Legends②,『夢の始まり』

 スマホのアバター配信専用アプリを起動して、今度はパソコンを操作する。パソコンのストリーミング対応アプリを起動して、スマホと共有させる。マイクとミキサが繋がっているのを確認して、私は深呼吸した。


 霹靂霧霧になって、もうどれくらい経っただろう。あ、二周年記念ライブがあるから、もうすぐ二年か。


 あっという間、と言うには長いかな。


 でも、あっという間だった。


 私が原因を作った炎上まがいの珍事で、登録者が爆発的に伸びて、いつの間にか、ライブ配信のコメントも、一人一人を読み上げたりなんてしなくなっちゃって。いや、しなくなった、というよりかは、多すぎてできなくなっちゃったんだけど。


 最初は鼻で笑われていた配信企画も、社員さんや0期生の仲間内でさえ、今や誰も、私の出した提案を止める人がいなくなった。それどころか、orion内での企画やコラボ配信予定は半年先まで決まっている。ふと企画を思いついたとしても、それが実現するのは半年後ってこと。だからコラボ企画はすごく考えて発案するし、ゲームの新作情報なんかに目を通すことも、仕事のひとつになっちゃってる。orion内のコラボで、しかも新作ゲーム、なんてきたら、たくさんの視聴者数を稼げるから。


 後輩もできた。それはもういっぱい。海外にも。すっかりorionは、大所帯になった。


 今日はそんな後輩とのコラボ。しかもアメリカで歌手デビューを予定している、グウェン・アラネアちゃんっていう、蜘蛛をモチーフにした女の子に、私が英語を教わるっていうライブ配信だ。


 なんて呼んだらいいかな。グウェンちゃん?ミス・グウェン?


 言葉は通じるかな。

 ネジャンナの二人は、ある程度、日本語ができるから、こっちも甘えちゃって、配信はほとんど日本語だった。たまに相手が私の言葉を、海外のリスナーに向けて翻訳してくれてたっけ。


「……あ」


 なーんて、考えていたら、パソコンの通話アプリに着信がきた。私はボタンをクリックする。


「ハ、ハジメマシテス。キョ、キョウハ、ヨロシクオネガマス」


 しっかり片言の、ちょっと高めの可愛い声が、ヘッドホンから聞こえてきた。


「は、はーい。みすぐうぇん。な、ないすとぅみーちゅー」


「コ、コチラコスっ!」


 なんだろう。あっちは片言の日本語で、こっちもおそらく、すごい片言の英語。この逆転現象って、初めましてのあるあるだよね。


 ガサガサ、となにか紙を捲るような音が、ヘッドホンに聞こえた。


「キョウ、ハ、イダイナ、センパイ、ノ、ムネヲ、オカリシマス。ヨロシク、ネガイマス。ワタシ、ハ、マダ、マダ、ミジュク、モノデ、スガ?……ah、ミジュク、モノデスガ、センパイ?ミタイニ、イダイニ?ナリタイ、カラ、ガンバリムス。So……、ダカラ?イッパイ?ベンキョウ、サセクデサイ」


「………………」


 序盤は、可笑しいのを我慢するのに必死だった。でも途中から、この後輩はなんて素敵な心を持った、可愛い女の子なんだろうか、と泣きそうになるくらい感動してしまった。

 だってそうでしょ?

 コラボ配信が決まってから、この打ち合わせで私にコレを言うために、グウェンちゃんは日本語を練習してくれていたに違いない。


「こちらこそだよ……。ありがとう」


 静かに呟かれたその声は、ちょっと震えてしまってた。

 最近、涙もろくていけない。毎日毎日、パソコンに向かって一人でしゃべって、平坦な毎日で感情が失われていくような感覚に陥ることがある。だから逆に、ふとしたことで感情が揺さぶられちゃう。

 彼女の一生懸命な気持ちは、私にとってはすごく新鮮だった。


 紙をめくる音。どうやら言おうと決めておいた台本が、グウェンちゃんの手元にはあるようだ。


「ドウシタラ、センパイ、ミタイニ、ナレマスカ?」


 ……私みたいに?


「……………………」


 ちょっと考える。これまでの私の活動を。

 未だになぜか分からないけどオーディションに合格して、バーチャル配信者になって、宝くじが当たったみたいな事故の結果、登録者数が増えて。まるで惰性で動くかのように、毎日配信を続けて。言われるがままに、事務所に通って、アイドル活動を続けている。


 彼女になにか胸の張れることが、私にあるだろうか。


 違うなって思う。


 胸を張れることなんて、私にはまだない。


 そっと、スマホの翻訳アプリを起動する。

 アプリに気を遣いながら、分かりやすい日本語を考えながら、私は口を開いた。


「あなたは、私になる必要なんてない。あなたにはもう、私にはないすごい才能がある。だから、自分の信じた道を行くべきだよ」


 その言葉を呟いて、翻訳のボタンをタップしながら、スマホを口元のマイクに近付けた。


「You don’t need to be like me.You already have big talent I don’t have.So,you should go your way you believe」


 人工的な抑揚のない、アプリの声が部屋に響く。


 グウェンちゃんが息を吞む音。

 ちゃんと伝わっただろうか。翻訳ソフトってあんまりアテにならないからなぁ。


 どんな顔をしているんだろう。まだ会ったこともない。顔も知らない異国の後輩。失望させちゃったかもしれない。


 カタカタ、とパソコンのキーボードを叩く音が微かにした。

 なにかを読むような、グウェンちゃんの声が耳元から聞こえる。


「ワタシ、ハ、イママデ、マヨッテ、マシタ。ワタシ、ミタイノナ、ニンゲン、ガ、ヴァーチャル、ノ、ハイシンシャ、トシテ、ヤッテケル?ドウナノカ。オーディション、ティーヴィーショウ、ニ、デルカ、ドウカ。イマ、ソノ、マヨイガ、キエル、マシタ」


 サンキュー、という、熱のこもったネイティブな感謝の言葉が、耳元で囁かれる。


「びりーぶみー。びりーぶゆあせるふ。びりびんゆー、ふー、あいびりびん」


 私が好きな熱血アニメの、有名なセリフを付け加えておいた。


 こんなことは、きっと言う必要なんてない。

 彼女はこんなに優しい人だし、本当に、才能に溢れている人なんだと思う。

 そうじゃなきゃ、今のorionにアイドルとして入ることなんて難しいだろうから。私が入った時とは違ってね。


 だから、これはただのお節介。一歩踏み出すことなんて、なんてことはないっていう、先輩からの余計なお世話。

 何もしなくたって、彼女は成長して、きっとすぐに、私を越えていってくれる。orionをもっと、大きくしてくれる。


 その時まで、私はアイドルでいられてるかな。

 アイドルでいられてるといいな。


 二人で肩を並べて、一緒に好きな歌を唄ったりして。


 なんて、夢に出てきちゃいそう。


 ほっぺたを両方つねってみた。配信の準備をしなくちゃ。


「じゃあ、気を取り直して、ライブ配信の準備をしよっか?」


 口元のマイクに向かって、笑顔で私はそう告げた。

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ぼくらはみんな配信者っ!~Streaming (future) stories~ 東北本線 @gmountain

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