第13話 皇太子とその婚約者

 ~魔王復活まであと二年~



 生徒会室で聞いた彼女の話は、どこか切ない恋物語のようだった。彼女は俯きがちにポツリポツリと、それまで彼女自身に起こったことを話し出した。俄には信じがたい、本物の彼女が存在しているはずの世界は、遙か彼方にある国の話のようでもあり、この国の遠い未来の話のようでもあった。

 

 彼女がしてしまったこと、しなかったこと。


 涙を堪えていることは分かっていたが、ウィルフレッドは何も声をかけずに、ただそれを聞いていた。




  

 ウィルフレッドは王宮に戻ると、その日の内に国王陛下への面会を申し入れ、すぐにその時間は設けられることになった。

 


「聖女と、名乗ったか。」

 


 国王陛下の執務室で、国王と皇太子が執務机を挟み向かい合った。陛下は、椅子の背もたれにどっかりと寄りかかり、両肘とも肘掛けに乗せながら、胸元で手を組んでいる。ウィルフレッドは家来がそうするように、机を挟んだ反対側で、身体の前で両手を合わせ、立ったまま報告する。人払いはされていて、宰相でさえもここにはいない。御前会議ではひどく威圧感のあるオーラを放つ国王陛下も、皇太子と二人きりの時はそれを引っ込めて、一人の父親らしい佇まいであった。

 

 ウィルフレッドは頷くと、「しかし、覚醒するタイミングを誤ったため、まだ覚醒できていないと申しておりました。」と続ける。

 

 ウィルフレッドの友である、アルベルトの人生を変えてしまったあの瞬間は、彼女の運命をも変え、この国の未来に暗雲を落とした。本来なら、あの場面で覚醒し、聖女としての予言を終えている時期なのだと、それができなかったから、今では宰相補佐室付きとなっている文官のダニー・ヒルに協力を請うたのだと、そう彼女は言っていた。ダニー・ヒルが、想像以上の報告を上げてきたその理由を、ウィルフレッドは彼女の言ったことで知ったのだった。

 


「それで、お前はどの様に。」


「嘘は告げていないと。」


「そうか。」

 


 国王陛下は腕を組み、暫く考え込んでいる。時折、その髭を撫でるのは、深く考えている時の癖だ。

 


「魔王が復活するのは二年後と、そう申したのだな。」


「はい。」

 


 そしてまた、暫しの沈黙が訪れる。ウィルフレッドは静かにその返答を待つ。

 


「…二年後か。」

 


 国王陛下はまた少し何かを考えて、「では、エドワードに。」と言った。———ウィルフレッドの目が大きく見開く。エドワードは第二王子であり、ウィルフレッドの二歳年下の弟だ。来春にアカデミーへの入学が決まっている。

 


「待ってください。彼は、二年後ではまだアカデミーの二回生ですよ。」



思わずといったように出てしまった大きな声に焦って、ウィルフレッドは少し声を抑え、「私が行きます。聖女は私と行くと予言しております。」と続けた。

 まさかまだ成人もしていない弟に、よもや陣頭指揮を執らせるというのか、とウィルフレッドは心の中で憤る。———聖女は、自分を頼ってくれているというのに!


 そして、この感情が魅了の魔法によるものだとしても…それでも構わないとさえ思っていた。

 


「聖女としてまだ覚醒していないのであろう。」


「努力はしております。」


「間に合うのか。」


「それは…。」

 


 彼女は、ウィルフレッドから見ても、間違いなく焦っていた。魔王の復活までに間に合うかどうか、彼女自身がわかっていない証拠だ。

 


「覚醒できていないことを、責めるつもりは毛頭無い。この国の命運を握るお方だ。国を挙げて守ると誓う。」

 


 ウィルフレッドは黙ったまま下を向き、自分の重ねられた両手を見ながら続く言葉を待つ。

 


「危険な状況に、皇太子が行くべきではないことぐらいわかっているであろう。それが、国勢をどれだけ揺るがすか、分からないお前ではあるまい。」

 


 ウィルフレッドは目を瞑る。首を横に振る。「それでは、」と、顔を上げ、自分が今思いついた言葉に、ウィルフレッドはぐっと拳を握り締めた。

 


「…廃嫡と、してください。」

 


 国王陛下が目を見張り、「なんということを。」と息を飲む。

 


「そして、エドワードを皇太子に。」

 


 ウィルフレッドはそう告げて、国王陛下を見る。しばらくウィルフレッドの目を見返し、その真意を探るかのような国王陛下であったが、ふっと力を抜き―――ふと父親の顔を見せると、「あれに国王の座は、荷が重い。」とだけ言った。

 



 


 「イザベラは王妃になりたいの?」と、エドワードがまだ無邪気さの残る顔で聞いた。 第二王子であるエドワードと、その兄にあたる皇太子の婚約者であるイザベラは、今日も王宮の中庭にあるガゼボで、ゆっくりとお茶を楽しんでいた。今日はアカデミーがお休みのようだし、天気も良いいようなので、外で花でも愛でながらお茶でもしませんか。そう誘ってきたのは、エドワードだ。

 

 本当はこの後、皇太子殿下から話があると呼び出されているのだが、少し早めに登城し、その前にエドワードに会うのは、あの時からの習慣のようになってしまっていた。前回の生を思い出し、第二王子に狙いを定めた、まだ幼かったあの時から。

 そして、そういう時は必ずといって良いほど、エドワードがイザベラを待っているのだ。誰かが情報を漏らしているのだと、誰もが疑うほどに。しかしそれはイザベラにとって都合が良く、わざわざ言及することは無かったけれど。


 二人のお茶会は、既に周知されるものとなっているが、誰も咎める者はいない。それは、幼い頃から姉弟のように一緒に本を読んだり、庭園の花を愛でたりという優しい時間を過ごしてきた二人を皆が知っているためであり、今でも周りには微笑ましく思われている。最近では、ある令嬢と並んで会話する皇太子殿下の姿がよく見られるようになり、その婚約者であるイザベラには同情さえ寄せられている。二人のお世話をしてきたエドワード付きの使用人達にとっては、そのままイザベラ様と一緒になってしまえば良いのにという意見さえ出てきているほどだ。 

 

―――それはもう、イザベラの期待通りに。

 


「ええ、そうですわ。」と、イザベラはにっこりと笑った。 


「そのために、小さい頃から厳しい王妃教育を受けてきたのですもの。それが無くなってしまったら、私はどう生きていけばいいのかさえわかりません。」と、イザベラは心底困ったようにはにかんでみせる。エドワードは、最近の兄の噂を聞いてイザベラが落ち込んでいるのではないかと心配し、彼女をお茶に誘ったのだが。しかし、意外にもイザベラが元気そうだったので、彼は一度聞いてみたかったことを聞いてみることにしたのだ。

 

「もし、もしだけど。」と、エドワードは誰も周りにいないことをもう一度確認しながら、それでも身体を前のめりにして交頭接耳の構えだ。イザベラも、はしたないと知りつつ、少し身体を前に倒す。



「兄様じゃなくて僕が皇太子になれば、僕と結婚してくれる?」



 ひそひそと囁かれた言葉は、イザベラにとって想像以上に甘いものだった。イザベラは、これ以上ないほどの笑顔で微笑んだ。そして、同じようにひそひそ声で返す。


 

「もちろんですわ。でも、そのためには皇太子殿下に婚約破棄していただかなくてはなりませんけれど。」


 

 そう言って、困ったように笑った。エドワードは「ふーん。」と、何かに納得したようニヤリと笑うと、———「兄様は、ギュッターベルグに行くさ。だって、そういうシナリオなんだから。」と、イザベラに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言った。

「シナリオ?」と、イザベラが問い返すが、それに対して返事は無い。エドワードはにやにやと、その状況を楽しんでいるようだった。そして―――。


 

「ねえ、イザベラ・リーベルス嬢?」


 

 突然フルネームで呼ばれ、イザベラは固まる。心の内を見せないようにと厳しく教育されてきたはずだ。それなのに…。目を見開き、その名を告げたエドワードの唇から目が離せない。その後、エドワードが口にしたのは、彼が考えたという思いもよらないシナリオだった。

 

「それは…。」とイザベラが口ごもる。

 

 それは、まさにイザベラが望んだことだ。完璧なまでのシナリオに、心が震える。

 

 修道院で食べた菓子の臭いが蘇る。

 突き落とした、服とその中にある清らかな肉体の重さ。

 殿下とその横で笑うストロベリーブロンドの聖女。

 王妃教育で叩かれた時の頬の痛み。

 次期王妃と囀る取り巻きの令嬢達。

 

 目の前では、エドワードが無邪気に笑っている。イザベラの心に、何かがぽつりとこぼれたようだった。胸の前で右手を強く握る。黒い染みが、ゆっくりと広がっていくように、小さな不安が生まれ、育っていく。

 


「そんなことを…。悪いお方だわ。」


 イザベラは、なんとかそう声にするが、そんなイザベラを楽しむように、エドワードは頬杖をついて顔をのぞき込んでくる。そして、「僕、悪い王子じゃないよ。」と、あざと可愛く言って、「こっちの方が面白そうだしね。」と、言ったのだった。

 





 「卒業後、すぐにでもギュッターベルグへ派兵することになるだろう。」と、ウィルフレッドは言った。まだ国王陛下の許可は出ていない。しかし、自分が行かなければという思いは日々募るばかりだ。

 王宮のサロンで、イザベラとウィルフレッドはテーブルを挟んで向かい合うソファに座っていた。お茶を入れてくれた侍女は、既に退出させている。未婚と言うことで、ドアは開いているけれど。

 

「聖女様と共に、魔王を倒しに行かれるのでしょう?」と、イザベラが言う。彼女がそれを知っていたことにウィルフレッドは驚くが…、彼女の父親であるリーベルス公爵が、何か漏らしたか。


 

「知って、いたのか…。」


 

 そんなはずはない。リズが聖女であることを知っているのは、ウィルフレッドと国王陛下だけのはずだ。ウィルフレッドが微笑みの裏側で訝しんでいるのを知ってか知らずか、イザベラが笑顔で「それでは、こうしませんか?」と言う。


―――そうして、イザベラから提案された言葉にウィルフレッドは息を飲んだ。

 



「卒業パーティーにて、婚約破棄してくださいませ。」

 


 扇子の向こう側で紡がれる言葉。その目は何も考えていないかのようだった。



「さすれば、勝手な振る舞いをしたとして、殿下は廃嫡。代わりに、第二王子殿下が次期皇太子となり、立太子されることとなるでしょう。殿下は臣籍降下に伴いギュッターベルグ伯となられ、人前で婚約破棄された罪無き婚約者は、そのまま第二王子の婚約者に。」

 


―――皆、幸せでは御座いませんか?

 

―――殿下の失態に、国王陛下もギュッターベルグへの殿下の派遣をお覚悟なさるでしょう。そこで戦果をあげられることで、傷ついた名誉を取り戻すよう取り計ろうとするはずです。

 

―――いかがでございましょう? 隣国にも悟られず、誰も傷つかず、お望み通り聖女様とご一緒に魔王を倒しに行っていただけますわ。

 

―――とても、良い案だと思われません?

 


 余りにスラスラと述べられる完璧なシナリオに、流れ込んでくる言葉に、ウィルフレッドは唖然とする。そして、言葉に詰まる。あまりに綺麗に出来上がっている。ワイバーンの事件から魔王の復活まで、それどころか、王宮で過ごした幼少の頃でさえ、全てがシナリオ通りだったのではないかと疑いたくなるほどだ。

 イザベラが、弟であるエドワードと仲睦まじい時間を過ごしていることは、ウィルフレッドの耳にも入っていた。だからといって、どうこうするほどの感情が彼女に対して無かっただけだ。


 しかし。

 


「イザベラ嬢は、それを望むのか。」と、ウィルフレッドが問えば、イザベラは少し首を傾げた。そして、「私が望むのではありませんわ。」と、口元を扇子で隠したまま―――「殿下のお望みを叶えましょうと、そう申し上げているのです。」


 ウィルフレッドは黙り込む。その姿を正面で見つめ、扇子の中で微笑みを湛えながら心の中でイザベラは嘲笑う。ああ、なんて素晴らしいシナリオなのかしら。———と、イザベラはうっとりとした気持ちになる。エドワード様が、自分のために考えてくれたシナリオは、世に残る芸術作品を思わせるほど美しい。心の中の黒い染みが、また少し大きくなった気がする。胸の前で空いている方の手をぎゅっと握る。

 

 ウィルフレッドはそんなイザベラを見て、少し驚いたようだった。そして、何かを思い出したように、自身も胸の前でぎゅっと手を握る。そして、何かを思いついたように目を上げた。

 


「先程までは、エドワードと?」


 

 ウィルフレッドが珍しくイザベラ自身について聞いてくる。初めてのことに、イザベラの心が少しだけ揺らいだ。それでも、エドワードとの時間がウィルフレッドに知られているであろうことは、既に覚悟の上だ。


 

「はい。いつもよくしていただいております。」



 大したことでも無いように答えたイザベラに、「そうか。」とだけ言って、意外にもウィルフレッドは微笑んだ。最初の生で遠目に見た、殿下の本当の微笑みのようだった。それを見て、「ああ。」と小さく息を震わせたイザベラは、不思議な安堵感の中、微笑んだ。

 

 ウィルフレッドが立ち上がり、イザベラに右手を差し出す。イザベラはその手を取り、立ち上がる。そして、「では、私の望みを叶えてもらおうか。」と、ウィルフレッドは言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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