Legend3,『スラム街の怪物③』

 グウェン・アラネアのマネージャーであるメアリー・ゴールドバーグがスラム街に来たのは、まったくの偶然だった。


 彼女がその日じゃなくてもよかったMV撮影の進捗の電話を彼女にかけなければ、グウェンはずっと家で倒れたままだったろうし、配信もそのままで電話にも出ない彼女を心配してスラムに駆け付けなければ、二発の銃声のあと、慌ててアパートから逃げる男を目撃することもなかった。そして彼女が救急車を呼ばなければ、腹部と左足を撃たれていたグウェンは死んでいただろう。


 いまだ耳に残る2発の銃声。見知らぬ男がグウェンのボロアパートから出てきた時の、足の先から頭の天辺まで感じた悪寒。


 医者の見解では、あと5分でも搬送が遅れれば彼女の命は助からなかっただろう、とのことだった。


 手術は11時間にも及んだ。


 弾丸が体内に残った腹部の傷よりも、貫通した左大腿部の傷の方が重症だったらしい。大動脈を傷つけていたそうだ。救急車が来るまでに腕の中のグウェンから広がり続ける血だまりと、腹と足を圧迫止血しようと試みた、血液の気持ちの悪い感触を、今でもありありと彼女は思い出せる。


 肘まで血まみれになった両腕も。


 一面真っ白な個室の大部屋。その中心で、酸素吸入器を装着したグウェンは病衣を着て寝息をたてていた。定期的な音をたてる電子音は、手術の奇跡的な成功を伝え続けている。


 グウェンの側でパイプ椅子に座るメアリー。

 彼女はイニシャルでMGと、orionn uniteの三人からはいつも呼ばれていた。


 組んだ自分の手に、MGは大きく息を吐く。


「どうして、こんなことに…………」


 理由は分かっているのだけれど、いまはそれどころではない。

 正直、深く考えたいとは思わない。

 ただひとつ、言えるのは、自分の責任でもあったということ。


 以前から何度もグウェンには、引っ越しを提案してきた。全米屈指の危険区域であるチックタウンなんてスラムにいつまでも住んでいないで、都会に越してきた方がいいに決まっている。やんわりと、時にははっきりと、何度、それを彼女に伝えたことか。


 返事はいつだってノーだった。普段はいつだって温厚なグウェンが、明らかに不機嫌になる時があるとすれば、その時だけだった。


 心拍の電子音が響く静かな部屋に、乱暴な音が響く。

 けたたましいくらいの音をたてて、病室の扉が勢いよく開かれた。


「MGッ!グウェンの容態は!?」


 エリィ。顔面蒼白のエリキュール・コロンボ。グウェンと同じorion uniteに所属する自称宇宙警察機構所属の人型バーチャル配信者だ。


「ああ……、グウェンっ」


 その後ろにはJJ。ジョゼ・ジョーンズ。人魚のバーチャル配信者が続く。慌てた様子でベッドに駆け寄って、横たわるグウェンに泣きついた。その肩に、エリィがそっと触れる。


 orion uniteが期せずして全員集まってしまった。チャンネルの総登録者数は5600万人にものぼる。


 グウェンからは反応が返ってこない。酸素の吸入器から、排気の音と微かなグウェンの呼吸が聞こえるだけだった。


 MGが立ち上がって、二人に向かって静かに口を開く。


「お医者様が言うには、峠は越したって。いつ目覚めるかは本人次第だそうよ。目覚めない可能性も……、あるって…………」


 医者からそれを伝えられた時、MGはその場で意識を手放しそうになった。目の前が真っ暗になるという経験を、彼女は生まれて初めて味わった。


 こうなる可能性は、いつだって考慮のうちにあった。こうなるくらいなら、無理矢理にでも、連れ去るくらいの気概で、独断でもいいから、転居を押し進めるべきだったんだ。


「なんで……、なんでこんな…………」


 悲痛な声をあげたJJは、ベッドに突っ伏しグウェンの足元で泣き出してしまっている。エリィがJJの肩から手を離して、振り返った。目に涙を浮かべて、怒りとも混乱ともとれない表情で、MGに詰め寄る。


「どうして引っ越しさせなかったのっ!?なんでまだ、スラムになんか住んでたのよっ!」


 まったくもって真っ当。まったくもって反論すらできない叱責。いや、マネジメントしているMGに対する非難だ。


 どうして。


 こっちが聞きたいくらいだ。どうしてこんなことに。

 MGの頭には後悔の念しか浮かんでこなくて、頭がうまく回らない。


「……ごめんなさい。私の……、責任よ…………」


 グウェンはもちろん、二人には目も合わせられない。合わせる顔もない。


 唇を噛む。


 二人には、謝ることしか、できない。


「……MGの、せいじゃ……、ない…………」


 ふと、三人の誰でもない声がベッドから上がった。


 グウェンだ。義眼は外しているから、片目を半開きにさせて、いつの間にか三人に視線を送っていた。


「グウェンっ!」


 泣いていたJJが叫ぶように名前を呼んで、グウェンの左手を握りしめる。視線が動いて、JJに向かって微かに彼女は笑ったように見えた。


「わ、私が……、私が悪い……の…………」


 MGの心臓が信じられないほどにその脈拍を上げた。そのまま口から飛び出すかと思った。どうしたらいいか、考える前に口と足が動いた。


「エリィっ、ナースコールを押してっ!私はお医者様を呼んでくるからっ!」


 半狂乱になって声を上げる。踵を返し、さっきの二人よりもさらに大きな音を立てて、彼女はナースセンターに向かって病室のドアを開けた。


 意識を取り戻した。

 私たちのスターが。

 良かった。本当に……、ホントに良かった。

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