DAY.15:「キミのおかげ」
「転……勤?」
「……そ、転勤。仙台支社に」
「い、いつからですか?」
「正式に働き始めるのは来年の一月からだけど、引き継ぎが終わったらすぐ現地で研修受けたり先輩に同行したりするから、二週間後には向こうにいる方が長くなると思う」
急にこんなこと言ってごめんね、と沙也さんが申し訳なさそうに俺のシャツの裾を握る。
二週間なんて、あまりに急すぎる。
「で、でも、仙台なんて東京駅からは新幹線でたったの一時間半ですよ。朝イチで仙台に向かって夜に東京に戻れば日帰りも可能ですし。全然苦じゃないです」
沙也さんはふるふると首を小さく振る。
「私がいつもサドーくんに言ってること、覚えてる?」
嫌というほど頭に染みついている。
「俺、迷惑だなんて思わないです。負担にも感じません。新幹線代だって、生活費を少し削ってアルバイト増やせばなんとかなりますし」
「キミ、受験生でしょ。大学に入ってからだって、奨学金もらうならいっぱい勉強しなきゃだし。最初は我慢できても、いずれは重荷になる日が来るもの」
「そんなこと……!」
「それに、そうじゃないの。私は新天地での仕事と遠距離恋愛を上手に両立できるほど器用じゃないから。サドーくんに辛く当たっちゃうこともあるかもしれない」
「だから、俺は全然……!」
「キミが良くても、私が嫌なの」
暗闇でもはっきりわかるほど、沙也さんは笑っていた。
笑って、そして、泣いていた。
「ごめんね。泣きたいのはサドーくんの方だよね。本当は転勤を断ることだってできたの。それでも私が命令を了承できたのは、キミのおかげなんだよ」
「俺のおかげ……?」
「私が今の会社を選んだ理由のひとつが、東北に支店があることだったの。ほら私、宮城出身でしょ? 若いうちは東京で働いて、いずれは地元で働いて地域貢献したいって気持ちがあったから。社長面接でもそのこと話したし。今回の転勤、仙台支社でずっと働いてた人が辞めちゃうことになって、代わりに土地勘と実務経験のある人がほしいからなんだって。正直、こんなに早い段階でUターンする想定じゃなかったし、自分はスキル的にもまだまだだと思ってたから、またの機会にしてもらう……つもりだった」
涙をぬぐい、再び笑顔を作る沙也さん。
「キミと一緒に過ごすようになって、私はたくさん力をもらったの。睡眠はもちろんだけど、おいしいごはん作ってくれて、雨の日は迎えに来てくれて、昨日のホテルだってそう。キミは一人暮らしの上に受験勉強とアルバイトで毎日忙しいのに、いつも私を助けてくれた。その臨機応変さは、今すぐ社会人としてもやっていけるくらいだよ。だから私も、忙しさや実力不足を言い訳にするんじゃなくて、もっと前向きに挑戦したいっていう気持ちが自然と芽生えたの」
「今でさえこんな多忙なのに、新しい環境がもっと過酷だったらどうするんですか」
「もちろん最初は慌ただしくなるだろうけど、少なくとも通常業務に関してはこっちより負担は少なくなるよ。その点は現地にいる同期に電話で訊いたから心配なし。それに本社もいい加減、人員補強するらしいから」
学生時代からの目標だった地域貢献が叶い、仕事量も適正になる。なるほど、これは確かに引き受けない手はない。上京した若者の中には、大都会の利便性や楽しさに慣れ、地元に帰ることを避けるようになる人もいるという。一方で沙也さんは、長年抱いていた理想を貫く道を選んだのだ。
思い返せば、沙也さんは一度だって仕事が辛いとか、辞めたいなんて口にしたことはなかったじゃないか。
ならば、俺の個人的な感情で引き留めることはできない。
「……頑張って、ください」
「ありがとう。サドーくんも、絶対に志望校受かってね」
「俺も、沙也さんに負けないように……」
言葉はそこで途切れた。
俺は沙也さんの胸にすがりついて泣いた。この人の前での、二度目の号泣だった。
沙也さんはまるで赤子をあやすように、俺が眠るまで頭を両腕で包み込み、優しく撫でてくれた。
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