第7話 【皇太子】ウィルフレッド・フォン・リジルアール
~魔王復活の三年前~
ウィルフレッドは、彼の存在をまだ「少年」と言えるそんな頃から知っていた。学園も、彼の動向は常に把握している。拘束はできないが、監視はつけいる。それはおそらく、彼が魔力持ちとして生まれた頃からのはずだ。
ウィルフレッドは次期皇太子となるため、物心ついた頃にはもうひたすら勉強させられる毎日だった。机の前に座らされ、何時間も授業を受ける。王族として生まれた者の定め。上に立つ者としての責任。———そんな中、身体を動かすことの出来る剣技や馬術、そして魔法の訓練をウィルフレッドが好きになるのは、至極当然の事だった。
ダンスはまあ、それなりだったけど。———と、目の前に座り優雅にお茶を飲む自分の婚約者に目を向ける。ウィルフレッドも、白い湯気を上らせる目の前のお茶に手を伸ばした。
「例の事件の…ワイバーンの出所の調査報告が上がってきたよ。これから、少し忙しくなると思う。」
「父からも聞いています。間もなく、御前会議が開かれるとか。」
彼女の父親であるリーベルス公爵は、この国の大臣職を預かっている。御前会議にも、もちろん出席する。今回の会議でいよいよ、「魔王が復活する可能性がある」と報告される。しかし、表だって動けば民は混乱するだろう。「魔王」という言葉だけで、国勢が揺らぐ。絶対に、悟られてはいけない。
我が婚約者も知らないはずだし…、それで良い。———と、ウィルフレッドは思う。
ウィルフレッドはお茶を一口飲むと、静かに茶器を戻した。
「しばらく、アカデミーは休む。生徒会は、副会長の君に一任するよ。イザベラ嬢、お願いできるね?」そう言って皇太子が笑顔を向ければ、「承りました。」とイザベラは微笑んだ。
イザベラがウィルフレッドの婚約者に決まったのは、まだ一年ほど前のことであった。リーベルス公爵家は、前国王陛下の弟君が臣籍降下された際に興された公爵家である。現国王の従兄弟である公爵は、早々にイザベラのお妃教育を開始し、他の有力貴族に適齢の女子がいないこともあって、事ある毎にウィルフレッドとの婚約を打診してきていた。実際、選択肢が無かったと言っても良い。ウィルフレッドの立太子が決まれば、それに伴ってイザベラとの婚約も発表された。
お互いに、幼い頃から知っている。だからと言って、二人の仲が良かったというわけではない。ウィルフレッドは城の中で本を読むより、外で身体を動かす方が好きだったのだから。いつも重いドレスを着て城にやってくる彼女と、どう楽しく遊べというのだ。
しかし、子供は子供と遊びたがるもので。
ウィルフレッドにまだ子供らしさが残る頃、王宮の魔術研究室に与えられた訓練場に、週に1日だけ子供たちが集められているのを知った。魔術の訓練後に我儘を言って部屋に帰ろうとしなかったウィルフレッドが、それに困った護衛騎士に呼ばれた侍女に手を繋がれて渋々部屋に戻ろうとしていた時に、黒髪の男の子が文官に連れられて歩いているのを見たのだ。その男の子は、少しふてくされた様子で文官について行く。
「あれは、どこに行くの?」
手の先を見上げるようにして侍女に聞けば、魔力を持つ貴族の子息令嬢たちが集められ、魔力制御を学ぶのだと言う。
魔術師の世界は、完全な実力主義だ。その魔力と人柄をもってして、平民から侯爵の位まで成り上がったものもいる。そうすることで、魔力を持つ者が段々と貴族に集約されていくのだ。平民として産まれれば、その制御の難しさから「黒持ち」言われ恐れられ、蔑まれ、教会に預けられることがほとんどらしい。
そうした過程を経て、国内の魔術師候補達はほぼ王宮の管理下に置かれ、後には魔術研究室に漏れなく所属させられる。黒持ちのかの男の子も、その中の一人だった。
ウィルフレッドは、「子供たちが、魔力制御を学んでいる所を見学したい。」と無理を言って、後日その様子を覗きに行った。後々、自分の配下に置かれる者達として気になったという体ではあるが、単純に同世代の子供たちとの遊びに飢えていたのだ。
黒の混じる髪をした子供たちが、黒いローブを着た数人の大人たちに付き添われて、魔術式を展開している。氷魔法を得意とする子のグループ。火魔法のグループ。風属性、土属性。珍しい聖属性もいる。それぞれ人数は疎らであるが、おそらく同じ属性を得意とする魔術師が担当しているようだった。
その向こう側、一対一で指導を受けている漆黒の髪を持つ少年がいる。相手はウィルフレッドの師匠でもある魔術研究室の室長———ジョン・ノアだ。
「あれは?」
ウィルフレッドが視察に来るということで、急遽その担当に配置された魔術師に指を差した先について聞くと、「彼は、他の子供たちに比べ魔力が格段に強いため、個別指導になっていると聞いています。」と、彼は答えた。
しばらく彼のことを見ていたが、ノア室長に臆することなく意欲的に訓練を受けている。ノアとの関係も、どうやら良好そうだった。
訓練がそろそろ終わりを迎えるという頃、他のグループが挨拶などをしているのを見て、ウィルフレッドはノア室長の所に近づいた。
「お疲れさまでした。魔術研究室室長殿。」とウィルフレッドが声をかけると、「畏れ多いことでございます。」とジョン・ノアは頭を下げ、隣で男の子もペコリと一礼した。
「彼は?」
ウィルフレッドは少年に視線を向けてはいたが、ノアに聞いたはずだったのだが、「フィッシャー準男爵家次男、アルベルト・フィッシャーです。」と答えたのは少年の方だった。
「こら、お前が話しかけて良いお立場の方ではない。」とノアがアルベルトに注意するのを、ウィルフレッドは右手で止めた。
「アルベルト、僕はウィルフレッドだ。よろしく。」
そう言って右手を差し出すと、「こちらこそよろしくお願いします、ウィルフレッド様。」と言って、握手を受け入れてくれた。―――初めての感覚だった。
◆
ウィルフレッドは、初めてできた「友達」に夢中だった。友達の名前は、アルベルト。
アルベルトは、週に一日だけ魔力制御を学びに王宮にやってくる。そしてその訓練が終わると、訓練を見学しに来ているウィルフレッドと、そのまま一緒に過ごす。
それは、決して長い時間では無かったが、まだまだ中身は子供の二人だ。打ち解けるのはあっという間だった。今は準男爵家の次男坊ではあるけれど、後々平民になるというアルベルトにとって、貴族の身分制度など全く関係のないことのようだった。
淀んだ空気の部屋に、風が吹き抜けるようなそんな感覚だった。
新しい空気が入る。
視界が開ける。
息が楽になる。
家格など関係無いと、お互いに名前で呼び合った。「名前で呼ばせた」というのが本当は正しい。ウィルフレッドは、家名も王子という肩書きも名乗っていないのだから。それでも、ウィルフレッドにとっては、初めて自分を名前で呼んでくれる同世代の友達だ。しかも、ウィルフレッドとアルベルトは同じ歳。数年後に二人が通うことになるアカデミーでも、同級生になる。アカデミーに対して、特に何の感慨も無かったウィルフレッドだったが、アルベルトがいるというだけで、とても魅力的なもののように思えた。
ウィルフレッドは、アルベルトがやってくる日を心待ちにしていた。訓練の後の短い時間だけでは物足りないと、ウィルフレッド自身は既に終えている魔力制御の訓練を、一緒に受ける許可ももらった。
市井の話。最近読んだ本の話。魔術の話。時には魔術研究室室長の陰口を叩いて笑い、お互いの悪いところを貶しあってまた笑った。
「ウィルは、本当に大変だよな。俺だったら、絶対グレるわ。」と言って、皇太子の部屋の長椅子で寛いでいるアルベルトにちらりと視線を向けた。今日は勉強の他に仕事も任されて、ウィルフレッドの執務室の机にはたくさんの書類が積まれていた。その書類の向こう側に座っていたウィルフレッドは立ち上がり、「悪い。待たせた。」と言って笑った。「終わったのか?」とアルベルトが問えば、「今日の分はなんとか。」と言ってウィルフレッドは伸びをした。
「しかし、王子様ってのも因果なご身分だよな~。小説の中じゃ、理想の結婚相手なのにな。」と言ってアルベルトが笑う。
アルベルトはその見た目のせいか、ウィルフレッド以外に友達と呼べる存在はいないと言う。魔術制御の訓練で知り合う子供達は皆貴族で、こちらはほぼ平民ということで見下してくるらしい。それでもひねくれずにいられたのは、気がつけばいつもそこにいた幼なじみの存在が大きかったようだ。そしてその幼なじみとやらが、市井で流行しているという恋愛小説にハマっているのだとか。
「モテた所でどうにもならないけどな。」
ウィルフレッドは、アルベルトの座る長椅子の向かいの椅子にドカリと座ると、自分の婚約者となる予定の彼女を思い浮かべた。常に丁寧な仕草。張り付けたような笑顔。
「現実は、そんなもんなのな。でも、そのイザベラ様だったっけか?のことさ、嫌いな訳じゃないんだろ?」
心の中でも読んだかのようにそう言って、アルベルトはちょっと苦い顔をした。
嫌いな訳じゃない。でも、好きでも無い。———そう、興味が無いのだ。
「大人しそうな良い子じゃないか。おまえと結婚するために、努力してくれてるんだろ?」
「僕と結婚するために努力してるんじゃない。彼女は、彼女の家のために勉強しているんだ。」
アルベルトは、イザベラ嬢に会ったことがある。それは、少し前のことだった。
イザベラ嬢は、ウィルフレッドに友達ができたと知るや否や「紹介して欲しい。」と言ってきた。牽制でもする気だろうか。なぜか妙に紹介したくない、そんな気分だった。のらりくらりとそのお願いを無視していたのだが、ある日、魔術制御の訓練を一緒に受けている時に、イザベラ嬢は許可もなくやってきたのだ。
―――まだ婚約者でもないのに。
ウィルフレッドは妙に腹が立ったのを憶えている。
「そちらの方は?」と、さも偶然のように聞いてくるイザベラ。ウィルフレッドは内心のイライラを張り付けた笑顔に隠しながら、「アルベルトだ。」とだけ答えた。
「はじめまして、アルベルト様。リーベルス公爵家長女、イザベラ・リーベルスです。」
妃教育の賜物である微笑みをたたえて、アルベルトに声をかけるイザベラ嬢。そんな彼女を思わず睨みつけそうになるのを、ウィルフレッドはその笑顔の裏で堪えた。
「はじめまして。アルベルト・フィッシャーです。」と、アルベルトが大したことでもないかのように答える。それに対して満足げに微笑んだイザベラは、「お邪魔のようですから、御前失礼いたしますね。また、今度。」とウィルフレッドに向かって言って、ゆっくりと去っていった。
訓練場に似合わぬ、重そうなドレスをひきずって。
まだ幼かった頃の記憶から現実へと戻ってきたウィルフレッドは、「俺は、お前が羨ましいよ。」と言いながら、行儀悪くドカッと音をさせて足をテーブルの上に乗せた。そして、お茶を催促するベルを鳴らす。
アルベルトは、恋愛小説にはまっているという幼なじみの事が好きなのだ。
「彼女のことが好きなんだろ?」と、からかうように聞いたことがある。そしたら、否定するだろうと思っていたのに「まあな。」とあっさり返された。そんなアルベルトを格好いいと思ったことを、ウィルフレッドは忘れられないでいる。
僕も、そんな存在に出会えるだろうか。
だからといって、そんな想いを実らせることができる立場には無い。王子という立場が、次期皇太子という鎖が、ウィルフレッドを縛り付けいてる。
ウィルフレッドは、自分の中に燻ぶる気持ちを見て見ぬふりをした。
◆
彼女の存在に気がついたのは、アカデミーの入学式が終わって少ししてからのことだった。ウィルフレッドにとって唯一とも言える友達は、その髪色のお陰でとても目立っていた。探しているわけでもないのに、何かと目につく。まあ、それは仕方がないことだとしてもだ。珍しい黒髪を持つ友人の隣で、こちらも珍しいストロベリーブロンドの髪を持つ女子が笑っているのを最近よく見かけるようになった。
アルベルトとは、お互いのことを慮って、アカデミーでは知らないフリをしようと話し合って決めた。恥ずかしいから絶対に口にはしないが、一緒に過ごせる時間が減って少し寂しく感じてはいた。———だからだろうか。アルベルトの隣で楽しそうに笑う彼女の存在が、妙に気になった。
珍しいストロベリーブロンドの髪は目立つ。教室が離れているとはいえ、同じ学園内だ。その存在が視界に入ると、気がつけば目で追っていた。
リズ・シュナイダー男爵令嬢。シュナイダー家の一人娘。婚約者無し。
その珍しい髪色は、生徒会にだけ許されている生徒一覧で探せばすぐに見つかった。大事な友達のためだと、自分に言い訳をする。苦しい言い訳であることはわかっていたけれども。
成績は優秀。微量の魔力。———それ以外に特に目立った記載事項は無い。
「最近のあれはなんだ? 浮気か?」
そう友人に問えば、胡乱な目をして「お前は馬鹿か。」と返された。皇太子に向かって「馬鹿」と言える奴は、この国にこいつかしかいないだろうと思うと、思わず笑ってしまう。
アカデミー入学を前に立太子の儀を終えたウィルフレッドは、予定通り皇太子となり、機を同じくしてイザベラとの婚約が正式に発表された。新入生歓迎パーティを待たずして生徒会長にも任命され、日に日にその忙しさを増していた。
しかし、授業が自習になった時などにそれを理由に生徒会室に籠もれば、それを見こしたように授業をさぼったアルベルトが、いつの間にか覚えた転移魔法を使って遊びに来る。それだけで、生徒会長になって良かったと思う。
副会長はイザベラであるが、それは今のウィルフレッドにとってはどうでも良い。
そんなことよりも―――だ。
「彼女は、お前に気があるだろう? 良いのか?」
頬を桜色に染め、隣にいるアルベルトに笑いかけている。誰から見ても、その気持ちは明らかだ。しかしアルベルトは、困ったように肩を竦めて笑っただけだった。
まあ、そういうこともあるよな。———と、ウィルフレッドは思う。自分だって、気がつけば隣にいるイザベラ嬢を、拒否できないでいる。でも、それでもだ。アルベルトには好きな子がいる。ウィルフレッドは、それがひどく羨ましい。
「その内、幼なじみにバレるぞ?」と脅せば、そんなウィルフレッドの気持ちなどお構いなく「そしたら、少しはヤキモチ焼いてくれっかな。」と、アルベルトは照れ臭さを隠すように笑った。
こいつは普段言葉が足らないくせして、幼なじみの事となると途端に饒舌だ。
「早く紹介してくれよ。」と言えば、「その内な。」と返ってくるのは、もう既に二人の合い言葉みたいなものだ。アルベルトの幼なじみである彼女は平民だ。皇太子である自分が彼女に会うことなど、自分が廃嫡にでもならない限りありえない。
目に見えぬ鎖が、———ひどく重い。
コツコツと作り上げた笑顔の仮面を、今すぐにでも捨ててしまいたい。自分の周りは、仮面を被った人間ばかりだ。
先日のパーティーでも…
「そういえばお前、パーティーさぼっただろ。ピンク頭と一緒に。」
ウィルフレッドは急に思い出して目の前に座る友人に詰め寄ると、アルベルトはいたずらが成功したような顔をして、「俺が出席するわけないだろ?」と悪びれもせず言った。そして視線を逸らすと、「リズが休んだのは、俺には関係ないし。入知恵は認めるけど…。」と、ボソボソ呟いた。
その日は久しぶりに幼なじみと出かけたのだと嬉しそうに報告するアルベルトに苦笑しながら、ウィルフレッドは、ストロベリーブロンドの彼女を少しだけ不憫に思うのだった。
あの事件が起きたのは、それからしばらく経ってのことだった。
◆
学園にワイバーンが襲来した事件の後、誰もが恐れるほどの魔力を、多くの生徒が注目する中で使ってしまったアルベルトは、元のクラスだけでなく、学園の中でさえもその扱いを持て余されていた。その目立つ髪色も、その状況をより悪いものにしていた。半年以上も同じ教室で過ごしてきたはずのクラスメイトも、教師でさえも彼を恐れた。
かなり居心地が悪かったはずだ。それでも何も言わず状況を受け入れているのは、そういった状況にアルベルトが慣れている証でもあった。唯一の救いになるかと思われた、いつも隣にいたストロベリーブロンドの少女は、事件のショックからか、あれからずっと学園を休んでいる。
少しでも悪目立ちしないようにと、生徒会室にサボりに来る事も無くなった。ウィルフレッドがアルベルトと話す機会は、全くと言って良いほど失われてしまった。
「大丈夫か?」
偶然すれ違った学園の通路で、誰の目も無いことを確かめてウィルフレッドはその袖を掴んで声をかけた。答えはわかりきっていたのに、それでも心配している友がここいいるのだと、わかってほしかった。
アルベルトは、いつものように肩を竦めて「まあね。」と苦い顔をして笑っただけだった。
ワイバーンの攻撃から救ってくれた、命の恩人。そして、何にも代え難い唯一の友。
(僕の方が泣きそうだ。)
自分の無力が情けなかった。皇太子なんて身分が、大切な友にとって何も役に立たないことを知る。かえって戦の邪魔になるような、見た目だけの鎧のようだ。常に一人でいるアルベルトを、今すぐにでも独り占めしてしまいたかった。皇太子などという身分を捨てて、一人の友達として、今こそ…その隣にいたかった。それをすれば、彼がますます難しい立場になることがわかっていたから我慢したけれど。
しばらくして、彼のクラスの親たちから学園に嘆願がなされたらしい。それを受け、学園は魔力持ちの存在に多少慣れている上級貴族のクラスへの、アルベルトの編入を決めた。
まだ二年ほどある学園生活を、友達と呼べる唯一の存在と一緒の教室で過ごせることは正直嬉しかったが、そういう状況になってしまったアルベルトの気持ちを思えば、素直に喜べないのも事実だ。
準男爵家の次男が、上級貴族のクラスに入る。
それ以外に選択肢が無かったとしても、階級意識の強いこの学園の中で、それはひどく恐ろしいことだった。その能力が故、学園を辞めることは許されない。国からの監視は強まる一方なのだから。
それでも、始めの頃は平和に過ごせていたと思う。皇太子が教室にいれば、目に見える様な嫌がらせをする馬鹿な生徒はいない。裏ではわからないが、それでもアルベルトは静かに、その存在を少しでも隠すかのようにして、———そこにいた。
そして二人は、二学年に進級した。
ちょうどその頃、ワイバーン事件の調査が終了し、御前会議である報告がなされた。元々想定されうる事案ではあったが、いざ現実のものとなると、それに伴って引き起こされうる懸案は、この王政事態をも揺るがすものだ。世界滅亡をもあり得ると思えば、背筋が凍る。出来る限り秘密裏に準備を進め、被害を最小限に抑えなければならない。それらは時間との勝負であった。
―――来たるべき聖女も、まだいない。
限られた人数の中での兵の厳選や避難物資の確保。いくら時間があっても、足りない気がした。
御前会議を前にして、ウィルフレッドが学園を休むようになると、ここぞとばかりに鬱憤を溜めた上級貴族の子息共がしゃしゃり出て、アルベルトの状況はブレーキを失ったソリのように悪化の一途を辿っていった。アルベルトがやり返さず、言い返しもしないのを良いことに、その醜い身分を笠に着た嫌がらせは熾烈を極めた。もう、アルベルトがいつ魔力を暴発させてもおかしくないぐらいに。しかし、上級貴族の子息に対して魔力を暴発させてしまえば、アルベルトなどあっという間に消されてしまったことだろう。
非公式の御前会議を重ね、ある一定の方向性で落ち着き、ウィルフレッドが学園に戻ってきた頃にはもう、———アルベルトは疲れきっていた。
ウィルフレッドは、自分が学園に来られなかった時間を悔いた。そして、アルベルトが何者にも害されないように、彼と丁寧にこれからを話し合ったのだった。その結果、アルベルトは皇太子の従者という立場をとり、生徒会の一員となることを決めた。
「おはようございます、殿下。」
馬車止めにて、下りてくるウィルフレッドに頭を下げたままアルベルトが言う。ウィルフレッドにとって、それはひどく苦痛の瞬間。何ものにも代え難い唯一無二の友が、自分に頭を下げている。しかし、———これでアルベルトが、学園での居場所を確保できるなら…と、複雑な心を隠し、静かに頷いて先を促した。
これが、これからの日常なのだ。
アルベルトが「殿下」と自分のことを呼ぶ。
ウィルフレッドは始めこそその気持ち悪さを拭えなかったが、アルベルトに少しずつ余裕が戻ってくるようになると、それにも次第に慣れていった。
(これが、本来あるべき形なのだとはわかっている。)
言葉遣いさえ気にしなければ、アルベルトが常に側に控えていることは、ウィルフレッドにとって何よりも心強かったのだから。それに、アルベルトは卒業後、魔術研究室に入る。彼の魔力量から言っても、ウィルフレッドのいる中枢近くまで登ってくるのは、きっとすぐのことに違いない。こんな関係になるのは時間の問題だったのだ、と自分を納得させる。
―――それでも。
◆
ウィルフレッドがストロベリーブロンドの髪を再び学園で見かけるようになったのは、ちょうどそんな風に気持ちを切り替えた頃だっただろうか。ワイバーン事件から、彼女が学園をずっと休んでいたのは知っていたが、アルベルトに彼女の話題を振ることを、なんとなく避けていたような気がする。アルベルト自身が、それどころでは無かったからとも言えるが。
遠くからではあったが、久しぶりに見かけた彼女は、前の彼女と全く別人のようだった。彼女の魔力が…膨れ上がっていた。遠くにいても感じるそれに、鳥肌が立った。
人の魔力にあてられたのは、初めてのことだ。隣に控えていたアルベルトも当然気がついたようで、目を見開いて彼女を見ていた。
いったい彼女に何があったのか、男爵家からは特に何の報告も上がっていない。本人が意図していない漏れ出る魔力は、魔力持ちにしかわからない。彼女は、あの桜色に染めていた笑顔を、どこかに忘れてきてしまったかのようだった。
それから、数日後のことである。ウィルフレッドは、放課後に生徒会室でアルベルトと書類を片付けていた。
「これから、また忙しくなるんでしょう?」
「まあね。こればっかりは、仕方がないさ。アルは? 最近、幼なじみとはどうなんだ?」
二人きりの時は、アルベルトが少しばかり砕けた口調で話してくれるようになっていた。そのことに、ウィルフレッドは安堵する。———まだ、友を失ってはいない。
今にもその存在が違うものになってしまうのではないかと、そんなウィルフレッドの不安を知ってか知らずか、アルベルトは昔と同じようにたわいもない話をしてくれる。アルベルトのする幼なじみの話は、相も変わらず可笑しくて、ウィルフレッドをも幸せな気持ちにしてくれる。そんな、少し平和な放課後だった。
話が途切れ、お互いに無言になる。しばらくして、コンコン―——とドアがノックされた。誰が入ってくるかは、わかっていた。その魔力が近づいてきていることを、既に感じていたのだから。
「どうぞ。」と言えば、少ししてドアが開き、「失礼します。」と想像通りの人物が入ってきた。
見慣れたストロベリーブロンドの頭を下げ、王族への発言の許可を彼女は待っていた。それでも、問わねばならない。僕たちはまだ、出会っていなかったのだから。
「名は?」
ウィルフレッドの問いに、彼女は「シュナイダー男爵家長女、リズ・シュナイダーです。」と、ゆっくり答えた。
(もちろん、知っている。)
後ろに控えているはずのアルベルトは、今どんな表情をしているのだろうか。ウィルフレッドは振り返りたい気持ちをぐっと堪え、「用件は。」と問う。すると彼女は、ちらっとアルベルトに視線を向け、逸らした。
アルベルトに席を外させろと言うのだ。彼女の表情からは、何も読みとれない。ウィルフレッドは少しして、「アルベルト。」と、退室を命じた。
―――アルベルトが、息を飲む音がした。それからすぐに、カツカツと足音をさせながら、リズと名乗る彼女の横を一瞥もせず無言で通り過ぎ、生徒会室を出て行った。
アルベルトの気配が消える頃、彼女はその口を開いた。
「私は、聖女です。」———と。
ストロベリーブロンドの髪が―――揺れる。
「一緒に、魔王を封印しに行きましょう。ウィルフレッド・フォン・リジルアール様。」
そう言って、彼女はその髪に触れた。
デートの誘いのように軽く紡がれたその言葉は、———まるで呪いの言葉だった。
数刻後、ウィルフレッドは生徒会室のドアを開け、廊下に向かって「アルベルト。」と声をかけた。アルベルトは、部屋の入り口の少し脇に控えていた。そして、部屋から出てきたウィルフレッドを睨む。
護衛もいないのに、自分を退出させたことを怒っているのだ。———そんなことは、わかっている。
ウィルフレッドの後ろについて、ストロベリーブロンドの彼女も部屋を出ていく。そして、ウィルフレッドより前に出ると、彼女は振り返り「それでは、よろしくお願いいたします。」と優雅に一礼をし、踵を返した。———アルベルトのいる方向へ。
数歩進んだ彼女は顔をあげ、アルベルトに向かう。そして、消え入るような声で、「本、借りっぱなしで、ごめんね。」と、泣きそうな顔をして言ったのだった。
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