DAY.4:「ん、えへへ。やわらかー……」
朝一番で目に飛び込んでくるのが隣人のお姉さんという光景に、俺はすっかり馴染んでいた。
今日も今日とて沙也さんは、眠り姫のような安らかな寝顔で朝を迎えていた。
時刻は八時。普段なら遅刻だと大慌てするところだが、今日は土曜日である。昼過ぎまで寝ようと、食事をインスタントで済ませようと、誰からも咎められることはない。昨日は酔っ払った沙也さんになんとか歯磨きをさせ、俺たちは倒れるようにベッドに潜った。
勉強に関しては抜かりない。あらかじめポケットに単語帳を忍ばせておいたので、いつもの就寝時間まで英単語や化学式の暗記に勤しんでいた。
俺の休日の過ごし方といえば、朝の九時から夜の六時までフルタイムで受験勉強だ。夜九時以降の追いスタディも欠かさない。もっとも、今日は午後からアルバイトがあるので昼の部は午後一時までしかないが。
今の俺には、ひとつのミッションが課せられている。
沙也さんを起こさず、自室に戻ること。
九時の時点で机に向かっているとして、残り時間は五十分と少し。朝食や身支度など諸々を差し引くと、あと十五分以内に合倉家を出る必要がある。
ところが一点、問題がある。
俺の腰をがっちりホールドした沙也さんの両腕を、いかに振りほどくかということだ。
力任せに外せば沙也さんの瞼は間違いなくオープンする。せっかくの休日に、外からの刺激で起こしてしまうのは申し訳ないので極力避けたい。かといって拘束状態のまま部屋を脱出するわけにもいかない。
では、俺の代わりになるものを抱かせるというのはどうだろうか。
それは不可能だ。なぜなら俺が横になっている位置はベッドの壁側。手の届く範囲で柔らかく大きいアイテムは見当たらないし、枕として使っているクッションは小さすぎる。心苦しいが、そっと両腕を外すしかないか。
「ん……」
きゅっと、腕の力が強くなる。
カーテンの隙間から光が差し込み、沙也さんの安心しきった寝顔が照らされた。
「やっぱり起こしたくはないよな」
制限時間は残り十分。
俺は天啓に打たれた。
この条件下で、沙也さんを起こさずに代わりの抱き枕を用意する方法があった。
俺はまず、沙也さんに掛けてある布団をそっと手繰り寄せた。それを手元で折り畳み、縦・横・幅のいずれも知床茶道の体型に近づける。手を伸ばしたままの生成なので、作業は慎重に慎重を重ねた。まるで博物館に潜入するためにピッキングするスパイの気分だ。
できた。知床茶道・バージョンF(Futon)。コイツを沙也さんの腕の中で差し替えれば、代わりの抱き枕として機能するはずだ。感触も申し分ない。
最大の関門は、沙也さんの腕をほどいてFに差し替えるまでの数秒だ。大胆に素早く、されど丁寧に。
タイミングを見極めろ。呼吸を読め。かすかな動きも見逃すな。
三十秒ほど様子をうかがい、ついにその時が来た。
沙也さんの両手に触れ、そっと俺の腰回りから外す。
「うーん……」
ここからは一秒とかからなかった。俺は右へ転がり、空いたスペースにすかさずFを投入する。空をつかむ沙也さんの手をとって、布団人形に添えた。
「ん、えへへ。やわらかー……」
一瞬起きてしまったかと警戒したが、どうやら寝言のようだ。むにゃむにゃと口を動かしているものの、目を覚ました気配はない。
ミッションコンプリート。我ながら手際の良さに惚れ惚れするぜ。
「サドーくん……」
ぎゅう、と沙也さんがFを抱きしめている。ポジションを奪われて少し悔しい気持ちもなくはないが、さすがに布団にまでは嫉妬していられない。沙也さんが平日お仕事を頑張っているように、高校生の俺は土日に受験勉強を頑張る義務がある。
ベッドさえ脱出してしまえば、あとは簡単だ。抜き足差し足で玄関に向かい、サンダルを履く。施錠に関しては、コルクボードにぶら下がっているスペアキーを拝借しよう。外から鍵を閉めた後、ドアに付いているポストに入れておけば防犯上の問題はない。スペアキーを勝手に借りたことは、アルバイトに出発する時にでも伝えておけばいい。
ドアノブに手を掛けたその時だった。
「サドーくん?」
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