DAY.1:「そうそう。私と寝てほしいの」
約束通りきっかり一時間後、俺は隣の家のチャイムを鳴らした。服装はゴミ捨ての時と同じ、半袖Tシャツにゆったりとしたスウェットだが大丈夫だろうか。
「はぁい」
中から間の抜けた女性の声が聞こえてきた。お隣さんよりも声が数トーン高い。
ドアの向こうから現れたのは、ふにゃっとした笑みを浮かべた女の子だった。年齢は俺と同じくらいか。てっきり一人暮らしだと思っていたが、妹さんだろうか。
「
「ど、どうも……?」
女の子は俺の名前を知っていた。まぁ、ポストにネームプレートが挟んであるから名字くらい知っていてもおかしくないが。
部屋の構造はウチと対になっているらしい。廊下を挟んで左手にバスルームとトイレ、右手にキッチン、奥に開けた空間がある。
俺はリビングの中央にあるクッションに座らされた。
「緑茶でいい?」
「お構いなく」
お隣さんは見当たらない。風呂に入っているのだろうか。
謎の緊張が胸中を占め、俺は気を紛らわせるために内装を観察する。テーブル、洋服ケース、カーテンと、家具のほとんどが白を基調としている。ベッドも枕から掛布団、シーツにいたるまで白一色だ。俺の真後ろにベッドがあり、ここで毎晩女性が寝ていると想像すると変な気持ちになる。姉妹二人で寝るにはちょっと狭いような。
「あの、お隣さん……社会人のお姉さんはどこにいるんですか?」
「うん? この家は私しか住んでないよ」
緑茶の入った白のマグカップを置きながら、女の子が首をかしげる。
「もしかして……お隣さん、ですか? さっき玄関で会った」
「そうだよー、当たり前じゃない」
女の子もといお隣さんは頬をぷぅ、と膨らませて抗議する。
よくよく注視すれば面影はあった。大きな瞳やすらっとした鼻は確かにお隣さんだ。しかしいつもの鋭い眉やキツい目つきは封印されていた。そうか、風呂上がりですっぴんだから、顔つきが柔らかいんだ。素顔は童顔だったんだな。
黄緑色のパジャマをまとったすっぴんのお隣さんは、どう見ても未成年だ。街中で会ったら年下と勘違いしてしまうかもしれない。
そもそもこんなに饒舌な人だとは思わなかった。表情もコロコロ変わるし、外で顔を合わせた時と真逆のキャラクターだ。
「それで、ご用件というのは」
「そうそう。私と寝てほしいの」
「なるほど。あなたと寝る……はい?」
今、なんつった?
お隣さんはまるで親におもちゃをねだるような口調で、俺の真後ろにあるベッドを指差す。
「ごめんなさい。意味不明です」
「だからね、同じベッドでキミと一緒に眠りたいんだ」
「いやあの、そうじゃなくて」
「あ、文字通り眠るだけだから。やらしい意味じゃなくて」
「うーんと?」
ひょっとして俺の頭が悪いのかな? まったく状況が理解できないぞ?
落ち着け。模擬試験でわからない問題にぶつかった時も、思考停止したらおしまいだ。難問はひとつずつ要素を切り崩していけば、何度も勉強した基礎問題と仕組みは同じである。
「まずは理由を教えてもらえますか」
「……お恥ずかしながら、いつもは熊のぬいぐるみを抱いて寝てるんだけど……」
お隣さんは顔を赤らめ、少し俯いた。なんだか可愛いぞ。
そこから、経緯をかいつまんで説明してくれた。
先週、洋服ケースを新しくしたこと。業者が納入に来た際、足をテーブルにぶつけ、コーヒーをこぼしてしまったこと。それがお気に入りのテディベアの右前足にかかってしまったこと。自分で洗ってもうまくシミがとれなかったこと。ネットを通じてぬいぐるみ専門のクリーニング業者に依頼したら、少なく見積もっても一週間はかかること。一人ではなかなか寝付けず、ここ数日、眠りの質が明らかに悪くなっていること。
「仕事も忙しくてゆっくり休めないし、それでさっきは玄関で倒れちゃって……」
「おおよその事情は把握しました。でもどうして俺なんですか? いくら彼氏と別れたばかりとはいえ、ただの隣人に頼むなんて……」
「彼氏? 元からいないよ?」
「でも毎晩、寝る前に電話してたじゃないですか。ブラウンっていう外国人と親しげに」
「……聞こえてたの?」
お隣さんの顔全体が朱に染まっていく。耳や首元まで真っ赤っかだ。
「……もしかしてブラウンって、テディベアの名前ですか?」
こくん、と首肯する。
「熊に毎晩、語りかけてたんですか? 名前まで呼んで」
「やめてぇ!」
とうとうテーブルに突っ伏してしまった。栗色のショートヘアが盤上に広がっている。
意外な一面を知ってしまった。外では絵に描いたような堅物が、家ではお気に入りのぬいぐるみを携えて寝ていたとは……。
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