Legend2,『origin:紛争』

 22年前。

 ネジャンナのボロ・ボバ政権はマシスト教を国教とし、宗教合一を名目に首都から東部のライアル島に侵攻を始め、東部諸島の無抵抗のアマリ教信者の市民を数万人単位で虐殺した。

 事態を重く見た欧米各国はネジャンナへの経済制裁と諸島側への軍事兵器の支援を開始。


 ネジャンナ紛争の始まりである。


 政権打倒派の組織は紛争序盤、かなりの劣勢を強いられていた。欧米から来る兵器があれば、諸島を守ることは難しいことではない。しかし、密かに中東オイルマネーの支援を受けていた政権からの攻撃は止むことを知らず、守ることはできても政権に対し攻勢に出ることができないでいた。


 その状況を打開するきっかけになったのが『バレジット・ソ・ギャバン』、ネジャンナの言葉で『悲劇の英雄』を意味する愛称で、今でも諸島では親しまれている、ベルト・カイル少佐の登場だった。


 アメリカの宣教師で軍属経験もあった彼は、紛争開始時の虐殺の報を本国で知り、単身ネジャンナに渡った。

 彼はベトナム戦争時の敗北や、信奉していたチェ・ゲバラを参考にし、少数のゲリラ部隊を組織して首都へと上陸。

 ボロ・ボバ大統領一派を国外に追放することに成功する。


 ネジャンナ首都、現在はジョコビと地名が変わったが、当時はボロ・ボバ大統領の名からとってボロリスという名だった。

 その首都中心にある大統領府レッキィネハウスに彼はいた。


「……終わりましたね」


 セニシュ・ベントゴの背が呟く。土だらけのボロボロの迷彩服に身をつつんだ彼は現地人で、カイル少佐の右腕である。

 筋骨隆々。太い眉をした精悍な顔つきでAKを携えた彼に、寂しそうに微笑みながら、対して細身の少佐は振り返った。


「セニシュ、これは終わりじゃない。始まりなんだよ。この国はもう限界だ。首都の街を見ただろう?贅沢好きの大統領がバカみたいに金を擦ってインフレを起こして、食べる物も輸入できず、経済は崩壊寸前。俺たちがやらなくても、きっと自滅していただろう。……あとはこの国の民衆に任せることにするよ」


 ポケットから葉巻と小さなシガーカッターを取り出し、金髪を揺らして吸い口をつくる。銘柄はモンテクリストだ。


「少佐は、これからこの国の舵取りをなさるのではないのですか?」


 カッターの遮断音が、静かな廊下に響いた。振り返って葉巻の切れ端がレッキィネハウスの白い廊下に落ちていくのを目で追いながら、眉をひそめてセニシュが尋ねる。

 少佐は静かに微笑んで肩をすくめた。


「向いてないよ。俺は向いてない。そりゃあ、運よくこうなった以上、革命には向いていたんだろうけれど、俺は政治には向いてない」


 恥ずかしそうに笑うと、続けてライターの金属音が響く。


「少佐は英雄です。きっとみんな、少佐の言うことならなんでも聞いてくれると思います」


 表情を変えず、視線を合わせられることのない青い瞳に向かって、セニシュは言葉を続けた。彼を中心に得も言われぬ葉巻の匂いが広がっていく。


「買いかぶり過ぎだよ。やっぱり俺はゲバラじゃなかった。ただの宣教師だったよ。何をするにも神に嘆いてばかりの、ただの宣教師だったのさ。もう、嘆くことに疲れ果ててしまった」


 セニシュの視線から逃げ続けている少佐は、すべてを諦めてしまったような表情。その顔を、セニシュは見ていられなかった。


「よく……、よく分かりません」


「……わからなくていい」


 長い付き合いの中で、そもそもセニシュは少佐の内面を捉えられたことなどなかった。いつだってそうだ。彼が何の前触れもなく結婚した時だって、ゲリラ作戦を立案した時だって、待ち伏せを受けた一個小隊に囲まれて、命からがら逃げ出した時でさえもそうだった。あの時は兵の半分を失ったというのに、少佐は表情ひとつ変えなかった。


 だから、分かる。

 なにを言っても、少佐の意思は変わらないことが。


「これから……、どうされるのですか?この国は、どうなっていくのでしょうか?」


 国民の不安をまるで代弁しているかのように、セニシュは尋ねた。

 にやり、と微笑みが返ってくる。


「この国は大丈夫。きっと持ち直すことができる。俺は……、そうだな。とりあえず、娘が生まれてから考えるさ」


 目を丸くせずにはいられなかった。少佐ならきっと、国連で列強相手にでさえも大演説を打ってくれるだろうと思っていた。その予想ですら、ただの徒労だったというわけだ。


 しかし、なぜか心地よい納得をセニシュが得ていることも事実だった。

 二人の瞳が交差する。自然と、口角が上がった。


「……無責任ですね」


「俺が戦争以外で、ひとつでも責任感があったことあるか?」


「そういや、ありませんでしたね」


「即答かよ」


 昔馴染みの友人達のような会話。きっと少佐との会話も、あと数えるくらいしかないだろう。だったら、その時まで少しでも楽しく、良い思い出になるようにしたい。

 いま、心からセニシュはそう感じていた。


「……奥様はオキナワの病院でしたか。早く会いたい気持ちも分かります」


 今度は少佐が目を見開く番だった。きっと彼は、セニシュがもっと食い下がるものと予想していたのかもしれない。

 ふふっ、と葉巻の煙が少佐の口から中空に消える。


「やっぱ有能だな。お前がいればきっと…………」


「カイルッ!!」


 大統領執務室へ続く長い廊下。二人の背に、少佐の名を呼ぶ怒号がこだました。

 二人が振り向く。


 国軍の軍服を身にまとった小柄な男が、拳銃を両手で構えて少佐を狙っていた。


 臆することもなく、少佐が銃口に向かって口を開く。


「お前はたしか……、バナボ中尉か?」


「俺を騙したなっ!」


 汗で濡れた黒髪を振って、怒りを隠そうともしない男の罵声は、彼の感情がそうであるように白い壁に囲まれた建物内を反響し、増幅し続けている。


 声の反響が止んだ頃に、少佐が肩をすくめる。その動きに合わせて、バナボは銃を再度突き付けた。

 すでにセニシュのAKも、彼に向いている。


「そうだな。すまなかった。でも、騙したわけじゃない。ほら、言った通り戦争は終わっただろ?大統領が中東に逃げたんだぜ?なのになんで、お前は俺に銃を向けてるんだ?なんのために……」


 そういえば、首都に入る直前、少佐が夜に行方不明になったことがあったことを、セニシュは思い出していた。朝には帰ってきたが、夜襲か暗殺か敵前逃亡かと、あの時は肝を冷やしたものだ。

 帰って来た少佐は、首都の国軍の配置をなぜか知っており、セニシュたちは軍の包囲網を搔い潜り、首都を急襲することができた。


「うるさいっ!お、お前が俺を泥酔させて……、お前を、こ、殺せば……」


 彼の怒りを鑑みるに、そういうことだったのだろう。と、ひとり勝手に納得しながら、この状況をどうしたものかと銃を構えたままセニシュは思案する。


 少佐がため息を吐いた。

 セニシュが舌打ちをする。

 あんた子どもが生まれるんでしょう?死ぬわけにいかないんでしょう?あまり相手を挑発するような言動は、やめて下さいよ。


「俺を殺したってボロ・ボバ政権はもう倒れた。無駄なことはやめて……」


 その時だった。小さな地鳴りが全員の耳を襲った。すぐさまそれが、だんだんと大きくなる。同時に、地面が激しく縦横に揺れだした。


「なんだ!?」


 誰も立ってはいられなかった。銃声がバナボの方から響いたが、弾は大きく外れて、廊下の窓を激しい音を立てながら割っただけ。


「地震かっ!?」


 揺れが止まない。建物がミシミシと音を上げ、天井のシャンデリアが今にも吹っ飛んでいきそうなほど左右している。天井から塗装と埃がバラバラと振ってくる。さきほどより大きな音をたてて、急に窓ガラスが弾けた。


「く、崩れる……っ!」


 瞬間。壁に亀裂が走り、地響きのような音をたてて天井が崩れた。大きな柱の折れる音。我慢の限界を迎えたように、急激に崩壊していく壁、窓。シャンデリアが落ちて、砕ける。景色を一変させていく。この世の終わりを告げるかのような破壊音が響き続け、永遠と思われるその時間が、三人を襲い続ける。


「少佐っ!少佐ぁ!!」


 揺れがだんだんと緩慢になっていく中で、セニシュの声が響く。瓦礫埃で前が見えない。その声を狙ったかのように、天井からコンクリートの塊が彼の数十センチ先に大きな音をたてて落ちた。


 ぞっとせずにはいられない。空が見える。晴れ渡る空と太陽が、セニシュを見つめている。

 揺れは止まっているはずだが、地面が不安定になっている感覚に襲われる。


「カイルっ!カイルっ!!……おい、お前っ!こっちだっ!」


 バナボが叫ぶ声がした。その方向に、ゆっくりと目を向ける。


「しょ、少佐…………」


 少佐の姿が見えない。急激な不安の高まりがセニシュを襲う。

 立ち上がり、ゆっくりと歩みを進める。ガラスを踏む鈍い音。身体に被った粉塵。コンクリートの塊を踏み越えて。


 膝をついて首を垂れるバナボの姿。その膝元に、豪奢なシャンデリアだった大きな金属の骨組み。


「お、俺を……、俺を庇って…………」


 その骨組みの下に、体中を貫かれた少佐が、血を流しながらぴくりとも動かず突っ伏していた。

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