幕間学祭二日目(裏)  『■■=魔女』

「渡しなさい――――――ッ!!」


 モモコはカメラを机の上に置いてからナギサの胸ぐらを掴み、廊下側の壁――ガラスにナギサを叩きつける。


 追い詰められたナギサは必死に抵抗する。


「やめてっ!」


 強引に眼鏡を奪い取ろうとするモモコと、懸命に足掻くナギサは揉め合いになる。でも壁側に追い詰められたナギサが圧倒的に不利で、ナギサは手に持った眼鏡を床に落としてしまう。


 眼鏡が無傷なのを察して、ナギサがほっと胸を撫で下ろしたと同時に、


「あんたなんかより、リンの方があいつのことを想ってる!! 部外者は関わるなッ!」


 とモモコが怒気を帯びた声音を出す。それに合わせて、ナギサの後頭部がガラスに打ち付けられる。ガラスは無傷だが、ナギサの方はそうもいかない。


「あんたもリンカも狂ってる!! あんな男を好きになるなんて――ッ!」


 ――ナギサの抵抗する力が極端に弱くなった。


 モモコがナギサを見ると、目が尋常じゃないくらいに泳いでいる。意識が飛んでしまいそうなくらい。いや、既に飛んでいるのかもしれない。


 焦ったモモコがナギサから離れると、ナギサは人形のようにぐったりと座り込んだ。

 ナギサは泳ぎに泳ぎ回った視線を送りながら、なにかぶつぶつと呟いている。


 モモコはハッとし、自分のしてしまったことの重大さをやっと理解する。

 馬鹿だと思っていたナギサに言い負かされたこと。それはモモコの矜持を傷つけた。そのせいで、我を忘れ、人に危害を加えてしまった。


「や、山崎さん……? ナギサさん? ナギサさん!

!」


 何度呼びかけても応答がない。

 意識だけがどこか彼方へと消え失せてしまったかのように抜け殻となっている。


 されどモモコとて人の心は持っている。

 うざったいことは否定できないが、口の端から泡を噴いて視点も定まらない同級生を見殺しにはできない。

 反省なら後でいくらでもする。だから、どうかナギサには助かって欲しくて、


「だ、誰か!! 誰か助け――」


 言葉を、声を塞がれる。モモコがやめたわけじゃない。物理的にだ。でも、口は塞がっていない。


 じゃあどこが? 


「あ……ぁ、か……」


 首だ。首を絞められている。


 じゃあ誰に?



「――あのさ、ごちゃごちゃうるせーよ。ブス」



 首を絞めているのは少女だった。

 今モモコが傷つけ、救おうとした少女。


 髪を鎖骨まで伸ばし、可愛く整った顔の少女。

 だが、さっきとは明らかに違う。中身もそうだが、彼女の外見のチャームポイントと言うべきところがなくなっている。


「や……ま……ざ……」


「顔もブスだし、声もブス。まな板みたいに貧乳で、性格も悪い。おまけにプライドだけは高いって……ハハハハハハ。ゴミじゃんオマエ。そんなんじゃフウマくんオトせないぞー? でも、好きな人に振り向いてもらえない気持ちはわかるよ。同情する。だから――――――――――殺してあげようか?」


 本気で言っている。本気で殺す気でいる。人間じゃない。ナギサでもない。


 ――この人は、いったい誰なんだ?


 ナギサ——■■の首を絞める力が強くなり、モモコの口の端からヨダレが垂れる。


「うわ、きったな」


 ヨダレがかかりそうになった手を■■がよける。そのおかげで、モモコの気道を酸素が通る。


「げほっ……はぁ……はぁ」


「だ〜れ〜がっ、息吸っていいって言ったの? なんでボクがオマエみたいなブスと同じ空気を吸わなきゃイケナイの?」


 ■■はモモコの制服で、口からこぼれたヨダレを拭き取り、再び首を絞めた。


「……ぁ、し……ぇ、し……ぬ……」


「なんで死ぬの、って? 教えてあげるよ。ボクって、レグの次に優しいからさ」


「ああぁぁあぁぁ――クぁっ……」


 ■■は歪んだ笑みを口元に浮かべる。


 狂気だ。狂喜だ。凶気だ。


 この■■――魔女は、本気でモモコを殺そうとしている。殺気をまとい、途轍もない力で首が締め上げられていく。


「一つ目、あの女の方がレグのことを想ってる、とか言ったこと」


「ぁ………ぇ……」


「二つ目、部外者とか言ったこと」


 この世の者とは思えない鋭い眼光を■■はモモコに浴びせる。


「三つ目、レグを侮辱したこと」


 ■■は続ける。


「だから殺す。だから死ぬの。でも、ブスで良かったね。これがあのカレンとかいう女だったら、もっと苦しめてたよ」


 ――逃げなきゃ死ぬ。逃げなきゃ殺される。


 そうモモコの生存本能が悲鳴を上げる。


「あー、見てるこっちまで、ブスになりそう。ブス菌が移りそうだから、こっち見ないでくんない? ボクがブスになったら、レグに振られちゃうかもしれないでしょ? …………いや、そんなことない。そんなことあるわけない。ボクは、ボクはなんてことを……。レグはそんな酷い人じゃない。レグは世界一優しくて、世界一かっこよくて、世界一アイシテル人。ごめんねレグ。ごめん、本当にごめんなさい。レグがボクをそんな理由で蔑ろにするはずがないのに。許して、ごめんね……」


 ■■が不躾にモモコの首から手を放す。まるでポイ捨てするように。あたかも最初から眼中になどなかったかのように。


「げほっ、はっ……ぁ……は、はぁ……」


 モモコはその場にぐったりと倒れ、首を触りながら必死に酸素をかき集める。

 その間、■■は机の上にあるカメラの中身を見ていた。


「写真でも、実物でも、妄想でも、空想でも、幻でも、夢でも、こんなにかっこいいのはレグだけだよ」


 ■■はカメラの液晶にチュッとキスをする。

 その光景を見たモモコの頭を、胸を、心を、反吐が出るような気色の悪い悪寒が支配した。


 歪んだ愛。一方的な愛。身勝手な愛。盲目的な愛。全てが唾棄すべき、淘汰されるべきもの。


「――なに見てんだよ、殺すぞ。あぁてか、この眼鏡が欲しいんだっけ? いいよ、あげる」


 ■■が床に落ちた眼鏡を拾い、モモコに差し出す。


「い、いら……いらない」


「は? あげるって言ってんの。ほら」


 ■■がモモコに近づく。再び首を絞められるのではないかと、モモコの体がブルブルと震えだす。粟立った体は条件反射を起こした。


「い、い……い、いらない――――ッ!!」


 モモコは■■の手を払い除け、走って教室を飛び出す。

 その行動を■■は目を細めて見届ける。


「……は。きも。ほんとにあげようと思ってたのに」


 そう言ってから、■■は眼鏡を床に捨て、足で踏み潰す。眼鏡は鈍い音を立て、眼鏡のレンズに蜘蛛の巣のようなヒビが入る。だがフレームなどは軽症だ。


「しぶと。あの女みたい」


 ■■は歩き出し、ある机の前で止まる。その机に片頬を乗っけて、「レグの匂いってやっぱいい匂いだなぁ……」と感嘆を漏らし、机を抱きしめる。


 そしてまたカメラを持ち、廊下側の壁に寄りかかる形で座った。


 ■■は指で数を数え始める。


「一、二、三、四……。もう四回目かぁ。最後の五回目はどうしよっかな……。レグの寝顔が見たいな。うん、そうしよう。キスマークなんかつけたら驚くかなぁ……」


 独り妄想に浸り、体をくねらせながら■■は陽気に笑う。


 ■■はカメラに目を向けた。

 一枚一枚、写真をスクロールしていく。

 時雨の写真。時雨の写真。時雨の写真。時雨の写真。時雨の写真。時雨の写真…………。


 一人の男子しか映っていないカメラを愛おしそうに■■は眺める。


 そしてある写真にたどり着いた。

 その写真は、少女が色紙を持って、■■の愛する人に想いを伝えている写真。海を背景にして少女は満面の笑みを浮かべている。


 それに憎悪に塗れた睥睨を向け、「『だいすき』とか浅すぎ。所詮紛い物ね」と吐き捨て、写真をデリートしようとする。


「え……?」


 ■■の頭に、本能に、理性に、感情に、心に、気持ちに、愛に、稲妻が走る。懸想し、恋い焦がれた彼の存在を肌で、魂で、愛で感じるこの感覚。


「レグが来てる!」


 ■■は四つん這いで教室の出入り口まで這い寄り、顔を出して覗く。

 奥には、愛してやまない時雨がいた。

 その隣には、昨日本気で殺してやろうとまで考えた女がいた。


「レグ……騙されちゃ、ダメだよ……」


 不安と憂慮を口から漏らし、涙声で涙を目に浮かべる。

 だが、一瞬で■■は時雨の真意を察した。


「……なるほどね、嫌われるためにね。ほんと優しいなぁ、レグは。レグの優しさを無下にするわけにもいきません。うんうん! ほんとはレグに会いたかった、逢いたかった……でも、でもこれもレグのため。ボクは我慢するよ、レグ」


 すぐにカメラをスクロールして時雨の写真に接吻する。

 積み重なった想いの分だけ重くなった愛の接吻。

 割愛された■■は、渇愛しながら屈託のある笑みを零す。


 そして、自分の――ナギサの頭を軽く叩き、


「骨の髄まで味わって、噛み締めて、一滴残さずレグの優しさと慈愛を受け取れ。――――――紛い物」


 ■■の左目の目尻の下に変化が生じ、■■は消え、ナギサの意識がうっすらと舞い戻った。

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