DAY.6:「隣にキミがいてくれるから」

 二軒先のお店。確か生活品や駄菓子を扱っている昔ながらの商店だ。そこのひさしの下に人の姿があった。暗闇にぼんやりと浮かび上がる影は、ビビりのやつならお化けと見間違ってしまうかもしれない。


 だが本物の幽霊なら、これほど凛とした佇まいにはならないだろう。


「昼まで止まないらしいですよ」


 俺は屋根の下に移動し、肩や背中がびしょ濡れの女性にハンカチを差し出した。


「……茶道くん?」


 沙也さんは「どうしてここに」と言いたげに目を見開いている。


「帰り道にコンビニが少ないのはホント困りますよね」

「だね」

「引っ越してきた時、どうりでアパートの家賃が安すぎると思いましたよ」

「私も暮らし始めてから気づいた」

「そもそも駅前のコンビニだって二十四時間営業じゃないし」

「牛丼屋にファミレスもね」

「せめてもう少しバスの本数が多ければいいんですけど」


「……あの、茶道くん」

「なんでしょう」

「もしかして、迎えに来てくれたの?」

「それは……」


「大雨の中、散歩していました」と答えるには無理があるだろう。


 見切り発車というか、成り行きというか、なんとなくというか。適当な答えはいくらでも並べられる。どれも嘘じゃないし、理由はひとつじゃない。

 ただ、一番大きいのは。




「はい。あなたを迎えに来ました。一緒に帰りましょう、沙也さん」




 俺は笑って、そう答えた。



「……っ」



 沙也さんはハンカチを両手でぎゅっと握りしめ、なぜかそっぽを向いてしまう。


「沙也さん?」

「あ、ご、ごめんね? 行こっか」


 手でパタパタと顔をあおぎ、もう片方で口元を隠す沙也さん。顔がうっすらと紅潮しているが、はじめからこんな赤かったっけ。本当に風邪を引いてしまったら大変だ。すぐに帰らなければ。


 そう思い、傘を広げたところで俺は気づいてしまった。沙也さんも同じ疑問を思い浮かべたらしい。


「……もしかして、傘って一本だけ?」

「あっ」


 数瞬の沈黙が生まれる。


「……ふ、ふふ」


 沙也さんが両手で口を押さえ、吹き出すのを堪えている。


「ちょ、笑わないでくださいよ!」

「だって、あんなに爽やかに『迎えに来た』って宣言して、傘忘れるって……!」

「い、いいから、早く入ってください! ほら、もっとこっち寄って!」


 俺は沙也さんの肩を抱き、無理やり距離を近づける。『これって相合傘じゃ』なんて意識する余裕もなかった。


「肩、はみ出てないですか?」

「うん。サドーくんこそ大丈夫?」

「平気です。少し雨弱くなりましたね」


 ぴと、と俺の肩に沙也さんの頬が密着する。


「サドーくんの身体、冷たい」

「小さい頃から基礎体温低いんですよ」

「嘘ばっかり」


 俺の頬に手を当て、慈しむような笑みを作る沙也さん。その目は外出モードではなく、いつもベッドで横になっているときのそれだった。子どものような、お姉さんのような。


「最近、特に忙しそうじゃないですか?」

「後輩の案件の雲行きが怪しくてね。自分の仕事もあるからどうしてもこの時間になっちゃう」

「過労で倒れちゃったら元も子もないですよ」

「来月には新しい人が何人か入るみたいだから、それまでの辛抱かな。近々組織体制も大きく変わるみたいだし」


 辛くないですか?


 喉まで出かかったその一言を、俺は飲み込んだ。


 辛いよ。しんどい。辞めたい。田舎に帰りたい。


 そういった言葉を聞くのが怖かったからかもしれない。


「辛い時もあるけどさ、それだけじゃないから。大人の人生もちゃんと楽しいよ」


 だから安心して、と微笑みを投げかけてくる。俺の心を見透かした上での励ましだった。


「それに最近は絶好調だよ。隣にキミがいてくれるから」


 虚勢や社交辞令ではない、心からの感謝だった。


「だから、これからもよろしくね?」

「……お任せあれ」


 もっと気の利いたセリフでも吐ければ良かったが、五教科の中では国語が一番苦手な俺には難易度が高すぎた。あっという間にアパートに到着し、俺たちはそれぞれの部屋の鍵を開ける。


「明日までにスーツ乾くかなぁ。パンプスも中までぐしょぐしょだし」

「俺も結構濡れちゃったんで、もう一回シャワー浴びてきます」


 真夏の運動後のようにシャツはぐっしょりだ。往復で汗もかいたし、俺こそ風邪を引かないようにしっかり身を清めるとしよう。


「……だったら、一緒に」


 雨音にかき消されそうな、小さい声だった。


 ショートヘアの隙間から見える耳は、ほのかに赤い。


「……ううん、何でもない。また後でね」


 そう告げて、先に中へ入ってしまった。


 さっきとは異なり、何かをごまかすような笑みだった。


「まさか、な」


 妄想を振り払い、俺も部屋に戻った。

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