DAY.3:「……ぎゅ、しちぇ?」
「すご~い……!」
四十分後、俺たちは食卓を囲っていた。風呂上がりの沙也さんは、いつものパジャマ姿だ。
テーブルに並んでいるのは三種類のメニューと、二人分の小皿・割りばしだ。
「凝ったものはできませんでしたが」
「いやいや、これすごいよ! だって料理だもん!」
「? そりゃ、調理しましたので」
先日の目玉焼き事件で、沙也さんは料理が苦手ということが判明したが、俺が思っている以上に不得意なのかもしれない。
「サラダ、適当によそいますね」
「あ、ごめんね。気が回らなくて」
「いいですって。俺のことは気にしないで食事に専念してください」
前菜は、キャベツとチーズのサラダ。大皿に敷いた千切りキャベツの上に、賽の目にカットした6Pチーズと家にあったスイートバジルを散らし、レモン汁とトマトオイルドレッシングを回しかけてある。即席のイタリアンサラダだ。
「てか、スイートバジル置いてる高校生って」
「たまたま安かったんですよ」
「私なんか、スーパー行っても野菜コーナー寄らないもん」
「バジルがあると日々の食事が潤いますよ。さ、どうぞ」
「いただきまぁす」
沙也さんが小さな口にサラダを運び、しゃくしゃくと咀嚼する。
「ん、おいしい! トマトオイルとチーズのコクがキャベツに絡み合って、サラダなのにすごい食べごたえある! レモンとバジルの風味でさっぱりしてるから、シンプルだけど奥深い味だよ! お酒も進む~」
ちなみに沙也さんが傍らに置いている飲み物は、ワイン風味の缶カクテルだ。コンビニでよく見かける銘柄である。さっき玄関で買った商品を見せてもらった際、真っ先に思いついたレシピだ。
「あ、オムレツも温かいうちに食べなきゃね」
二品目はチーズオムレツ。こちらにも6Pチーズを混ぜてある。卵は元々沙也さんの冷蔵庫にあったものだ。目玉焼き事件の後、「キミに作ってもらった方がこの子たちも幸せだと思うから」という申し出により受け取ったものを、ありがたく使わせていただいた。
「ほふっ、あふ」
割りばしで切った部分から湯気が立ち上っている。オムレツの良いところは、閉じてあるから端っこまで熱々な点だ。
「トロトロだ~。すっごい濃厚。ケチャップなしでも下味が付いてるからパクパク食べられちゃう」
「バターと牛乳でふわとろにして、顆粒コンソメとうまみ調味料で塩気をきかせてます」
「同じ卵でも、作り方でこんなに変わるんだね」
「方法さえ覚えちゃえば、誰でもすぐできますよ」
「じゃあ今度、サドー先生に教えてもらおっかな」
真正面から褒められると照れくさい。実家では料理を作っても、感想を言われることなんてなかったな。
早くも二本目の酒の蓋が開く音がした。今度はハイボールのようだ。確か、ウイスキーの炭酸割りだっけ。ならば三品目にも合うはずだ。
「では、いよいよ……」
沙也さんは揚げ物の群れに割りばしを伸ばす。
「家で出来立てのフライが食べられるなんて幸せ~」
最初にとったのは、ちくわの磯部揚げ。コンビニのちくわを縦半分にカットして、青のりを混ぜた水溶き片栗粉に浸し、油に投入するだけという簡単な一品だ。塩コショウで食べるもよし、麺つゆでいただくもよし。
ぱくり。
さくさく、もきゅもきゅ。
「……サドーくん。お願いがあります」
「は、はい」
沙也さんは割りばしを置き、両手を組んで顎に載せてしまった。口調は重々しい。もしかして口に合わなかっただろうか。
「お嫁に来てくれないかな」
「……はい?」
「めっちゃおいしい! カラっと揚がってて、ほんのりちくわのもちもち感も残ってて、ハイボールに合う~!」
俺はほっと胸をなでおろす。メインディッシュの味がイマイチだったら、目も当てられない。
「こっちの赤くて小っちゃいやつは何?」
「食べてみてください」
俺に言われた通り、沙也さんがひょいとつまみ、口に放り込む。
「ん、この味、エビフライ? 大好きだけど、こんなの私買ってないよ? わざわざ用意してくれたの?」
「正体はコイツです」
あらかじめ撮っておいたパッケージ写真を、スマホで沙也さんに見せる。
「……うそ、カニカマ?」
「わからないでしょ」
ウチの冷蔵庫に残っていたものをお試しで使ってみたのだが、大正解だった。一口サイズにカットして短時間で一気に揚げたからこそ、エビフライに近い歯触りや風味になったのだ。
「ちくわ然り、魚のすり身はフライにすると化けますからね。家に使い捨てのソースが余っていたので、消費しちゃいましょう」
安い品物で高い満足感を。これが俺の料理のポリシーだ。
一口目こそじっくり味わっていた沙也さんだったが、サラダ、オムレツ、揚げ物をテンポよく決めていき、十五分もかからないうちに平らげてしまった。ここまでおいしそうにしてもらえて、一日シェフ冥利に尽きるというものだ。
「ねぇ、サドーくん」
ベッド側に座っている沙也さんが手招きする。
「……ぎゅ、しちぇ?」
幼児のようにたどたどしい動きで両手を広げる。首元はかすかに赤くなっていた。目もとろんとしている。だいぶ酔ってるな、こりゃ。
「早く、ぎゅ」
ふにゃふにゃの口調、ぺたんとした女の子座り、はだけたパジャマ。
なんかこう、クるな、これは、色々と。
「はやく~!」
「はいはい」
俺が抱きかかえると、首元に手を回してくる。いわゆるお姫様抱っこの形だ。
そのまま沙也さんをベッドに運び、俺も横になる。料理の前にシャワーを済ませておいて良かった。
「顔、近いっす」
「お酒臭い?」
「いえ、別に」
「じゃあいいでしょ?」
実際、俺と沙也さんの顔は十センチも離れていない。どちらかが姿勢を変えたら、うっかり唇がくっついてしまいそうだ。
「にひひ」
「そんな笑い方する人でしたっけ」
「ぬひゅひゅ」
「江戸の妖怪みたいになってます」
「んんんんんんんんんン」
「もはや笑いですらない」
酔うとボケたがるタイプなの? この人。
「ぎゅ~……」
いつもより力強く、それでいてどこか腑抜けたハグだった。
「寝る前にちゃんと歯を磨かないとダメですよ」
「えー、サドーくん磨いてよ♪」
「子どもじゃないんですから」
「大人になったつもりはありません、キリッ」
その冗談を、妙に素直に受け入れている俺がいた。
人は大人になるんじゃなくて、いつの間にか大人にさせられるんだ。
きっかけは大学卒業だったり、親との別離だったり、結婚だったり、人によって様々だ。沙也さんの場合は、就職と上京だろうか。
俺はまだ自分が子どもだと自覚しているが、早く大人になりたいという気持ちはある。
大人になって、自立してお金を稼いで、そして……。
「こら、寝ない」
「うぅ、サドーくんの意地悪ぅ~」
お隣のOLお姉さんの抱き枕係は、大人の階段に含まれるだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます