DAY.7:「ずいぶん、仲良さそうだよね?」
俺たちは駅の裏手、とある雑居ビルの前にいた。
目的地は建物の三階、インターネットカフェ『
「なんだか……緊張するね」
誰に会うわけでもないが、沙也さんはばっちりメイクをして服装まできちんとしている。普段の休日は外に出るとしても化粧は薄めで、シャツにカーディガンを羽織っただけのラフな格好なのに。初めて赴く場所に気分が高ぶっているのだろうか。俺はいつも通り、Tシャツにジーパン姿である。軽装万歳。
久しぶりの合宿、みっちり偏差値を上げてやるぜ。モチベーションは充分だ。
だがエレベーターの階数を指定したところで、俺はある事実を思い出してしまった。
「どうしたの?」
俺は「閉」ボタンに指を重ねたまま動くことができなかった。
「やっぱり、隣駅のネカフェにしません? ほ、ほら、あっちの方が大きくて品揃え充実してますし、ドリンクバーにいちごオレありますし」
「……えいっ」
沙也さんが俺の指に手を重ね、「閉」を押してしまう。
「あああああああ!」
「少年よ、腹をくくりなさい」
エレベーターが三階に浮上していく中、どうか受付にアイツがいませんようにと俺は願った。
だが人間の想いとは儚いものである。夢、愛、希望、努力、それらの不確定なものは形を作る前に脆くも散っていくのが人の常だ。
チン、という軽快な音とともに、エレベーターのドアが開く。
「わー……」
沙也さんが感嘆の声を上げる。
目の前に飛び込んでくる本、本、本。
茶色い棚に所狭しと並んでいるのは漫画、エッセイ、純文学、ラノベ、新書、歴史書、写真集、雑誌、BLといった数々の本たちだ。この雑多で、整然として、どこかアングラな雰囲気が俺は好きだ。
受付のベルを鳴らし、店員を呼ぶ。
「しゃーせー。すぐ行きゃーすのでお待ちくだしゃーせー」
この気だるげな声。間違いなくアイツだ。
スタッフルームの奥から、金髪褐色肌のギャルが現れる。
「あれ、トコっちじゃん! 今日シフトじゃないっしょー? ワリーけどシフト変われねーよー? 今月稼がないとアタシ貧乏だからさー。昨日もカラオケで散財しまくっちゃったしー? ヒヒヒ」
絡み付くようなねっとりとした態度の同級生に、俺は顔をしかめる。
「うるせー、今日は客だよ。大人しく敬え。あとバックルームでサボんな」
「別にサボってねーし? 漫画に汚れがないか一ページずつ確かめてただけだし?」
「それ読んでるって言うんだよ! 受付に立ってろ!」
「っせーわ。マジっせーわ。店長でもそこまで厳しくねーし」
「あの人はチヅに甘すぎるんだよ」
「まーアタシ普通にかわいーし? 華の大和撫子JKだし? ヒヒヒ」
「大和撫子はそんな闇医者みたいな笑い方しねぇよ」
「っせー、マジっせー。トコっちトコトンっせーわ。……って、お?」
俺の背後で縮こまっている女性の存在に気づいたのか、ギャル店員の態度が変わる。
「え……出会い系で知り合った女とネカフェでヤるとかマジ引くわ……」
「違げーよ! リアルの知り合いだよ!」
「え、誰? ウチの高校にこんな子いたっけ?」
メイクをしているとはいえ、私服の沙也さんは第三者から見ると、やはりだいぶ若く認識されてしまうみたいだ。
「えーと、この人は、その……」
そういえば、沙也さんとの関係性を説明する想定をしていなかった。お隣さんと答えるのが正解ではあるが、普通は隣人のお姉さんとネカフェになんてこないし、ベッドフレンドなんて本当のことを話したりでもしたら、校内で変な噂が広まってしまうかもしれない。
「し、親戚のお姉さんだよ。昨日からこっちに遊びに来てて、読みたい漫画があるっていうから連れてきたんだ。ほら、この辺ほかに遊ぶ場所もないし」
「ふーん……?」
チヅはマツエクギンギンの双眸で訝しげな目線を投げかけてくる。伝えたことの半分は真実だが、客観的な立場からすれば、まぁ怪しいよな。
沙也さんが俺の背後から顔を出し、ぺこりと頭を下げる。
「ま、別にいーけど。で、プランはどうすんの?」
「沙也さん、どうします?」
まるでサバンナに突如放り込まれた小動物のように縮こまって、俺の袖を引く沙也さん。
「沙也さん?」
「……」
小っちゃくなっている沙也さんを見て、チヅがため息をつく。
「あー、とりあえず部屋入っちゃってよ。退出時間に合わせて一番安いパック料金に変更してあげるから」
「ありがとう、チヅ」
「はいはい、部屋は三十二番ね。さっさと行った」
俺たちはそそくさとフロアの角に移動し、開けた個室に入る。
「わ、意外と広い……!」
先ほどまでしょぼんとしていた沙也さんの眉が、ぴょこんと弧を描く。
中は三畳ほどの広さで、中央には革張りの黒いロングソファが鎮座している。前方の机にはデスクトップパソコンの他に除菌シート、箱ティッシュ、充電器が並んでいた。ブランケットやスリッパもあるので、そこらの激安カプセルホテルよりよっぽど快適だ。
「複数人で使う用の部屋ですからね。俺も利用するのは初めてです」
「ソファもクッションもふかふかだよ! サドーくんも早く!」
沙也さんがぽんぽんと叩いた位置に俺も腰を下ろす。
おぉ、これは確かに人をダメにしそうな柔らかさだ。油断したら、勉強を投げ出してダラダラと過ごしてしまいかねない。気が緩む前に立ち上がろうとすると、沙也さんに腕を絡めとられた。
「その、さっきはごめんね? サドーくんのお友達にうまくお返事できなくて。私、学生時代から明るい人がちょっと苦手で……。あの子も気を悪くしちゃったよね」
そういえば、昔は極度の人見知りだったって言ってたっけ。大人になっても苦手なタイプってやっぱりあるんだな。
「いいんですよ、アイツはクラスでもうるさくてしょっちゅう先生から怒られてます」
「クラスメートだったの?」
「はい。学校でもバイト先でも、かしましいったらありゃしない」
沙也さんの眉が再びハの字になる。
「……ずいぶん、仲良さそうだよね?」
「え、チヅと俺がですか? まさか」
「だって私としゃべってる時より全然砕けた感じだし」
「沙也さんは年上ですし敬わないと」
「気にしなくていいのに。それにチヅちゃんはあだ名呼びだったし」
「それは……」
背後の扉がバン! と開き、俺は反射的に腕をふりほどいてしまう。
「……なにビビってんの?」
「お前がデカイ音出すからだろうが! 何の用だよ」
「エロいことしてたら店長にチクろうかと思って」
「だから俺たちはそういうのじゃないって」
実際、カップルシートで事をいたす不埒な輩はまれにいる。彼らが退出した後に部屋の片づけをすると、ゴミ箱にやたらティッシュが多かったり、ソファがなぜかベタベタしていたりするのだ。恋人同士でこんな狭い空間にいたら、そういう気分になってしまうものなのだろうか。
「うそうそ。灰皿要るか訊き忘れてたから、一応ね」
「いらん」
「はいはーい、確認事項は以上ですのでごゆっくりどーぞ」
チヅは沙也さんを一瞥して、扉を閉めた。
室内に微妙な空気が漂う。
「こんな感じでしょっちゅうからかってくるから、合宿はいつもアイツのいない日にしてるんです。悪いヤツじゃないんですけどね、はは……」
俺は苦笑いで説明する。
「……私、漫画借りてくるね?」
「は、はい」
静かに立ち上がり、沙也さんが部屋を出ていった。
さっきまであんなに楽しそうにしていたのに、今はなぜか不機嫌そうだ。そんなにギャルという生物が苦手なのだろうか。
俺は余計なことを考える前に、カバンから勉強道具一式を取り出した。
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