Legend3,『スラム街の怪物②』
彼はただの配達員だった。
担当地区は腐ってるとしか例えようのないスラム街とその周辺。華やかな観光地が陽射しのあたる場所なら、そこは陽光のあたらない日陰の、そのもっと奥。夜闇よりも暗い、じめじめしてカビ臭い、思わず目を背けたくなるような場所だった。
そんな卑しい暗部を見るような目で、彼はそこの住人たちを眺めながら仕事をしていた。どんなに客に文句を言われようと、上司に八つ当たりのような罵倒を向けられようと、家族に邪険にされようとも、あの場所の住人よりは絶対にまともな人生を送っている。それが、彼の日々のストレスの逃げ道であり、精神の拠りどころだった。
スラム街の住人に荷物を届けることはほとんどなかった。その周辺地区ならば配達はいくらでもあったし、連立しているホテルのひとつも、彼の担当になっていた。そこに荷物を配達するのが、彼の主な仕事だったし、月に1度あるかないかのスラムへの配達の際は、必ず防弾チョッキを身に着けるのが、彼の会社のルールになっていた。
もちろん彼は自衛のために、さらにスミス&ウェッソンの拳銃を携帯するようにしていたが。
二回。
たった二回の配達で、彼はそれを決めた。
高級楽器メーカーのダンボール。
ハイブランドPC機器メーカーの丁重な包み。
一生かかっても、この二つの会社から自分が商品を注文することはないだろう。
いや、しかし、それだけならまだ良かったのかもしれない。
届け先の玄関から見た、男とも女とも分からない車イス人間の容姿。
ブロンドだったと思われる髪は頭の半分ほどしかなく、他は皮膚が露出して、大きな古傷が額から後頭部右側にかけて続いている。視点の定まらない濁った色をした緑色の瞳は、見えているのか見えていないのかも分からない。鼻も少し歪んでいる。口は裂けた痕があり、醜いとしか言いようがない。手足は真っ白なのに枯れ木の枝のようで、特に脚が車イス生活のためか不気味なくらいに細い。
「ありがとうございます。そこに置いておいて下さい」
化け物。
値の張る荷物の配達先にいた人間が、そんな化け物みたいな奴だったから、彼はそう決めたのだ。
スラム街で生活しているそんな人間が、自分よりも良い物を手に入れている。ただその1点だけが、彼は許せなかった。
気の小さい、無能な配達員だと?
上司のウィリアム課長の、冗談とも本気ともつかない薄ら笑いが目に浮かぶ。
くそ野郎が。
配達員なんてやめだ。
俺はこの化け物から、すべてを奪ってやる。
◆◆
ここで死ぬのもいいかもしれない、と思った自分に、驚かなかったと言えば噓になる。
もうすでに心臓に穴が空いていることに、私はずっと気が付かないまま、ここまで来てしまった。
オーディション番組で優勝したって、ベガスの舞台で唄ったって、アルバム先行カットの楽曲がビリオン再生されたって、ビルボードで何度1位を獲ったって、この穴は埋まらなかった。
ホント、自分でもびっくりするくらい運がいいっていうか、すごく恵まれてるっていうのに、私は身体だけじゃなく、心もどこか欠損しちゃってるんだなって思う。
あ、そういえば
きっと獲ったとしても、また虚しくなっちゃうんだろうけど。
配信も途中だったし。
私が死んだら、スパイディ達は悲しんでくれるかな。
銃で撃たれて死亡か。トゥーパックみたいじゃん。プレスリーとかMJみたいに生存説とか出たりするのかな。
「なにを笑ってる?死にたいのか?」
そうだった。ボロアパートに押し入られて銃を突きつけられているんだった。
視力は悪いけれど、これだけ近ければ分かる。インターネットでミリタリーをちょっと齧った私が見るに、これはコルトじゃなくS&WのM1911。
『安全装置は外したのか?』
言ってみたい。往年のシュワちゃんみたいに。セガールやスタローンみたいに。ゲームだったらアキオオオツカみたいな声で。
そんな欲求とコンマ数秒格闘してから、私は口を開いた。
「お金なんてないわよ。こんなボロアパートで暮らしてる車イスの私が、どうしてお金を持っていると思うの?来る家を間違えているわよ?」
男の背後で玄関が閉まった音がした。
「化け物が生意気に口を開くな。そんなに目が悪いのか?銃を突き付けられたら、することはひとつしかないと思わないか?」
バルスって叫ぶとか?
なにが悪いって、男が顔を隠していないのが悪い。私はもう、彼がたまに家に来る宅配便の配達員であることが分かっている。
顔を見られた相手の口を、そのままにしておく強盗なんているだろうか。もう私の命は、だいたい9割ほど失われている状態と言っていいだろう。
だから、思う。
「それも、いいかもしれない」
「はぁ?」
怒りに囚われている男の形相と声に、疑問の色が混ざる。
「いま、ここで、死んでもいいかもしれないって言ったのよ」
瞬間。
耳を
◆◆
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