第二章2     『死神との契約 』

 ――2019年4月30日。

 

 ナギサと海にでかけた次の日。

 僕はリンカとの待ち合わせのため、黒西公園のベンチに腰かけていた。


 その様々な遊具にはもちろんイロはない。

 ――だが、イロ以外にも足りないものがあった。


「静か……すぎないか……?」


 イロだけでなく、音までも欠落していたのだ。

 否、音だけでなく、匂いも気配もない。そこにあったのは虚無だった。


「――今日は、太陽が眩しいね。まあ、この後曇るんだけど」


 そんな虚ろを切り裂いたのは、あまりにも美しい青年だった。

 季節外れのロングコートを羽織り、女性顔負けの中性的な美貌を存分に見せつける青年。


「あの、初対面ですよね……?」


 ひどく馴れ馴れしい口調だったので、自分の勘違いの可能性を危惧して、僕は確認を取った。

 その質問に、青年はふっと不敵な笑みをこぼしながら僕の真隣に座った。


「ま、そうだね」


 そして、青年はわざとらしく咳払いをしてから、


「――ボクは死神だよ、シグレくん。ボクと契約してくれないかい?」


「契約……?」


 青年――死神は「うんうん!」と目を輝かせ、さらに僕に近づいた。


「あ、ごめんね。キミ、色わからないもんね。ボクの色は、髪が一部を除いて白。目は黒髪。肌も白。このコートも白だよ」


「なんで、知ってるんですか」


 初対面の彼が、僕の全色盲を知っている意味がわからない。僕は有名人でもなんでもないのだから。


「そんなことどうでもいいじゃないか。ボクはただ、キミと契約を交わしたいだけなんだよ」


 こんなにもイケメンな不審者もいるのだな、と僕は大きなため息をついた。


「契約って、なんですか」


 リンカが来るまでの辛抱だ。

 変にこの死神を自称する不審者を刺激するのも芳しくない。だから、僕は話に乗ることにした。


「僕と契約を交わすことで、大きく分けて二つのことが起こる」


 死神は言う。


「一つ目。キミの視力が三ヶ月かけて回復し、三ヶ月後の7月31日、キミの目に色が宿る。勘違いしないで欲しいのは、三ヶ月間は色は見えないよ? 7月31日に突然前触れもなく色が見えるようになるのさ」


 ……意味がわからない。

 新手の宗教の勧誘だろうか。


「そして二つ目。この世界の誰かの視力が、三ヶ月かけて低下する。そして、三ヶ月後の7月31日、その人は色ではなく、光を失う。つまり、失明だ」


 その響きに、ぞっとした。

 つまり、僕がイロを手に入れる代わりに、この世界の誰かが失明するということ。

 僕の頭に、不審者や変質者という文字は既に無かった。


「色の彩られた海を見る。そういう約束したんじゃないの?」


 完全に思考停止していた僕に、死神が追い打ちをかけた。

 その言葉で連想されたのは、イロの見えない僕ですら分かるくらいに昏くなったナギサの顔だった。


「なんで……なんで知ってるんだ」


 そして、この約束を知っているのは、僕とナギサだけ。

 こいつは一体……何者なんだ……?

 

「ただの、人の願いを叶える死神さ」

 

 すると、死神は僕の顎を片手で触った。


「キミは、この世界の誰かと、大切な人、どっちを取るんだい?」


「ぼ、ぼくは……」


 ただただ恐ろしかった。

 死神という存在が、僕の生存本能を刺激する。いつ失禁してもおかしくないくらいに怯えていた。


 ――だが、こいつなら、死神なら、本当に色を見る夢を叶えてくれるのではないか、という期待も、かすかに含まれていた。

 

「……本当にイロを目にできるようになるの……?」


「もちろん。キミは色を手にできる。ボクと契約すればね」


 不可能を可能にするチャンス。

 それを目の前にして、この世界の誰かの失明なんて、どうでもよかった。


「契約って、どうやって交わすの……?」


「握手、だよ」


 その言葉に応じ、僕と死神は握手をした。

 電気が走るような感覚が来ることもなく、ただの握手を終える。


「なにも……来ないけど……」


「言ったでしょ。視力は三ヶ月かけて徐々に回復。色は7月31日に見えるようになるのさ」


 死神はポケットに手を突っ込み、ベンチから立ち上がった。


「契約の取り消しについてだけど、それ相応の代償を払ってもらうことになるから覚悟してね。ま、する意味ないからしないとは思うけど」


 死神は僕を嘲笑うように見下ろし、


「――ボクは眼球をささげる、昏い目をした君に」


「え?」


 死神はクククと気味の悪い笑みを浮かべたあとに


「いいや、なんでもないさ」

 

 と呟いた。


「ノストラダムスの大予言どうなるかなぁ」


 死神の独り言に、僕は何の返答もできなかった。


「ほら、そんな呆けた面して。凛奏りんかちゃん来たよ」


 その死神の言葉にハッとすると、目の前には少女が立っていた。

 サイドテールに触角を垂らした、学校一の美少女。


「リンカ」


 名前はリンカという。疾風凛奏はやてりんかだ。

 彼女は不思議そうな目で僕を見つめている。


「……ねえ、時雨しぐれくん」


 リンカは物怖じしたように声音を震えさせながら、


「――今、誰と話してたの?」

 

 そこに死神の姿はなかった。

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