第30話 レティとエドワード
「王宮魔術研究室研究員、フィッシャー家当主、アルベルト・フィッシャーと、家内のレティです。皇太子殿下にお目通りをお許しいただき、嬉しく思います。」
アルベルトが頭を下げたまま、言葉を待つ。その斜め後ろで、レティも同じように頭を下げて待っていた。
「楽に。」
思ったよりも柔らかい口調に、二人は揃って顔を上げた。
アルベルトは先日もお会いしたが、レティは初めてだ。思わずしげしげと見てしまいそうになるだろうが、どうかぐっと堪えて欲しいと、アルベルトは背中に感じるレティの存在に届くように祈る。
エドワードは二人掛けのソファーに一人で座り、ウィルフレッドはその斜め横の一人掛けのソファーに座っていた。
「我が国が誇る、英雄様ですね。お会いできて嬉しいです。先日もお会いしたのに、挨拶もせずイザベラのことばかりで…お恥ずかしい。」
そう照れたように言って、エドワードが立ち上がり、手を出してきた。
「光栄です。」と言って、その手を握る。きっと後ろでまた「アルベルトが英雄!?」とか思ってるんだろうなと想像して苦笑しそうになるのを我慢した。
エドワードの向かい側の二人掛けソファーを勧められ、そこにレティと並んで座ると、「奥方も王都から?」とエドワードがちらりとレティを見た。
「そうで」「日本です。」
アルベルトの言葉に、レティが被せて言った。
エドワードの目が、明らかに大きくなった。そして、「へえ。」と、下卑た笑いをする。
エドワードが軽く手を上げると、周りにいた騎士や、メイド達が退出していった。あっという間に人払いがなされ、エドワードの雰囲気が一変する。
「どういうこと?」
人が減り、より一層静かになった感じのする部屋に、エドワードが何かを探るような雰囲気を隠しもしない強い声が響いた。
ウィルフレッドは表情を変えずに、静観している。
「日本で、二十八の時に死に、四年前ぐらいにそれを思い出しました。」
「ほう。」
エドワードが足を組み、レティをじっと見る。
アルベルトはレティを信じるしか無い。不敬罪にでもされたら、二人で隣国に逃げようとか、昔言っていたみたいに冒険の旅も良いなとか、普段レティがしてそうな妄想が広がっていく。
「奪われた事のない者が、奪われた者の悲しみを理解する事は出来ません。」
「なっ」と、思わず声が出てしまったのだろうか、エドワードがハッとした顔で、レティを見た。
「リリアを奪われないようにするため?」
「お前は、誰だ?」
エドワードがレティを睨む。アルベルトがいつでも動けるように身構えたが、ウィルフレッドは静かに状況を見つめているだけだ。
「ねえ、あなた遠藤なんでしょう?」
レティがエドワードを睨むと、彼は完全に固まってしまった。
「私は、悪いスライムじゃないよ。」
そう言って、楽しそうに笑ったレティと対照的に、時が止まってしまったかのように動かなかったエドワードだったが、「おい、大丈夫か?」とウィルフレッドが顔の前で手を振ると、「おまっ」と口が動いた。
「おまっ?」とレティがそれを真似る。
「おまっ、お前、」
エドワードの右手が持ち上がり、その人差し指がレティを指す。
「小山内か!」
レティはニンマリと笑った。
「ま、じ、…で?」
「まじよ。」
「お前、死んで。」
「そーね。死んだわね。」
エドワードが再び固まった。レティを凝視している目は、まばたきを忘れてしまったかのようだ。
ウィルフレッドの顔が、興味を隠せない顔になっている。新しいオモチャを見つけた子供のような、そんな顔だ。
「遠藤、あんた、魔王になるの?」
「…。」
「魔王になって倒されれば、向こうに帰れるの?」
「…。」
エドワードは黙ってしまったままだ。
「念願のざまぁもできたんでしょ?」
「知らなかったんだ。」
エドワードが両手を組んで、頭をそこに乗せる。顔が見えなくなった。
「リリアが、二百年前の聖女としてこっちに来るなんて、知らなかったんだ。」
「生徒手帳を、見たのね。」
「俺が前世を思い出したのも、大体四年前だ。浅井の言ってたゲームだってすぐわかったよ。結構、しつこくやらされたし。でも、そしたら俺はそのまま魔王になって破滅の運命だ。」
「だから、イザベラ様を利用したのね。」
「イザベラがシナリオと違う動きをしていたから、それを利用した。」
「なるほどね。」
「でも、まさかリリアが。」
エドワードは完全に項垂れたように小さくなってしまった。しかし、レティは容赦なく話を続ける。
「それで、第二部の主人公を探していたのね。」
「向こうは、どうなっているんだ?リリアはもう?」
エドワードが焦った様子で顔を上げた。
「異世界の事を私がわかるわけないでしょう?」
レティの言葉に、エドワードが明らかに落胆した様子を見せる。目には涙も浮いている。
「と、言いたいところなんだけどね。私がここに転生してきた意味はまだ残っていたみたい。」
そう言って、レティが困ったように優しく笑う。エドワードは理解が追い付かないような顔で、そんなレティを見ていた。
「今回の主人公は、浅井莉愛よ。ちなみに、最初の裏ルートを辿ったリズも莉愛。」
レティの言葉に、再び大きく目を見開いたエドワードが、何かを飲み込んだ。
「私たちはきっと、二百年前の聖女を救うために、そしてみんなが幸せになるためにここに来たのよ。」
そう言って、レティはニヤリと笑ったのだった。
―――――――
礼拝堂に、静かな時間が流れている。
会衆席に座ったレティが、鼻唄を歌っている。こんな時に呑気なものだと、アルベルトはその背もたれに寄り掛かりながら、なんとなく耳を傾けていた。
「それ、何の歌なんだ?」
ん?とアルベルトを見上げたレティが、「なんだったっけ?」と難しい顔をした。
今日、エドワード殿下とウィルフレッドは魔王封印の地に視察に行っている。ダニー・ヒルと魔術研究室室長も朝早くから転移してきて、大所帯での視察になっているはずだ。
アルベルトはレティと共に、ギュッターベルグ城の礼拝堂で、リズか、それともまた違う誰かかはわからないが、所謂主人公を待っている。
「なあ、昨日のあの、奪われた事のない者が…って、あれは何なんだ?」
昨夜は、晩餐会の後のエドワードとの面会もあり、家に帰れたのは深夜だった。慣れないドレス姿に、帰りの馬車で既に眠気と戦っていたレティは、その片付けが全て終わった頃には疲れきっていて、ゆっくり話す暇が無かった。
「ああ、あれね。遠藤が好きだった漫画に出てくる、めっちゃ有名な台詞なの。元々、その漫画がきっかけで喋るようになったんだけどね。」と、とても楽しそうに笑っている。
「漫画の台詞って、想像以上に使えるわぁ。」
得意気なレティに、アルベルトは呆れて笑う。そういう風に使われた台詞は、呪文か合言葉みたいなものなのだろうなと思う。
その時だった。
チラッと一瞬強く光った光の粒が、レティの前を通りすぎていく。チラッ、チラッと、その光は少しずつ増えて、移動しながら瞬いては消えていく。光の粒はゆっくりと、そして確実にその数を増やしていき、その不思議な光景にレティは目を輝かせている。
ブワッという音と柔らかい風と共に、その光の粒が女神像の前に溢れて、それが段々と修道女の姿を形作っていった。
「修道女は、本来存在していないものなのね。」と、何かに納得しているレティの目の前で、風で膨らんでいた修道女のストロベリーブロンドの髪が少しずつ収まっていき、光の粒が減っていくと、彼女はそっとその目を開いた。
驚いた様子で、回りを見渡していた修道女は、レティを見るなり「あ、あの、レティさん、ですか?」と聞いてきた。
「そうです。莉々愛ちゃんね?」と、レティは優しく笑った。
「リリア」と呼ばれた修道女は、しっかりと頷いた。
「着いて早々悪いんだけど、聞いておきたいことがあるの。」
リリアがレティを見て、「はい。」とだけ言った。
「あなたがこちらに来るのは初めてよね?」
「そうです。向こうで浅井さんにも聞かれたんですが、私はいつかこちらに落ちるって、そんなことを言ってました。」
「遠藤…あなたのお父さんは、まだ病院?」
「はい。先週、事故に遭って入院して、そのまままだ目を覚ましてません。」
リリアの目に涙が溜まっていく。レティはハンカチを差し出して、「使って。」と微笑みかけた。「ありがとう、ございます。」リリアがハンカチを受け取って、俯いて自分の目元にそれを当てた。
「じゃあ、迎えに行きましょう。」
リリアがハンカチから顔を上げる。
「こっちよ。」と、礼拝堂の出口へ歩き出すレティの後ろに、リリアも続いた。
アルベルトは早足で二人を抜いて、礼拝堂の扉を開けた。
「あ、あの、浅井さんから伝言があって、」とリリアが小走りでレティの横に並ぶ。「二百年前の聖女の小説を見つけたと。」
「さっすが、リズ!」と、レティが嬉しそうに指をパチンと鳴らすフリをした。
「こっちは私がどうにかすると。」
「じゃあ、後はあなたのパパだけね。」
レティはスキップしそうな勢いで歩いていたが、急に大人しくなったと思ったら、「向こうとこっちの時間軸は、平行していないにしても、捻れすぎててやんなっちゃうわね。」とブツブツ独りごちた。
アルベルトはそんなレティが頼もしくて、ふっと微笑んだ。
アルベルトの執務室の地下から、修道院跡地の地下へと転移する。リリアが紅潮した顔で「す、すごい!」と呟いた。
「転移魔法陣って、ちょっと見た目騙しね。」とレティはどうってこともないように言う。
「それ、リズも言ってたな。」と、アルベルトが苦笑する。
リリアの反応を見る限り、やっぱりこの二人が変なだけなのだと、アルベルトは一人納得した。
「お待ちしておりました。」
転移魔法陣の設置されている部屋を出ると、宰相筆頭補佐のダニー・ヒルが待っていてくれた。皇太子の視察中だ。適当にウロウロするわけにもいかず、朝の段階でダニーにお願いしておいたのだ。
「ありがとうございます。」とアルベルトが頭を下げる。レティとリリアも、それに倣って頭を下げた。
「聖女様のためですから。」と、嬉しそうにダニーが言う。そして、「では、こちらに。」と言って、魔王の封印場所とは逆の、修道院の建物の方へと向かう。
「今、殿下はどちらに?」
「着いて間もなく聖女様の部屋を確認したあと、数刻前に魔王封印場所へと向かわれました。間もなくこちらへ戻って来る頃ではないかと。」
階段を上り、中庭に出る。小さな扉から回廊に入り、向かったのは聖女の部屋だ。扉を開けて、ダニーが入っていき、制服の入ったワードローブを開けた。
部屋の入り口で、胸元で手を組みながら固まっていたリリアの背中を、レティがそっと押す。一度レティを振り返ったリリアは、しっかりと頷いて、部屋の中に入っていった。
「まずは、こちらを。」と言って、聖女の日記と呼ばれた生徒手帳を、ダニーはリリアに手渡した。リリアが一度ダニーの顔を見て、再び手帳に視線を落とし、そしてそっと受けとる。とてもゆっくりと、恐る恐る表紙をめくり、大きく目を見開いて固まった。
自分の名前が書いてある、自分の物ではない生徒手帳。
「あなたは今から二百年前のこの世界に落ちてきて、この国の救世主になる予定なの。」
「救世主。」
そう呟いて、ページを捲る。
「まあ、予定はあくまで予定でしかないんだけどね。」とレティがはっきりと告げた。
リリアは、日記の所に差し掛かり、その手を止める。
「私の、字だわ。」
リリアは、メモ書きのようなその日記を読んでいるようだった。
「この制服に見覚えは?」
レティが指差した、ワードローブにリリアが目をやる。そして、頷きながら「うちの近所にある高校の制服です。」と言った。
「行く予定が?」
「受験はするつもりでした。」
「じゃあ、そこは止めておきなさい。」とレティがはっきりと言った。
「自分が不幸になるシナリオなんて、くそ食らえよ。」
レティがそう言って笑った時、ザワザワと窓の外が騒がしくなった。エドワードが魔王の封印場所から帰って来たようだった。
「さっ、パパに会いに行きましょう?」
そう言って、レティはリリアの手をとった。
冷たい空気が張り詰める礼拝室。女神リリアの像を見上げながら、リリアが固まっていた。そして、「ちょっと私に似ている気がします。」と、とても不思議そうに言った。
「そうなると、やっぱり二百年前のリリアちゃんが、女神伝説の発祥なのかなー。」
「こちらの地方の山岳信仰と結び付いたものと言われておりますし、女神様のお名前が聖女様と同じである事を考慮すると、やはりそう考えるのが妥当でしょう。」
いつになく饒舌に答えたのは、宰相筆頭補佐のダニー・ヒルだ。明らかに身分を間違ったそれぞれの言葉遣いにアルベルトが苦笑する。
「本当に魔王を、倒しに来なくても大丈夫なのでしょうか。」
リリアが、自分に似ているというリリア像を見つめたまま、そう言った。
「それは、リリアちゃんが心配するようなことじゃないわ。生きている人間がいれば、シナリオはいくらでも変わるし、聖女が来なければ、魔王も復活しないかもしれない。」
レティはそう言って、ニッと笑った。リリアも女神像からレティに視線を戻して笑う。
ダニーが横で何度も頷いている。魔王復活の際、二百年前の聖女について調べていたダニーだ。何か思うところがあるのかもしれない。
「あなたのパパも、シナリオを変えたのよ。すごいでしょ?だから今、本当は魔王がいるはずなのに、いない。そんなもんなのよ。」
カツカツカツカツと、幾つかの足音が回廊の方から重なって響いてくる。
音のする方を振り返って、レティとリリアは緊張した面持ちで、それが近づいて来るのを待った。
ガタンという音と共に扉を開けたのは、ルディ・ドリオだった。彼は扉を開けて中に入ると、そのまま脇に避けて頭を下げた。それに倣って、アルベルトとレティ、そしてダニーも頭を下げる。
リリアは、そのまままっすぐエドワードを見ているようだった。
「ここで待て。」
ウィルフレッドが騎士達に、礼拝所の外で待つよう指示を出す。
エドワードは、目の前に立つ修道女を見つめ、そして何も言わずにゆっくりと近づいてきた。
エドワードとウィルフレッドが中に入ったところで、ルディによって扉が閉められた。
「おとう、さん?」
エドワードの目が、リリアを見つめたまま固まっている。
「お父さん、生きてるの?」
リリアの目から、大粒の涙がポロポロと溢れ出す。
「お父さん、帰って来て。おか、お母さんも、」
声が詰まり、苦しそうにしゃくりあげながら、リリアはその右腕で涙を拭いた。レティが顔を上げ、そっと先ほどのハンカチをリリアの頬に当てる。リリアはそれを受け取って、今度はそのハンカチで涙を拭いた。
アルベルトとダニーも頭を上げた。
「…リリア?」
「…おと、お父さん!」
そう言って、リリアがエドワードの胸に飛び込んだ。
慌てて開いた腕でリリアを受け止めたエドワードは、まだ状況を理解できていないようだった。
「遠藤、」レティが一歩前に出る。エドワードが放心した顔でそちらを見た。
「あんた、自分がまだ向こうで生きてるって知ってる?」
「…えっ?」
「あんた、事故にあってからずっと寝てんだってさ。しかも、先週から!」
「えっ?…俺、事故で、死んで、四年前にこっち」「だーかーら!」
レティが力強く言葉を被せると、エドワードはキョトンとした子供のような顔でレティを見る。
「向こうのあんたは、全然時間が経ってないの!身体が腐る前に帰りなさい!」
「お父さん、帰って来て。みんな、待ってるから。」
リリアが、エドワードにしがみついたままそう言うと、その目の前を一粒、光が通りすぎていったような気がした。
「…俺、」
また一粒、今度はチラッと瞬いてからエドワードの前を通りすぎていく。
そしてまた、一粒。
そしてまた、一粒。
「ああ、あの時と一緒だ。」と、アルベルトが呟いた。
「リリア、お前は…」
光の粒が、エドワードを包み込んでいく。
「私もすぐ帰るから!」と言って、リリアがそっと離れた。
そこにいた皆が、息を飲む。エドワードを完全に包んだ光が、一際強く輝いた後、少しずつ上へ上へと上っていく。
ああ、帰って行くのだ。
本来、いるべき場所へ。
自分がいたいと思う場所へ。
ふわっと光が霧散して、チリチリと残った粒が降り注いでくる。
「うわっ!超、綺麗!」
感動を一気に打ち消すレティの言葉に、皆の視線が一斉に彼女に注がれる。
「え?なに?なに?」と、おどおどしているレティに、「お前、ほんとその言葉遣いどうにかしろ。」とアルベルトが言うと、「アルベルトに言われたくない!」と返された。
ふふっと最初に笑ったのは誰だったか。気が付けば、皆、幸せな顔で笑っていた。
残された、エドワード皇太子殿下だけが、その場で固まっていた。リリアの父親が抜けた皇太子殿下は、リズが抜けたシュナイダー嬢と同じような感じなのだろうか。
「エドワード。」とウィルフレッドが声をかける。「兄、さん。」と答えた不安そうな表情のエドワードの肩をウィルフレッドが叩いて、「さっ、城に戻って、今後のことを話し合おう。」と言った。
「リリアのことは、頼んだぞ。」 とウィルフレッドがアルベルトに声をかけ、 アルベルトはそれに対してしっかりと頷いた。
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