最終章    『最期の二週間』

 ――僕とナギサは旅を始めた。


 僕は財布を、ナギサはカメラを片手に、日本各地の風景を写真に収める旅だ。


 様々な場所に出かけた。山や森、川、滝など荘厳な自然をふたりきりで回った。


 ナギサは修理した眼鏡をかけ、常に屈託のない笑みを浮かべていた。

 基本的に自分で写真を撮りたがるナギサだったが、五ヶ所だけは僕に写真を撮るようお願いしてきた。


 その五つのポイントで、ナギサは毎度のこと正方形の色紙を持っていた。

 五枚の色紙には乱雑に線が描かれていて、文字も絵も見出すことはできなかった。それを、他の観光客にお願いするのではなく、僕に撮影させるのだ。


 僕はナギサほど上手には撮れないものの、インターネットの情報を掻き集め、少しでもいい写真を撮れるよう苦心した。


 そうやって切磋琢磨する僕を見たナギサは、「がんばりやさんだね! ヘタクソだけど!」と小馬鹿にしてくる。

 でも、彼女が楽しんでいるのを見て、僕の心は穏やかになっていった。


 ナギサが色紙を持った一ヶ所目は、京都の鹿苑寺金閣というところだった。

 正確には鹿苑寺舎利殿というらしい。なんでもそこは外装が金箔で覆われていて、優雅さと豪華さを併せ持つとのこと。

 そんな由緒正しき寺院とその周りを囲む池の前に立ち、ナギサは胸元に色紙を持って、僕に写真を撮らせた。


 二ヶ所目は、同じく京都の慈照寺銀閣というところだった。

 銀閣なのに銀色ではないらしく、ナギサは唇を尖らせながら、「銀色にしちゃえばいいのに〜」と不満そうに言った。


 対して僕は、銀閣寺内の枯山水庭園や観音殿に激しく心酔し、「金閣より好きかも」とナギサに言ったのだが、「酔狂ですなぁ」と返されてしまった。

 酔狂なのか……?


 三ヶ所目は、函館だった。

 少し抽象的かもしれない。詳しく言うと函館山だ。

 山と言っても、山を背景にしたわけじゃない。函館山から見える、通称『百万ドルの夜景』だ。

 言うまでもなく、『百万ドルの夜景』を背景に、ナギサを写真に残す。


 写真を撮るときのナギサは、簡潔に言うと可愛い。

 今までも顔は整っていると思っていたが、可愛さというものを色濃く感じることはなかった。

 だが、写真のナギサは可愛い。たぶん俗に言う、『黙っていれば可愛い子』なんだろう。僕からしたら、ナギサの笑顔は百万ドルの夜景よりもよっぽど素敵なものだった。


 黙って撮った写真を見る僕を、「いまぁ、『百万ドルの夜景』より、ナギの方が素敵とか思ったでしょ〜? ん〜?」とナギサが笑いながら茶化した。


 僕は、「なわけ」と言って一蹴したが、内心ヒヤヒヤしていた。もう二度と心のなかでナギサを褒めるのはやめようと誓うほど。


 四ヶ所目は、薔薇園だった。

 無限に続く様々な薔薇たち。数千本も咲き誇る薔薇たちは、それら全てで一つの生き物と思わせる躍動感と収斂性があった。

 それにナギサは目を輝かせ、惚れ惚れとしていた。


 ナギサは、「結婚式はここがいい‼」と僕にねだってきたが、僕は、「参列者のみなさんは、きっと薔薇に串刺しにされるんだろうな。てか、まず結婚ってなに……」と嘆息した。


 しかしナギサは僕の両手を握り、上目遣いを送りながら、小首を傾げて、つぶらな瞳を投げかけてこう言う。「ダメ?」と。


 ただでさえ旅を始めてから、ナギサに対して幼馴染ではない何かを見出しはじめていた僕。

 そんな僕の心中を見透かしたような行動に、危うく虜にされそうになるが、自分の顔面を殴ることで正気を保った。


 ナギサはからかうように、「顔、赤くしてたぞ〜? 惚れちゃったかぁ〜?」と言ってきたが、僕は無視した。


 もちろん、そこでもナギサは色紙を持っていた。四枚目の色紙だった。しかし今回は、片手に色紙、片手に一輪だけ薔薇を持っていた。ナギサ曰く、アオ薔薇らしい。

 「両手におはな!」と叫んでいたので、「片手に花だろ」とツッコんでおく。


 ――それが7月30日の出来事。


 その晩、僕とナギサは旅館に泊まった。

 もちろん布団は二つある。ナギサはともかく、僕はやましい気持ちなんて持っていない。

 本格的な旅館であり、部屋は和室で着物も用意されていた。


 晩飯時には、豪華な和食が運ばれてきて、「最後の晩餐!!」という不謹慎極まりないナギサの掛け声と共に食事を始めた。


 全て平らげた後、僕とナギサは着物に着替えて、外で花火をした。


 ナギサの提案で線香花火の対決をすることになり、僕も負けん気で臨んだ。


 ――のだが、和服に身を包み、屈みながら笑顔で線香花火を眺めるナギサに見惚れ、たった十秒程度で火玉を落としてしまった。


 鎖骨まで伸ばしたサラサラな髪。整った目鼻口。チャーミングな泣きぼくろ。

 よく今までなんとも思わなかったな、と二週間前までの僕に感服しながらナギサを見つめた。


 ナギサの火玉が落ちた瞬間、彼女は燃え尽きた花火をバケツに投げ入れ、僕に近づいてから、「ナギに見惚れて負けちゃうなんて、おっちょこちょいだなぁ」と頬をツンツンしてきた。


 僕が「……メンタリストか何かなの?」と疑問を投げかけると、「シグ直属のメンタリストだよ? ほら、来てます」とナギサは両手をパーにして僕に向けてきた。「プライバシーもクソもなさそうだな。それにそれ、違う人ね」といちおうツッコミを入れておく。


 そして深夜に入り、僕とナギサは布団に入った。もちろん別々の布団だよ。布団同士は密着してるけど。

 

 ナギサとは反対の方を向いている僕の背中に、ナギサが抱きつく。


「どうした」と僕は、ナギサではない襖の方に声を向けた。


「一緒に寝よっ」


「不適切かつ健全じゃないと思うけど」


「いいじゃん。今日だけだから」


 僕は夜の静けさに数秒身を隠す。


「好きにしろ」


「やったっ。もう一個聞きたいんだけど、『今日だけ』じゃなくて、『今日から』でもいい?」


「好きにしろ」


 僕の婉曲的な二つ返事に、ナギサはくすくすと微笑んで、


「ありがと。でも、やっぱ大丈夫。今日だけ、だね」と耳元で囁いた。


 コオロギの鳴き声が、外から流れてくる。夏の夜の静寂を嘆くように、8月の景色を見ることのできないナギサを励ますように、コオロギたちは泣き声を上げる。


 三日月の月光もまた、縁側から訪問してきた。

 ナギサは僕の背中にしがみつきながら、安らかな寝息を立てていた。とてもいびきとは言い難い、人の心を芯から温めるような音だった。


 平静を装いながらも、僕の心臓の鼓動だけは止まってくれなかった。そんな僕を見兼ねたのか、コオロギたちは声量をさらに大きくし、大合唱をはじめた。


 まるで僕とナギサのお見送りをするみたいに。

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