Legend1,『青天の霹靂』
「センパイ……ッ?オキてくだサイ!」
遠くからヤーナのハイトーンでちょっとクセのある日本語が聞こえる。なんでヤーナの声が聞こえるんだろう、なんて考えようとした途中で、海外旅行に来ていて、彼女の家でうたた寝しちゃっていたことを思い出した。
「……は、はいっ!」
慌てて突っ伏していた顔を上げると、そこには透明なくらい白くて平たい麺に、あんかけの野菜がたくさん入った料理が、綺麗な白い大皿に乗って、ラップを掛けられていた。
私が寝ちゃってる間に、ヤーナが作ってくれたんだろう。
いや、それよりも……
「は、配信は……!?」
そしてヤーナはどこに?
料理をしていたはずの台所には、彼女の姿はない。
慌てて辺りを見回す。フローリングの床には傷ひとつはもちろん、汚れひとつない。カーペットは日本では見たことがない、幾何学模様というか、なんというか。寝起きで頭がぼーっとしちゃってて、言葉が出てこないや。四角とか三角とかが組み合わさったような模様。おしゃれな白いソファがあって……、あ、ヤーナ見つけた。
彼女は向こうの広い部屋のソファの方にいて、立ったままスマホを片手にテレビを見ていた。電話は誰かと繋がっているんだろうか、耳にあてているということは。
「――――――ッ!――――――……」
英語じゃないのは分かる。ネジャンナの言葉だろうか。緑色のヘアバンドを付けた頭に手をあてながら、なにか強い口調で話している。テレビを観ながら。
なにかの事故だろうか。テレビの中では、青いスーツを着たキャスターのお姉さんが原稿を読んでいる。
文字も全部ネジャンナ語だから分からないけれど、原稿から視線を外さないお姉さんの様子とか、左上のワイプに映っている、煙と炎が上がっている町の様子を見ると、ただごとではないことだけ分かる。
「ごめん、ヤーナ。寝ちゃってた。……どうしたの?」
ヤーナがスマホを切ったのを確認してから、私は彼女に声を掛けた。ヤーナは頭を抱えたまま、唇を嚙みそうなくらいに真剣な表情を崩さず、私が座っているテーブルに歩み寄る。そのまま、私の向かいの席に座った。
「は、配信はどうなったの?」
おそらく、いま聞くことはそれではないであろうことを理解しつつも、配信者である私はそれから聞いてみることにした。
「あー、おリョうりが、カンセイしそうなところで、オシマイになりました。というのも、センパイ……、あの……、落ち着いて聞いテください」
いつも落ち着いてない自覚はあるけれど、私はその言葉でなんだか心拍数が上がった気がした。ぞわぞわとした不安が、全身の肌の上を這ったような感覚に襲われる。
ヤーナの言葉を待つ。なんだかスローモーションみたいに、彼女の口が開いた。
「しばらくは……、ニッポンに帰れないかもしれまセン」
「……………………」
え、なんで?ついさっき来たばっかりなんだから、そう簡単に帰るわけないじゃん。
そう言い返そうとしたけれど、さすがに鈍感な私だって、そんなのんびりした話じゃないってことは分かる。
でも、なんて言葉を返したらいい?泣き出しそうなくらいに深刻な表情で、私を見つめている異国の後輩に。
「ネジャンナは、えーっと、あ、ステイトオブエマージェンシー……、ヒジョウジタイをデクレアしました」
「あの……、ごめん。よく分かんないや」
「シヴィルウォーです」
海外の後輩と仲良くしたいなら、少しでも英語を勉強しておいた方がいいですよって、マネージャーの舞ちゃんに今まで口酸っぱく言われてた。聞き流していた自分をひっぱたいてやりたい。
……………………。
いや、きっと過去に戻ったとしても、私は勉強なんかしないわけだけれど。
「日本語しか分からなくてごめん。これに話しかけて?」
私はスマホをポケットから取り出して、翻訳アプリをタップした。
「こちらコソ、勉強ブソクですみまセン……」
言いながら、ヤーナは私に向かって手を伸ばす。そんなことないよ、なんて私は返した。不甲斐ない先輩で、ごめん。
テレビ画面は目が回るくらいのスピードで場面が切り替わって、迷彩色の服を着た人々がゲームでしか見たことがないような自動小銃を携えて、空港みたいなとこで戦争映画にしか出てこなそうな飛行機に向かって隊列を組んで歩いていたり、涙を流す子どもと母親の映像が流れていた。
不安が、どんどん募っていく。
「―――――……、――――、―――――――」
ヤーナがスマホのアプリをタップしてから長文の英語で話す。
翻訳のボタンが押されると同時に、持った掌が返される。小指にしているシルバーの指輪がきらめいた。
スマホの抑揚のない変なイントネーションの音声が、広い部屋に響く。テレビからの声がタイミングを見計らっていたかのように静かになって、その声は怖いくらいに私の耳に届いた。
「ネジャンナで内戦が勃発しました。政府は非常事態宣言を発令して、空港は全面的に閉鎖されています。日本の本社、笑ってる、連絡がつきません。日本の大使館にも連絡がつきません」
……笑ってる?
そこだけよく分からなかったけど、嘘みたいなスマホの声の内容が、私の小さな脳みその中を何度も行ったり来たりした。
それでも信じられないっていうか、現実感がなさすぎて、想像できなくて、普段あんまり深く物事を考えたりしないものだから、頭がくらくらしそうになった。
「ネジャンナで……、戦争が起こってるってこと?」
否定の言葉がほしかった。嘘であってほしかった。私はちょっとした旅行気分で、たまたまこの国に来ただけ。そんなタイミングで、こんなことになるなんて、現実にあるものだろうか。そんなわけない。
静かに、ヤーナは首を縦に振った。私の瞳を、見つめたまま。
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