第三章4     『告白』

「遊園地だぁ〜!!」


 大きな歯車のような観覧車。高速で宙を移動するジェットコースター。様々なアトラクションを前に、ナギサが歓喜の声を上げる。


 今日のメンバーは男女共に三人ずつだ。女子は、ナギサ、リンカ、モモコ。男子は、僕、ユウ、同じクラスのフウマとなっている。


 それから様々なアトラクションを満喫したのだが、ナギサはやはり孤立していた。


 ナギサは小学生のような活気さで楽しんでいた。

 でも、それが無理やりだということを、この場の僕以外は誰も知らない。それはナギサ自身も例外ではない。


 ナギサはときおり昏い顔をしていた。その顔はあまりにいたたまれなく、高校生が浮かべる表情ではない。ナギサの料理と歌が活かせる場面が来さえすれば、いちやく人気になるかもしれないのに。

 僕がなんとかしなければならないということを、再認識させられた。


 昼食をとり、再びアトラクション巡りを再開する。

 僕たちが次に行った場所はお化け屋敷だった。

 よくあるような何の変哲もないお化け屋敷で、列ぶ人はほとんどおらず、すぐに入場できそうだった。


「このアトラクションは、最大人数おふたり様となっています!」


 と受け付けの爽やかなお姉さんが腹から大きな声を出している。

 オペラ歌手にでもなればいいのにと僕は思った。


 怖がるユウをフウマが強引にお化け屋敷に連れ込んだ。

 残った四人はペアを決められずに立ち尽くしていた。


 数秒して、ナギサが僕に近づいてくるのが見えたが、僕とナギサの間にモモコが立ち塞がる。


「山崎さん、あたしと行きましょうよ。ご不満?」


 ナギサは驚きを顔に浮かべたが、すぐさまにこやかな笑顔を浮上させて、「ありがと! 一緒に行こ! 誘ってくれて嬉しいよ!」とモモコに返した。


 モモコは予想外の返事を受けたからか、口を開いて黙っていた。


 残されたのは僕とリンカだけだった。リンカは周りをキョロキョロしている。


「僕で良ければ、一緒に入ろっか?」


「なんか……ごめんね?」


「ぜんぜん」


 ナギサとモモコがお化け屋敷に入ってから数十秒で、僕とリンカの番が来た。

 屋敷に足を踏み入れてすぐにリンカは怯えて、僕の腕にしがみついてきた。リンカがそれを狙ったようには見えず、心の底から怯えているのが伝わってくる。


 僕は生憎なことにイロが見えないため、屋敷の外も中も、大して変わりのない光景だった。


 リンカは「血が……」とか怯えているが、血のイロがわからない僕としては別のことに興味津々だった。

 アカって、どんなイロなんだろう……、と。


「リンカ、ちょっといいか」


 体をピクリと震えさせて涙目を浮かべるリンカを見て、心臓が破裂しそうな錯覚を覚えた。


 リンカは「ど、どうした……の?」と震えた声を出した。その震えた声は昨晩のナギサを思い出させ、心にやるせない気持ちをも突沸させた。


「あのさ、ナギサのことなんだけど。モモコが結構、当たり強いんだよな、ナギサに」


「私もモモには注意してるんだけど、あんまり聞いてくれなくて……キャッ――!!」


 女の子がキャッ、と叫ぶ場面に初めて出くわしたので、場違いにも思わず感心。


「大丈夫……? 怖いの苦手?」


「ちょっとね……暗闇は苦手なんだ、生まれた時から」


 なにやら深刻そうな顔でリンカは手を震えさせていた。それがぶりっ子なるものでも演技でもないのは、荒くなった息の音を聞けばわかる。


 そうしてイロのないお化け屋敷を抜け、無事出口にたどり着いた。

 ユウとリンカは中々に消耗したらしく、二人が回復するまで休憩にすることになった。


 午後四時を過ぎ、僕たちは再び遊園地内をぐるぐると彷徨する。

 するとモモコが僕に近づいてきて、「これ」と何かチケット二枚を差し出してきた。


「これは……」


「観覧車。リンと乗ってきなさい。ちょうど夕焼けも綺麗な頃合いだし、絶好のチャンスよ。色々とね」


「ありがとう」という僕の感謝を聞いたモモコは、小さく頷いてから僕の背中を強く二回叩いた。

 根は良い人なんだろうな、と心の中で呟いた。


 僕たちは近くでトイレ休憩をすることにした。外に残ったのは僕とナギサとリンカだけなので、どんよりとした気まずい空気が僕らを支配している。


 僕はポケットに入った観覧車のチケットを思い出して、リンカを誘おうと近づいたのだが、

「レーグ」と後ろからナギサに肩を掴まれた。


「どうした」


 ナギサは僕の手を強く握ってから、「こっち!」と大きな声を出して、華奢な矮躯を動かし、僕を引っ張る。


 僕はナギサの全力疾走に強引に付き合わされ、肺が爆発しそうだった。

 そのまま一分ほどナギサの疾駆に付き合わされたが、ナギサは突然ピタッと止まった。


「どうしたよ……急に」


 流石のナギサも息を切らしている様子だ。

 ナギサは精神年齢にそぐわない豊満な胸を大きく膨らませたり凹ませたりして息を整える。


 そして落ち着いたナギサは指をさして、その方向を見上げた。

 僕もそこに目をやると、そこには大きな観覧車があった。


 人はそれほど混んでいなくて、受付の人が物欲しそうにこちらを見ている。

 ナギサは大げさな深呼吸をしてから、


「レグ、一緒に乗ろ」と言った。


「……ナギサ、その……僕はリンカと――」


「レグ」


 ナギサは僕の言葉を遮るように大きな声を出した。

 とてもナギサとは思えない行動だった。


「ボクじゃ……ダメ?」


 何かを訴えかけるように上目遣いを送ってくるナギサ。悲しみと切なさを孕んだ瞳。

 昨晩の涙を見てナギサを見捨ることができるのは、それこそ犯罪者か鬼の子だけだろう。


「……わかったよ」


「ふふ、ありがと」


 僕は受付の人に、モモコから貰ったチケット二枚を手渡した。

 冗談抜きに殺されるんだろうな……。

 モモコに殴られる覚悟をしなくてはならない。


 僕はナギサとゴンドラに入り込んだ。

 僕は向かって右の席に座ったのだが、ナギサは左ではなく、真隣に座ってきた。


「おい、離れろって」


 ナギサは真隣どころか僕に体を密着させてくる。僕の手を撫でるように握り、僕の肩に顔を乗せてきた。


「ふふふ、温かい。レグ、膝枕して貰ってもいい?」


 ナギサはらしくない艶やかな声を耳元で発してきた。息が大量に混じった艶麗な音だった。

 違和感を覚えつつも、昨晩の涙と関係しているのではないかと思い、僕は頼みを承諾した。


 ナギサは僕の膝の上に頭を乗っけて、「ありがと、あいしてるよレグ」と言った。


 またいつもの冗談だろうと聞き流した。が、それでもおかしいのは事実だ。やはりナギサに何かあったのではないかと、不安が心を埋めつくした。


「ナギサ……お前大丈夫か? やっぱり……なにかあったのか?」


「――――――」


 ナギサは答えない。何かジェスチャーを送ることも、体を動かすこともなく、ただ沈黙の中に身を潜めている。呼吸の音すら鳴らさずに、ナギサは僕の膝に心と体を預けている。


「ナギサ? おいナギサ」


 ナギサの体を揺さぶる。が、何も反応しない。まるで死んだように反応がないので、僕はひどい動揺に駆られた。


 衝動的にナギサの体を乱暴に揺らす。ナギサの髪の毛が風に吹かれるように揺らめいた。


「おいナギサ! ナギサ!!」


「うわあ!」とまぬけな声を出しながらナギサは飛び起き、僕と距離を置いた。


「ナギ、サ……? 大丈夫か?」


 ナギサは不思議そうな目を投げかけながら首を傾げた。そして窓の外を見てから、


「うわ! たか! 死ぬぅ!」と絶叫して僕にしがみついてきた。


「ナギサ……お前、やっぱ変だよ。なんかあっただろ」


 ナギサの顔から表情が消えた。寂寞とした彼女の表情が示すのは、あまりに剣呑な予兆だった。僕も聞きたくないが、聞かないわけにはいかない。


「ナギサ、ちゃんと言ってくれ。なにが、あったんだ……?」


 ナギサは僕の言葉を最後まで聞いてから、ゆっくりと目を閉じた。

 そこから数秒間、彼女が目を開くことはなかった。そのまぶたが隠す瞳に宿るのは葛藤なのだと察した。


 僕は固唾を呑んで、ナギサの瞳の光を待った。

 その数秒間が僕には無限に感じた。

 ゴンドラから見える景色なんて頭の片隅にも入っていなかった。


 ナギサは錘が乗っているようにゆっくりとまぶたを開ける。

 そして僕と向かいの席に座り、僕から目を逸らした。


「……そうだね。シグには、シグだけには、言わないといけないかもしれないよね」


 僕はもうこれ以上聞きたくなかったが、決心したナギサはお構い無しに口を開く。


「約束……覚えてる?」


「『色の彩られた同じ海を一緒に見る』……だろ?」


 ナギサはゆっくりと大きく頷く。


「それね……ちょっと、破っちゃうかもしれない……」


 ナギサの昏い顔。ナギサの昏い声。僕の考えが杞憂なことであって欲しいと、願う。


「昨日さ、眼科で会ったよね? あれね、定期検査じゃないんだ。その時にお医者さんに言われたの」


「なん……て?」


「未知の病で治療方法はないんだって。そして、あと二ヶ月もつかどうか……って」


「は……? な、な、なにが……? なにが……だよ」


 ナギサは深く息を吸って、拳に力を入れる。拳に巻き込まれた彼女の服には、無惨にも皺が刻み込まれた。

 そして、ナギサはゆっくりと僕に目を移した。

 彼女は泣きながら笑って、

 

「――あと二ヶ月で、ナギサは失明します」

 

 僕たちのゴンドラは、まだ最高地点に達してはいなかった。


 ――その告白は、この残酷な物語の開始を告げるものだった。

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