倒ね。」
リズが独りごちたその言葉に、なんとなく突っ込んではいけないと判断したのか、ダニーも何も聞こえていないかのように顔を逸らした。
イザベラにソファーを勧められた三人が、それぞれ腰を下ろすと、よく教育された侍女たちが静かにお茶を用意していく。統率のとれた侍女たちの綺麗な所作に、リズが感嘆の溜息をついた。
アルベルトとリズにとっては、卒業パーティー以来となるイザベラだったが、今の彼女はひどく物憂げで、少し窶れてしまったように見えた。学園での超然とした雰囲気は鳴りを潜め、自信無さげなその雰囲気は、年相応の女性らしくもあった。
時折イザベラに視線をやり、心配そうに見守る侍女に、先ほどの言葉通り今日はまだましな方なのだろう。
エドワードとイザベラが、幼い頃から仲睦まじい時間を過ごしていたことは、王宮では有名な話だ。図書館で一緒に本を読んだり、庭園で並んで花を愛でたりしていると、たかが魔力制御訓練に訪れていただけのアルベルトの耳にさえ入ってきていた。それについて、ウィルフレッドが何かを言った記憶は無いし、あまり興味も無さそうだったと、アルベルトは当時の事を思い出す。
ウィルフレッドに卒業パーティーでの婚約破棄を持ちかけて、次期皇太子妃と言う立場は失わないまま、大好きな彼との婚約という状況を作ったのは彼女のはずだ。もし、それがエドワードによる入れ知恵だったとしても、彼女が望んだことではなかったのか。しかも、彼女がその状況を手に入れてから、まだ半年ほどしか経っていない。幸せの絶頂にいても可笑しくない彼女の変貌ぶりに、アルベルトは不思議な気持ちでそれを見ていた。
侍女たちがお茶の用意を終え、静かに退室していく。時折心配そうな表情を見せていた侍女も、退出したようだった。イザベラが人払いをしたらしい。
「リズさんとお呼びしても?」
イザベラがリズに問う。見た目は全く違うが、中身があの時のリズだという事は理解しているらしい。誰が彼女にそれを教えたのか、大体の目途はたっているものの、それでもそれを理解するのは難しいことだっただろうとアルベルトは思う。
リズは一瞬首を傾げた後、ニコッと笑って頷いた。
「卒業パーティー以来ですから、半年ぶりでしょうか。」
「正しくは二十年ぶりですね。」
イザベラの言葉に、リズがいたずらが成功した子供のように笑って答える。イザベラはその意味が掴めず、きょとんとしているが、その顔が少女のようで、彼女の纏う空気が少し和らいだ気がした。
「アカデミー時代は、いじめから救っていただいてありがとうございました。」
そう言って、リズが頭を下げる。聖女としてウィルフレッドと過ごす時間の多かったリズは、他の貴族令嬢達に囲まれてやっかみを言われることも多かった。アルベルトもそれを知ってはいたが、ウィルフレッドの傍仕えである自分が庇えば、より面倒になることもわかっていて、何もできないでいた。そんな時、彼女を助けてくれたのはイザベラだったのだ。
イザベラは首を横に振る。
「それは決して善意からでは無かったわ。」
「それでも、助かったのは事実ですから。」
さっぱりとそう言い切るリズを、イザベラが不思議そうな目で見る。そんな視線を受けて、「私、本当の世界ではもうあなたぐらいの娘がいても可笑しくない年齢なの。」とリズが言う。そして、「実際、息子はもう十二歳だしね。」と、ケラケラ笑った。
イザベラの目が大きく開き、そしてそんなリズにつられるように、思わず笑顔が零れた。
「で、何をそんなに悩んでいるの?おばさんに相談しちゃいなさい。」
リズはそう言って、胸元をこぶしでドンっと叩いた。
修道女らしからぬその行動に、思わず吹き出しそうになったアルベルトだったが、イザベラは泣きそうな顔になる。そして、しばらく黙っていたイザベラが、ゆっくりと頭を下げる。両手がドレスをぎゅっと掴み、俯いている。少女がするようなそれに、彼女の逡巡が見て取れるようだった。
そして、彼女がぐっと姿勢を戻した時には、その瞳に決意がのっているのがわかった。
「私は、今、二度目の人生を生きています。」
エドワードの言っていた言葉だと、アルベルトはあの時のイライラしたエドワードを思い出していた。
「ああ、逆行転生ね。」
リズの言葉に、イザベラがもう何度目かわからない驚いた顔をした。そういえば、レティも同じことを言っていたし、その時自分も驚いたことをアルベルトは思い出す。
「ご理解いただけるのですか?」
「よくあることよ。」
リズがにっこりと笑う。イザベラはしばらくリズを見つめたまま固まっていた。
よくあることでは決してないとアルベルトは心の中で思う。レティはそれを物語の中の話だと言っていたはずだ。
皇太子妃としての教育を幼い頃から受けてきた賜物だろうか、イザベラは驚いてもすぐに気持ちを持ち直すよう努力をしているようだ。彼女が落ち着いた様子で言葉を続ける。
「一回目の人生で、私は修道院送りになりました。」
「確か、聖女を階段から突き落としたのよね。」
リズの言葉に、アルベルトとダニーが驚いた顔でリズを見た。そんなことが過去にあったのか?と。
「言っておくけど、その時の聖女は私じゃないし、二回目のイザベラ様は誰も突き落としていないし、私は誰にも突き落とされていないわ。」
リズの言葉にイザベラは、「何でもご存知なのですね。」と困ったように笑った。
「何度もやったゲームの世界だからね。ある意味、十回以上転生しているとも言えるわね。」
リズの方が格上のような話し方になっていることに気づいたアルベルトは、一瞬冷や汗をかいたが、イザベラが気にしていないようだったので、そのまま何も言わないでおくことにした。心の中で、異世界人はやはり色々な意味ですげーなと思ったことは秘密だ。
「二回目を生きていると気が付いた時、始めの生の最期に私に毒を勧めてきた父が、全く変わっていないことに安堵しました。かく言う私も、皇太子妃になることだけが心の支えでしたから、今度こそ間違えまいと画策したのです。」
イザベラが再び姿勢を正した。つられてアルベルトも姿勢を正す。それを見たリズがちょっと笑ったようだった。
「ウィルフレッド王子殿下が聖女に惹かれることはわかっておりましたから、初めからエドワード王子殿下に狙いを定め、時を見てウィルフレッド殿下が臣籍降下されるような何かを起こす、そう考えていました。具体的にそれは何かを考えていたわけではありませんが、自分が生きてさえいれば、なんらかのチャンスが訪れるだろうと思っていました。ところが、学園で再び出会った聖女様は、前の人生で出会った聖女様と違っていて…。」
「ああぁ。」と、リズとアルベルトの声が被る。
「ウィルフレッド王子殿下と、リズ様がなかなか仲睦まじくならない様子に、私は焦りました。その頃には既に、ウィルフレッド殿下との未来を考えられなくなっていたのです。しかも、ワイバーンが襲来したあの時、前の生ではリズ様が聖女として覚醒されたのに、今回それを倒したのはそちらの方でしたから。」
イザベラはそう言って、アルベルトに視線を向けた。
「す、すみません。」
「何、謝ってんのよ。」
「いや、なんとなく?」
リズがアルベルトを小突くと、イザベラは優しく微笑んだ。
「それで、手紙をくれたのね。」
リズの言葉に、イザベラは小さい声で「…はい。」とだけ返事をした。
「どんな手紙だったんだ?」
「早く聖女に覚醒しなさいって感じのやつ。」
「ご、ごめんなさい。」
「全く気にしないで。お陰で聖女になる決心がついたんだから。」
イザベラが謝ると、リズはケラケラと楽しそうに笑った。
「イザベラ様が謝りたいと言っていたのはそのこと?」
「本来ならばギュッターベルグ伯様にも謝罪申し上げなければならないところですが、身分的にもなかなか難しいところでして。本来なら、ギュッターベルグ伯様が皇太子に、リズ様が皇太子妃となられるはずだったのに、私がそれにこだわってしまったばっかりに…。」
イザベラがそう言って俯く。
「エドワード殿下と、何かあったの?」
リズの言葉に、それこそ瞳が零れ落ちんばかりに目を開いて驚くイザベラが顔を上げた。
「どう、して。」
「彼、最近こちらをウロウロしてるのよ。何かあるんだろうとは思っていたんだけど、イザベラ様は彼との間に何かあったから、今の状況を後悔するようになったんでしょう?」
リズはあっさりとそう言い切って、驚いた表情のままのイザベラに笑いかける。
「謝罪なんて、一切必要ないわ。私もウィルも今の状況にとても満足しているし。特にウィルは自分から望んだ立場でしょう?あなたは感謝されるべきよ。」
そう言って、足を組み膝の上に両手を重ねたリズは、優しく微笑んだ。それは、今のその恰好通りに神に仕える修道女のような、それとも慈愛に満ちた母親のような、そんな笑顔だった。
「あなたもわかっているはずよ。本当は謝罪をしたいんじゃない。相談したかったのね。エドワード殿下の事を。」
ポロポロポロと、イザベラの瞳から涙が零れる。まさか自分が泣くと思っていなかったのか、イザベラは自分の手に落ちた雫に視線を落とし、その手をしばらく見つめていた。
「エドワード殿下に何があったの?彼はなんであれほどまでに私に会いたがっているの?」
ハンカチを取り出したイザベラが、それを目に当てる。そして、静かに口を開いた。
「どうやら、彼には愛する人がいるようなのです。」
―――――――――
王宮でダニーと別れ、アルベルトとリズは転移魔法陣のある魔術研究室へと向かう。研究室には室長がどこから情報を得たのか、二人を待っていて、挨拶と簡単な説明だけして後で報告をすることを約束し、二人はギュッターベルグに戻るため転移魔法陣に乗った。
「転移魔法陣って見た目は良いのに、想像以上に楽しくないわね。」とリズがケラケラと笑いながら言う。
「楽しいとか、楽しくないとか、そういうものでは無いだろ。」
「普通、転移魔法が使えると物語が一気に広がるのよ。いかに早くそこまでレベルを上げるのかが肝心だし、それが楽しみだったりするものなのに。王宮との行き来だけなんて、このゲームの残念なところよね。」
相変わらずよくわからないリズの言葉に、それでも自分が苦労して作り上げた転移魔法陣を悪く言われたような気がして、アルベルトはしかめっ面をした。
「さて、私は帰るわね。」と、唐突にリズが言った。
「ウィルフレッドに会って行かなくて良いのか?」
「報告はアルベルトがしておいて。もう帰って、夕飯の用意しなくちゃ。」
リズはそう言って、「じゃあね。」と手を降ると、アルベルトが止める間もなく走って行ってしまった。
あっという間のことにやや呆然としながら、今度リズが来たら廊下は走らないということも教えなければと考えながら、アルベルトはウィルフレッドの執務室へ足を向けた。
タケルが家で待っているのだろうか。今度は、リズのご亭主も来るような話をしていたな、と修道女だらけの家を想像して、アルベルトはふっと笑った。
謝罪なんて、一切必要ないと言い切ったリズの言葉をウィルフレッドに伝える。イザベラは感謝されるべきとまで言っていたことを。
それを聞いて、ウィルフレッドはあははと楽しそうに笑った。
「さすが、リズだ。確かにその通りだし、それをはっきりと言葉で伝えられる強さは、俺には無いな。」
そう言って、ウィルフレッドがちょっと困ったように笑いながら肩を竦めた。
感動しているというよりは、母親のパワーに圧倒されている息子のような笑顔だなとアルベルトは思う。それが、妙に微笑ましくもあった。
「しかし、謝罪したいと言っていたのはあながち嘘では無いようだったが、本当はエドワードのことで聖女に聞きたいことがあったらしく、そっちが本音だったみたいだ。」
「エドワードのことで?」
エドワードがイザベラをだしに使って聖女に会おうとしていることを、イザベラ自身理解していた。しかも、エドワードには想いを寄せる人がいるらしいと。だからこそ、一度リズに会って、エドワードが何を企んでいるのかを知りたいと思っていたようだった。
しかし、肝心のリズは「私が知りたいくらいよ。」と肩を竦ませただけだったのだ。それを聞いたイザベラの落胆はひどく、瞳からポロポロと溢れて止まらない涙は、皆を困惑させるほどだった。
リズが少し困ったように、それでも優しく笑いかけ、「エドワード殿下が本当に好きなのね。」と言った。
ただ確認しただけの言葉が、とても温かく感じたのはイザベラも同様だったらしい。イザベラは、涙を溢し続ける目を大きく開いて、自分の気持ちにやっと気がついたようだった。
幸せを胸いっぱいに感じて良い時期なのに、彼女の目からは涙がこぼれていた。それだけ、エドワードとの幸せな未来を望んでいるという証なのだろう。しかし、今は当のエドワードが何を考えているのかわからない。いよいよ、リズに会ってもらわなければならない時が来たのか。結局は、エドワード殿下の思惑通りに進んでいるのではないか。
アルベルトが考えていたことを、リズも考えていたのか、「これは、エドワード殿下が魔王化する前に、会っちゃった方が良いわね。」と恐ろしいことをいとも簡単に言ってのけたのだった。
公爵家で話した全てを報告し終えて、アルベルトは姿勢を正し、ウィルフレッドの反応を待った。ウィルフレッドはしばらく考えた後、机を指先でコツコツと叩き、「確かにそうだな。」と呟いた。
「次にリズが来たときにエドワードと面会できるよう取り計らうか。場所は、そうだな。王宮ではなく、こちらで。いや、時期的にはエドワードの公式訪問の頃になるのか。」
自分に言い聞かせるかのように、ため息混じりでウィルフレッドは言った。
本当は会わせたく無いという気持ちが出ている。しかし、魔王化されては困るといったところだろうか。
「まじで強い」とタケルも言っていた。どうせ変わってしまった運命だ。そのまま黒くならずにいていただきたいものだとアルベルトは思う。
「魔王化したときのために、戦う準備もしておくか?」
ウィルフレッドは一度机に落とした視線をアルベルトに戻し、少し残念そうな顔で「そうだな。」とだけ言った。
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