LAST DAY:「きっと、喜んでくれるよな」
そのまま五分ほど移動し、沙也さんの現住所にたどり着く。
アパートは三階建てで、ワンフロア二部屋ずつ。俺が今なお暮らしている建物と同じ構造である。しかも生活しているのは二〇一号室。部屋番号まで一緒だ。
「お邪魔します」
恋人の新居は、かつての住まいを想起させる内装だった。左手にバスルームとトイレ、右手にキッチン、そして奥にリビング。最奥のベッドにはブラウンが鎮座している。家具や装飾もほとんど同じだ。
「ちなみに隣はまだ空き家だよ」
さっさと大学に受かってこっちに来いというメッセージだろうか。
「なんなら同居しますか?」
「うぇあ!」
「なんて声出してるんですか」
「べ、別に、一緒に住むのが嫌ってわけじゃないよ? むしろ大歓迎っていうか。ただやっぱりこういうのは段階を踏んで……。でも同棲すれば毎日おいしいごはん食べられるし……」
軽口のつもりだったのだが、沙也さんは割と真剣にライフプランを熟考していた。
「確かに生活費が共同になれば、家賃とか公共料金とか半分こできて良いですよね」
「……そういうことじゃなくってー」
「冗談ですよ」
コロコロ変化する表情を眺めるのが楽しくて、ついからかってしまう。
俺が笑うと、沙也さんも同じ表情を返してくれる。早くこの笑顔を毎日見られるようになりたい。
「じゃ、俺は夕食の準備始めるんで。沙也さんはその間にお風呂入ってきてください」
沙也さんはジャケットをハンガーに掛け、半目で俺を一瞥する。
「……一緒に入る?」
「うぇあ!」
「私と同じリアクションだ」
沙也さんがくすくすと手で口元を覆う。
「お返しー」
交際するにあたり、俺たちはいくつかのルールを設けている。そのうちのひとつが、「大学に受かるまで破廉恥禁止」というもの。俺が受験勉強に集中するための措置である。健全な男子がこの時期に性愛の味を覚えてしまったら、頭が煩悩まみれになることは明らかだからだ。あくまで俺がそうってわけじゃなくて、世間一般的にね? 一線を越えることはもちろん、キスもお預けだ。
ゆえに沙也さんも脱衣は洗面所でするし、俺も野菜を洗う真後ろで衣擦れの音が聞こえても動揺したりなんかしない。さっきからタマネギが妙に手元でスリップするのは、コイツの活きがいいからに他ならないのだ。
俺は目の前の調理に心血を注ぐことにした。といってもメニューは串カツなので、下準備は肉や野菜を切って竹串に刺すくらいなのだが。この献立は一週間前から沙也さんにリクエストを受けていた。つくづく揚げ物が好きな人だ。
肉は豪華に豚肉、鶏肉、ウインナーの三種類。野菜もタマネギ、アスパラ、レンコン、ミニトマトと豊富だ。沙也さんが費用を負担してくれるというので、つい買いすぎてしまった。以前に振る舞ったエビもどきフライ用に、カニカマもある。
冷蔵庫にはドレッシングやソースがいくつかあったし、タルタルソースも作る予定なのでバリエーションは充分だろう。家で用意するタルタルは具材をゴロゴロサイズにできるので店とはまた違ったおいしさがある。いわゆる食べるソースというやつだ。
「きっと、喜んでくれるよな」
最近、わずかにだが自分が将来なりたいものが見えてきた。
俺は、誰かを笑顔にできる仕事がしたい。
仕事や会社なんていうのは基本的に誰かを喜ばせるために存在するもので、なぜ喜ばせるのかといえば金儲けのためなのだが、それに気づいているのと気づいていないのとでは大違いだ。逆に言えば目的さえ見失わなければ、道中でいくら迷っても遭難することはない。多少時間がかかったって、必ず目指す場所にたどり着ける。
大学では真っ白な紙に、俺だけの地図を作ろう。ペンも色鉛筆もマーカーもごちゃ混ぜに、自由に道を描くのだ。コンパスを手に入れたりハイキング用の道具を整備したりするのもいい。一緒に闊歩する仲間たちが見つかれば最高だ。
「お風呂上がったよ~」
脱衣所から間の抜けた声が聞こえてくる。【内】の沙也さんに会うのも一か月ぶりだ。すっぴんで童顔の彼女は一段と甘えん坊になる。
「こっちも準備できましたよ。早速食べましょう」
さぁ、まずは目の前の人を喜ばせようじゃないか。
◆ ◆ ◆
次回、最終話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます