DAY.9:「……偉いね」
「じゃじゃーん!」
いつも通り、合倉家のベッドの上。
女の子座りをした沙也さんが満面の笑みで掲げているのは、新品の枕だった。
「そういえば新しいの注文したって言ってましたもんね。ついに届いたんですか」
「ふふ、一万円超えだからね。頭乗せた瞬間に眠っちゃうかもね。ふふふ」
これから寝るというのに沙也さんはいささか興奮気味だ。そりゃあ万単位する枕なんて買ったらテンション上がるよなぁ。
「じゃあ今まで使っていた枕は捨てちゃうんですね」
駅前のデパートで購入したもので、中にはそば殻が詰まっているらしい。材質は若干硬めではあるが、熱の発散に優れているというメリットがある。部屋のカラーに合わせ、白いカバーが掛けられていた。
「まだ使えなくはないけれど、もうぺちゃんこだしね。在庫処分の特売品だったし」
「枕といえば、初めて沙也さんと会ったときのことを思い出しますね」
「あー……、その節は大変失礼を……」
「まるで汚物を見るかのような目で睨まれたことを俺は一生忘れません」
「だからごめんってば~」
沙也さんは塩を振られたナメクジのようにしおしおとしている。
ファーストインプレッションは、まさに最悪だった。
☆ ☆ ☆
今から約一年半前、高校二年の春休み。
俺は駅前のデパートまで買い物に来ていた。目的は新しいフライパンだ。家にある安物が使えなくなってしまったので、そこそこ良いものに買い替えようと思ったのだ。
しかし結果的に俺は手ぶらで建物を後にした。
こういうのは出会うタイミングも重要なのだ。いくら安くて品質が良くても、「なんとなく」購入しないということは往々にしてある。こういう時、なぜか買う理由よりも買わない理由を探してしまうのだ。無理して買えばきっと後悔することが無意識にわかっている。
ファストフード店で昼食をとって、家路につこうとしたその時だった。
信号待ちの交差点で、両手に大荷物を持った女性が立っていた。
右手の白いビニール袋には、鍋やまな板といった台所用具が無造作に詰め込まれている。左手の茶色いビニール袋の中身は不明だが、大きさは右の袋の倍以上だ。季節柄、この辺りに引っ越してきた新社会人かと思ったが、なぜスーツ姿で買い物に来ているのか。日曜日だというのに一仕事してきたのだろうか。
女性は両手の荷物を地面に置き、背中を少し丸めていた。一人で運ぶには重たい量だ。タクシーに乗ろうにも、乗り場がどこにあるか知らないのかもしれない。
信号が青になり、女性は再び荷物を持ち上げる。遠目で見ても、自宅まで体力が持たないであろうことは容易に想像できた。
俺は迷った末、小走りで駆け寄って女性の肩を叩いた。
「あの、すいません」
「……」
やべ、選択肢ミスった。
堆積したヘドロを眺めるかのような忌々しげな目で、俺を睨みつけてくる。おおかた、ナンパとでも勘違いしたのだろう。
俺は中学時代柔道をやっていたこともあり図体がデカイし、目つきも決して良くはない。私服姿の時に高校生と認識されたことは一度だってないのだ。居酒屋ランチに行けば「お昼はビールが半額ですよ」なんて勧められるし、クラス替え直後で隣の席のヤツから留年を疑われたこともある。
「…………」
女性は未だ一言も言葉を発さず、大きな瞳をギロリとさせている。不用意にコミュニケーションをとらないよう注意しているのだ。
「お、俺、織北高校の生徒です」
赤の他人への第一声としては不審極まりないが、まずは自己紹介だ。相手が高校生だとわかればいくらか警戒レベルを下げてもらえることは過去の経験から実証済みである。
「その、荷物が重そうだったので……。荷物持ちさせてくれませんか」
「………………」
俺の提案を鵜呑みにして良いものか迷っている様子だ。自宅が近ければそれを理由に断るだろうし、現時点でだいぶ体力を消耗しているのかもしれない。
「俺の家、この大通りをだいぶ進んだところにあるんです。帰り道一緒みたいですし、ほら、俺手ぶらなんで、手持ち無沙汰なんですよ」
大事なのはいかに相手の罪悪感を拭えるかと、こじつけでも正当性をアピールすることだ。理由がなければ人は心を開かない。逆に言えば、理由さえあれば多少不自然な状況でも人は目の前の出来事を受け入れる。相手に「断るのもかえって悪いし」と思わせられれば成功である。
「ほら、そっちの白い方、貸してください」
俺は左手を差し出した。あとは向こうから渡してくるまで根気強くこのポーズを維持するだけだ。
「……………………」
ゆうに三分は粘ったと思う。やがて女性はおずおずと右手の荷物を差し出した。
「ありがとうございます。じゃ、行きましょうか」
よほど俺を警戒しているのか、あるいは男性全般が苦手なのか。様々な可能性を考慮したが、どうせ二度と会うことはないのだ。無理して言葉を引き出す必要もない。
とはいえ、無言のままひたすら歩くのもやはり気まずかった。仮にウチより遠いところに住んでいるとしたら、この先二十分以上は一緒にいることになる。会話のキャッチボールとまではいかずとも、間を埋める必要はあった。
「お姉さんは最近引っ越してきたんですか?」
このお姉さん、って呼び方がいかにもナンパ師っぽくて、我ながら不快感があった。とはいえ名前を訊いたところで素直に教えてくれるとも思えないし。
「……」
それどころか返事もしてくれないし。
「俺は高校入学と同時にこっちに越してきたんで、ちょうど二年目に入ったところなんですよ。いざ一人暮らし始めてみると、もっと狭い部屋で充分だったなーとか、近所にスーパーがないのはキツイなーとか、色々気づくことありますよね」
こうなりゃ数を打つ作戦にシフトチェンジだ。ひとつでも共感が得られたらレスポンスをもらえるだろう。最初の一歩さえ踏み出せれば、勝手に会話は生まれていく。
「料理は昔から実家でやってましたけど、一人分ってなるとむしろ惣菜買った方が安いんですよね。とはいえ健康にも気を遣わなきゃいけないから毎日出来合いのものってわけにもいかないし」
「……」
「作り置きもするにはするんですけれど、ウチ冷蔵庫が小さくて。冷凍スペースがすぐいっぱいになっちゃうんですよ。一週間分もまとめて用意できないから、むしろ毎日するようになりました。やる日とやらない日があるとかえってモチベーションが下がりそうで」
「……」
「消費期限間近の見切り品で献立考えるのも楽しいですけどね。今日はアボカドが安いからちょっと豪華なサラダ作ろうとか、牛肉が半額だからステーキにしようとか。自宅でステーキって贅沢な感じしません?」
「……」
「家でインスタントラーメン食べる時は野菜を炒めてタンメン風にしたりとか、煮卵じゃなくて代わりにかきたまを作ったりとか、既製品にアレンジ加えるのも楽しいですよ」
「……」
うーん、地蔵かな?
いや、俺がおこがましいのか。勝手に荷物持ちを申し出て、あまつさえおしゃべりしようなど。向こうからすればいきなり知らない男に話しかけられて、家の場所を特定されるという恐怖を抱いているかもしれない。余計な心配をさせないためにも、途中で離脱するのが正解だろうか。
「……………………偉いね」
「えっ?」
「…………毎日、ちゃんと、料理、して。私は、全然、だから」
今にも消え入りそうな声だった。よくよく見ると、お姉さんは唇をかすかに震わせていた。もしかして、緊張しているのだろうか。だとしたら今この瞬間、彼女は最大限の勇気を振り絞ってくれたのだ。
「は、はい! でも覚えれば楽しいですよ!」
「……料理は、お母さんに教えてもらったの?」
「あー……その、母親はいないんです」
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