DAY.4:「キミじゃなきゃヤだよ」

 まさか。俺は振り返った。


 ベッドから上半身を起こした沙也さんが、はっきりとこちらを見ていた。


 さっきは起きる様子なんてまるでなかったのに。


「……おはようございます」

「もう行っちゃうの?」


 謎の罪悪感に駆られる。


 なんでそんな泣きそうな顔をしているんだ。まるで俺が置いていくみたいじゃないか。


「九時から勉強なんですよ」

「まだ三十分以上あるよ?」

「あー、まぁ、そうなんですけど」

「こんなのじゃサドーくんの代わりにならないよ」


 元の形に崩れつつある掛け布団を指差し、沙也さんが茫然とした表情で見つめてくる。


「キミじゃなきゃヤだよ」


 その一言は、矢となって俺の胸に深く突き刺さった。


「……俺は……」


 身体の奥の一点だけが熱い。言葉より感情がほとばしって、うまく言い表すことができない。


「……来て?」


 真っ直ぐな想いが、俺の情動の奔流をかいくぐってくる。


 誰かに必要とされるなんて、初めての経験だった。


 何を言えばいい。何を考えればいい。何を伝えたい。


「……十五分だけなら」


 ようやく絞り出した言葉は、妥協案だった。

 サンダルを脱ぎ、ベッドの奥に移動して横になる。


「ぎゅ!」


 抱き着いた勢いで小さな風が巻き起こり、いつもの甘いにおいが鼻を通り抜ける。


「これこれ~。やっぱこの感触~」


 頭をぐりぐりとこすり付けてくる。俺は苦笑いしながら頭を撫でた。


「ワガママ言ってごめんね?」

「……別にいいですよ。むしろ、なんか、嬉しいのかもしれません」

「嬉しい?」


「俺、昔から自己主張が苦手なタイプだったんです。クラスでも周りに合わせることが多かったから、あれがやりたいとかこれが欲しいとかも言わなかったんすよ。周りに迷惑かけたくなくて、それが正しいって信じてました。でも、沙也さんに俺じゃなきゃヤだって、来てってストレートに言われて、気持ちがスッとしたんです。人から求められるってこんなに嬉しいことなんだって」


 これまでも俺は、自身の胸の内に押し込んだ感情を、代わりに沙也さんに発露してもらっていたのかもしれない。


 だとしたら俺が、沙也さんの抱き枕役を引き受けた本当の訳は。


「……どうして撫でるんですか」


 俺の頭頂部に、沙也さんの手が乗っていた。


「いつも頑張って偉いね、サドーくんは」

「普通ですよ」

「普通って、難易度・中って意味じゃないからね。普通はすごいんだよ?」


 唐突に、【大人】と【普通】は親戚のようなものなのかもしれないと思った。


「でも、そんな小難しく考えることないのにって思うな。人はもっと素直でいいんだよ。大人だからしっかりしなきゃとか、子どもだからもっと頑張らなきゃとか、関係ないよ」

「そういうものですかね」

「そーいうもん、そーいうもん」

「じゃあ今日はちょっとだけ、甘えさせてください」


 俺はいつもより少しだけ、抱きしめる力を強くした。


 こんなにも勉強がしたくない日は生まれて初めてだった。


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