第14話 【勇者】アルベルト

 ~魔王復活まであと一ヶ月~



 朝、レティが玄関前を掃除していると、アルベルトの父親であるトニーおじさんと長男のヘルマンが二人連れだって歩いてくるのが見えた。レティに気がついて、トニーおじさんが手を振った。

 


「おはよう、レティちゃん。お手伝いえらいね~。」

 


 トニーおじさんはいつまで経ってもレティを子供扱いだ。

 


「トニーおじさん、おはようございます。ヘルマンもおはよ。どうしたの? 朝から二人揃って。」


「ロベルトが帰ってきてるんだろう? ちょっと色々話を聞きたくてね。約束してるんだけど、聞いてないか?」

 


 レティが尋ねたことに、答えたのはヘルマンだった。



(なるほど。だから今日は早くから準備してたんだ。)



 レティは、そう一人納得する。今日は、朝食後のいつものレオナルド新聞タイムが無く、残念に思っていたところだ。ロベルトの情報を共有して、今後の動きを決めるということか。さすが、叙爵されただけある。抜け目が無い。

 


(各地の情報を得ておいて、損は無いもんね、商売人としては。でも、今日来るなんて、私は聞いてないけどさ!)

 


 さも聞いてますというフリをして、レティは二人を応接室へと案内する。二人がソファに腰掛けたことを確認して、お茶の準備をしようと廊下への扉を開けた。ネリおばさんは、まだ就業前だ。そこに、ちょうどロベルトがやってきた。

「おじさんたち、もう来てるよ。」と。レティが声をかければ、「おお。悪い、悪い。ありがとな。」と全く悪びれた様子もなく応接室に入っていった。

「久しぶりだな~ロベルト。」「ヘルマン、お前変わらねーなー。」なんて軽口が背中に聞こえたところで、応接室のドアが閉まった。

 

 台所に向かうと、レオナルドが新聞を片手に応接室へと向かう所に出くわした。「お茶、入れてくるね。」と、声をかけると、「ああ、頼む。レティの分もね。」と言われ、思わずその顔を二度見する。

 


(私も席につけと。――嫌な予感がする。)

 


 そんな予感は、結構当たるもので。


「なるほど、そしたらアルベルトはその魔王の調査に行ったということか。」とトニーおじさんが納得したように言う。アルベルトがしばらく王都を離れると報告に来たとき、詳しいことを全く話さなかったので怪訝に思っていたらしい。

「さすがに、そんな情報をおいそれと漏らすわけにはいかないもんなぁ。」と、トニーおじさんが腕を組んで頷いた。

 

「しかし、実家は商家なんだから、少しぐらい情報を置いていってくれても良いってのに。堅物だ。」とヘルマンが怒ったように言うと、「戦争が起きるかもしれないと匂わせただけ上出来だ。おかげで早めに動けた。」と、レオナルドが笑った。



「今のところ、そちらの備蓄物資は。」

「押さえられるだけ押さえてある。間もなく入ってくるはずだ。湾岸の第二に倉庫も借りれた。あそこなら避難経路から外れるだろうからな。」

「あとは、避難場所がどこに指定されるかだな。」

「軍事物資はまだ要請が来ていないのか?」

「こちらは王宮の出方次第だな。これ以上押さえて余剰物資でも出たらたまったもんじゃない。」

「現地への輸送状況は。」

「今、商業ギルドの方に確認を取っていて、その返答待ちだ。」

 


 レティがお茶を並べている最中、商魂逞しい会話が進んでいく。魔王なんて初めてのことだ。何が必要になるか、わからないことだらけに違いない。それでも、今までの経験で想定されうる状況を確認し、そのために必要なことを上げ連ねていっている。嫌でも、緊張感は増していく。

 レティは、静かに全員分のお茶を並べ終えると、四人が取り囲んでいるテーブルから少し離れた席に向かい、サイドテーブルに自分のお茶を置いて、腰をかけた。

 


 魔王が、復活する。

 


 夢の中の出来事のような、ロベルトの冗談のような、そんな風に現実でないことのように思ってしまっていたが、大人四人が額を寄せ合って話し合う様を見れば、嫌でも現実であることを意識する。魔王といえばファンタジーの骨頂であるが、前世を思い出してからというもの、いつも感じていたことだ。――こちらでは、それが現実なのだと。

 

 皇太子殿下とその婚約者であるイザベラ様の婚約破棄。

 殿下の廃嫡、臣籍降下。

 ギュッターベルグへの左遷という名の派兵。

 第二王子の立太子と、イザベラ様との婚約。

 

 今まで起きた出来事が、前世の知識と結びつきそうなのに、繋がらない。

 


―――自分が転生した意味は?



 レティは、もどかしい気持ちでいた。

 


―――足りない情報は?



 魔王と言えば、勇者か、聖女か…それが前世でのテンプレだったとレティは思う。という事は、今足りないのは、誰が魔王を倒すのかってことだ。



 ギュッターベルグ伯が?


 派遣されている兵達が?

 

 これから颯爽と現れる勇者か、聖女か。それともちょっと変化球で、偉大なる魔法使いとか…。

 


(ん? もしかして?)

 


 不安な気持ちが襲いかかってくる。なんで今まで気がつかなかったのか。いるじゃないか、盛大なフラグを立ててる奴が。

 

―――結婚を約束した幼なじみは、異世界転生者。



(そんな話は聞いたこと無いけどね! でも、さすがにこれは、ちょっと? やばいんじゃ…?)

 


「おい、レティ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ。」

 


 ロベルトの声に、思考の沼から這い出る。「あ、ええ、大丈夫。ちょっと嫌なこと考えてた。」とレティは、首にべっとりと張り付いた汗に気がついて、手の甲で軽く拭った。 

 そんなレティに、「アルベルトは大丈夫だ。昔から危なっかしいことばっかりしてたから、これぐらいのことどうってことないよ。」と、ヘルマンが笑う。どうやら、気持ちは読まれているらしい。

 


(くっ、恥ずかしい。)

 


「そういえば昔、レティが魔王ごっこやる! とか言って、アルに勇者やらせてたことあったよな。自分が魔王だーって言って。」ヘルマンがソファの背もたれに寄りかかって言った。「そんなことあった?」記憶に全く無いレティが問えば、「あった。あった。俺も交ぜろって言ったら、じゃあ魔王やってって言われてさ。自分は聖女になるからって。覚えてないか、小さかったもんなぁ。」と、ロベルトが笑った。

 前世の記憶を完全に思い出す前から、やっぱり影響があったんだな。———と、レティも笑う。


 

「普通、アルが魔王だよな。ワイバーンの時だって、話聞いてる方がビビったって言うのに。」

 


 ん? ———前世では聞き慣れた魔物の名前に、レティは思わず反応する。

 


「ワイバーンって、何?」 

「あれ? 知らない? 翼がある竜種で、」「いや、そういうことじゃなくって、アルベルトのワイバーンの時って何?」

 


 レティがそう尋ねると、ヘルマンとロベルトは顔を見合わせた。

 


「アカデミーにね、ワイバーンが突然やってきたことがあってね、」と、お茶を飲んでいたトニーおじさんが、カップを戻しながら教えてくれる。「アルベルトが魔法でやっつけたらしいんだ。」と。

 


(聞いてないし。)


 

「レティちゃんには言うなって、アルが言うからさ。ごめんね。」


「レティに心配かけたくなかったんだなー、きっと。」と、ロベルトがニヤニヤ笑う。

 


(いや、違う。私にしつこく聞かれるのが嫌で、言わなかったな。絶対。)

 


「で、その事件があったせいで、今ギュッターベルグに行かされてるんだわ。」と、掃除さぼった罰としてやらされている先生のお使いか!っていうぐらいの軽さで、ヘルマンが言った。


 

「アルからは、全然連絡無いの?」


「ギュッターベルグで会ったけど、すごい忙しいって。人手が全く足りないって、珍しくグチってた。」


「やっぱり情報統制入ってるってことか。」

 


 また、レティを無視して会話が飛び交っていく。レティは、昔の記憶の中に潜る。

 

 アカデミーを突如襲ったワイバーン。———そんなゲームが昔あったな、と。

 確か、聖女が出てくる———そんなゲームだったな、と。






 ◆

 

  黒い髪に黒い瞳。生まれ持ったその色を、初めて不思議に思ったのは、お城から「えらい人」というのがやってきた時だった。父親が言うその「えらい人」は、黒いフードのついたマントを被って、とても暑そうな格好をしていた。


「来週から、週に一度王宮へ来ていただき、訓練を受けてもらう必要があります。」


「いやしかし、そちらで訓練を受けているお子様達は、皆、貴族のご子息ご令嬢なのではございませんか。うちも貴族とはいえ末端ですし、次男坊ともなれば、少々荷が重いのではと…。」


 応接室で父親とその人が向かい合い、どうやら自分のことを話している。魔力、貴族、黒持ち、訓練、そんな言葉が目の前を通り過ぎていくのを、アルベルトはまだ理解できない頭で聞いていた。



「僕も一人で遊びに行ける!」と、何度言っても許してもらえなかった理由を知ったのは、それからすぐだった。いつも家族の誰かと一緒だったから、全然気がつかなかったのだが…。こちらをチラチラと見ながら、怪訝そうな顔でヒソヒソと話す大人たち。アルベルトの存在に驚き、「ひっ!」と息を飲んで足早に逃げていく女性。連れている子供の手を引っ張り、少しでもアルベルトから離そうとする母親。そして、少し離れた所で子供に説明するのだ。「黒持ちには気をつけなさい。」と。

 毎週、通うことになったお城での魔力制御の訓練に、始めは家族の誰かが付いてきてくれていたのだが、毎週のことだし一人行けると主張してみれば、そんな大人たちがそこかしこにいることに嫌でも気が付く。視線が自分に集まる気持ち悪さを、アルベルトは見て見ぬ振りをして誤魔化した。しかし、平民の子供たちが通う学校に行くようになれば、嫌でもわかる。自分は、この色のせいで嫌われているのだと。


 

「黒持ち! こっち来んな!」


「やだ! 怖い! 来ないで!」


 

 子供たちの言葉は辛辣だ。そのままアルベルトの心に突き刺さる。クラスメイトの親たちから学校へ意見もされているらしく、先生方でさえも腫れ物を扱うかのようにアルベルトに接して来るのだ。それでも、アルベルトがアルベルトのままでいられたのは、常に気をかけていてくれた家族と、昔から変わらない元気な幼なじみのお陰だった。

 

 幼なじみのレティは、商会同士の付き合いもあって、オムツをはいた頃からの腐れ縁だ。今思えば、人の目から避けるように守られていた自分の、唯一の友達でもあった。

 


 でも、———こいつはたまに変だ。

 


 アルベルトの黒い瞳をじっと見て、「レティもこれぐらい黒かったら良かったのに。」と言うのだ。「茶色なんて、ちゅうとはんぱ。」だと。子供らしくない難しい言葉を、意味をわかって使っているのか。しかし、レティの家族もアルベルトの家族も、彼女のその言葉遣いを楽しんでいる節があった。


 

「黒色の目はね、お日様に強いんですって。しがいせんから目を守ってくれるのよ。」


 

 そう言って、自由に使って良いとレオナルドから渡された書き損じた書類の裏に、目の大きい団子のような生き物を描いていく。不思議な歌を口遊みながら。本当にこいつは何を言っているんだ―――と、アルベルトは首を傾げる事ばかりだ。自分にとっては「しがいせん」なんてよく分からない物はどうだって良い。こんな嫌われる色じゃなく、普通の色が良かったといつも思っているのだから。

「手足がある物もいるのよ。」と言って、レティは団子のような生き物に、線のような手足を描いていく。きっともう話題は、この不思議な生き物に変わってしまったのだろう。

 

 

 そして、また別の日のこと。その日は、レティとアルベルトのそれぞれの家族が集まっての会食だった。既に食事は終わり、大人は大人同士で会話を楽しんでいる頃、三人の男の子達は何をして遊ぶかという作戦会議中だった。

 そこにレティがトトッとやってきて、「今日は、魔王ごっこをします!」と、突然言い出した。かと思うと、「私、魔王をやるから、アルは勇者ね。」と勝手に決める。レティの兄であるロベルトが面白がって、「そこは普通、アルが魔王だろ。」とレティに言うと、「じゃあ、ロベルトが魔王ね。私は本当は聖女が良いの。」と、相も変わらず全く話を聞いていない様子だ。

「なんで、アルが勇者で、僕が魔王なんだよー。」とロベルトが不貞腐れたように口を尖らせて言うと、「だって勇者は黒い髪って決まってるじゃない! 勇者のあかしなの! あーかーし!」と訳の分からない理由を突きつけた。

 いつものように、恐らく意味の分かっていない言葉を偉そうに述べるレティに、ロベルトは苦笑し、それを見守っていた大人たちが笑う。レティの発想はいつだって、桁違いに予想を上回るものだし、誰しもを笑顔にしてしまうのだ。

 

 しかし、唖然としたまま二人の会話を聞いていたアルベルトは、自分のこの忌まわしい黒髪が「勇者の証」だと、そう言われたのだと、———それにやっと気が付いたのは、ロベルトの演じる魔王が二人に襲いかかろうとしている時だった。


 

「勇者の証。」


 

 ぐっと何かがアルベルトの心を締め付ける。泣いてしまいそうだった。気にしていないつもりだった。守ってくれる人達がいるから、平気だと思っていた。しかし、———自分が思うよりもきっと傷ついていたんだ。

 


「勇者、アルベルト! 魔王を倒しに行くわよー!」と、なんとも気合いの入らない言葉で、戦へと誘う聖女。

 


 自分が、勇者であることが嬉しい。聖女である彼女が、自分と一緒に戦ってくれることがもっと嬉しい。

 

 みんなが笑っている。

 

 アルベルトは瞳に溜まってしまった涙を、腕でぐっと拭って、「おー!」と、鬨の声を上げた。


 



 

  定期的に通うようになった王宮での魔法制御の訓練は、とても楽しかった。アルベルトにとって、それは少し意外なことであった。

 幼い頃に魔力を暴発させて、兄のヘルマンに怪我を負わせたことがあり、それから使うことを意識的に避けていたのだが。家族はアルベルトのせいではないと言ってくれたし、ヘルマンは包帯を巻いた手で抱きしめてくれたけど、それでも…こんなものは無ければ良かったと思うことばかりだった。


 初めての魔術制御の訓練は、三十分ほどの座学だった。数人の子供が席に座っている。皆、歳はバラバラのようだった。アルベルトほど真っ黒な髪の子はいなかったけれど、それでも皆、濃い灰色の髪色をしていた。

 授業が始まる前に、王宮のえらい人が数人の子供たちの前で挨拶をする。そして、「君たちの魔力はこの国の力でもある。この国のため、精進してほしい。」と力強く言った。


 こんな、人に忌み嫌われる自分の魔法が、必要とされていることが―――とても嬉しかった。そして純粋に、目の前で繰り広げられる無限の可能性に心躍った。しかも、訓練が始まってしまえば、自分が誰よりも強い魔力を持っていることを知る。

 制御さえできれば、家族を怪我させることも無くなるし、何より王宮で働いて、家族を助けることができるかもしれない。そんな希望が芽生えるのは、当たり前のことだった。


 

 しかし―――、



「お前、下級貴族だろ。頭を下げろ。」と、頭を押さえつけられる。「どんな手を使ってここに潜り込んだんだ。早く帰れよ。」と、嫌味を言われる。外の世界と同じく、ここでも散々やられた。ところが、アルベルトの魔力に特別に目をかける魔術研究室のジョン・ノア室長が、アルベルトに居場所をくれたのだった。


  

「自分を卑下することはありません。魔術師の世界は、実力で決まります。負けないように努力をすれば良いのです。」



 そして、実はノア室長が元平民であることを、こそっと教えてくれた。その時の笑顔がとても優しくて、アルベルトは室長の期待に応えるためにも、誰よりも真面目に訓練に取り組んだのだった。まあ、それが他の子供達には余計に面白く無かったのだろうと、大人になってからやっとわかるのだが。


 アカデミーを皆順次卒業し、同じ研究室所属となっていくと、申し訳なさそうに昔のことを謝って来る者もいたが、同じ仕事を一緒にこなしていく内になんとなく面倒になって、アルベルトは昔あったことは水に流すことにした。

 


 そして、その日は突然訪れた。訓練からの帰り道、少しだけ遠回りしてブラン商会の前を通る。「おーい、レティ。」と、玄関を覗いて声をかければ、ネリおばさんが、「あら、アルベルト様。こんにちは。」と声をかけてきて、「レティ様なら今お部屋におりますけれど、呼んできましょうか?」と言ってくれる。その通り、レティを呼んでもらう日もあるが、大体は部屋に遊びに行く。案内などもちろん必要ない。

 


 こんこんとドアを叩く。

 

「はーい。」と暢気な声がする。

 

「俺。」と言えば、「そこは、山でしょ。」と、言いながらドアを開けてくれる。

 

「山」と言ったら「川」と答えるのだと、前に教えられた。「そこは海じゃダメなのか?」と聞いたら、「あれ海だったっけ?」と、相変わらずの返答だったが。だからといって、アルベルトがそれを使ったことは一度もない。

 


 ベッドの上に散らかった本。机の上には本と、落書き。それを見て、アルベルトはいつも不思議とホッとする。

 

「アル、これ、これ。ちょっと見て。」と、レティが一冊の本を見せてくる。

 

 どうせまたくだらない話だと分かっているが、それでもそれを受け取って、パラパラと覗いてみる。髪の毛を黒く塗られた勇者が、魔王と戦っている。


 

「これ、レティが塗ったの?」


「あ、それね。本読んでるときペン持っちゃダメって分かってたのに、気づいたら塗っちゃってたの。」



 レティは、何かをしている時に無意識に落書きをしてしまう癖がある。



「だって、勇者と言えば黒髪でしょ? 金髪の勇者とか、絶対無しでしょ。」


「金髪だって、強きゃ良いんだろ?」


「金髪は、勇者じゃなくて、ただの強い人。ヘルマンが勇者とか、絶対可笑しいでしょ?」


 

 アルベルトの兄ヘルマンは、顔はそっくりだが、髪色は金髪で碧眼だ。相変わらず理解不能な価値観を持つレティに、アルベルトは苦笑する。 


―――なんなんだろうな、こいつは。


 

「でも、この話は魔法使いが最高なんだよ~。」


「なんだそりゃ。」と言ってアルベルトが笑う。

 

 レティがアルベルトを慰めようとしているわけではないこともわかっている。だからこそ。

 レティは何も聞かないから、アルベルトも何も言わない。こんな時間がいつまでも続けばいいと、そう願う。

 


「今回は冒険小説か。」と言って本を閉じ、表紙を眺める。

 

「それ、ちょっと早めに返してね。もう一回読みたいから。」と言いながら、レティがソファに腰かけた。

 

 アルベルトもそれにならったように、向かいのソファに座る。

 


「あ、でも次はちょっと行ってみたい所があるんだ。アルベルトはもうすぐアカデミーでしょ?」


 

 そう、もうすぐアルベルトはアカデミーに入学する。先日、立太子の儀を終えたばかりの皇太子様と、その婚約者となられた公爵家のご令嬢もまさかの同級生になる。

「皇太子様とその婚約者様と一緒とか…」と言って、レティは突然何かを思い出したように固まった。


 

「どうした?」


 

 レティの視線が、何もないところを見ている。目が回っているかのように、視線が定まらない。


 

「え? 何? これ。」


 

 アルベルトはすぐさまレティの側に駆けつける。閉じられた手を上から覆うように握る。その手は汗を握り、震えている。



「レティ?」


 

 そのままソファに倒れ込みそうになったレティの肩を、アルベルトは抱きしめた。



「おじさん! ネリおばさん! 誰か! レティが!」


 

 アルベルトの声に気が付いたネリおばさんが、レティの父親であるレオナルドを呼びに行ってくれた。廊下をばたばたと駆ける音がする。レオナルドが飛び込んでくる。アルベルトの腕からそっとレティを受け取って、彼女の顔にかかった髪を横へ流すと、レオナルドはベッドへそっと運んだ。

 

 突然の事に、アルベルトの頭は真っ白だった。


 レティがいなくなってしまうかも、そう思うと背筋にゾッとしたものが走る。



―――お願いだ。早く、目を覚まして。



 ベッドに座り、レティの手を取る。レオナルドは、医者を呼びに行ったようだった。


 

 「レティ。」



―――やばい、泣きそうだ。


 

「レティ、目を開けて。」



 その時だった。レティの目がパチリと開く。アルベルトはそれに驚いて、声が出せないでいると、レティはまたどこか遠くの方を見ているようだった。そして、ガバッと起き上がり、アルベルトの方を見て、目が合った。



「あ、これ、異世界転生ってやつ。…まじ、ですか?」



 レティから発せられた新たな呪文に、アルベルトはしばらく放心し、そしてホッとして力が抜ける。「お前、心配させんなよ。」とレティの足下に突っ伏す。そして、目元に溜まった涙を隠した。



「ねえ、アルベルト。私、前世、思い出したみたい。」



 そう言って始まった、レティの前世話にアルベルトが固まった。前世とやらを思い出したレティは、前と変わらず、いやそれどころかより一層レティらしくなっていた。

 


「やばいよ。私、魔法使えるようになちゃったかも。」と言って、薪に念を送る。


「あの世界の知識を使って、チートする? って、私、パソコンの資格ぐらいしか持ってないし! カムバック! PC!」と、呪文を唱える。


 しかし、レティの奇行には既に皆免疫があり、レティの言う「前世の話」を、家族もアルベルト達も「また始まった。」ぐらいにしか聞いていない。

 

 止まらないお喋り。戻ってきたレオナルドも巻き込んで、レティの話は留まることを知らない。ホッとする暇もなく、そのお喋りを聞かされて、二人は顔を見合わせ、そして最後はお腹を抱えて笑ったのだった。

 


 後からその時を振り返ると、レティはそれを「前世から転移した瞬間だ。」と言うが、端から見れば、その妄想癖に拍車がかかっただけだった。ただ、聞いたことのない新しい単語が増えただけ。



「前世はね普通の、ほんっとーに普通の会社員でね、」



 絶対普通じゃ無かっただろうな。と、アルベルトは思う。声に出しては言わないけど。



「ガチャに二万つぎ込んで凹んでね、アパートの階段踏み外して落ちたみたい。」


 

―――落ちたみたいと言われても。既に、知らない単語が二つも出てきている。



「携帯いじりながら階段下りるの危ないって分かってたのになー。SNSに撃沈って書いてる最中に、高校の同級生からメッセ来て、おっ!と思っちゃったんだよね~。」



 まさか、前世のレティが死んだ瞬間を語っていたとは思わず、アルベルトは苦い顔になる。



「大家さんに、悪いことしちゃったなー。」



 アルベルトが何も反応しなくても、全く気にせず話は進む。まあそれは、今始まったことではない。



「問題はあの汚部屋だわ。推しスペースも見られただろうなー。オタバレも、まあ、今更か。」



「オタバレって何?」と、ちょっと気になったので聞いてみると、「オタクがバレること。略してオタバレ。」と、結局意味のわからない説明が返ってくる。アルベルトはもう突っ込むことを諦めて、聞き役に徹することにした。


 前世のレティは、「ファンタジー」という小説が好きだったらしい。「ゲーム」というものも好きだったらしいが、レティの説明ではいまいちどんなものか分からなかった。そして、この世界はその「ファンタジー」の世界と酷似しているらしい。


「何らかの能力に芽生えたはずなんだけど。」と、レティは自信満々に言う。レティから魔力は全く感じられないと教えてやると、「そんなはず無いんだけどなー。」と口を尖らせる。



「じゃあ、その内聖女に覚醒するんだわ。きっと。で、アルベルトと冒険の旅に出る。」



 アルベルトは、「また始まった。」と、呆れる。そして、ちょっと考えて「でも、それもなかなか楽しそうだな。」と、笑う。


 王子様とお姫様。

 勇者と聖女。

 魔王と女神。

 悪魔と天使。


 レティの話す前世の世界は、想像力で溢れていた。


 騎士と魔法使い。

 悪役令嬢とヒロイン。

 婚約破棄と断罪。


 レティの溢れ出る発想を、誰かが理解できるわけがないのだ。


 人外、もふもふ、ざまぁ、チート、ダンジョン、乙女ゲーム、スキル、王道、テンプレ、フラグ、バグ、裏ルート…


 意味のわからない単語も着々と増えて、新生レティはますます絶好調だ。



「問題は、言葉使いが悪くなったことだけだな。」



 アルベルトがそう言うと、レティは肩を竦めて「それはアルベルトのせいでしょ。」と言う。「んなわけあるか!」と、突っ込めば、「ほらほら、そーいうとこ!めちゃくそ言い方、悪!」と嬉しそうに言ってくる。


「いやいや、お前のそーいうとこが俺に伝染ったの!」とアルベルトも笑った。






 最北端の地ギュッターベルグは、山並みに雪の残る山深い地域だった。新緑の季節ではあったが、朝晩はまだまだ冷え込む。宿の外に出ればまだ白く残る息を吐き出して、アルベルトはその山並みを眺めた。

 今日は、いよいよ現地調査が開始される。ギュッターベルグ城の広間で、まずはそれについての説明と、分担が発表される予定だ。



 アカデミーを卒業後、予定通り魔術研究室に入ったアルベルトは、王宮からの要請に応じてこちらに派遣された。卒業後、爵位の無いアルベルトがウィルフレッドの側にいられることは無いと思っていたのだが、何がどうして、あの卒業パーティーからの諸々で、気が付けばまたしてもウィルフレッドの元で働くことになった。


 なぜ、彼が卒業パーティーで婚約破棄などという、自分の首を絞めるようなことをわざわざしたのか。それについて尋ねる機会は無いままだったし、卒業後に王宮ですれ違っても、身分が違うため顔を拝見することすら許されず、彼がどういう心境なのかさえ計れずにいた。それが今回、こんな最北端の地で、よもや上司と部下として働くことになろうとは。誰が想像しただろうか。


 ギュッターベルグ城は、地方領主の住まいとしてはあり得ないほど立派な建物で、広間は王族が夜会を開いても申し分無いほどの豪華さだった。昔、ここに王族の誰かが住んでいたと言われているが、あながち間違いではないようだ。

 そんな広間に集まったのは、アルベルトを含めた魔術師三名と文官三名、そして騎士の代表らしき人物が二人だけだった。「ギュッターベルグ地方の調査」と言われてはいるが、隣国との軋轢の噂も耳にする。きっと極秘な任務であろう事は想像に難くなく、皆一様に緊張した面もちだ。アルベルトも他二名の魔術師と並んで、今回の総指揮を執る人物を待つ。


 カツカツと幾つかの足音が聞こえてくる。


 奥の扉から、ウィルフレッドと一人の文官が入ってくるのが見えた。皆、一斉に頭を下げる。アルベルトもそれに倣う。


「皆、長旅ご苦労であった。これからギュッターベルグ伯様からお言葉がある。心して聞くように。」と、文官のよく通る声が響く。

 カツっと、足音がした。ウィルフレッドが一歩前に出たのだろう。



「許す。楽にせよ。」



 皆が一斉に顔を上げる。久しぶりに見たウィルフレッドは、窶れたというのではなく、引き締まって精悍な顔つきになっていた。

―――ウィルフレッドが一瞬アルベルトを見た、気がした。


 リズが生徒会室を訪れてから、ウィルフレッドは変わった。それこそアルベルトの幼なじみが読みそうな小説に出てくる王子様から、誰もが一目置く為政者へと。誰もが、彼が次期国王になることを疑わなかった。———それなのに。



「皆にはこれから、国勢に関わる故、極秘裏に進めてもらわねばならない案件がある。国王陛下からの勅命である。心して聞くように。」



 それだけ述べて、ウィルフレッドは再び一歩下がった。



「それでは、宰相筆頭補佐の私、ダニー・ヒルより説明させていただきます。」



 そう言って、ウィルフレッドの横にいた文官が口にした言葉に、それを聞いたものは一様に目を見張った。しかし、アルベルトだけは違った。その文官の言葉が、ひどく懐かしい言葉のように感じたのは、きっとあの幼なじみのせいだろう。



「二年に渡り、こちらのギュッターベルグにおいて発生している様々な事象について調査した結果、二百年前にこちらに封印された魔王のその封印が、間もなく崩れるものと推定されます。」



 アルベルトのまわりにいる文官や魔術師がざわめき始める。


 魔王。

 二百年前。

 封印。


 印象的な言葉ばかりが頭に残って、情報を処理しきれない様子だ。当たり前だ。そんなことありえない。――普通なら。

 アルベルトはふと、普通じゃない幼なじみの顔を思い浮かべる。



「今回の調査は、魔王の封印そのものの調査となります。残された文献も少なく、まずはその場所の特定、そしてその封印状況の確認をすることから始めます。」



 こちらの情報処理を待たず、命令は下されていく。



「魔術師は、ギュッターベルグ北の修道院跡地の地下にある洞窟を重点的に調査。文官はそこからもたらされる情報の分析と、補給物資の調達及び輸送の準備を。騎士団はそれぞれの補佐及び援護を。編成を急ぎお願いします。」



 胸に手を当て、了承の意を示す。皆、まだ言われたことを理解しきれていないが、それはもう癖みたいなものだ。

 ウィルフレッドがまた前に一歩出る。



「魔物発生の量もその強さも増している。抜かりなく、頼む。」



 それだけ言って、ウィルフレッドは背を向けて入ってきた扉へと戻っていく。皆、一様に頭を下げた。



「アルベルト・フィッシャー。」



 まだ皆が頭を下げている時、ダニー・ヒルと名乗った文官が名前を呼んだ。アルベルトが「はい。」と返事して顔を上げる。



「閣下より、君に一つ頼みたい事がある旨聞いている。この後、閣下の執務室に。」


「はっ。」



 返事をして、また頭を下げた。ダニー・ヒルは一つ頷くと、ウィルフレッドと同じように翻って扉へと歩いていった。


 足音が聞こえなくなると、いよいよざわざわとした喧噪が訪れる。「魔王」という単語が、不安を掻き立てる。騎士団の代表が一言二言、魔術師の一人と会話をした後、広間を出て行く。これから編成会議が行われるのだろう。

「アルベルト、俺たちはこれから文官の方々と会議室に行くから、お前も後で来い。」と研究室の先輩達も移動を始める。

 アカデミーの時代に、アルベルトがウィルフレッドの従者をしていたことを、先輩達は知っている。きっとその理由さえも。



「ありがとうございます。終わり次第向かいます。」



 そう言って、軽く頭を下げ、アルベルトも広間を後にした。





 コンコンとドアをノックする。



「魔術研究室所属、アルベルト・フィッシャーです。」



 そう述べれば、すぐに「入れ。」と入室の許可が出た。ドアを開けると、重厚なその重さを感じて、王宮のそれを思い出す。数歩入り、頭を下げたまま言葉を待つ。

「ふっ。」と、ウィルフレッドが笑ったような声がした、まわりの空気が少しゆるんだ。



「アルベルト・フィッシャー、よく来てくれた。」とウィルフレッドの声がする。


「有り難いお言葉でございます。」と、頭を下げたままアルベルトが答えると、「ふふっ。」ともう一度笑ったようだった。



「楽に。」



 そう言われ、アルベルトは顔を上げる。そこには執務机の椅子に腰掛け、両手で頬杖をついて穏やかに笑うウィルフレッドがいた。肩の力が抜けた、立太子する前の友の顔だ。アルベルトも、笑う。


「長旅、お疲れさん。」とウィルフレッドが言う。「お前の頼みじゃ断れるわけねーだろ。」と言ってやると、ウィルフレッドは嬉しそうに笑った。



「行ったことがない所には転移できないっていうのは、ちょっと辛いな。」


「まあ、これでこれからは行き来できるから良いさ。」


「これからお使いも頼むな。」


「王都に買い物に行かせるためだけに呼ぶとか、まじやめろよ。」



 アカデミーに入学したばかりの頃に生徒会室でしていたような会話を、アルベルトは心地よく思う。

 皇太子から辺境伯へ。準男爵家の次男坊から王宮の魔術師研究室所属魔術師へ。一度は完全に離れてしまったと思っていたものが、気が付けば少し近づいた気がした。不思議なものだ。



「しかし、なんで婚約破棄なんか。」



 アルベルトがそう言うと、ウィルフレッドはちょっと困ったように肩を竦めただけだった。何も聞いてくれるな。ということだろう。まあ、お偉いさんの考えていることなど、知る必要もないし、知りたくもない。アルベルトは心の中で勝手に納得して、「まあ、こうやってまた話せるようになるんなら、俺は大歓迎だ。」とニヤリと笑って見せれば、ウィルフレッドは泣きそうな、でもほっとしたような複雑な顔で笑った。


そして、真面目な顔に戻ったウィルフレッドが、「一つ、頼まれてほしいことがある。」と言った。



「お望みのままに。」


「リズ・シュナイダー男爵令嬢を迎える準備を。」



 その名前を最後に聞いたのはいつだっだか。きっと、生徒会室の前の廊下で会話をしたのが最後だった。ストロベリーブロンドの髪と、あの溢れ出る魔力を思い出す。



「彼女が何か。」



 思わず固い言葉が出た。しばらく間を置いて、「リズ・シュナイダー嬢は聖女だ。」とウィルフレッドは言った。そして、アルベルトの顔をじっと見る。その反応を伺っているようだ。

「あまり驚かないんだな。」と、ウィルフレッドは肩透かしをくらったようだった。


 確かに、人より少し免疫があるかもしれないと思う。魔王とくれば勇者か聖女だと、小さい頃からしつこく言われてきた。あの幼なじみが聞いたら、大興奮なのは間違いないが。



「本来はもっと早く聖女として君臨し、予言をもってこの国を率いて魔王を封印するはずだったらしいのだが、間違えたと。」



―――間違えた。その言葉が妙に頭に残った。


 入学式の日に隣の席にやってきた彼女は、皆が厭うこの髪色を見ても、何も感じないかのように、ストロベリーブロンドの髪を耳にやりながら、「お隣、よろしくお願いします。」と、挨拶をしてきた。

 珍しいと思ったが、隣の席に座る人間が嫌がらないのなら良かったと、ホッとしたのも覚えている。お陰で、打ち解けるのも早かったし、家以外では遠巻きにされることが多く、アカデミーでもそうなると思っていただけに、彼女が当たり前のようにそこにいることが、妙に心地よくも感じていた。そして、どこかあの幼なじみを思わせる空気。

―――まあ、あの幼なじみに敵う奴はいないけれども!



「先日、手紙が来て。やっと覚悟が決まったと。」



 リズが久しぶりに登校してきて、それからしばらくして生徒会室にやってきてから、ウィルフレッドとリズが並んで何か話しているのをよく見かけた。用事があるからと、放課後に二人でどこかへ行っているのも知っていた。ウィルフレッドから何も聞かされなかったので、そのまま見て見ぬフリをした。色々あったのだなと、アルベルトは納得する。



「了解。行ってくる。」



 そう返事をすると、ウィルフレッドは「では。」と姿勢を正す。ギュッターベルグ伯として命令を下すのだ。



「では、今日これから他の者と一緒に修道院跡地に向かい、ダニー・ヒルの指示を仰げ。聖女の迎えは明日、早朝。」


「御意に。」



 アルベルトが頭を下げ、胸元に手を当て了承の意を示す。王宮で勤めるようになって、もう癖のようになってしまったそれを、ウィルフレッドが少し悲しそうな目で見ていた。

 アルベルトが一礼し、踵を返す。ドアを開けようとしたところで、「そうだ、アルベルト。」と声がかかる。アルベルトが振り向くと、「聖女を迎える用の馬車は、明日午前九時に王宮からフィッシャー商会の方に行くことになっている。」と、ウィルフレッドがニヤリと笑った。



「寄り道は、一時間だけだぞ。」



 そう言って立ち上がると、アルベルトの側まで来て「婚約者によろしくな。」と言って背中を叩いた。



 






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