DAY.15:「会いたかった」
ぴん、ぽーん。
突如室内に響くチャイム音に、決死の覚悟はかき消された。
「誰だろ? こんな時間に」
「……俺が出ます」
町内会、国営放送の集金、新聞勧誘、いずれも来訪には遅すぎる時間帯だ。警察が聞き取りに来るほどこの一帯は治安が悪いわけでもない。だから、痴漢やストーカーが襲来したという可能性を考慮するのは、杞憂ではない。不審者レベルならまだいい。武器を所持した強盗だとしたら、沙也さんを守りながら戦えるだろうか。玄関で腕をとったらそのまま外に出て、速攻で寝技に持ち込もう。
戦い方のシミュレーションをしながら、扉の穴を覗き込む。しかし穴の向こうは真っ暗だった。意図的に塞がれているのであれば、こちらもチェーンロックを外すつもりはない。
「……どちら様でしょうか」
わざと低い声を出す。相手が沙也さん狙いだとしたら、男の声を聞いたら逃げ帰ってくれるかもしれないという期待もあった。俺だって実生活の中で柔道の技を使ったことはないし、できれば穏便に済ませたい。
「こんばんは~、ビャッコ運輸ッスー。お荷物のお届けに上がりゃーしたッスー」
「はい?」
「えーと、発送元が『さんさんクリーニング』で、中身がぬいぐるみッス。ちょっと重いんで、早く出てきてもらっていいッすか?」
扉を開けると、上半身が段ボールに隠れた、白いツナギ姿のお兄さんが立っていた。
クリーニング。ぬいぐるみ。宅配便。
間違いない。届いたのは沙也さんの相棒、ブラウンだ。
「到着は明日のはずじゃ……?」
俺は玄関で振り返って沙也さんに目で確認するが、事情が呑み込めないという顔をしている。
「基本的に最終配達は九時までっス。ただ、『レスキュー便』の指定が入ってたんで。あ、レスキュー便ってのは、当日集荷で夜十一時までに配送するっていうウチ独自のサービスなんス。あ、悪いんスけどオレの手にある伝票にサインしてもらっていいっスか?」
きっとクリーニング業者が一日でも早くブラウンを家に帰してあげるために、気を遣ってくれたのだ。沙也さんからクリーニングの問い合わせが来た時、電話口から相当困っている様子が伝わったのかもしれない。
手早く「合倉」で署名を済ませると、高さ一メートルはあろう巨大な段ボールを渡される。受け取った瞬間は確かにずっしりとした感触があったが、見た目ほど重くはないようだ。
「それじゃー失礼しゃース。ありゃーしたー」
配達員は足早に去ってしまった。俺は再び施錠をして段ボールを抱えたままリビングに戻る。
「ぶ、ブラウン……。まさか今日会えるなんて……」
沙也さんは早くも興奮気味だ。
「きっとお仕事頑張ったご褒美ですよ。早く開けてあげてください」
沙也さんがガムテープを丁寧に外して蓋を開放すると、ふわふわの両耳が現れた。
両手を箱の中に入れ、ゆっくりと中身を持ち上げる。
現れたのは、濃い茶色の毛に包まれた熊のぬいぐるみだ。両足裏の肉球がチャーミ
ングで、抱き着いてくださいと言わんばかりに両手を広げている。右前足にコーヒーがかかったと言っていたが、シミはまったく見当たらない。
「ブラウン~!」
むぎゅー! と熊のぬいぐるみに顔を埋める沙也さん。
「会いたかったよぉ~!」
そのままベッドに倒れ、熱い抱擁を交わしながらゴロゴロと回転している。何年も一緒に暮らしてきた親友が約一か月ぶりに戻ってきたのだ。嬉しくないわけがない。さっきまでブラウンに嫉妬していた自分が恥ずかしくなってくる。
沙也さんが俺を見て、ちょいちょいと手招きする。俺がベッドに乗った瞬間、沙也さんの右腕は俺を、左腕はブラウンをがっしりキープした。
「んふふ……幸せ……」
「良かったですね」
「んふふふふ」
すっかり悦に入っている。これはしばらくホールド状態が続きそうだ。
間近でブラウンを観察して思うことがある。
沙也さんが俺を抱き枕に指定した理由。
『キミがね、ブラウンに似てるの。目元とか』
そんなに似てるか?
ブラウンの両目はくりっとしていて、ぬいぐるみとして申し分ない愛らしさを持っている。一方で俺の目つきは決して良いとは言えない。体躯こそ大きいという点では共通しているものの、同カテゴリーに分類されるのが謎すぎる。
ま、沙也さんにその感性がなかったら、仲良くなれることはなかったんだけどさ。だから深く考えるのは止めておこう。
現に今、俺だってとても幸せなんだ。
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