LAST DAY:「好きになってくれてありがとう」

 改札で父さんを見送った後、ポケットからスマホを取り出し液晶を光らせると、夕方の六時を告げていた。すぐにアプリを起動して、メッセージボックスを立ち上げる。あの人をずいぶん待たせてしまった。


「……」


 ホームボタンを押し、メッセージアプリの代わりに電話帳から見慣れた名前をタップする。


 耳元で呼び出しコールが鳴る中、俺はひそかに緊張していた。肉声を聞くのは実に一か月ぶりだった。


 俺たちはどちらも、文章でのコミュニケーションをさほど好んでいなかった。メッセージは多くて一日に一往復。返事が三、四日空くなんて珍しくもない。お互い仕事や学業が忙しかったのもある。


 コール音は三回目の途中で切れ、スマホから弾んだ声が聞こえてきた。


「サドーくん?」

「……」

「あれ? もしもーし」

「すいません、感慨にふけってました」


 割と冷静なつもりだったのに、ひと声耳にするだけで胸の奥が熱くなってくる。激情、というのはさすがに大げさだろうか。訳もなく大声を出したり、走り出したくなる感じだ。


「先ほど所用が終わりました。父さんとも別れたので、これからアプリで送ってもらった住所に向かいます」

「今どこ? 駅前?」

「コンコースのお土産屋さんを適当に見てます」

「……もしかして、ずんだもちのとこ?」

「よくわかりましたね。手土産に買っていこうかと」

「だったら、こっちの串だんごの方がいいなぁ」


 視界の端に現れた人差し指から順に目で追っていくと、会いたかった人物の顔にたどり着く。


「あれ、サドーくん、固まってる?」


 真珠のような大きな瞳、キリリとした眉、すらっとした鼻、桜色の唇は、紛れもなくかつての隣人のものだった。金に近い茶色の髪は、肩に触れるか触れないかくらいまで伸びていた。その目元に、クマは見当たらない。



「えーと、お久しぶりです。あと好きです」

「久しぶり。私も」



 沙也さんは「えへへ」と柔らかい笑みで俺を歓迎してくれた。


 ☆ ☆ ☆

 

 スーパーで夕飯の買い物を済ませ、俺たちは並んで歩いていた。人通りはまばらだ。


 季節は冬に突入し、今年ももうすぐ終わろうとしている。俺は新たな志望校である北東ほくとう大学の見学のため、土日を利用してもりの都・仙台に来ていた。北東大学は仙台駅から徒歩約十五分の距離にある大学だ。キャンパスの広さは東北地方でも随一を誇り、その歴史は一世紀以上にわたるという。


「オープンキャンパスはどうだった?」

「講義もサークルも、実際に生で見ないと感じられない部分が多々ありましたね。来てみて良かったです。さすがに構内はホームページの写真より地味でしたね」

「私の通ってたところなんて、創設以来一度も改修してないからボロボロだったよ」

「そういうもんですか」

「まぁ結局、校舎なんてどこでもいいんだよ。自分のいるところが居場所になって、思い出になって、戻る場所になっていくの」


 左手に温もりが宿る。沙也さんが俺の手を握っていた。ゆっくり握り返すと、細い指が絡まってくる。


「私もキミっていう戻る場所があるから、今は離ればなれでも頑張れるんだよ」

「大学のエピソードに重ねるなら、男さえいれば誰でもいいって風になっちゃいますけど」

「ち、違うよ! サドーくんじゃなきゃ……ヤダもん……」


 言い訳しながら耳がどんどん真っ赤に染まっていく。沙也さんは俯いてしまったが、握った手の力は強くなる一方だ。


 俺だって表面上は平静を装っているが、心臓は張り裂けそうなほどに高鳴っている。沙也さんの手はすべすべで、甲に重ねた俺の指はすぐに滑ってしまう。触れた部分がほんのり温かくて、指の一本一本にまで感覚が伝わってくる。


 手をつなぐのは何も今日が初めてではない。沙也さんが風邪を引いた日に手を握ったまま何時間も勉強していたし、何ならかつては毎晩のように抱き合っていたのだ。耐性はついているはずなのに、恋人になったというだけで触れ合う行為の意味がまるで異なり、胸はうるさくなる一方だった。


 つくづく順序が間違っていると思う。だがこの出会い方でなければ、俺たちが親しくなることも、付き合うこともなかっただろう。




「……あの日、本当は連絡するつもりなかったんだ」


 ふいに、沙也さんが打ち明けた。


 あの日とは、一体いつのことだろうか。


 考えるまでもない。転勤の前夜、俺が沙也さんに告白した日だ。


「顔を見たら絶対に離れたくなくなっちゃうのはわかってたから」

「じゃあ……どうして?」

「チヅちゃんからメッセージが届いたの」


 連絡先を知っていること自体は不思議じゃない。真夜中の公園で出くわした日、アイツが自分のスマホを経由して俺に沙也さんのIDを渡してくれたのだ。だが『FUN・key』で出会った時は、とても個人で連絡を取り合うような雰囲気ではなかったはずだ。公園のベンチで、二人はどのような交流をしたのだろう。


「それで、なんて来たんですか?」

「『中途半端に逃げたって後悔するだけですよ』って、一文だけ」

「なんだそりゃ」

「実際、その通りだよ。私はサドーくんを受け入れる勇気も拒絶する度胸もなかったんだもん。それっぽい言葉でサドーくんと距離をとって、自分を納得させようとして、ただ結局のところ覚悟が足りなかった。サドーくんといつかまたおしゃべりしたかったし、添い寝もしてほしかった。サドーくんに、嫌われるのが怖かったんだ。……そんなの、ずるいだけだよね」


「沙也さん……」

「だから最後に、自分の言葉でちゃんとお別れを言おうと思ったの。でもいざサドーくんと顔を合わせたら今までの思い出がよみがえってきて、何も考えられなくなっちゃって……。だからサドーくんがもう一度告白してくれて、とても嬉しかったんだ」


 沙也さんが立ち止まり、正面に向き直る。


「……あの日、言えなかったことを言うね」


 手の震えがこちらにも伝わってくる。


 俺は沙也さんの両手をとり、上から包み込んだ。


 目を合わせ、俺は小さく頷く。沙也さんが深呼吸をして、目を見開く。



「私を必要としてくれてありがとう。私を好きになってくれてありがとう。私と一緒にいたいって言ってくれてありがとう。私も、キミと一緒にいたいです」



 それは弾丸であり、弓矢であり、光線でもあった。



 俺はたまらない気持ちになって、道路の真ん中で沙也さんを抱きしめる。愛しさがとめどなく溢れ出る。大好きが止まらなくて、ひとりでに心が走り出す。


「俺は……!」

「さ、サドーくん、人……」


 はっと周囲を見回すと、部活帰りと思しき大きなバッグを提げた男子高校生や、信号待ちのお姉さん、犬の散歩をする老夫婦が俺たちを一点に見ていた。


 俺は水を掛けられた猫のように飛び退き、半歩分の距離をとる。


 それからアパートに到着するまで、どちらとも口を開くことはなかった。


 この状況は、初めて会った日の再来だった。


 それでも俺たちは、つないだ手を離すことはなかった。




 ◆ ◆ ◆


 残り、2話。

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