<SS>エドワードの苦悩

 もうすぐ春だというのに、想像以上に積もった雪に足を取られながら、自宅に帰る途中だった。───はずだ。


 雪に滑ったのか、それとも居眠りだったのか、はたまた飲酒だったのか、原因はわからないけれど、どうやら自分は交差点に突っ込んできた車に轢かれて死んだらしい。

 住宅ローンは生命保険で賄えるから良いとして、来年に高校受験を控える娘には申し訳ないことをしたものだ。まあ、この春に受験じゃ無かっただけまだましか。

 嫁は…まあ、まだ若いことだし、美人だし、それなりに上手くやっていくことだろう。

 後悔は、今やっているゲームのエンディングを見れなかったことぐらいだろうか。


 エドワードは机に頬杖をつきながら、そんなことをのんびりと考えていた。

 目の前に積まれた課題は、もう間もなく現れる家庭教師によって採点されるが、その時必ずついてくる嫌味を聞き流すのもいよいよ面倒になってきた。兄であるウィルフレッド皇太子殿下と比べられては、グダグダと嫌味を言ってくる家庭教師の似顔絵をその紙の端に描いてやる。オタクの絵心なめんなよ。──と、案外上手く描けて、エドワードは少しばかりご満悦だ。



 気が付けば、第二王子というやつになっていた。こちらにやって来た時、エドワードは庭園でお茶をしている最中で、記憶が混乱して目を回したエドワードのために人を呼び、声をかけ続けてくれたのは、ウィルフレッド皇太子殿下の婚約者だったというのだから驚きだが。


「お休みになられますか。」と、彼女が心配そうに顔を覗き込んでくる。


 確かにちょっと休みたい。いや、本音を言えば、エドワード第二王子が、つまりは自分がこの後どうなるかをしっかりと思い出したい。

 最後に見たエドワードはどうだった?ラスボスになってはいなかったか?

 不安が大きくなっていき、エドワードは気が付けばそこで気を失ったらしい。



 確か、病弱という設定だった。ベッドに横たわりながら、その体の重さを感じる。右手を持ち上げて、手の甲を見つめた。



 エドワード・フォン・リジルアール



 聞いたことのあるその名前を前世の記憶の中に辿って、それを見つけたのはすぐのことだった。

 高校時代のクラスメイトで、数年前に再会し、連絡先を交換した数少ない女友達の一人が、そういえば学生時代にしつこく薦めてきていたあのゲーム。しかも、その第二弾的なものが出たばかりだった。ストーリーを追うことがメインのゲームではあるが、映像の綺麗さが売りだったことを思い出し、死ぬ前に買って、実は間もなくエンディングというところだった。つまりは唯一の後悔であるゲームの中に、自分は転生したらしい。

 そういえば彼女と再会したのは、高校時代からずっと仲が良かった奴の七回忌だったなあとなぜか急に思い出した。そいつも彼女にそのゲームをよくやらされていた。



「あいつも異世界転生したかなぁ。」



 エドワードは目の前の手を下ろし、ベットの天蓋を眺めたのだった。



 健康への不安。兄、ウィルフレッドへのコンプレックス。そして、兄の婚約者であるイザベラ・リーベルス公爵令嬢への想い。

 しかし、イザベラは再来年の春に死ぬ。エドワードがアカデミーに入ってすぐのことだ。そこからエドワードは色々と拗らせていく。


「空気の良いところは、身体に良いから。」と誰かが言った。


 魔王が再び封印されたギュッターベルグを治めるために臣籍降下され、王都から遠く離れた地で、その拗れた部分は暗い闇へと変貌する。

 そんなことになれば、自分は破滅の一途だ。エドワードはごくりと唾を飲んだ。

 早急に新しいシナリオを考えなければならない。自分が破滅しないシナリオを。

 あわよくば、本来のエドワードが望んだ未来を。



 しかし、何かがおかしい。

 その違和感の正体に気がついたのは、兄とのお茶会の度に体調伺いに来るイザベラの存在だった。

 ゲームの中のイザベラは、兄ばかりを見ていたのではなかったか。聖女の存在に苦しみ、階段から突き落とすそんな話があったはずだ。彼女の行動は、エドワードに対して、さも好意を抱いているかのようだ。まわりの使用人たちも、二人の関係を微笑ましいもののように言う。幼い頃から、愛を育みあってきたのだとさえ言われていた。


 そして、その違和感が確信に変わる。

 アカデミーに突如として現れたワイバーンを倒した「男」の話を誰からか聞いた。

 これはあれだ。裏ルートだとすぐに気が付いたのは、高校の元クラスメイトのお陰だ。新入生歓迎パーティーで皇太子と出会わなければ、裏ルートに突入できるのだと妙に騒いでいた彼女の顔が浮かぶ。

 問題はその後のイザベラだ。

 ワイバーン事件から一年以上が経過して、予定通り聖女と名乗る男爵令嬢が現れて、兄といる姿をよく見かけるようになった。それでもイザベラは彼女を突き落とすような雰囲気は無いし、微笑ましく見ているようでもあった。


「イザベラは王妃になりたいの?」と、いよいよ気になってエドワードはイザベラに聞いた。


 王妃になる気がなさそうな、そんな気がしたからだ。王宮の中庭にあるガゼボで、いつものように二人でお茶を楽しんでいる時だった。

 彼女が兄とのお茶のため王宮に来る時はいつも、二人の恋物語を信じる侍女たちが勝手にこういった時間を設けているようだったが、そう悪い時間でも無いし、そのままにしておいた。

 二人のお茶会は既に周知されるものとなっているが、誰も咎める者はいない。幼い頃から姉弟のように一緒に本を読んだり、庭園の花を愛でたりという優しい時間を過ごしてきた二人を皆が知っているためであり、今でも周りには微笑ましく思われている。 

 

「ええ、そうですわ。そのために、小さい頃から厳しい王妃教育を受けてきたのですもの。それが無くなってしまったら、私はどう生きていけばいいのかさえわかりません。」と、イザベラは心底困ったように笑った。

 

「そう。」と、誰にも聞こえないような軽い返事をしただけのエドワードに、ある仮説が浮かぶ。

「もし、もしだけど。」と、エドワードは誰も周りにいないことをもう一度確認しながら、それでも身体を前のめりにしてイザベラを待つ。イザベラも、少し身体を前に倒してくれた。


 

「兄様じゃなくて僕が皇太子になれば、僕と結婚してくれる?」


 

 ひそひそとそう囁けば、イザベラはニコリと微笑んだ。


 

「もちろんですわ。でも、そのためには皇太子殿下に婚約破棄していただかなくてはなりませんけれど。」


 

 ああ、彼女は同類だ。エドワードはそう確信をした。

 異世界からの転生者か、それとも二度目の人生を生きているのか、どちらかはわからないが、明らかに自分の運命を知っていて、それを変えようとしている。

 

 エドワードは「ふーん。」と、何かに納得したようにニヤリと笑うと、「兄様は、ギュッターベルグに行くさ。だって、そういうシナリオなんだから。」と、イザベラに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言った。

「シナリオ?」と、イザベラが問い返すが、エドワードは自分の描いてきたシナリオに夢中だ。イザベラのお陰で駒が揃った。これが上手くいくかどうかは彼女次第だ。そのやり方も知っている。


 

「ねえ、イザベラ・リーベルス嬢?」


 

 言葉に魔力と祈りを込める。

 突然フルネームで呼ばれたことに驚いたのか、イザベラは固まってしまった。可愛い可愛いイザベラ。エドワードが子供の頃から思いを寄せていたイザベラ。

 僕の幸せは、君にかかっている。

 

「それは…。」とイザベラが口ごもる。

 

「そんなことを…。悪いお方だわ。」

 


 そんなイザベラを楽しむように、エドワードは頬杖をついて顔をのぞき込む。

 高校時代のクラスメイトに感謝だなと考えながら、死んだ友達を思い出す。馬鹿みたいに漫画の名セリフを言い合った数少ない友達。

 そして、「僕、悪い王子じゃないよ。」と寂しい気持ちを隠して笑った。

 

 



 ―――――



 全ては予定通りだったはずだ。

 兄がギュッターベルグへ、前世で言うところの左遷をされ、立太子の儀も滞りなく終わり、イザベラとの婚約も発表されて婚約式も終わった。あとは、アカデミーの卒業を待って、結婚式を挙げるだけだ。

 皇太子となったお陰で公務の量が倍増し、それには辟易してはいるが、破滅するよりはましだと心を奮い立たせる毎日だ。


 ある日、宰相筆頭補佐のダニー・ヒルから間もなく魔王封印の最終報告が為される旨、報告があった。

 これで全て解決かと気を抜いていたのは間違いない。

 それから間もなくして、父である国王陛下の執務室に呼び出された。



「聖女様が再び現れた。」



 その驚きの言葉に、エドワードは思わず「は?」という声と共に固まった。


 どういうことだ。自分は魔王に心を売らずに済んだのでは無かったのか?


 ぐるぐると巡る思考に気持ち悪くなる。

 聖女が現れたということは、第二弾のゲームが始まってしまったという事だ。自分が破滅するあのゲームが。


「私が確認しに行ってまいります。」とエドワードが力強く言った。



「表向きは、皇太子としての初外交として隣国への公式訪問後、魔王封印の状況の確認という形で、その状況を確かめてまいります。」



 もし再び魔王が復活するということになれば、皇太子である自分が陣頭指揮を執ることになるのは間違いない。兄は既に左遷されているのだから。

 陛下はしばらくエドワードの様子を見ていたが、一度目を瞑り、そして「聖女関連の資料については、ダニー・ヒルに確認をするように。」と言った。



 宰相や大臣クラスの中枢の人間だけが集まる会議で、エドワードは公式訪問の話を出した。既に陛下の許可を得ている事を報告し、それについての準備を求めた。



「こちらがその資料になります。」



 会議が終了した後、エドワードの執務室に訪れた宰相筆頭補佐のダニー・ヒルは、そう言って大量の資料を差し出してきた。



「こちらが、先達ての魔王封印をされた聖女様、こちらが二百年前の聖女様の資料になります。」



 頭を下げてダニーは退出し、そのドアが閉まる音を聞いて、二つの山に分けられた資料のどう見ても違うその高さに、まずは低い方の書類に手を伸ばした。

「聖女の日記について」と書かれたその書類に思わず目が行く。

 そして…。


 ぐるぐると引きずり出される過去の記憶。

 娘は?娘はいくつだったか?

 今の向こうはどうなっている?


 日記の中身。

 残されている衣装の絵。


 どういうことだ?と、誰に問いただしていいのかわからない状況に、エドワードは頭を抱えた。


 二百年前? 

 そんなもの、どうしろというのだ。

 しかも、自分は今こちら側にいる。



「聖女様が再び現れた。」



 これはそういうことでは無いだろうか。

 異世界とこちらを繋ぐ、唯一の人物。


 早く会わなければ。


 逸る気持ちを抑えられず、エドワードは立ち上がった。










 

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【改訂版】 異世界転生って!?…まじですか⁉ 林奈 @mzmzmz

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