Legend3,『スラム街の怪物①』
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アメリカはカリフォルニア州にあるコースティンシティは、人口16万人の港町。漁業と景観の良いサンハロンビーチによる観光産業を中心に発展してきた。
私がバーチャル配信者になって、ここに移り住んでから、そろそろ1年になろうとしている。
観光地だから、ベガスにもあるホテルの系列店がいくつかあるけれど、観光客は決まって、ここには来ない。
サンハロンビーチからホテルまでのルート83の途中。西海岸を縦断している鉄道の高架下への道を降りると、観光地だった景色は一変する。
チックタウンと呼ばれるこの集落は、低所得層、もしくはホームレスが集まるスラム街だ。1週間に4、5回は派手な喧嘩か銃声が聞こえるし、お薬の売人もいる。もちろんメディシンじゃなくてドラッグの方ね。
この町にはコンビニエンスストアとか、食べ物屋さんなんてない。すぐに強盗に襲われちゃうから。自動販売機もない。自動販売機だった原型を留めていない金属塊だったらあるけれど。
夕方以降は、絶対に外に出ちゃだめ。なんでかって?出てみたら分かるよ。ちょっとハイブランドな服とか時計なんかを身に付けて出るといい。命の保証はしないけどね。
どうしてこんなところに私が住んでるのかっていうと、都会が肌に合わないから。
そりゃ都会の方が便利だし、安全なのは分かってるよ?広い豪邸に住んだり、高層マンションの高級そうなテーブルで外国のワインを飲んだりしたくないわけじゃないけれど。
でもさ。
仕事はほとんど家でできるし、交通の便だってそこまで悪いわけじゃない。
いや、好きなのかもね。こういう町の雰囲気が。汚らしくて、危なっかしくて、いつでも
懐かしいっていうか、初心に戻れるっていうか。まだ五体満足だったころの私の幻影を探しているのかもしれないなって、そう考えることもある。
心のどこかで、自分は他人よりも幸せになっちゃいけないっていうか、小汚い場所がお似合いって思ってるみたいな、そういう感情に支配されてるのかも。
よくわかんない。
自分の感情を歌にこめるのは好きだけど、自分の思考を言葉にするのは、昔から苦手なんだ、私って。
とにかくバーチャル配信者の最高に都合の良いところは、誰もその姿を知らないこと。いや、身の上がバレちゃったり、逆に積極的に中身を明らかにするようなバーチャル配信者もいるけれど、私はそうじゃない。絶対に世間に姿を見せることはない。これまでも、これからも。
でもさ、誰もスラム街のボロアパートに住んでる車イスの化け物みたいな女が、ビルボードのシングルもアルバムもダウンロードでもトップを獲った歌手だなんて、思わないでしょう?昼間っから地下室で生配信なんかしてると思わないじゃない?
「みんな、来てくれてありがとう。んー、『Ya,ya,yamy』は今日最初に歌ったの、ごめんなさいね。でも、ライブ配信は久しぶりなのに、スパイディがこんなに集まってくれて、私とても嬉しい。感謝の気持ちを次の曲にこめるわね?」
目に止まったリクエストのコメントに応じながら、アバターを残念そうな表情に変える。
「また次もあるから聴きに来て。その時に必ず歌うから」
表情を戻して、ひとつ咳払い。
:グウェン!歌って!グウェン!!
:アルバム買ったよ。親と子供と兄弟と甥の分までね。これから将来の孫とひ孫の分も買いに行くよ。
:最高だ。君の歌声が聴こえるたびに僕の最高が更新されるよっ
:天使。マジ天使。
:君の蜘蛛の巣に絡め捕られて逃げ出せない件……
:次の曲が聴けるなんて、俺が明日を生きて迎えられるか心配だ。
コメントはもう目で追えないくらい多いんだけれど、ポジティブな感想とか応援とかがかろうじて読めた。あ、スパイディっていうのは私のリスナーの総称のことね?
「みんな本当にありがとう。……あ、ちょっと待ってて。宅配便が来たみたい。頼んでた機材が届いたのかも。ちょっと受け取ってくるわね?」
珍しく玄関のチャイムが鳴った。私はマイクをミュートにして、机に取り付けられたマイクアームを手で移動させる。最近はそれさえ難しくなってて、この間なんか逆方向にアームが動いて鼻と義眼にマイクが直撃したんだけど、恥ずかしくていまだに誰にも言えない。そういうのはorion JPの先輩方の役目だろうに、なんで私が。なんて、その時は思った。
そのまま車イスのブレーキを外して、右のアームレストに付いてるレバーを操作すると車イスが動き出した。
狭い防音室に置きっぱなしの機材を避けながら錆びた匂いのする簡易エレベーターに乗って、手元のボタンを押す。いつもの大きな振動が一回。重力に逆らう感覚。昔見たジャパニメーションのスーパーロボット発進シーンみたい。
もしくはバットケイブから戻るブルース・ウェイン?ああ、彼はボロアパートには絶対に住まないわね。
1階に着いたら車イスのレバーを操作して進む。景色が変わって、秘密基地がだんだんと、ただのボロアパートの一室になっていく。黄ばんだ花柄のドアが自動で開くと、そこは玄関手前のスペースだ。背後でドアが閉まるのを確認してから、私は玄関のドアに向かって車イスを進めた。
早く戻って、リスナーのみんなに私の唄を届けなきゃ、とか、そんなこと考えてはいなかった。
ただ、ちょっとうっかりしていただけ。
いつもはそんなことはしない。キーチェーンを外したままドアを開けるなんて。
「金を出せ。早く……」
光沢のない黒い銃身が、私に突きつけられた。
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