DAY.7:「やっぱ、こういう展開になっちゃうよね」
三分後。
「サドーくんすごいね! ドリンクバーだけだと思ったらソフトクリーム食べ放題だって! チョコスプレーとかベリーソースもあったから、いっぱい巻いてきちゃった!」
カップからはみ出たソフトクリームを片手に、沙也さんは興奮していた。もう片方の手にはメロンソーダが握られている。まるで夏祭りにやってきた子どもだ。
「レジでフランクフルトも注文できますよ。レンチンでセルフサービスですけど、ケチャップとマスタードはかけ放題です。業務用の割に、口の中が肉汁たっぷりでうまいです」
「それも食べたい……。でも電子レンジに食べ物いれるといつも爆発させちゃうんだよね……」
目玉焼きを炭にする料理スキルだ。食べ物のボム化など朝飯前だろう。
「その時は俺が作りますよ。レンチンするだけですが」
沙也さんの顔が一気に明るくなった。食べ物のことになるとすぐ顔に出るな、この人。
各種フードをソファ隣のサイドテーブルに置き、沙也さんは小走りで本棚に向かっていった。先ほどのモヤモヤした雰囲気は早々に消失してしまった。やっぱり彼女には笑顔が一番似合う。
五分後、お目当ての漫画を持って沙也さんが戻ってきた。
「サドーくん、冷たいので良かった?」
そう言って、俺側のサイドテーブルにアイスコーヒーを置いてくれる。
「あ、はい。ありがとうございます」
自分のドリンクを用意するのをすっかり忘れていた。こういうのに気づいてくれるところが、やっぱり年上として敬う所以なのだ。
それから俺たちは、各々の作業に専念した。漫画あるいはテキストをめくる音と、ノートに文字を書き込む音だけが響く。時折沙也さんが、ドリンクのおかわりを持ってきてくれて、俺はお礼を述べる。
黙々としていた。思えば沙也さんと一緒にいてここまで無言の時間が続くのは、睡眠以外では初めてだ。しかし気まずさや不快感はまるでない。
ちらと隣を見やる。
沙也さんの横顔は美しく、まつ毛の一本一本まで確認できる。肌はきめ細やかで、髪もさらさらだ。
漫画に目線を落としたまま、スプーンを手に取る。チョコのかかったソフトクリームをすくい、一口。桜色の唇にミルクが付着する。ちろりと舌を露出させ、それを舐めとった。
「う」
俺は慌てて顔を背け、問題集に向き直る。油断すると一挙一動に釘付けになってしまう。
「サドーくん、こっち向いて」
まさか、ジロジロ眺めていたのがバレたか?
恐る恐る首を動かすと、目の前にソフトクリームを載せたスプーンがあった。
「はい、あーん」
「……うぇ?」
「あーん」
俺は大人しく口を開けた。
口内に冷たい感覚が宿る。
「おいしい?」
「甘いです」
甘すぎます。
「そっか」
沙也さんはそれだけ言って、漫画に視線を戻した。
いつも隣で寝ていてもこんなにドキドキすることはないのに、心臓の音が伝わってしまわないか心配だった。ベッドの外という状況が、俺の平静を乱しているのだろうか。いかん、勉強に集中するんだ。
こてん、と膝上に程よい重力が加わった。
沙也さんが俺の太ももに頭を載せ、うつ伏せで漫画を読んでいる。
「あのー、沙也さん?」
そのまま漫画を置き、俺の腰に両手を回してしまった。両足をソファから放り出し、背中を丸くする。
「もしかして漫画、つまらなかったですか?」
「んー、イマイチでした」
サイドテーブルに置いたばかりの漫画の背表紙には一巻と書いてある。まだ物語は本格的に始まってすらいないのではないか。
「しかも眠くなってますね?」
「やっぱ、こういう展開になっちゃうよね」
もにゃもにゃとまどろみながら、顔を埋める沙也さん。ショートヘアを撫でてみると、「んふふ」と変な声が漏れてきた。
「ここに来るために早起きしましたもんね」
「んー」
「甘いものもたくさん食べましたし」
「んんー」
さっきより物理的に距離が近いはずなのに、いつの間にか心臓は落ち着きを取り戻していた。やっぱり沙也さんとはこうしている時が一番安心する。
「寝てていいですよ。勉強が一区切りついたら起こしますから」
「……ありがと……」
一分もしないうちに、寝息が聞こえてきた。俺は机の下に置いてあるブランケットを広げ、華奢な身体にそっと掛ける。
「よし、もうひと頑張りするか」
この寝顔を携えていたら、何時間でも勉強できそうだ。
「ういーす! エロいことしてないか定期巡回に……」
またしても勢いよく闖入してきたのは、チヅだった。
「……え?」
俺とチヅが見つめ合ったまま硬直する。
注(一) 沙也さんはソファでうつぶせになっている。
注(二) 沙也さんの頭は、俺の太ももの上にある。
注(三) チヅの位置からは、沙也さんが俺の股間に顔を埋めているように見えなくもない。
「……トコっち?」
チヅの頬がひくひくと痙攣している。
「待て、これは誤解だ」
俺の膝上で沙也さんの頭が揺れた。起こしてしまったか。いや、今ばかりはむしろ起きてくれ。
沙也さんがむにゃむにゃと口を動かす。
「……サドーくんのフランクフルト……おいしい……」
空間に亀裂の入る音がした。
「へぇー……『サドーくんのフランクフルト』ねぇ……」
「違うんだ、拳を握るのは止めろ」
「いっぱいかけて……、口の中で汁たっぷり……」
「あなた普段寝言とか言わないですよね!?」
「トコっち、ちょ~っとスタッフルームでお話しよっか?」
俺はバイトを首にならないかという不安を抱えながら、そっと沙也さんの頭をソファに下ろして席を離れたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます