Legend3,『Dope』

◆◆


 そういえば。


 あの医者。


 ああ、幸せ。


 ドクター・フー。カッコイイ。


 最後まで名前を名乗らなかった。


 死の淵から私を救って。


 懐かしい匂い。懐かしい痛覚。


 凱旋。


 偉そうにしない。


 無駄。徒労。無駄。アゲイン。


 そんな幻覚。


 恩人。後ろ姿。白。


 どこまでも続いていくのは、おそらく永遠。


 懐かしい感覚。血管が沸騰して飛び散っていく。


 甘美以上に甘美。身体を離れる興奮過ぎる。


 神とか悪魔とか蜘蛛とか。


 猫とか猿とかエトセトラ。


 幻覚。


 待 っ て。リフレイン。超回転する脳味噌。


 食べたのはほぷきんす。


 お かし い。


 やめ  た はずじゃな い。


 この感 興奮 覚 に殺されそ うに  なったじ ゃな  い。


 ドクターは言いました。


 無駄。徒労。逡巡。明後日。


 待っ  て。


 痛いって言ったばっかりに。心。身体。


 戻 っ   て。


 レイジー、クレイジー、デイジー。


 手から発する世界。世界が燃える。


 これ  は


 思った以上に ハイ。



◆◆


:待ってたよ。長期休暇だったね。

:おかえり!

:おかえりなさい!

:自分がグウェン中毒患者だって気付かされた3ヵ月だった:)

:初見です。体調は大丈夫ですか?

:ねえ、新曲はまだかい?


 待ちわびていた復帰を祝う声に、グウェンは口角が上がるのを我慢できなかった。リスナーの気持ちはグウェンと同じだった。

 ずっと、この日を待ってた。

 歓喜のあまり彼女は、叫びだしたい衝動に駆られる。

 退院したのは二日前のことだ。


 コロコロ、コロコロ、と彼女の手元から音がしている。


 彼女史上、これ以上ないってくらいに退屈な三ヶ月だった。真っ白な病棟のベットの上に一人。点滴と心電図はしばらく繋がれたままだった。


 毎日のようにMGは来てくれたし、他のorion uniteのメンバーも代わる代わる、もしくは二人一緒に来てくれたりしていた。

 それはグウェンにとってはとても嬉しいことだ。


 彼女はそれを自身の容姿のせいだと言っているが、友達と呼べる者が彼女にはいないから。

 実際は素行が悪かった日々のせいで、昔の友達はみんなグウェンから離れてしまった、というだけなのだが。


 コロコロ、コロコロ。机の上で踊っている。


「休み過ぎたくらいよ。体調は万全。今日はみんなのために歌うわ。しっかり最後まで聴いていかないと、許さないんだからね?」


 まるで手元のそれと同じく、リスナーを手のひらで転がすかのように、顎を上げながら得意気な声色でグウェンが言う。それに伴って、画面のコメント達がその量を、流れる速度を増していく。


 コロコロ、コロコロと。


 昔、グウェン・アラネアとしてデビューする前にそうしていたように、入院中に機材を病室に運んで配信をしたい、とMGにはすぐに提案した。しかし、それは却下されてしまった。


「あなた、銃で撃たれたのよ?」


 呆れたようなGMの顔は、疲れを隠せていなかった。

 グウェンが襲われたことは、当然のように公表されていない。

 襲われたのは中の人であって、グウェンではないのだと、彼女はそう認識している。だから、グウェンはすぐにでも配信を再開したかった。


 リハビリとしても必要、と食い下がったが、MGは頑として首を縦には振らなかった。今は身体を休めることが何より重要、と何度となく諭された。


 配信したいのには理由があって、一人でいる時や夜なんかがそうだったのだが、身体、特に撃たれた腹部と脚が激しく痛むことがあった。


 そういう時はすぐに看護師を呼んで、痛み止めをしてもらっていた。


 コロコロ、コロコロ。


 それが、いけなかったのかもしれない。

 彼女はすでに、罪悪感も忘れてしまっていて、そんなことなど考えてはいないが。


「もちろん、忘れてないわよ?今日は最初に私のファーストアルバムに入ってた『Ya,ya,yamy』から歌うことに決めてたの。三ヶ月前にリクエストしてくれたリスナーさんは、もうしっかりすっかり一人前のスパイディになってくれてるんでしょうね?まあ、半人前でも構わないけれど」


:三ヶ月あったら三千回は聴いてるだろうね!

:ラッキー!今日は最高潮の煽りグウェンだっ

:半人前だろうとグウェンは差別したりしないから安心しろよ?

:愛してる!歌って!


 コロコロ、コロコロ。


 新しい家はMGがすでに見つけてくれていた。三つくらい候補があったけれど、ほとんど目を瞑って指をさしたような決め方だった。

 スラムにいられなくなったグウェンにはもう、あまり興味がないことだったから。


「そうなの。今日は最高にハイってやつなわけ。だからいつまでだって歌っていられそうよ?じゃあ、準備するから、ちょっと待っててね」


 コロコロ、という音がやむ。


「最っ高に幸せっ!」


 マイクがミュートになる。


 引っ越しの時にスラムで、こっそり連絡を取っていた昔の知り合いから、彼女はそれを大量に受け取っていた。デビュー前に買っていたものは粗悪品が多かったが、どこまでも真っ白なそれは、純度の高さを示している。効果の大きさも。


 グウェンが手元の注射器の針を自分の腕に向ける。退院してからすっかり元通りになってしまった。

 病院の痛み止めのせいだろうか。それとも、すぐに手に入ってしまうせい?


 とにかく他人のせいだ、とグウェンはそう信じている。絶対に自分は悪くない。

 クスリに、そう思わされている。


 彼女にとってはもう、そんなことはどうでも良かった。


 こんなハイセキュリティな、こんな無機質な高級マンションの一室も。その環境にそぐわない自分も。

 思い通りにならない全てのことも。


 くすりだけあればいい。多幸感に身を任せていられればいいのだ。

 自分がどうなってしまおうとも。


 注射器の中身はヘロイン。


 昔取った杵柄。手がどんなに不自由でも、その所作だけはスムーズで迷いはない。

 腕に埋まっていく針を見つめていくグウェン。


 ゆっくりと、押されたポンプが縮まっていく。


 配信が始まる。

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