Legend1,『不仲説』

 0期生の私には、今となっては後輩が国内外問わずたくさんいるわけなんだけど、ネジャンナのorionNNには1期生として二人の後輩がいる。


 一人はヤーナ・クルス。私を空港に迎えに来てくれた女の子で、魔法使いのバーチャル配信者。


 そしてもう一人はユリたん。

 ユリア・アクアマリン。イルカの化身のバーチャル配信者だ。


 もともと二人はデビュー当時、一緒に住んでいたんだけれど、今は別々に暮らしている。


 その理由になったであろう配信の会話を、私は今でもよく思い出す。


 あれは私と、デビューしたての二人との三人コラボ配信での出来事だった。当時流行ってた多人数参加型のオンラインリアルレーシングゲームを視聴者もまじえてプレイしてたんだけど、今となってはそのゲームの内容なんて全然おぼえてない。


 ゲームの内容はおぼえてないけど、これだけは確かだろう。


 私のレースの順位。


 私はおそらく、いつも通り安定のビリっけつだったはずだ。


 とにかくゲームにはあまり集中してなかった。そうじゃなきゃ、


「ねー、晩御飯は宅配で吉納屋にしようかと思ってるんだけどさー、二人は今日なに食べるの?」


 なんて、レース中に聞くわけがない。


:あ、レースを捨てたな?ww

:い つ も の

:急に雑談はじめて草

:諦めないでがんばれ!


 画面脇にはのんびりとしたリスナーのコメントが流れている。万年最下位の私の配信って、いったい何が面白いんだろ。


 毎レーストップを争ってる二人の引き立て役にはなっている自信はあるけれど。


「よしな、や……?センパイ、吉納屋ってゴハンなんですカ?」


 耳元のヘッドホンからヤーナのレスポンスが聞こえてきた。

 そのカタコトの日本語のすぐ後に、ネジャンナのリスナーのためと思われる英語訳を、ヤーナはうって変わって流暢に話してあげてる。紫のローブを着たアバター。彼女はいつでも気遣いができて、そして可愛い。


 当時もそんな彼女の姿を見ながら、ウキウキした軽い心持ちのまま、何の気なしに私はそんな質問をした。


 それが、いけなかったのかな。私にとってだけ、それは“気軽な質問”だったんだ。


 ネジャンナのこと。

 特にその文化や地域性なんて当時は……、いや、今だによく分かってないんだと思う。だって私は日本人なんだもん……。なんて、開き直りたい気持ちもいまだにある。それは本当に、私が無知でポンコツな証拠なのだろう。


 確実に言えるのは、その質問をしちゃったことを、私は今でも後悔してるってこと。それが、本当にとても愚かな問いだったってこと。


 結局、その一言のせいで、初めての三人でのコラボは、それが最初で最後になってしまった。


「え、ネジャンナには吉納屋ないの?牛丼屋さんの!」


 いつだってゲームに集中なんかしてないものだから、退屈が極まって会話の話題に飢えている。私はちょっと喰い気味にヤーナの声に応じた。


「あー!しってマス。ギュードン、食べたコトありますっ!…………あ」


 共有画面の青いイルカの形をしたフードを被ったユリたんの、くりっとした青い瞳とつつましい口が一瞬だけ開かれる。私は愛くるしいその姿と声を味わってから、マイクに向かって口を開きかけた。


:MM!Don’t!

:さすがに吉納家はネジャンナにないやろww

:あれ?たしか牛って……

:その話題はやめとけ

:あ

:You should close your mouth!

:これは今日いちのミスww

:ヤバイやつだ、これ


 急にコメントが早くなる。経験がないわけじゃない。こちらの意図しないところでコメントが盛り上がることは。

 ただ、直感的に得体の知れない、なにか大きな間違いを犯してしまったことにだけ、私は直感的に察する。


「待っテ。霧霧センパイ……、ちょっとミュートしまス。……ユリア。ちょっと話シタイことがありまス」


 ミュートっていうのは配信の声を消すこと。ユリたんと話をするためだろう。アプリを使ってか、一緒に住んでるわけだから直接話すのか。

 レーシングゲームは続いていて、ゲーム画面の私の車が、なぜか不気味に停車しているヤーナの車を追い抜いていった。


 直接話すみたいだ。

 というのも、ヤーナのアバターが中の人、つまり現実世界のヤーナ本人を認識しなくなったから。リスナーももちろんそうだろうけど、そういうのって、アバターの挙動を見ていれば、すぐ分かっちゃうんだよね。


 自分の配信画面に流れているコメントの画面を、クリックして止める。私の視線は特定のコメントを取り上げ続けている。


:ユリアって宗教なんだったっけ?情報求む

:ヤーナが配信中でも礼拝するのは有名な話

:ヤーナはネジャンナ人の大多数を占めるマシスト教の信者

:霧霧鳥。マシスト教は、特に牛を神聖視してるから絶対に食べちゃダメなんだよ

:ネジャンナって昔、国内で宗教戦争もなかったっけ?

:地震だか台風だかで、停戦中ってことになってた希ガス


 血の気が引いた。思考が停止する。配信なんだから、なにかしゃべらなきゃって思うけど、口を開くばかりで声は出てこなかった。


「えっと……、あのー……」


 そんな言い淀む私の声ばかりが、どこか遠くで聞こえていた。


 その後、10分くらい後だったかな。すごく長く感じた10分だったけれど。

 二人は何事もなかったかのように配信に戻って来た。


「ちょっト長いトイレでシタ」

「おウチに……、トイレが、ヒトツしかないのデ……」


 なんて二人は言っていたけれど、怒ったようなヤーナの声と、明らかにテンションの下がったユリたんの様子で、リスナーは全てを悟ったようだった。もちろん、レーシングゲームはその試合でおしまい。配信終了予定時間までまだ数十分あったんだけど、ヤーナの「……終わりにしまショ」の一言で終了。


 それは、ゲームのことだったのか。ネジャンナの二人の関係のことだったのか。今となっては分からない。


 それから三日後に、後輩二人は部屋を引き払って別々に住むことになった。


 リスナーやアンチ、あ、アンチっていうのは私たちに対して悪意、もしくは敵意のある人のことなんだけど、そういう人たちの憶測や根拠のない噂話が、ネットに飛び交うことになった。


 暴露系配信者と呼ばれる、ゴシップ記事みたいなことをネット動画にアップする配信者たちの、格好の餌食にもなった。ネジャンナでのことなのに日本の暴露系配信者までが、ご丁寧に私の名前まで出して動画にしていた。


 炎上、というやつだ。


 噂話には尾ひれが付いて、あることないこと散々言われてたっけ。牛丼の話だったのに、いつの間にか同じくマシスト教で禁じられているお酒の話になったりして。


 ユリたんは1か月くらい、配信を休んだ。それまで毎日ライブ配信していたというのに。


 ラフィング本社では、デビュー前の1期生も集めて炎上対策の『世界の宗教』研修会も開かれた。


「ひどい顔色ですね。メンタル大丈夫ですか?……あまり思いつめないで下さいね?」


 いつも厳しいマネージャーの舞ちゃんは、私たちの誰かが炎上した時や体調を崩した時だけ、すごく優しい声色で心配そうに言葉を掛けてくれる。

 研修会前に開口一番、彼女は私にそんなふうに声を掛けてきてくれた。


 後輩もいたっていうのに、私はそれで泣き出しちゃって。


 舞ちゃんが私を抱きしめてくれて。


 葵ちゃんが私の頭を撫でてくれて。


 アルルちゃんは一緒に泣いてくれてたなぁ。


 その後、ネジャンナの後輩二人のヨリを戻そうと、多人数コラボ配信企画にメンバーそれぞれが誘ってみたりしたんだけど、やっぱり二人はそれっきり、今でも別々に活動している。


 その全てが、私の間違いのせいなんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る