DAY.8:「私はキミの、何になれるかな」

「おぉ~、お部屋きれ~い。余計なものが一切なくてサドーくんの家って感じ~」


 我が家にあるのは、備え付けの設備や生活家電を除けば学習机とベッドくらいのものだ。ミニマリストと呼ぶほどではないが、掃除を楽にするために棚や収納アイテムは最小限に抑え、装飾品の類はまったくない。沙也さんの部屋が白を基調としているのに対し、俺の部屋はほとんどを黒で揃えている。


「何も置いてなくてつまらないでしょうけれど」

「そんなことないよ。ストイックなサドーくんらしくて良いと思うよ」


 沙也さんは「ふ~ん」「へぇ~」と、部屋のあちこちを見て回っては謎の感嘆詞を並べている。日頃から丁寧に掃除をしておいた自分を褒めてあげたい。


 まぁ、沙也さんにウチで寝たいと言われてから、先ほど今日二回目の掃除をしたわけだが。彼女もそこまで綺麗好きというわけではないと思うが、最低限の清潔感は演出しなければならない。特にベッドは粘着クリーナーや消臭スプレーを使ってホテル顔負けのメイキングを施したつもりだ。


「でも本当に綺麗だよ。男子高校生の部屋っていうと、やっぱり物が散乱してるイメージあるし。特にエッチな本とかDVDとか」

「そんなの持ってませんよ」


 せいぜいPCやスマホにお気に入りをいくつか保存しているくらいです。


「友達と貸し借りしたりとか、家で鑑賞会とかもしないの?」

「しませんね。友達どころか親すらこの家に上げたことありませんし。沙也さんが初めてのお客さんですよ」

「そう……なんだ、えへへ」


 沙也さんは両手を頬に当て、顔を綻ばせる。


「じゃ、じゃあ、そろそろベッド借りてもいい?」

「そうですね。明日は月曜日ですし早速寝ましょうか」


 俺たちはベッドに潜り、いつもの体勢に移った。沙也さんは持参の枕を敷き、手前側に寝転がる。そのまま俺の脇の下に両手を差し込み、胸に顔を押し当ててくる。


「布団からもほんのり、サドーくんのにおいがする」

「やっぱり染みついた生活臭って、簡単に消せるものじゃありませんね」

「前も言ったけど、このにおい好きだよ? 安心するっていうか」

「どうもです」


 実は、沙也さんを泊めるのには抵抗があった。それは彼女に対してネガティブな感情を抱いているからではなく、むしろ逆だ。


 このベッドで沙也さんが寝たという事実が生まれてしまったら、俺はますますこの人を異性として意識してしまうだろう。


 正直、このお願いを聞いた時の俺は内心、少し期待していた。そういう意味で、俺の部屋に泊まりたいと言っているのかと。


 しかし冷静になるのは早かった。ここまで築き上げてきた信頼を壊すほど、俺は煩悩にまみれてはない。いや、俺は心の底から、沙也さんを悲しませたくないと思っている。


 おそらく十分もしないうちに、沙也さんは眠りにつくだろう。彼女に下心など一切なく、純粋な好奇心で俺の家に来てくれたのだ。そもそも六つも下の男子高校生など端から異性として見ているはずもない。


「ふー、サドーくんの胸って広くて温かくて、安心するね」


 沙也さんは顔の側面を俺の胸に当て、頬をむにゅっとさせている。俺はブラウンヘアを撫でたり背中をぽんぽん叩いたりしながら、指先から温もりを感じ取っていた。この関係こそ、俺たちの完成形なのだ。これ以上を望むなどおこがましい。


「私、一人っ子なんだけど、弟がいたらこんな感じなのかな」

「……この歳で弟とは一緒に寝ないのではないでしょうか」

「それは成人して未だにぬいぐるみと一緒に寝ている私への当てつけかな?」

「あー、いや、その」

「うそうそー。嘘だよ~!」


 ぎゅー! というセルフ効果音とともに、沙也さんが一層強く抱きしめてくる。


「……私はキミの、何になれるかな」


 沙也さんの存在は、俺の中で日に日に大きくなっている。それを正直に伝えたとして、きっと困惑させるだけだろう。なので俺は、曖昧な返事でごまかすことにした。


「そういうのってなろうとするんじゃなくて、いつの間にか何かになっているものなんじゃないですかね。逆も然りで、俺は沙也さんの何にだってなれますよ」


 胸の奥に走る小さな痛みを、俺は笑顔でごまかす。


「ホントに?」

「ええ。弟だろうとマスコットだろうと安眠グッズだろうと大歓迎です」


 嘘だ。


「私にとってサドーくんは東京の家族だよ。お姉ちゃんを甘やかしてくれる、しっかり者の弟」

「甘えんぼの姉を持って俺も幸せですよ」


 違う。


「いつかサドーくんが結婚したら、東京の姉として出席するからね」

「複雑な家庭だと思われるじゃないですか」


 そんなこと言わないでくれ。


 はじめはささくれ程度だったちくちく感は、会話を続けるほどに痛みを増していく。


「きっとサドーくんには……いい人が……現れるから……」


 声は次第に小さくなっていき、やがて寝息が聞こえてくる。



「弟、か」



 額に手を当てて、俺は嘆息する。



 あーあ、はっきり自覚してしまった。



 弟は嫌だわ。

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